Lakeside
小さな小屋のある湖にやって来た。
車を停めて山道を一時間程歩いた先にその湖はある。
辺りは少し開けていて、少し離れた場所に生い茂る木々を、綺麗に透き通った水面が反射していた。
貴方はこの湖のほとりで、私のことをフィルムカメラで撮るのが好きだった。
私はカメラに詳しくなかったけれど、貴方はフィルムカメラにこだわっていた。
新しいカメラの方がいいんじゃないかと言った時には、コイツの味があるんだとか、現像するまで分からないのがいいんだとか言って聞かなかった。
貴方は私を撮るのが好きだったけれど、私は撮られるのは好きじゃなかった。
私なんかよりも、もっと綺麗な景色があるんだからそちらを撮れば良いのに、なんて言っていた。
自分が綺麗だなんて思ったことなかったから。
「君が良いんだ。君じゃなきゃダメなんだよ」
貴方はそう言って半ば無理矢理、私を湖畔に立たせて写真を撮った。何枚も。何度も。何年経っても。
貴方の覗くファインダー越しに見える私は綺麗で輝いているといいな、そう思っていた。
撮られるのは好きじゃなかったけれど、私を撮る貴方を見ているのは好きだった。
ファインダーを覗く貴方はとても真剣な表情で私を見つめていた。いつもの貴方とは全く違っているから、まともに貴方を見ることが出来なかった。
頬が赤くなっているのを誤魔化す為に、いつもそっぽを向いていた。だから、写真の私はどれもどこか違う方ばかりを見ていた。
現像の終わった写真を一緒に見てはその中から一番を決めていた。
決めるのはいつも貴方だったけど、選んでいる最中の貴方は子供みたいにはしゃいでいて凄く楽しそうだった。
そんな貴方を眺めて私も楽しんでいた。
そんなことを何度も繰り返していた。
私の黒く長い髪が綺麗で好きだとも言っていたっけ。
でも、もうここにも貴方はいない。
綺麗だと言ってくれた貴方はもういない。
どうか、僕のことは忘れてくれ。
貴方は私にそう言いたかったのだと気付いていた。貴方が私に、最後に送ってくれた花束には黒いチューリップが一輪混ざっていたから。でも、気付かないふりをしていた。貴方を忘れて歩きたくはなかったから。
貴方は最後に私宛ての手紙まで残していた。
『僕のことは忘れて、前を向いて幸せになってくれ。僕に囚われないでくれ。今まで本当にありがとう。さようなら。■■■■■■■』
やはりと言うべきか、そう書いてあった。
最後の部分は塗りつぶされて滲んで読めなかったけれど、貴方は私に貴方を忘れることを願っていた。
それでも私は貴方の言いつけを守れなかった。
何度泣いても、何年経っても貴方を忘れることは出来なかった。
貴方との思い出を、歩いてきた道のりを忘れたくはなかった。それほどまでに貴方との日々が幸せ過ぎたから。
この湖の小屋で何日も貴方を想って泣いたこともあった。
でも、もう終わりにしよう。
言われた通りに前を向こう。
そう決めてもう一度ここへ来た。
貴方の好きだった長い髪も短く切ってしまった。
もう貴方と共に歩むことは出来ないけれど、貴方が願った通りに前を向いて歩いていこう。
貴方の願った通り、幸せになるために。
ありがとう。幸せな時間を、たくさんの優しさを、たくさんの思い出を。
もうここにも二度と来ることはない。
前を向いて幸せになるわ。
貴方に囚われないわ。
今まで本当にありがとう。
さようなら。私の最愛のひと。
彼女は湖のほとりに花を添えて振り返ること無く去っていった。添えられた薄紫色の花が風に吹かれて小さく揺れていた。
薄く淡い紫色の小さな紫苑の花が。
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