episode8:夜空に舞う鍵
大雨だった昨日。
その昨日が嘘だったかのような今日、カーテンを開けて見た外の景色は晴れ渡っていた。
(今日は暑くなるのかな)
ライブはそう思うと自宅のベッドから立ち上がり、着替えた後朝食の準備にかかる。
フライパンに薄く油をたらしフライパンを傾けて油を広げると、右手で持っていた卵を
片手で割ってフライパンの上に落とす。
そしてコップで水を卵の周囲にかけ、フライパンに蓋をすると、フライパンからジューッと美味しそうな音が聞こえた。
程よい頃合で蓋を開け、フライ返しで出来上がった目玉焼きをすくうと、皿に乗せる。
仕上げに塩胡椒を目玉焼きに少しだけふりかけ、冷蔵庫から作り置きのサラダを取り出すと、オーブンからチン、という音が鳴った。
そして食卓に目玉焼き、サラダ、オーブンから取り出した食パンを並べる。
ちょうどその時、ライブは携帯電話のバイブレーションが震えている事に気付き、メールのチェックをする。
メールの差出人には『そーちゃん』とあった。
『朝早くにメールしてごめんね。今日すぐに生徒会に行かないといけなくなっちゃったから今日は一緒に登校できないわ』
ライブは返信メールを打ち込み、送信する。
『OK。あんまり無理はしないでね』
その返事はすぐにそよぎから届いてきた。
『ありがとう、また学校で』
それを確認するとライブは携帯電話を置く。
そして食パンには苺ジャムを塗り、サラダにはドレッシングをかけると朝食を食べ始めた。
『私立綺寺高等学校』と書かれたプレートがついている校門をくぐると、グラウンドでは運動部の者が朝練習に励んでいた。
野球部やサッカー部、陸上部などがひしめくのを横目に、ライブは学校の昇降口へと向かう。
「…歌羽さん!」
すると突然誰かから話しかけられた。
「はい?」
ライブは声の主に視線を向ける。声の主はサッカー部員と思わしき男性。
背が高く、世間ではいかにも『イケメン』などともてはやされていそうな雰囲気の男性だ。
(ああ、またか…)
ライブはそよぎと違い、運動神経が高い事をあまり隠していない。
だから運動部から度々入部の勧誘を受けたりするのだが、ライブは一度もOKを出した事はない。
ライブは部活動に興味がないのだ。
「あの、私部活動はしないって決めてるんで…」
「あ、そうじゃなくて…これ」
サッカー部員の男性はカバンから一通の手紙を取り出し、ライブに差し出す。
「これ…私に?」
「うん。その…じゃ俺、朝練があるからこれで!」
ライブに手紙を渡すと、その男性は一目散に朝練へと戻っていった。
(はあ…疲れた。私朝は苦手なのに…会長…)
そよぎは自分の教室へとがっくりとうなだれながら向かう。
(緊急の用事だから来てっていわれて行ってみれば…)
朝早くに会長に呼び出しを受けて学校に来てみれば、呼んだ理由は『会長が計算ミスした書類の期限が今日の朝までだから至急計算し直して書類を提出して欲しい』だったのだ。
しかも期限ギリギリまで計算ミスに気付かないで書類を放置していた原因が『会長がネットで怪盗クロイエンスの事を調べていたから』なのだ。
クロイエンス本人であるそよぎからすれば、微妙な気持ちではあるのだが。
そよぎが教室に入ると、いつもは学友とのおしゃべりの中に混ざっているライブが窓の外をぼんやりと見ながら惚けているのが見える。
――それがわかった瞬間、そよぎに衝撃が走った。
(な…なにが起こったていうの!?…どんな時でも人に気を使って無理矢理にでも話しかけていたあのライブが…い、いいえ、落ち着くのよ、私。まずは事情を聞かないと…)
そよぎはそう思うと、落ち着きを装ってライブに話しかける。
「おはよう、ライブ」
「…あ、そーちゃん。おはよう」
振り向いたライブの顔に落ち込んだ様子はなく、本当に惚けているだけのようだった。
そよぎは少し安堵すると共に、前髪を片手でかき上げると、ライブの額と自分の額をくっつけ、体温を確かめる。
「熱は…ないみたいね…」
「わ、そーちゃん…うん、健康だから大丈夫だよ?」
「そう…」
そよぎは額を離す。
「でも…」
しかしそよぎが真剣な表情で心配してくれているのがわかると、ライブはそよぎの手を取りそよぎに向かって微笑む。
「ありがとう、心配してくれて。今日はちょっと考え事してただけだから。大丈夫…だよ?」
「そう…」
ライブが微妙に言いよどんだ事が少し気になったそよぎではあったが、本人が大丈夫と言っているのだから無理に聞いても嫌われると思い、これ以上の追求をやめた。
「…で、俺の所に来たわけですか」
「…ええ」
今そよぎがいるのは凝人のクラスの教室。
ライブの様子のおかしさを、怪盗仕事仲間たる凝人になら何かわかるかもしれないと思ってそよぎは凝人に助けを求めたのだ。
「でもそよぎさんが知らないライブちゃんの事なんて俺が知るわけ…」
「百も承知よ。でも私じゃ気付かなくても、端鞘さんになら気付く事があるかもと思ってね。私とは違う視点で物を見てるかもしれないじゃない。聞きたいのは、端鞘さんからみてライブはどういう印象の人物なのかしらって事よ」
「…物腰柔らかだけどひきしめる時はひきしめる人。そんな感じですかね?」
「ええ、私もそう思うわ」
――打たれ弱い所もあるけど。
口には出さないが、凝人とそよぎは同じ事を思っていた。
「とりあえず…俺の憶測としては今までの自分を見つめなおすとか、たまにそういう気分になりたかったとかじゃ?誰でもそういう経験あるでしょ?」
「端鞘さんはあったのね」
「そよぎさんなかったの?!」
「ないわけじゃないけど、ライブは人を不快にさせる事を嫌うから表には出さないの。表に出した事があったのねって事」
「あ、成る程ね。まあ俺の事はともかく、直接聞くのが駄目なら話してくれるのを信じて待つしかないんじゃ?相手が信頼されたい相手ならなおの事…だと思う」
「…あら。端鞘さん、言うようになったわね…」
「ま、俺も色々と学んだんで」
凝人はそう言うとわずかに微笑む。
「ふふ。端鞘さん、ありがとう。納得したから私は戻るわ」
「うん、まあ頑張って」
凝人に小さく手を振ると、そよぎは凝人の教室を後にした。
「なあなあ、あれって後輩の鼓芽 そよぎだろ?探偵の」
そよぎが去った後、凝人にしゃべり友達が話しかけてきた。
「ああ、そうだけど。それがどうかしたのか?」
「結構可愛いよな、あの娘。それはそうと今日、サッカー部キャプテンの葛西があの娘に告白したらしいぜ」
「へぇ。流石、そよぎさん…モテるな」
どうせ断るだろうけど、と思い凝人はやれやれといった様子で返事する。
「あー、違う違う」
突然、別のしゃべり友達が凝人としゃべり友達の間に割って入り、話しかけてきた。
「告白されたのは鼓芽 そよぎの方じゃなくて、もう一人の探偵の方だよ。ほら、なんていったっけ…」
「まさか…ライブちゃん?!」
「あー、そうか。確かそんな名前だったっけ」
――まずい!原因わかっちまった!ごめん、そよぎさん!
凝人はそう思ったが自分が信じて待てと格好付けた手前、この事実をそよぎに話すのは気まずいので、そよぎに対して何もできなくなってしまったのだ…。
―ライブがそよぎに凝人が知ってしまった事実を話すのは、そう時間がかかる事ではなかった。
二次限目の授業が始まる十分前、休み時間。
ライブはそよぎをこっそり屋上に誘った。
「そーちゃん…じ、実は…」
「実は?」
「…うぅ…」
「ライブ?」
「どうしよう…はぁ…私…」
「…?」
珍しくライブの言おうとしている事がわからないそよぎは、ライブの事がいよいよもって心配になってきてしまっていた。
我慢がきかずにもういっそのこと直接聞いてしまおうかとそよぎが考えた瞬間。先に口を開いたのはライブだった。
「好きです。付き合ってください…」
「!?」
そよぎはそれだけ聞くと一瞬体が吹っ飛ばされたような衝撃を受けた。
「って書かれた手紙もらっちゃって…」
「…えぇ!?」
「あはは、やっぱり驚くよね、そーちゃん。私なんかがこんな事になるなんて」
「…」
――その後、数十秒が過ぎる。
硬直しているそよぎは、落ち着くために髪をかき上げる動作を何度かするとコホン、とわざとらしく咳払いをしてから答えた。
「…別にライブが告白された事に関して驚いたんじゃないわ。ライブは可愛いから世の男性がほっとくわけないのはわかるもの…」
「そ、そーちゃん…」
「…で。名前は?」
「うん、葛西 紫雲 (かさい しうん)っていう人。多分サッカー部の人だと思う」
「なんて手紙には書いてあったの?」
「あなたの事がずっと気になってました…って、恥ずかしい事言わせないでぇ…」
「…はっ!?ごめんなさい、つい気になって…コホン。と、とにかく。それで、ライブはどうするつもりなの?」
「え?」
「その…その人と…お付き合い、するとか…」
そよぎはしどろもどろに言う。落ち着こうと最大限努力しているが、結局全く隠せていない。
「…わからないの」
「…ぇ」
「自分でも正直どうしたらいいかわからなくて。告白された事自体初めてだし、誰かと付き合うなんていうのもあるわけないし…」
ライブは今まで誰かと付き合った経験などない。
裏社会の住人。探偵局の探偵。
普通の学生では到底持つ事のできない二つの顔を持つため、普通の学生のように誰かと付き合ったりなどに時間や労力を使えずにいるのだ。
「…ライブ」
そよぎはライブの両肩をつかみ、顔を俯き気味にして言う。
「ライブの思う事をはっきりと言えばいいの。もしもそれで相手がライブを批難するようなら私がその人からライブを守るから。だから…だから」
「そーちゃん?」
「だから…私にはこれ以上何も言えないのー!!」
それだけ言うとそよぎは屋上から教室に猛スピードで帰ってしまった。
…そよぎが微妙に涙目だったのにライブが気づいたかどうかは定かではない。
ライブが渡された手紙には放課後にサッカー部の部室裏に来て告白の返事を聞かせてくれと書いてあった。
そこでライブが放課後に指定された場所に行くと、今朝手紙を渡した男性が先に待っているのが見える。
ライブは思わず一旦物陰に隠れて様子を伺う。
手紙を渡した葛西という男性は、そわそわといった様子で待っている。
(待たせると…悪いよね。よ、よーし…)
ライブはそっと物陰から出て、後は緊張している様子を出さないようにして葛西の下へと歩く。
葛西はライブを見るなりはっと我に返ったかのように呼吸を整える。
「あ…」
「あの…っ」
二人はほぼ同時に話しかけた。そして互いに俯いてしまった。
「…来てくれてありがとな」
「いえ、そんな、お礼なんて」
最初に話を切り出したのは葛西の方。ライブは葛西の真剣さを感じ取ったようで、少し驚いた。
だがライブは葛西に色々と聞かなければならない事があるので、思い切って話し出す事を決める。
「あの、なんで私なんですか?葛西さんって女性にすごく人気があるとか聞いて…私の他にいっぱい素敵な人もいるんじゃ」
「いや、キャプテンやってるからってだけで言い寄ってくる女の子って結構いてさ。でも俺はそういう人を好きじゃないっていうか…なんかよくいる軽い女の子ってどうも好きになれないっていうか…外見だけの人って魅力を感じなくて」
「で、でも話した事もない私をなんで…その…好きになってくれたんですか」
ライブは自分で言った言葉に対して少し照れながら言葉を出した。
「確か、何ヶ月か前だったかな…」
葛西は語り出す。
――それは、葛西がサッカー部の帰りでたまたま校舎裏を通っていた時。葛西は数人の男子が一人の男子をいじめる現場を見つける。
しかし葛西は何も出来なかった。数人いた男子生徒は不良で有名な者達で、葛西もあまり関わろうとはしなかった者達だったからだ。
『みっともないと思わないんですか、そんな事して』
そのいじめの現場に割って入ったのはそよぎが生徒会の仕事で一緒に帰れなかった為、一人で帰る途中のライブだった。
『なんだ、お前。なに格好付けてんの?』
『どうせいじめ反対してる連中の綺麗事だろ』
『でもさ、こいつ結構上玉だぜ。好都合じゃん』
不良達は様々な言葉を浴びせてくるが、ライブは眉ひとつ動かさずにその場に立ち続ける。
『相手が力の無い者だと認めれば、玩具扱いでやりたい放題。相手がどれだけ傷付くかも全く考えず、ただ一方的に蹂躙する。下衆そのもの。所詮、貴方達はその程度ってことですよ』
そのライブの言葉に不良達はライブへの敵意をむき出しにする。
『このネコミミリボン、調子乗ってるぜ』
『かーわいいってか。おい、コイツ好きにしていいんだよな?』
『いい拾いモンじゃねーか』
下卑た笑いと共に放たれるその言葉に今度はライブが苛立ちを覚えた。
『下品な…まさに貴方達らしいですね』
それだけ言うと、ライブは飛びかかってきた不良の一人に足払いをして転倒させる。
続いて向かってくる不良達を今度は関節技で二人同時に地面に伏せさせた。
その一連の動作があまりにも鮮やかに、それも素早く流れていったので不良達全員がたじろぐ。
『なんだコイツ、本当に人間かよ…ん?そういやウチの学校に探偵局の探偵が二人いるとか聞いた事なかったか?』
『あるぜ、確かかなり頭良いやつと運動神経抜群の二人がいるって…俺ら地雷踏んだんじゃねえ?やばくね?』
『探偵局…お、俺は何も知らねえからな、じゃな!』
その一人の不良の言葉を皮切りに、次々と不良達は逃げていく。
そしてライブが押さえた不良達に対して、ライブは口を開いた。
『いじめも立派な犯罪、立件できますよ。貴方達は前科付き、場合によっては服役してもらうかもしれません。今回の事はしっかりと探偵局に告げさせていただきます』
探偵局の探偵。それは警察などよりも個人の事情に割り込める身近な存在の為、犯罪摘発率は警察よりも上なのである。
――この数分後、ライブが押さえた不良達と逃げた不良達数人は補導され、中には常習犯もいて退学と服役を両方適用された者もいたとか。
その一部始終を葛西は物陰に隠れながら見つめていた。
「その事を見て、俺初めて内面の素敵な人を知ったんだ。例え探偵局で探偵っていっても面倒くさい事とか関わりたがらないって思ってたから、すごく驚いてさ。それで…その、歌羽さんの事気になって…歌羽さんの素行の事を聞く内に好きになったっていうか」
「…えぇっと…恐縮です…」
ライブも忘れかけていたぐらいの過去話を蒸し返されたのでますます気恥ずかしくなってしまう。
「歌羽さん。俺は今のままじゃ歌羽さんには似つかわしくない弱い奴だと思うけど、これから頑張るよ。歌羽さんみたいに強い人になるから」
「…葛西さん」
「それじゃ、駄目…かな」
葛西は真剣な眼差しでライブを見る。ライブもしばらく視線を逸らせずにいたが、少し時間がたつと視線を泳がせ始めた。
「…わかった」
葛西は突然納得した風に呟く。
「今は歌羽さんが俺の事何も知らないのは当たり前だもんな。でも俺にもチャンスをくれないかな」
「チャンス…ですか」
ライブは会話の流れが段々おかしな方向に行き始めていることに感付くが、とりあえず葛西の言う事を聞くだけ聞く事にした。
「歌羽さんは過去に怪盗を捕まえた事もあったって聞いた。だから俺も怪盗を捕まえてみせるよ。歌羽さん程はできないかもしれないけど、俺も頑張ってみる。歌羽さんにもそれで俺を知っていってもらいたいんだ」
ライブは怪盗を名乗っている怪盗の血筋でない者を捕まえた経験がある。それもS級ライセンス取得探偵になれた理由の一つなのだ。
「え、えぇ!?えっと…その…」
ライブは葛西の言葉を聞く度に葛西の真剣さに気付いてしまう。
――葛西はライブの事が本気で好きなのである。
それゆえか、葛西のその提案にライブは首を縦に振る事を余儀なくされてしまったのだ。
葛西がライブに告白した日、ライブとそよぎは一緒に商店街へと向かっていた。
校門で待ち合わせた二人はなんとなくはなしかけづらいのか、目立った会話をせずに歩く。
やがて商店街の洋服屋の前に立つと、ライブが口を開いた。
「ここが今日の罰ゲームの場所」
「…え?どういう事…」
そよぎが疑問に思っているとライブはそよぎの手を取り、店内へと入る。
「いこ?そーちゃん」
ライブの屈託のない笑顔にそよぎは頷いた。
「あの、こちらに服を予約した歌羽ですけど」
ライブが店員にそれだけ言うと、店員は店の奥からワンセットの服を持ってきた。
「じゃそーちゃん、これに着替えて」
「え…えぇ、わかったわ」
ライブは店員が持ってきた服をそよぎに渡すとそよぎの背中を押し、試着室に押し込む。
――それから数分。そよぎが着替えを終えて試着室から出てきた。
黒いタートルネックの服の上に白いレースがあしらわれたブラウス、ジーンズ生地の長スカートに黒いパンティーストッキング。頭の上には茶色のベレー帽を乗せた、全体的に清楚な印象のファッションだ。
「えと、これでいいのかしら」
「うん…うん!似合ってる!!とっても似合ってるよ、そーちゃん!!」
ライブは思わずそよぎを抱きしめる。
「きゃ、ライブ…」
驚くそよぎの耳元にライブは抱きついたまま囁いた。
「私、そーちゃんに似合ってると思った服があってどうしてもそーちゃんに着てもらいたかったんだ」
「ライブ…」
「この服は私からのプレゼント」
「ありがとう、ライブ。大切に着させてもらうわ」
「うん♪あと、今日は色々そーちゃんに試着してもらいたい服も他にあって。だからここからは今回の罰ゲーム『そーちゃんの着せ替えショー』をしたいんだけどいいかな?」
「ふふ、そういうことね。わかったわ」
――それからそよぎの着せ替えショーが始まる。
全体的にフリル多めの雰囲気の服装。少しだけパンクファッション的に派手めな雰囲気の服装。はては制服風のシンプルな服装まで。
ライブの気の赴くまま、そよぎは次々に着替えてはライブに披露する。
端から見ても仲睦まじいこの時間をライブは心から笑って楽しんだ。
人気の少ない夜の公園。
夕飯を外食で済ませたライブ達が購入した服をベンチに置くと、ベンチに座ったままのそよぎにライブは話しかける。
「あー、楽しかった。結局私、自分の服二着分買っちゃった」
「私も一着買って、ライブに一着買ってもらったから二着分あるわ。やっぱり買い物は一人より二人ね」
「うん、私もそう思う。…そーちゃん、ここに寄ったのは実は言いたい事があるからなんだ」
「ええ、今日の告白の事ね。どうやら微妙に話がこじれたみたいだけど」
「え、そーちゃん知ってたの?!というかわかってたの?!」
そよぎはライブの言葉に微笑む。
「だって告白の事言いたいぐらいに嬉しいなら私に遭った瞬間に言うでしょ。逆に悲しい結果なら買い物を楽しむような気分にはなれない。ライブは人の事を本気で心配できる人だから。それを考えると話が先延ばしになったとかで話がこじれた、とかが妥当だと思ってね」
「…そーちゃんにはやっぱり何でもお見通しだったんだね」
ライブは夜空を見上げる。
何かが自分の中に投げ込まれたような――そんな気分になった。
「私、何か自分にとって重要なことに気付けた気がする。やっぱりそーちゃんは凄い」
「重要な事…ね。結論にまではいかなくてもいいヒントにはなったようね」
「うん」
雲に隠れている月をはっきり見ようとライブはこの後数分間、夜空を見上げていたのだった。
「…んんー」
カーテン越しに朝の光が差し込む、そよぎの自室。
今起きたばかりのそよぎがベッドから上体を起こす。
横で寝るライブはまだ寝ていて、口元からはよだれを出している。
(ああ…もう、なんて可愛い…でも)
そよぎはティッシュでライブのよだれを拭うと、心の中でため息をついた。
(もうこの顔も私だけに向けてくれる顔じゃなくなるかもしれない…そう思うと寂しい。でも…ライブの幸せは私の幸せでもあるから…)
そよぎは少し涙ぐんでぼやけた視界のままライブを見る。
「ん…怖い夢見たの、そーちゃん…?」
「え?」
「ほら、こっち来て…」
そういうとライブはそよぎの顔を胸に抱き入れた。
「よしよし…大丈夫だよ、私が一緒…」
「ライブ…」
ライブはそよぎの頭を撫でる。そよぎもその心地よさに身を委ねた。
それからしばらくして。
「…ん。え、そーちゃん…」
「ライブ…?」
ライブは自分がそよぎを自分の胸に抱き入れている事に気付くと、少し驚く。どうやらライブは寝ぼけてそよぎを抱きしめていたらしい。
「…ごめんね、そーちゃん。いつまでも私はそーちゃんに甘えっぱなしで…」
「いいの、いいのよ…ライブ。私でよければ…それに今のは違うから…」
そよぎはライブから体を離し、涙ぐんだ姿を見られたくないから顔を俯かす。
「えっと…大丈夫、そーちゃん?」
「ええ。少し怖い夢を見ただけだから…」
「そっか。よしよし…あ、そういえば昨日渡しそびれちゃったんだけど」
ライブはそよぎを片手で撫でながら、もう片方の手でベッドの下にたたんで置いてある制服の上着のポケットから封筒を取り出す。
「これ、次の予告状。受け取ってくれる?」
俯きながら小さくそよぎは頷く。
『第一規則。勝負をしかける時は事前に怪盗役が予告状を探偵役に渡す。』
次のライブのターゲットは『翡翠麒麟』。
日本でも貴重な大きな翡翠を削って作られた麒麟の像で、現在日本のある寺に保管されている。
昔見つかった翡翠の中では最大級の大きさの翡翠の一刀彫で作られた至宝である。
「…うん、ありがとライブ。もう大丈夫よ…今回は負けないわ」
「良かった。…うん、私も。今回も勝ちにいくから」
そう言うと、二人はいつも通り互いに笑い合った。
ライブの犯行予告日、寺の周りは大勢の人で混み合っていた。
夜なのに寺には元々明かりが少ない為、持ち込まれた照明がいつもより多めに設置される。
だが寺を囲むようにして生い茂る林の木々の近くにまでは照明を置く数も限られてくる。
木々の数が多すぎて照明の設置がしにくいのだ。
(進入口としては林はもってこい…って所ね)
点在する照明を見ながらそよぎは思った。
(けどそこをおそらくライブはついてくる。進入箇所として確率が高いのはむしろ林以外と考えるのがおそらく正解)
寺の周りは林だらけ。という事は――
(進入箇所は寺の真上。空からのグライダー降下でライブは進入してくる)
そよぎは通信機を使って別の場所にいるアルマとオリーヴに気付いた事を連絡する。
『第二規則。勝負の前に互いに待機している場所は明かさない』。
つまり相手の進入箇所を予測するのは、ライブとそよぎの勝負において重要な情報なのだ。
これができるのとできないのでは大きな差になり得るのである。
――そしてライブの犯行予告時間が程なくして訪れる。
「見てください!怪盗オーニソガラムです。今、グライダーで颯爽と空を飛んでおります!」
TVのアナウンサーの声が本来静寂なはずの境内中にエコーする。
そこに居合わせた者達は皆、照明に照らされた空を飛んでいる怪盗オーニソガラム――ライブに注目する。
ライブはグライダーで寺の真上へと順調に移動している。
そよぎはライブを捕まえる準備を整えに、寺に仕掛けてある捕縛用の網を使った罠の場所まで急ぐ。
そして、ライブがちょうど寺の真上に来て、降下しようとした時。
そよぎが罠を発動させた。
――しかし、そよぎの視界にはライブが捕まる様子ではなく、突然の一面のまばゆい光がいっぱいに入ってくる。
「うっ…」
暗闇に目が慣れていたそよぎに突然の目くらまし。
これはそよぎにとってはかなりの足止めだ。
しかし、かなり不自然な目くらましである。
何故ならライブが目くらましの弾をばら撒いたとは思えない。その理由は真上から目くらましの弾を落としたのなら、真上に注目しているそよぎに打ち落とせないはずはないからだ。
しかもライブが目くらまし弾を落とす様子は微塵もなかったのだ。
目くらましをくらってその場から動けないでいるそよぎを横目に、ライブが寺の中へと進入する。
――これがアルム考案の策。
ライブは目くらましの光を発する物を使ったのではない。
目くらましの光を反射する物を使ったのだ。
まずライブが真上から進入する事をそよぎに確認させた後、そよぎが罠の準備にとりかかる隙をついて『鏡が盾の前面についている半球状の盾』をライブが下に構える。
そうするとライブを照らしていた照明が鏡で反射し、そよぎや寺を取り囲む警備の者にまんべんなく強烈な目くらましを浴びせる事が出来るのだ。
真上からの進入をそよぎが読んでいるのはライブとアルムには予測済みだったというわけである。
寺の中に進入したライブは警備の者を格闘術でいなしていく。
ライブの対応にアルマもいるが、探偵や警察の前で能力痕による超人的なパワーを見せるわけにはいかない。
顔に痣のようなものが浮かぶ事で怪盗の血筋だという事がばれてしまうからである。
(アタシ、能力痕を頼り過ぎてたんだ…こんなにも。情けないにゃ…ライブさんは能力痕なしでこんなにも格闘術を使っているのに…)
改めて、アルマはライブやそよぎ並みの実力者になるにはまだ遠いと思ったのであった。
ライブはアルマや警備の者達の隙をつき、寺に飾ってあるお宝を手にする。
軽く手元にある『翡翠麒麟』を鑑定。
――だが、手にしたそれはすぐに偽者である事がわかった。
「やってくれますね…えいっ」
ライブは煙幕弾を使い、その場から脱出する。
そして通信機で凝人に連絡する。
「コントラリー!」
『警備の厚い所なら…今、寺の階段を下りてる!多分そこだ!』
「ありがとう!足止めよろしく!」
『了解!』
それだけ通信で会話すると、ライブは階段へと向かった。
オリーヴが待機しているのはライブが林から進入する万一の事態に備えて林の中。
アルマはライブにいなされ、そよぎはアルムの奇策によって足止めをくらっている。
これで実質、警備の者達しかライブの敵としては存在しなくなったわけだ。
――勝利は目前。
ライブがそう思い、階段を下り途中のお宝の輸送部隊に狙いを絞った。
すると突然、ギャラリーの中から飛び出し、かなりの俊足で階段を駆け上がってくる者が一人いた。
(葛西さん?!)
それは葛西だった。サッカー部では階段の走りこみ特訓をしょっちゅう行っている為、階段を駆け上がる時の速さは常人を越えている。
警備員の制止をも振り切り、葛西はサッカーボールをライブに向かって蹴る。
すると蹴られたサッカーボールはライブの目の前で割れ、中からは大量の香水が撒き散らされる。
ライブは突然のキツイ臭いに顔をしかめ、一瞬ひるむ。
そこへ葛西は探偵から無理矢理借りた捕縛用のネットを放つバズーカを発射する。
しかし、所詮は素人。
バズーカで放たれた網はライブに当たる事なく林の中へと消えていく。
「…くそっ!」
葛西は悔しがり、拳を階段に叩きつける。
その後、警備員達に葛西が連行されそうになった瞬間――。
ライブは葛西と葛西をつまみ出そうとする警備員達、お宝を輸送していた者を格闘術で気絶させる。
ただ階段の上で気絶すると下に落っこちたりする危険があるから危険なので、ライブは気絶した警備員達を林の中にワイヤーを使って投げ飛ばした。
もちろん葛西も。
だがライブは葛西を投げ飛ばす時に少しためらいを覚える。
(ごめんね、葛西さん…できれば貴方に乱暴はしたくなかったのに)
そう思いながら、ライブは葛西をワイヤーでできるだけ衝撃が少なくなるようにして投げ飛ばす。
その後ライブは警備員達が輸送していたお宝を拾うと、鑑定する。
今度は間違いなく本物だった。
そして、警備員達の足止めをしている凝人とアルムに連絡、撤退を指示する。
犯行予告の翌日、今度はライブが葛西を放課後サッカー部室裏に呼び出した。
ライブが呼び出し場所に向かうと、先に葛西が待っていた。
「…葛西さん。ごめんなさい、持たせちゃいましたね」
「いや、いいよ。俺がここに来るのが簡単だからここを指定してくれたんだろ、歌羽さんは」
「…はい」
「はは…歌羽さん。結局俺、駄目だったよ。怪盗を捕まえようとしたけど、結局失敗して探偵局の人に両親呼び出されてこっぴどく叱られてさ」
「…そうですか」
「えっと、それで今日呼び出したのは…」
「はい…。葛西さんにはっきりと言わなきゃいけない事があるので」
その言葉に葛西ははっとする。そして、深呼吸してライブの言葉の続きを待つ。
「あの…」
「…」
「私…」
「…」
静寂が訪れる。わずか十数秒の静寂だが、葛西にとっては長く感じられたに違いない。
それに気付いたライブは言葉を搾り出す。
「葛西さんはとっても素敵な人です」
「…え…」
「だから…だから…もう無茶は」
そこまで言うと、再び静寂が訪れる。しかし、ライブは言葉を続ける事ができない。
「俺が間違ってた」
葛西が突然話し出す。
ライブはそれに驚きを隠せない。
「歌羽さんは優しいから俺が今回みたいな無茶をしても喜ばないよな。…あのさ、こんな無茶は二度としないって誓うよ。歌羽さんが悲しんじゃ意味ないし」
「え…あの」
「それでも駄目…かな。無茶以外の方法で歌羽さんが俺を好きになってくれるなら何でもするから」
「…」
ライブは黙ってしまう。葛西と話せば話す程、真剣にライブを好きになってくれる事がわかって…正直、辛いのだ。
――何故ならライブは葛西を好きになる事はできないという結論を自分の胸の中に抱えているのだから。
「あの、葛西さん…」
「…そっか」
葛西はなにか納得したように苦笑する。
「…えっと」
「もういいよ、歌羽さん」
葛西はライブを制止する。まるでライブの言おうとしている事がわかってしまったかのように。
「俺とは付き合えない…って言いたいんだよね?」
葛西は怒った様子もなく、ただ真っ直ぐライブを見て問う。
ライブは覚悟を決めた。
無言で葛西の言葉に頷いたのだ。
「そっか…じゃあ、さよなら。歌羽さん」
葛西はライブに背中を向けるとそれだけ言って去っていく。
ライブは葛西が背中を向ける一瞬で、葛西の目に涙が浮かんでいるのを見た。
そのまま葛西が見えなくなるまで葛西の背中を見続けていたライブは、はっきりと自分の中に数日前に投げ込まれた気がした物――夜の公園でそよぎに与えられたヒントが導く答えの正体をはっきりと自覚する事が出来た。
――私は、卑怯者だ。
人前では優しい自分になろうと努力するくせに、肝心な時には人に厳しくする時がある。
過去にそよぎやアルムをひっぱたいてその後、激しく後悔した時がそうだ。
人を傷つけたくないのに叩いたと。でもそれはその時正しいと思ったからこそやった事なのだ。
つまり、時には厳しくする事も人に優しくする事のひとつだと本能的にライブは気付いていたのだろう。
――だが、ライブは実際、激しく後悔した。人に厳しくする事で厳しくした人に嫌われるのではないかと恐れ、後悔したのだ。
本当ならひっぱたいた自分にしっかり責任を持つべきなのに、不安をそよぎにぶつけて無理矢理解消していた。
(私は自分だけ嫌われる立場にいないように振舞おうとする卑怯者なんだ。そしてとうとう…嫌われたくない一心で好きでもない人に期待させ、傷つけた)
ライブの視界は突然ぼやけた。
そして…自分の頬につたうものの冷たさを、ライブは苦汁をなめるように味わったのだった――。