8 依頼完了のあとで
依頼二日目。今朝は慧吾は人型で王宮の前まで来ている。昨日は馬車が多かったが、今日は騎士たちがバタバタ駆けまわっている。街の方へどんどん繰りだしているようだ。街で何かあったのだろうか。通りがかった人々も不安そうにヒソヒソしている。
慧吾はその様子を三十分ほど心配そうに眺め、不審に思われないうちに依頼へ。
二日目も、別の地図を貰って昨日と同じように依頼をこなした。昨日の少女を避けたくてギルドには寄らなかった。三日目の明日に行けばいいだろう。
それから慧吾は街に出かけた。やはり騎士たちがうろついていて異様な雰囲気だった。屋台の店主が聞きこみを受けている。良家の子女の誘拐でもあったのだろうか。
街では本屋で必要な図鑑を探した。あれこれ物色して、目星をつけた。まだ買えそうもないが、大陸の地図は銅貨で買えたのでそれを買って帰った。
依頼三日目。寝坊してしまった…………。興奮状態も落ちついてきて疲れが出たのかもしれない。慧吾は慌てて朝食をかき込んでから依頼先の事務所に走った。どうにか間に合ってホッとする。また新しい地図を貰い、三日間の作業が終わった。
「ケイさん、お疲れさまでした。これで三日間の依頼は完了です」
事務所で担当者が依頼書にサインをくれる。初依頼の達成だ。
「はい、ありがとうございます」
「良かったらまた受けてください」
担当者は軽く言ったが顔は真剣だ。わりと切実なのだろう。
「はい、時間があったらまた受けますね」
慧吾は愛想良く答えた。それから依頼書をギルドに提出しに行くため、担当者に最後の挨拶をした。また受けると言っても次回は別の事務所になるからだ。
ギルドの中をそっと覗くとあの少女は見あたらなかった。安心して受付嬢のエルのカウンターに行く。
「依頼達成です。大銅貨三枚をお渡しします」
「ありがとうございます」
「この調子であと九回受けるとDランクになれますから」
Eランクは簡単に上がるようだ。慧吾ほ明日は休みにするつもりだったので、そのまま帰ろうとした。
「ちょっと! 無視しないでよ!」
「……いたの」
昨日の少女だった。やっぱり面倒くさい。かわいいけど。
「いたわよ! 明日はこの依頼を受けるわよ」
「俺、明日は用事あるから来ない」
「なんでよ! 来て……来なさいよ」
「悪いけど」
少女を見るとさび色の瞳がちょっとうるうるしていた。かわいい。かわいそう。けど面倒くさい。……結局面倒くさいが勝った。今まで慧吾は優しいがために、面倒くさいことになった経験が豊富なのだ。こういうときはさっさと帰るに限る。
次の日は朝食を断わっておいてゆっくり起きた。慧吾は朝寝坊を楽しみ、昼ごろになって広場の屋台に寄った。
「また来ましたよ。魔牛串三本下さい!」
「坊主か。どうだ、依頼は受けたか?」
店主のことはもう怖くなくなった。
「はい、受けました! Dランクを目指したいです」
「おう、頑張れよ」
「ありがとうございます!」
魔牛串を受けとり、また王宮の屋根が見えるベンチに座ろうとした。しかしあいにく先客がいる。ローブを深く被った男性が、座って下を向いている。
(しょうがない、あそこのほうがよく見えるけど……今ごろユークリッドもお昼かなあ?)
慧吾は隣のちょっぴりだけ王宮の屋根が見えるベンチに座った。魔牛串を袋から出す。いい匂いだ。
匂いにつられたのか、男性がふと顔を上げてこちらを見た。串を持った慧吾としばらく見つめあう。慧吾はぽろりと串を落とし、小さくつぶやいた。
「ゆ……!?」
男は立ちあがって慧吾の前にかがみ、串を拾った。首を傾げて、金縛りにあったように男を見つめつづけている慧吾に串を渡したが、慧吾は受けとらない。
「……?」
男は慧吾の見開かれた目を不思議そうに見た。
「お前……。シスイ……?」
慧吾は急に金縛りが解け、今度はワタワタしだした。
「……ていうかなんでひとりなの!? 王様なんでしょ、ユークリッドは」
慧吾は心配そうにきょろきょろと警戒し、ユークリッドのローブをもっと被せようとした。
ユークリッドと言われた男は動きを止めた。そして顔を歪め慧吾をそっと抱きしめた。
「シスイ……シスイ……お前どこにいた。八年も……探したんだぞ。あんな、あんな消え方を……」
「うん、ごめん、ごめんね……。会いたかったよ。ユ、ユークリッドは、げ、元気だった……?」
ユークリッドの切ない声に、慧吾も涙声になって、抱きしめられたまま鼻をぐずぐず言わせた。
しばらくそうしていたが、ユークリッドは少し慧吾を離して顔が見えるようにした。ユークリッドも目の端が赤くなっている。
「ああ、紫だ。……シスイと同じ瞳」
「……あれ俺今……それでわかったの?」
「それと串を持って頭を傾げているところだな」
「ひどい!」
ショックを受ける慧吾にユークリッドはふっと笑った。
(笑ったーー! 写真撮りたい)
慧吾はそわそわした。レアだ。
ユークリッドは八年たっても変わりがないように見えた。三十五歳になるはずだ。若々しいし、金髪もふさふさで王子様のままだ。ただ、肩までの長さだったのが腰まで伸びて三つ編みになっている。瞳の色は紫から戻ってなかった。
「一番は、お前の呼ぶ声がしたことだな。今私のことを考えていただろう?」
「え。俺の声が聞こえるの?」
ユークリッドの説明によると、今までも何度も慧吾の声がしたそうだ。慧吾がこちらに来てからは、それが顕著になってシスイを探させていたということだった。あの騎士たちはシスイを探していたのだ。
「一度お前を門で見たという証言が出て……いてもたってもいられず」
王宮を抜けだしてひとりで来てしまったらしい。変装してても危険すぎる!!
そのとき、身なりのいい三十歳くらいの男性が走ってきた。ユークリッドは嫌そうに眉を顰めた。そして慧吾の頭を自分の肩につけ、ローブの前を開けて中に入れて隠した。歳を重ねても、ユークリッドは麗しくていい匂いがする。慧吾はもう我に返っていたので、恥ずかしさにジタバタ暴れたがびくともしない。
「お前!! 何やってんだ!! 探したぞ」
といきなり怒鳴りつけられる。そして男性は慧吾に気づくと「ああ!?」と上品できれいな顔に似合わない低い声を出した。ユークリッドは邪魔が入って不機嫌だ。
「シャール、探しものを見つけた。馬車を回せ」
「は!? ソレが!? 人じゃねえか」
シャールは鼻にシワを寄せてユークリッドと暴れている慧吾を見た。
「ユークリッド……取らないからやめてやれ」
「シャール、命令だ。馬車を回せ」
ユークリッドのはじろりとシャールを睨み、王の威厳をもって命じた。
「は」
今度は臣下の礼を取って、シャールは馬車を回してきた。うやうやしく扉を開ける。ユークリッドは慧吾を庇うように馬車に乗せた。
「この辺りを適当に回れ」
シャールは馬車の扉を閉めると御者の隣に乗った。馬車はゆっくり走りはじめる。ようやく慧吾は離してもらえて息をついた。
「あ、あのユークリッド。あ、陛下?」
心の中の話し方で話しかけてしまっているのに気づき、今さら慧吾は焦った。宥めるようにユークリッドは慧吾の頬に手を当てた。
「いいや、ユークリッドで良い。お前は聖獣様だ。高位の立場なのだ。言葉も友人に言う言葉にしてほしい」
「で、でも年上だし王様だし、あの……」
「私たちは友人だろう?」
「あ、ハイ。そうです、そ、そうだ」
気圧されて承知してしまった。
ユークリッドは慧吾の頬に当てていた手を黒髪に差し入れ、梳くように撫でた。
「毛が……」
ユークリッドは残念そうだ。
いやそこかい! と慧吾は突っ込みたくなった。
「俺はもともと人間で、慧吾という名前なんだよ。ここと違う世界から来て……この世界に来たらなぜか聖獣になってて……レベルが上がったら人化ができるようになった。言葉が通じるのは言語スキルのおかげなんだ」
「異世界人!? いや確かに……いたという記録はあるが、聖獣の姿で現れたとは聞いたことがない」
慧吾は説明という名の言い訳を続ける。
「最初に会ったとき、この世界にちょうど現れたところで、犬になっててびっくりしてた。そして力を失ったあのときに……もとの世界に帰ったんだ。時間はたっていなくて、それから一年でまたここに」
「時間にもズレがあるのか。こちらは八年たっているのに」
思い出したのか座ったままうなだれるユークリッド。慰めたいが、今は人間である。スキンシップは戸惑われる。
「あ、あの……心配かけてごめんなさい」
慧吾はユークリッドの顔を下から覗きこみ、顔色を伺った。
「くっ……! 人間なのにそれは……」
ユークリッドが何かぶつぶつ言いだした。聞こえてはいないがまずい予感がして慌てて距離をとる。
「なぜ聖獣になって、なぜ行き来しているのかは俺も分からない。あちらでは俺は学生で、両親と弟がいるんだ。俺の国は身分の上下がなく平民しかいないんだよ」
更に慧吾は自分のことや、国の文化、生活などを詳しく説明した。
「ふむ。それではまた行ってしまうかもしれないのだな。しかし家族や友人を捨てろとも言えぬ」
ユークリッドは苦悩し始めた。
「聖獣は一般的には寿命が長い。しかし私は普通の人間だ。次のときは、私はおそらく……」
慧吾は何と答えたらいいのか、しばらく返事ができなかった。
「……とにかく、前回も何かある前に俺が来ている。警戒した方がいいかもしれない」
重々しく頷いてから、ユークリッドは慧吾がこちらへ来たあとどうしていたのか聞いた。
「こっちの服がないから、ケイという名前で冒険者ギルドに登録して、シスイが穫った魔獣を売ったんだ。それからソロで依頼を受けてた。夜はちゃんと宿に泊まってたよ」
「ソロで依頼!? 大事ないか!!」
ユークリッドは慧吾の身体をあちこちぱんぱんと叩いた。痛い。
「いやいや危ないことなんかしてないから。三日間の地下道清掃だから」
「ああ……。地下なら、なおさら見つかるべくもない」
「ごめんね、ユークリッドの街だから何かお手伝いしたかったんだ。だけど王宮も何度か見に行ったんだよ」
がっくりしているユークリッドの手を宥めるように舐め……は今はできないので軽く上から握った。
「とにかくまた会えてすごくうれしいよ」
とたんにユークリッドの機嫌が直った。成功したようである。