1 出会い
いい匂いがして慧吾はゆっくり目を開けた。自分の部屋じゃない? ふかふかの毛布を敷いたバスケットの中にいるみたいだ。ゆっくりと頭を上げ、見まわす。
…………
(俺やっぱり犬だよ! なんでだよ!)
白くてふわふわの、仔熊のような仔犬だった。焦って立ち上がってグルグル回り、気持ち悪くなった。
「起きた? お腹空いたでしょ」
声をかけてきたのは背が高くて金髪をポニテにした若い美人な女性だ。さっきから見ていたらしい。
その声が聞こえたのか男が近づいてきた。声からして昨日の男のようだ。
兜を外した姿は、肩まで金髪を垂らし、薄い水色の目をした驚くような美形であった。騎士らしく長身で身体つきも引き締まっている。
(わあ! 王子様だよ)
「起きたか? ほら、飯だ。自分で食えるか?」
男は目の前に柔らかそうなパンのミルク粥みたいなものを置いた。
非常に腹が減ってくる匂いだ。試しに一口、二口、三口……結局全部食べてしまった。
男は目を細めて慧吾の頭をぽんぽんとした。
「それで、お前は何なんだ? どうしてあそこにいた? ……あの力、ひょっとして聖獣じゃないのか?」
(聖獣って何? てかここどこ? 俺なんで仔犬?)
「きゃんきゃんきゃん!」
「うーん、わからん。どっちにしろ助けてくれてありがとうな。マリーザ、しばらく世話を頼む。浄化が使えるということは聖獣様かもしれんから一応丁重にな」
「はい、団長。お任せください」
マリーザはにやにやするのが抑えられず、うれしそうに慧吾を抱っこした。
慧吾は美女に抱っこされ、慌ててもがいた。しかしマリーザも騎士のようで、振りほどくことができず、諦めておとなしくすることにしたのだった。
「ふふ、かわいい。この子今ため息ついたわね。……そうだ団長、この子の名前は何にしますか?」
団長と呼ばれた男は慧吾をしばし眺めたあと答えた。
「シスイだ。美しい紫色の目をしているから」
「あら、素敵な名前。シスイ、食べたからもう少し寝ましょうね」
慧吾は訳のわからないまま、しばらくこの部屋で過ごした。
そうしているうちにわかったことは、この王子様は伯爵家の三男で二十七歳、ユークリッド・アングレアといい、第五騎士団の団長らしい。この部屋は団長の執務室だったのだ。
お世話役のマリーザは部下だった。
そしてここはイーダン王国と言う、周囲を森と海に囲まれた小さな国らしい。完全に異世界だったのだ! 薄々わかってはいたけれど。中世のヨーロッパのような文化だ。
暦と時間は日本と同じだった。というより、長さが同じであとは翻訳機能が仕事をしているのだ。
それに水を出したり火をおこしたりするのはラノベのようにダンジョン産の魔石というものを使っていた。
魔法もやはりというか存在していた。ただし、普通の人は簡単な魔法を二、三使えるだけだ。怪我や病気をしたときは、歴史的に何度か『聖女』と呼ばれる人がいて回復魔法を使えたらしいが、一般的には回復量があまり多くないポーションを使うようだ。
この国にあの時急に現れて、あの雪みたいなものをやつを慧吾が出して、魔獣を魔法で浄化したらしいのだ。そんなバカな。
浄化をかけると、魔獣の瘴気が薄くなり生命力がなくなってしまうそうだ。
(うう、りょーすけぇ〜。父さん母さん、ゆう〜、助けて〜。帰りたい〜。犬なんてイヤ〜、話も通じないやしないし。どうしたらいいんだ)
夜、毛布に顔を突っ込んでウジウジしていると、仕事を終えたユークリッドが慧吾の頭を毛布から出して、優しく撫でてくれた。
「どうした? 寂しいのか?」
慧吾はユークリッドの手に頭をぐりぐりした。ユークリッドの優しい手や声が好きだった。不安感が薄らいでくる。
ユークリッドはそのまま慧吾を抱きかかえて、続き部屋の休憩室に連れて行った。ユークリッドはここで寝起きしているのだ。
そして、夜は慧吾もここで寝ている。そろそろバスケットに入らなくなったので、ベッド脇のソファに寝るようになった。
やがてマリーザにも食事以外は世話にならなくて済むようになった。騎士団棟の中や、中庭も自由にうろついている。
騎士団棟は大きな宮殿に隣接していることも発見したのだが、そこには足を踏み入れたことはない。
うろつくに当たり、『シスイ』と書かれた銀色のネームタグのようなものを鎖で首から下げてもらった。ユークリッドの魔力が込められているそうだ。ユークリッドの名も裏に書いてある。
シスイのことをよく知らない人は、ユークリッドが使役している犬っぽい魔獣だと思っているようだ。
聖獣かもしれないことは上部には知らせていない。知られると誰かに連れて行かれるかもしれないからだ。
それから二ヶ月余り経った。慧吾はシスイとして順調に育ち、もふもふで白く中型犬くらいの大きさになった。
騎士団棟を歩きまわり、騎士たちの癒やしになっている。シスイは騎士たちの鍛錬も興味深く見学した。魔法を使える騎士は少なく毎日地道に鍛錬している。
第五騎士団は魔獣討伐が主な仕事で、第一は近衛だ。
この辺りにはダンジョンがなく、騎士団では余程のことがなければ討伐には出ないそうだ。
ダンジョンの魔物と魔獣には違いがあって、魔獣は親から産まれるが、魔物はダンジョンに自然と湧いて出る。ダンジョンの魔物を倒すと身体が残らず、魔石になるのだ。シスイが魔物を浄化すると魔石も残らないのではないだろうか。
魔法を得意とし、使いこなせる希少な者は魔術師と呼ばれ、魔術師団にいた。魔獣討伐の時には同行することも多い。
この世界に来た日にも数人いたらしいが、シスイは覚えていない。
ユークリッドは魔力は多いが制御が得意でなく、どっちかというと剣のほうが好きで騎士団に入ったそうだ。貴族のほとんどはユークリッドと同じように魔力だけ多く、魔術師にはなれないのだ。
やがて魔獣の討伐にも着いていくようになった。
ぴったりユークリッドについて歩く姿がかわいらしく、それも騎士たちの癒やしになっている。
シスイも怖いことは怖いが、ユークリッドの助けになるのは嬉しかったし、いざとなれば浄化を使えば良かった。
そう、シスイは浄化を使いこなせるようにとなったのだ。
なので討伐に行くメンバーはシスイが聖獣だと知っている。
みんな頭では尊敬すべき聖獣だとわかっている。でも見た目がどう見てもかわいらしい犬で、なおかつ本人も犬のような気分になっていることで、すっかり犬扱いされている。シスイは変だとも思っていない。
小さい魔獣は爪や牙で倒している。浄化は負担が大きいのだ。
ごくたまに出る大きい魔獣は高く売れる為、外傷がつかない浄化を使う。大きいの怖いし。
ラノベでは良く浄化で治癒もしているからと怪我人に使ってみたのだが、それは効かなかった。レベルの問題なのか、治癒が存在しないのかは不明だ。
討伐のあとは部屋に帰ってユークリッドと風呂に入り、風魔法で毛を乾かしてもらうのが楽しみだ。犬だけど、お風呂にはやっぱり入りたい。
その日、シスイは騎士の鍛錬を熱心に眺めていた。
(ほかにも魔法が使えればなあ。涼介がいれば……あっ、ステータスオープン試してない! 『ステータスオープン!』)
【名前】 聖獣シスイ
【レベル】 十五
【スキル】 浄化魔法Ⅱ 時空魔法Ⅰ 氷魔法Ⅰ 言語理解 毒・瘴気・状態異常無効
(氷もある! 使えば育つのかな? あまり詳しく載ってないんだなあ)
氷魔法は格好良くて嬉しい。
(そしてやっぱり聖獣なのかよ! 犬じゃないのかよ! って言うか聖獣って何)
ため息をつきつつ、さらにじっくり考える。
(言語理解があるならこっちからも伝わるようになってよ……)
全くである。
それと聖獣だからか、毒や瘴気等には強いらしい。
(うん、時空魔法ってあれかな? 収納が使えるとか……テレポートとか、ひょっとして異界を渡ることも……?)
はやる気持ちでまずは『収納!』と念じてみた。試しに小石を収納してみる。
消えた。取りだすこともできて安心した。
時空魔法は取りあえずは収納しか使えないようだ。
氷魔法も試してみたかったので、鍛錬場に出ようと足を踏みだした。
「シスイ! どこ行くの? 危ないよ」
声をかけてきたのはダークブルーの髪をしたひょろりとしている騎士、セザール・モートンだった。
シスイは首を傾げてセザールを見上げた。
「わっふ?」
(使っていい?)
「鍛錬場が使いたいのか?何をするつもりだ」
犬に聞かれても答えられない。無視して人のいないほうへ歩きだす。シスイはきょろきょろして安全を確かめた。念のためだ。
『アイス!』
どうせかけ声はわん!なのでなんでもいいだろう。なにせ最初の浄化は勝手に放たれたのだ。
念じるのはアイスにしてみた。氷の塊が形成されるイメージだ。
何もなかったところに1メートルくらいの高さの氷の塊が出現した。
「おわっ! なんで!? 今シスイがやったの!?」
セザールか興奮しているが、シスイも大興奮だ。吠えながらその場でグルグル回る。
(次は……尖った氷だから)
『アイスランス!』
氷の塊に細長く尖った氷を刺してみた。先のほうがちょっと刺さった。
もう何本か刺してみる。スキルレベルが上がるかもしれないからだ。しかしレベルが上がる前にふらふらしてきた。
これではもうグルグル回ることもできそうにない。残念だ。
「凄い! シスイ天才! かわいい!」
セザールにむちゃくちゃに褒められた。
ほかの騎士たちも近寄ってきて、口々に褒めてくれている。かわいいというワードが一番多いような気もするが。
ぐったりして重くなった身体を、セザールに抱っこされて執務室に連れもどされた。そっと備え付けのソファに降ろされる。
「あらどうしたの?」
室内にいたマリーザが心配そうに聞いた。
書類を読んでいたユークリッドも慌てて立ちあがった。
そばにいたユークリッドと同じくらいの年齢の、ガッチリした大男を押しのけるようにして駆けつける。
押しのけられた大男は気にした風もなく、後ろからシスイの様子を伺った。
この大男は副団長のアレックスでユークリッドとは同期だ。
「シスイが凄いんです!」
とセザールが先ほどの出来事を説明した。
それを聞いたユークリッドは目を丸くした。そして優しく頭を撫でた。
シスイは目を細めてうっとりとユークリッドの手に頭を擦りつける。
アレックスは羨ましそうに後ろでそわそわしている。
「浄化だけでなく、氷魔法も持っていたんですね。素晴らしい」
「もうこんな風になるまで無理するんじゃないぞ。マリーザ、ミルクでも飲ませてやってくれ」
「はい。シスイちゃん待っててね」
その日はミルクを飲んで、ユークリッドの足元で過した。