第10話 王太子ディートヘルム
我がヴォルゲ王国の王族は、特別な色を持っている。
御髪は、白みがかった、けぶるような灰色。
瞳は、虹色の煌めきが散らばる澄んだ紫。
ヴォルゲ王国の王族以外にこの複雑な色を持つのは、創始の精霊様だけ。
創始の精霊様は美しい双子の精霊様。
教会の壁に描かれた創始の精霊様は、並び立ち、少し目を伏せ、微笑んでいる。
左側の精霊様は人の男に似た姿で、右側の精霊様は人の女に良く似た姿で描かれている。
教会に置かれている『王国の始まり』という題名の絵本にも、創始の双子の精霊様が描かれている。
その物語は、こんなふう。
昔、昔の、そのまた昔。
この地は暗黒に覆われ、魔物達に支配され、人は怯えながら生きてきた。
しかし、創始の精霊様は、自分達と良く似た姿の人々の惨めな生活を哀れみ、その強大な力で暗闇を退け、魔物を追いやると、一人の人間に自らの力の一部を与えた。
その者は創始の精霊様と同じ色になり、強い力を持ち、この地に王国を作り、王となった。
つまり、王族の稀有な色は、創始の精霊様から頂いた色なのだ。
王国の子供達なら、誰もが教会に行き絵本を読んでもらう。もちろん私も散々読んでもらった。
絵本に描かれた創始の精霊様をうっとり眺め、なんて不思議な色をしているのかしら、と思っていたのだ。
こんな不思議な色の人が、本当にいるのかしらと思っていたのだ。
そして、八歳になった時、王宮の庭園で開かれた子供達のお茶会に招かれ、ディートヘルム王太子殿下を初めて見て、腰が抜けるくらいにびっくりした!
あの絵本に描かれている創始の精霊様と同じ色を持つ子がいますわ!
創始の精霊様と同じ髪色!
同じ瞳の色!
あの方がディートヘルム王太子殿下ですのね!
あの絵本に描かれていた事は本当でしたのね!
我が王国の王族は、創始の精霊様に色と力を頂いていたのですね!
なんて尊いのかしら!
ええ!?あの方が私の婚約者!?
絵本の中の方が!?
と、幼い私は大興奮だった。
まあ、巻き戻しを繰り返し、そんな純粋な心がすり減って行くと、突然気づくんだけどね。あ、なるほど、これ、王族の権威を高める為に、王族の珍しい色を利用して作った物語だわ、と。創始の聖霊様の色とか、誰も確かめられないから、言ったもん勝ちよね。そうなってくると創始の精霊様から力をもらったなんてのも怪しいもんよね。ふうん。すると教会もグルか。へー。でも、上手い事考えたわよね。あの物語があると、王族は特別な人達だと王国民は思うものね。これ思いついた人天才。
けれど、そんなに荒んだ何回目かの私にとっても、王族の色は不思議で美しい色だった。
特に、王太子であるディートヘルム様は、王族の色を一番鮮やかに持つ、まさに王族の中の王族だった。
何度巻き戻しを繰り返しても、何度ディートヘルム殿下に処刑場に送り込まれても、ディートヘルム殿下は美しかった。
「クリスティーネ。やっと会えたね。元気そうで安心したよ」
一回目の巻き戻しのその日、学園でお兄様と馬車を降りた私の元へ、創始の精霊様の色を持つディートヘルム王太子殿下が、微笑みながら私に向かって歩いてきた時も、なんて美しいのかしらと、見惚れていた。
十六才の、子供から大人に変わる途中のしなやかな体つき。金糸の刺繍が入った制服が良く似合っていた。白みがかった、けぶるような灰色の髪は少し長めで、殿下の鼻筋の通った美しい顔を縁取っている。虹色の煌めきの散らばった澄んだ紫色の瞳が、私を見つめていた。
殿下に話しかけられ、見つめられると、いつも私は自分が絵本の中に吸い込まれていくような、現実感のない落ち着かない気持ちになってしまう。
それで、お兄様の手をぎゅっと握ったのだ。
お兄様は私に笑顔で頷くと、
「ははは!クリスティーネは久しぶりに婚約者に会えて嬉しいようだね」と言った。
違う!嬉しくってぎゅっとしたんじゃない!不安でぎゅっとしたのよ。お兄様はいつも何か間違っている!
軽く憤りながらも、憤りのおかげで元気になった私は、お兄様から手を離し、ディートヘルム王太子殿下に向き合った。
「ご心配をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。少し体調を崩しましたが、もうすっかり元気ですのよ」
私は背をピンと伸ばし、にっこりと微笑んで見せた。
「ふふふ。本当に元気そうだ。心配性で妹思いのクリスに引き止められていたんだって?ふふふ。君達は相変わらずだね。安心したよ。さあ、では私が教室までお供しよう。クリス。あなたの大事な妹君を私が預かってもいいかい?」
「もちろんですよ。王太子殿下。あなたなら安心できます。でも、昼には迎えに来ますから、それまでの間だけですよ」
お兄様の相変わらずな言葉に、ディートヘルム王太子殿下は目を細め、楽しげに笑った。
笑顔を見せると、王太子殿下はますます創始の精霊様に似ていく。教会の壁や、絵本の中から抜け出してきたようだ。その場にいた生徒達も皆そう思ったようで、王太子殿下に見惚れていた。
きっと、私もディートヘルム王太子殿下に見惚れていたのだ。それで見つめ過ぎたせいか、私のスキル『鑑定』が発動した。
黒い文字で現れた鑑定結果は『人』
「・・・人」
私の呟きに、王太子殿下が首を傾げ「何か言ったかい?」と尋ねてきた。
「・・・いえ。なんでもありませんわ。さあ、参りましょう。皆様も。お兄様、行ってきますわ」
「ああ。行っておいで」お兄様が微笑む。
「では、行こうか」ディートヘルム王太子殿下が、私に手を差し出す。
「おかえり、クリスティーネ様」殿下の側近である、騎士団長閣下の御令息エクムント様も、逞しい顔に笑みを浮かべてくれた。
殿下のもう一人の側近である、宰相閣下の御令息ベルンハルト様も、無表情ながらもしっかりと頷きかけてくれた。
そこにいる全ての人を見渡すと、頭の上に黒い文字で『人』と書いてあった。
そうなのだ。人なのだ。みんな人なのだ。ディートヘルム王太子殿下も人なのだ。
その日から、ディートヘルム王太子殿下といると、いつも感じていた、あの物語に吸い込まれるような、落ち着かない感覚がなくなっていった。
ディートヘルム王太子殿下と、前よりも親しくなれた気がした。側近の方達とも、以前より楽に話せるようになった。毎日が楽しくて、幸せだった。それで私はすっかり忘れていたのだ。
学園に復帰した四ヶ月後、ふわふわしたピンク色の髪をした女の子が転校してきた。