第15話 アレクシス・アロ、再び
「お兄様はいらっしゃる?」
学園から帰るとすぐに、私は侍女のメアリに聞いた。
「クリス坊っちゃまですか?今日はお帰りになっておりますよ。今はご自分のお部屋にいらっしゃいますが、でも、あ、クリスティーネ様!?お待ちください!」
すぐさま、お兄様の部屋へと向かう私の後ろから「何をそんなに慌てているのですか?走ってはいけません。お嬢様!」とメアリがついてくる。
「急いでお兄様にお願いしたい事があるの」
私は足を止めずに言った。
「でもお嬢様、クリス坊っちゃまは!」
何かを言っているメアリを振り切り、私はお兄様の部屋へと飛び込んだ。
「クリスティーネ?どうしたんだい?そんなに慌てて」
驚いた顔で振り返ったお兄様は、美しい刺繍の施されたコートを羽織り、私と同じ黒髪を、綺麗に後ろへ撫で付け、端正な顔立ちをすっかり顕にさせている。
「お、お嬢様、クリス坊っちゃまはお出かけされる準備中ですから、お邪魔はっ」
メアリが息を切らせながら追いついてきた。
「ああ、メアリ。もう準備は終わる。それから坊っちゃまは、やめてくれ。首の辺りが痒くなるんだ」
お兄様は首を掻くと、指に守りの護符のついた指輪をいくつかはめた。
「さあ、これで終わりだ。次はクリスティーネの用事を済ませよう。可愛い妹は兄に、何を求めるのかな。さあ、言ってごらん。できる限り叶えてあげよう」と、大袈裟に両手を差し出してくる。
「時間は大丈夫なのですか?」
私は心配になって聞いた。
「妹の相談を受けるくらいの時間ならあるよ。食事会に呼ばれていてね。今日はそのまま泊まる予定だ。本当は父上が呼ばれていたんだが、父上と母上は、まだ領地から帰ってこないから、私が代わりに行くことになったんだ」
「お父様とお母様は、今回随分長く領地におられますけれど、何か問題でも?」
二人とも領地に行ったきりなかなか帰ってこないせいで、お兄様はお父様の代わりに一人、忙しくしており、私と顔を合わせる暇もないほどなのだ。
「あちらではもうすぐ花祭りが行われるだろう?あの祭りは楽しいからね。祭りが終わるまでは帰ってこないさ。さあ、父上達の話よりも、お前の話をしよう。そんなに急いで私に聞いて欲しい事があったんだろう?」
「あの」と言って、私はメアリや部屋の隅に控えている、お兄様の侍従や護衛を見回した。
皆の前で話せる内容でもない気がした。
「なるほど。秘密の話か。よし、みんな出ていってくれ。護衛も部屋の外へ。可愛い妹の秘密を聞かせるわけにはいかないからね」
お兄様は時々、察しが良くなる。
「メアリも外へ」
自分は部屋に残るつもりだったらしいメアリに私が言う。
「でも、お嬢様」
「お願い」
「・・・分かりました。扉の外でお待ちいたします」
「ありがとう」
やっと二人きりになると、お兄様は私を椅子に座らせ、その前に立ち、
「さあ、これでいいだろう。言ってごらん」と言った。
私は一瞬、ためらった後、
「アレクシス・アロ様に手紙を出していただきたいのです」と言った。
しばらく沈黙があった。
お兄様は眉間に皺をよせ、自分の足元を見ていた。
そしてやっと顔を上げると、
「・・・・確かに、アレクシス先生は素晴らしい方だ。見目も麗しい。アレクシス先生に憧れている女性は多い。しかし、おまえにはディートヘルム王太子殿下という婚約者がいて」「違いますわ!」
私は慌ててお兄様の言葉を遮った。
「そうではないのです。スキル『鑑定』についてお聞きしたい事があるのです!」
「そ、そうか」お兄様はホッとして肩を落としたが、すぐに困ったよう眉を下げた。
「しかし、アレクシス先生はお忙しい方だし、クリスティーネにも、もう分かっているだろうが、その、あまり愛想の良い方ではない。先日はすぐにお会い出来たが、あのような事は普通ではありえないのだ。それにあの時の様子では、返事が来るかどうかも分からないよ」
散々馬鹿にされたものね。
でも「それでも『鑑定』についてお聞きできるのは、アレクシス・アロ様しかいないのです」
私は祈るように両手を握りしめ、お兄様を見上げた。
「・・・分かった。では私が手紙を書こう。なんと書けばいいのかな」
「『鑑定』結果の文字が揺らいだり、現れなかったりする事はあるのか、教えていただきたいと」
お兄様は片眉をあげ、私の顔を見つめた後、
「分かった。そのように書こう」と言った。
お兄様は手紙を書くと、以前のように風魔法でぴゅうっと飛ばしてくれた。
「返事はこの部屋に帰ってくる。私はこれから出かけるが、返事が来たらクリスティーネに渡すよう手配しておこう」
「はい。いいえ。あの、しばらくこの部屋で返事を待っていてもいいですか?」
お兄様は困ったように眉を寄せた。
「それほど早く返事は帰ってこないと思うよ。明日になるか、明後日になるか」
「分かっております。でも、少しだけ待たせてください」
「・・・分かった。許可しよう。それでは私は出かけるよ」
お兄様は部屋の扉を開け、侍従達を呼び寄せると、いくつか指示を出し、
「困った事があったら、今日みたいに相談しておくれ。必ず助けになるから」と、寂しげに微笑みながら行ってしまった。
最近の私と殿下との関係の事を言っているのかもしれない。
でも、巻き戻しについてなんて、どう相談すればいいのか分からなかった。
信じてもらえるかどうかも分からなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
返事はやはりすぐ来なかった。
「お嬢様」
「メアリ、お願い。寝る前にもう一度確認に行きたいの。もしかしたらお返事が返ってきてるかもしれないわ」
メアリには誰からの返事かは教えていない。
大事な返事だとだけ告げてある。
メアリに懇願され一度は自室に戻ったけれど、諦めきれなかった私は、夜も更けた頃に、これが最後だからとメアリを説き伏せて、お兄様の部屋まで確認に来たのだ。
でも、やはり部屋の中に手紙はなかった。
「お嬢様。この部屋は寒いです。早くお部屋に戻りましょう」
人の良いメアリが心配そうに私に言う。
「もう少しだけここで待たせてちょうだい。お願いよ」
メアリは「駄目です」と言い続けていたが、私の粘りに最後には負けてくれた。
「お嬢様のショールをとって参ります。部屋から決してでないでくださいね」
「分かったわ」
そしてメアリが出ていった後、しばらくそわそわと部屋の中を行き来したが、全く現れる様子のない手紙にがっかりして、椅子に腰を下ろし、ぼんやりと足元を見ていた。
その時だ。
不意に誰かが、コツコツと足音を立てて、私に歩み寄ってきた。
驚いて顔を上げると、黒いマントに銀色の長い髪をした麗しい姿があった。
以前と同じ、乙女の夢を集めたような美しいアレクシス・アロだった。
アレクシス・アロは、声も出ないほど驚く私を見下ろし、
「それで?」
と不機嫌な声で聞いたのだ。