episode2:隙間。常に、人を試す。
そよぎには記憶の中を探せば未だに昨日の事のように思い出せる事がある。
――それは五年前の事。
『怪盗セレクション』と呼ばれた裏社会での催しが過去にあった。
それはある裏社会で名高い資産家が専用の怪盗を雇う事を目的として開かれた、
いわば『怪盗オーディション』である。
あるひとつのターゲットを主催者が指定し、それを世界中から集められた盗みで名を上げている者達に盗ませ、その技能を競い合う。
それが主な内容だった。
そして裏社会で怪盗として名を上げているそよぎもその催しに参加する事にしたのだ。
その時の事である。
そよぎはその日、ある一人の魔法使いのような帽子とマント姿の少女を助けた。
手持ちのワイヤーを使い切ってしまった為にその少女は崩れた建物から落ちそうになったが、そこをそよぎに助けられたのだ。
だがこの催しにおいて勝者、つまり地位を得られるのは一人だけ。
そのマント姿の少女は何故敵である自分を助けたのかそよぎに聞くのは当然である。
そよぎがその少女に対して放ったのは素っ気無い言葉。
「別に。体が勝手に動いただけです」
だが少女は礼を言い、必ず借りは返すと言う。
「お礼を言われる筋合いはありません。貸し借りも嫌いですし、気にしないで下さい」
そよぎはまた素っ気無い態度で少女の近くから逃げるように去る。
そよぎは自分が無理矢理感情を押し殺しているのがその少女にばれたと思い、正直苛立った。
何せ少しでも弱みがあるのがわかると人は必ずそれをダシにして自分を傷つけてくるとそよぎには思えるからだ。
そう思うと、その助けた少女に会うのが怖くて不安になる。
本当の気持ち。そして心の隙間が何なのかは知らないようにしたい。
それは弱さだから。
それは、自分にとっての欠点だから。
そよぎは自分にそう言い聞かせないと強く生きれないと思っていた。
だがその数分後、そよぎの不安は的中した。
ターゲットが催しを行っている町の中心にあると踏んでいた予想が外れ、いろんな所を調べてみる事にした時だった。
催しが行われている町は昔あった町の上に建った町で、古い町は下水道とほぼ同じ低さに存在しているという事。
そしてターゲットは新しく作られた町の中心ではなく、古い町の中心にあるという事。
それを先ほど助けた少女から教えられたのだ。
「…わかりました。とにかく、これで貴方の言う貸し借りはなしです。ではこれで」
そよぎはまたも少女に素っ気無い態度を取り、去ろうとした。
だがその少女はそんなそよぎを制止し、言った。
「これで純然な勝負が出来ますね!負けませんよ!」
その言葉は偽りや飾り気の全く感じられない、その少女の勝負に対する熱意をそのまま表していた。
その時、そよぎはその少女に自分と同じものを感じていた。
怪盗になる夢に対する想いを。
「…どうやらあなたとは気が合いそうですね。勝負です」
その少女に向けて言ったこの言葉は大半が社交辞令で出来ていた。
だがほんの少しだけこの少女とは気が合いそうとも思い始めていた。
もっとも、そよぎ自身がこの気持ちを認める事はこの時にはなかったが。
正直な所、そよぎはこの少女との付き合いはこれっきりで終わらせる気持ちで一杯だった。
そしていつしかターゲットの位置が大半の参加者に気付かれ始めてきた。
その時にはもう、そよぎとそよぎが助けた少女はターゲットを目前に控えていた。
だがここで開催者にとって思わぬトラブルが起きる。
地下にターゲットがあると知った一部の参加者が町を爆破し、ターゲットをいぶり出そうとしたのだ。
そのせいで町の人や参加者に犠牲が出た。そして警察が大きく動いたのだ。
当然地下にいたそよぎ達も崩壊に巻き込まれそうになる。
だが間一髪の所で助かったそよぎ達は、騒ぎを聞きつけた警察の動きから、この催しが中止になる事に気付いた。
なにせ主催者が逮捕されてしまったのだから。
だがそよぎは崩壊しようとする地下から脱出しようとしない。
むしろ命の危険を承知でまだターゲットを取る事を諦めなかった。
そんなそよぎを見かねた、そよぎが助けた少女はそよぎを押さえ込んで止めようとする。
そしてそよぎはその少女に向かい、必死に叫ぶ。
「なんで止めるの?!名誉と達成感さえあれば後世に伝わる。それが怪盗として素晴らしい事だというのを…貴方なら、怪盗に熱意を持っている貴方ならわかってくれると思ったのに!やっぱりもう、貴方なんか信じない!!もう誰も信じない!!!早く、放しなさい!!!さもないと…」
この後の台詞をそよぎが言う前に、少女はそよぎの左頬を平手打ちして言う。
「さもないと、なに?!ふざけないで!自分がいなくなっちゃ意味がないよ!
死んで伝説になればかっこいいとかなんて思い込みだよ!
自分があるから世界を見る事ができる。世界の味を知る事ができる。
自分が世界に存在するから、生きているからこそ『世界が存在する事』を感じる事ができるんじゃない!」
その少女の言葉を聞き、そよぎは自分に向けられている必死な少女の眼差しに気付く。
「あなたは本当は寂しがってる!本音では誰かにわかってもらおうとしている!
でも、あなたは世界の全ての人が自分を捨てるとも思っている!
…でもね、そんな風に自分から信じる事をやめてしまっていているあなたが誰かに信じてもらおうだなんて勝手過ぎる!
裏切られるのは確かに怖いよ。昨日まで友人や仲間だと思っていた人がいつ敵になるかなんて考えるのは本当に嫌だよ!
でもそんなの怖いのは当たり前だよ!だから人に信じてもらえるように、自分から人を信じるんじゃない!
怖いからって尻込みしていたら一生人に信じられる事はないもの!」
「…じゃあどうすればいいのよ!そうよ!貴方の言う通り!どうしても怖いのよ、人を信じるのが!裏切られるのが何よりも苦しいから!でも怖くて、どうしようもないの!
私だってどうにかしたいのに!」
「そうやって怖いって自分に言い訳してたらいつまでだって変わらない!!!
…確かに世の中にはろくでもない人は沢山いるかもしれない。信じてもいつかは裏切るよう人がね。
でも世の中には心を開くに値する人だっているの!
今のあなたじゃそういう人の信頼すら得られないよ!
何故ならあなたが自分からそういう人まで拒んでるから!結果的にね!」
「う…ぁ…あ…う…」
「…もしあなたが今ほんの少しだけ勇気を出して、少しでも私に信頼を寄せてくれるのだったら。歩幅が少ない一歩でも踏み出してくれるのなら」
「……」
「私がその信頼に一生の責任を持つから」
「…………。」
「もちろん、私のこの言葉を信じるかどうかはあなたに任せるよ。信じなくてもいいよ、一歩も踏み出さずに今のままでいいのならね」
「…。」
「信じるのは他の人がいい、私じゃ嫌というのでもいいよ。
私がどうしても気に入らないのならね」
「…。」
そよぎは言葉が出なかった。そしていつの間にか涙が出ていた。
何故なら少女の言葉があまりに衝撃的だったからだ。
いままでそよぎが経験した事のない、まるで脳天に金槌を落とされたかのような衝撃。
自分の為にここまで必死に怒って、叫んだ者がいるだろうか?
自分に嫌われるかもしれないような平手打ちをしてでも自分に必死に良くなる方法をわからせようとしてくれた者がいただろうか?
――こんなに自分に叫んで涙を出す人がいただろうか?
叫んでいる少女の瞳にはいつのまにか涙が浮かんでいたのだ。
「…なんで、貴方が泣くの?」
そよぎは震える声で問いかける。
「泣いてなんか…ないよっ…あなたが泣いているからそう見えるんでしょっ…」
「…ぷっ…」
そよぎはその少女の言葉を聞いて、思わず笑いがこみ上げてきた。
「な…なにが可笑しいの…」
そう言いつつも思わず涙を拭く動作をしてしまう少女。
それを見て、ますますそよぎは笑いが我慢できなくなった。
「あははははは!」
「な…なに…
もう、これじゃあ逆に私が泣かされてるじゃない…叩いたのは私なのに…」
「だ…だって…私が泣いてるからって誰しもが泣いて見えるなんて事…あるわけないじゃないっ…あは、あははは!!!!」
「やだ…あなたが笑うから、私まで…笑えてきた…じゃない…。ふふっ、ふふふふ…」
いつの間にか、二人は声を上げて笑っていた。
「あはははは!!」
「ふふっ、ふふふふ…」
二人とも、涙を瞳に残しながら。
思いっきり、心の底から笑っていた。
――そよぎは知ったのだ。
その少女が涙を流した理由を。
それはそよぎが少女より先に泣いていたから。
そよぎが泣いて訴えるほど必死に言葉を言っていたのを知って、少女はそよぎの心境をなんとなく察した。
――それが元で少女は泣いたのだ。
その事が何故そよぎにわかったのかは、少女の言葉がそよぎを一方的に言い倒すものではなく、そよぎの置かれた立場を少女なりに一生懸命考えて言ってくれたものだったから。
そしてしばらく二人で笑いあった後、二人はその場から脱出する事にした。
その時には二人は手をしっかりと繋いでいた。
そして、少し赤くなったままのそよぎの左頬を見て、少女が心配そうに話しかける。
「…ごめんね、思わず叩いちゃって。大丈夫?まだ痛い?」
するとそよぎは微笑んで言った。
「こんなの全然平気。
それに、このくらいしないと私みたいな利かん坊には言葉は届かなかったもの」
「ごめんね…本当にごめんね…」
「もう、そんなに気にしないの。私が平気って言ってるんだから」
「うん…」
この少女は『叩いたのは私』と自ら言った。つまりそれだけ罪悪感に駆られているという事だ。
そよぎにとっては本当になんでもないような痛みなのに。
――優しい人。
そよぎを少しでも良くする為に憎まれ役までなりかけて、それでもそよぎを心配してくれている少女を見て、そよぎはそう思った。
――ずっと、このままだといいのに――
繋いだ手から伝わってくる少女の温もりが心地良かった。
そよぎが今まで味わった事のない、信頼という温もりが。
――名前、聞きたいな。
そよぎは勇気を振り絞り、名前を聞こうと口を開く。
「わっ…私の名前は『鼓芽 そよぎ』。あ…貴方…の、名前…は?」
途切れ途切れに言うそよぎ。それを聞いた少女は笑顔で答えた。
「『ライブ』。『歌羽 蕾譜』だよ」
「やあ、そよぎちゃんじゃないか。やっぱり来てたんだね」
「こんばんは」
そう言って話しかけてきたのはやや中性的な容姿の若い男性と、その男性と手を繋いでいる大きなリボンをつけたゴシック・ロリータ衣装の少女。
午後八時三十分。
『神血の一滴』を狙った怪盗オーニソガラムの犯行予告時間まであと三十分。
その犯行予告場所の美術館の前。
「あら?埋柄さんに永久村さん」
そよぎはその二人にそう言って、小さく手を振る。
その中性的な男性の名は埋柄 夕凪 (うえ ゆうなぎ)。
探偵局所属A級ライセンス取得探偵であり、そよぎが探偵局に入ってばかりの頃に探偵局について色々と教えてもらった、先輩探偵だ。
そしてその夕凪と手を繋いでいる少女の名は永久村 せしら (とわむら せしら)。
夕凪と同じく探偵局所属A級ライセンス取得探偵で、実際の年齢はそよぎよりも上だが見た目はどうしてもオリーヴと同年齢に見える。
仕草が子供っぽいのもそう見える原因のひとつだが夕凪の助手としても探偵としても非常に優秀であり、夕凪にとって大事なパートナーである。
ちなみに探偵局の探偵の最初は必ずC級ライセンス取得探偵から始まる。昇級試験か実戦での功績によりランクは一つずつ上がり、その度に権限が追加されていく。
ランクによって追加される権限は以下の通り。ランクはC〜S級まで存在する。
C級ライセンス…(探偵としての)行動権
B級ライセンス…任務時間外での行動権
A級ライセンス…現場指揮権、申請による家宅捜索権、単独行動権
S級ライセンス…上層部への意見提案権
探偵局の探偵には年齢制限はなく完全実力主義であり、学生でありながら探偵をしている者もいる。
広く才能を求めているのが理由だという。
局内で一番多いのはB級ライセンス取得探偵で、S級ライセンス取得探偵はライブとそよぎを含め、日本では八人しか存在しない。
それだけにS級ライセンス取得探偵はとても重宝されている存在であり、S級になると追加される上層部への意見提案権は、ほとんどのケースで上層部を言い負かせてしまえる程の権力を持つ。
「やっぱりそよぎちゃんにとってはオーニソガラムの犯行は放っておけないってわけだね」
「ふふ、そうですね。埋柄さんはまた新人研修ですか?」
「うん、まあね。全く、皆して怪盗が憎いだの何だの言っててさ。
僕としてはそんなに怪盗を毛嫌いする事ないと思うのに」
「あら、そんな新人さんばっかりなんですか」
「そう。まあやる気を見せるための強がりとかだと良いんだけど。
憎しみは時に足元をすくわれる原因になりかねないって事が伝わらないみたいでね」
「怪盗は極悪人ばかりじゃない。怪盗よりももっと極悪人は世の中にはいる…ですか?」
「はは、そよぎちゃんは覚えていたんだね、僕が昔に言ったその台詞。そう。僕は今でもそう思ってるよ。でも今の台詞を探偵局内で言うと白い目で見られるからあまり言いふらさないようにしてたつもりだったんだけど」
「記憶力には自信ありますからね」
「それにしても流石はそよぎちゃんだね、オーニソガラムに対して憎しみって言うよりオーニソガラムを良いライバルと認識してるように見えるから。
憎しみを消して、心をぼかさないようにしてるなんて、やっぱりすごいよ」
そう夕凪が言った直後、せしらが夕凪の手をくいっと引く。
「夕凪、今連絡入った。他の人、準備できたって」
「わかったよ、せしら。じゃあそよぎちゃん、僕らは他の探偵の様子を見に行くから。
それじゃあ、お互い頑張ろうね」
「はい。埋柄さんと永久村さんも気を付けて」
夕凪とせしらは去っていった。
(それなりに観察眼はあるみたいね。流石はよく新人の教育を任される程の探偵だわ…)
夕凪に対して警戒心を抱くそよぎだった。
美術館の外壁についている大きな時計の短針が午後九時まで残り十秒を知らせる。
美術館の警備にあたっている者。
怪盗を捕まえるといきごむ探偵達。
それらの様子を撮影しようと気を引き締めるマスコミ関係者。
各々がその時計を固唾を呑んで見守る。
そして、短針が文字盤の十二の所に戻る。
同時に柱時計の鐘と同じ様な音が、大音量で夜の街へ鳴り響く。
そして――。
「現れました!!怪盗オーニソガラムです!!!」
テレビ局のアナウンサーのその一言で全員がアナウンサーの視線の先に向く。
そこにはグライダーで空を滑空するウェディングドレス姿の怪盗がいた。
「見てください、今あの怪盗オーニソガラムが空を舞っております!
あっと、警官と探偵達が必死に追いかける!!それでは、私達も追いかけてみようと思うので、続報を――」
その場にいる全員がオーニソガラムに注目する…と思われたが、そよぎは違っていた。
(おかしい…なんで煙幕もなしに正面から?あんなに目立ってしまえば捕まる可能性は広がるというのに。…ま、あのライブが簡単に捕まるなんて有り得ないけど)
そよぎはそこまで考えるとある一つの考えが浮かぶ。
(まさか、フェイク?)
今オーニソガラムとして注目されている人が本当のライブとは限らない。ライブの形をした人形という事もある。
だがそうとも言い切れない。
ここを一気に突破する秘策を本当のライブが持っているかもしれないからだ。
それならばライブを追いかける者を一網打尽に出来る。
だがこの勝負を憶測で決め付ければ痛い目をみるのは当たり前だ、もっとなにか確定的にわかる事はないものかとそよぎは思う。
そしてなによりそよぎにとって気になるのはライブが煙幕弾を使用していない点。
怪盗としてのそよぎの意見は、煙幕弾は確実に視界と正常な判断力を奪える有効なものだと思う。
だがここが大きな美術館ゆえ、煙幕弾を使用する場合かなり大量に煙幕弾をばらまかなければならない。
その手間をしているくらいなら時間がかかってしまい非効率的だ。
(…使用を諦めたのではなく、敢えて使っていないのだとしたら…時間をかけたいし、煙幕弾による弊害を負いたくない戦略という事になるわ)
そこでそよぎは気付いた。煙幕弾を使用した時の弊害に。
(警官や探偵の視界や判断力を奪いたくないというのは…自分を捕まえようとする者の目をひきつけたいから)
その瞬間、そよぎの頭の中は一つの結論へと達した。
――今のライブは囮役。
本当のライブだろうが偽者のライブだろうが、今警官と探偵に追われているライブは囮役。一網打尽を狙っているのはあり得ない。
本命は別にいるという事だ。
美術館の窓が迫ってくる。
凝人は高所恐怖症とかスピード恐怖症ではないが、この感覚ははっきり言って慣れなさそうだと直感した。
そしてライブに教えられた通りに、足をしっかり閉じて前に突き出す。
窓ガラスが耳をつんざく様な音を立てて割れていく。迫ってきた窓を足で割ったのだ。
今、凝人はハンググライダーで美術館の窓から中への侵入を成功させた。
その直後、凝人は持っていた睡眠弾を床に向かって叩きつける。
すると凝人を中心として煙が美術館の中へ広がっていく。
そして警備員の倒れる音がそこら中から聞こえる。その隙に、ガスマスクをつけた凝人が美術館のある部屋を目指し走る。
目指す部屋とは、制御室。
煙が薄い所でまた睡眠弾を床に叩きつけ、警備員達を眠らせる。
それを三回ほど繰り返した後、とうとう制御室へとたどり着く凝人。
そして凝人は持っていた小型爆弾をドアノブとは逆の扉の付け根あたりにつけてスイッチを入れ、一旦扉から離れる。
火薬が炸裂した直後、金属製の固そうな扉がひしゃげて床に倒れる。
そして制御室にいた人を睡眠弾で眠らせ、制御室のコンソール (制御卓)を見回す凝人。
(やっぱりだ)
制御室の機械は一般の機械とは随分と違う感じだったが、一つだけ一般の機械と共通している所が凝人の予想通りに見つかったのだ。
それは外部メモリーユニット。
どんな一部の人間しか触らない機械でも外部からのメモリーばかりは一般的に普及している既成品を使うしかないわけだ。
凝人は持っていたメモリーユニットを制御室の機械に挿し、コンソールをいじり始める。
そのメモリーには凝人特製ウイルスが仕込まれていた。
そよぎから連絡を受けたオリーヴは制御室へと向かっていた。
制御室に近づく程、睡眠弾の煙が濃くなってくるため、もちろんマスクをつけて。
そして制御室に入り、オリーヴは気付いた。
(これじゃあ制御室も意味ないです…)
制御室のコンソールはハンマーかなにかの打撃によって破壊されていたのだ。
(でもこれじゃあいくら凝人さんでもここからこの建物のシステムを制御するのは無理っぽいです)
なにせコンソールはもう滅茶苦茶になってしまっているのだから。
オリーヴはそよぎにその事を報告しようと携帯電話を手に取った。
耳につけたハンドレスの連絡機から連絡が入る。
凝人からの連絡だった。
「コントラリー?そう、お疲れ様です。じゃあ私もそろそろ本気で行きますよ」
ライブはハンググライダーを急降下させる。
そよぎが囮だと断定したライブはライブ本人だったのだ。
結局ハンググライダーで飛び回るライブを捕まえられる者はいなかった。
そして突然急降下したハンググライダーを捕らえようと警官達が網を用意する。
ライブは右手の人差し指と中指を立て、意識を集中させる。
その瞬間、ライブの額に三本、眉毛と直行するように左右に二本の光の筋が浮かぶ。
次の瞬間――
ライブに向かってきた網はライブを捕らえる事なく、代わりに警官達を捕らえ警官達の重みによって落ちる。
ライブは能力痕の力を使用したのだ。
自分の方に警官を拳銃ごと引き寄せ、身代わりにするといったライブの得意技だ。
だが複数の警官を引き寄せるには、以前凝人に見せた時よりも強い力が必要となる。
この能力痕には、段階が存在する。
今ライブが使用したのは第三段階の能力痕。
第一段階では光の筋は額に一本の縦線が入るだけで、この状態では極めて弱い効果しか得られない。
この状態のライブはせいぜい金属製のスプーンやフォーク並に小さいものを引き寄せる程度しかできない。
だが能力痕は無尽蔵に使えるわけではない。使う度に体力を消耗するのだ。
第一段階の能力痕は得られる効果は弱いがその分体力の消耗も少なく、能力痕による体力の消費を最小限に留めたい時はこれを使用するのだ。
第二段階では、第一段階の線の左右に一本ずつ縦線の光の筋が追加される。
この状態なら拳銃ごと警官を引き寄せられるが、五人が限度。
第三段階では、第二段階の線に更に眉毛に直行する光の筋が追加され、警官を拳銃ごと最大で二十人程度引き寄せる事が出来る。
ただしその分体力の消耗が激しく、五回程度連発すると体力切れを起こしてしまう。
ちなみに警察や探偵は能力痕の事を知っている者は一部存在するが、その全容を把握しきれている者はいない。
超能力の存在と、超能力を使う時に光る痣みたいな筋が顔に出るという事以外は上層部の人間すらも知りえない。
だからライブの能力が金属にしか効果が無い事も知らず、対策がとれないというわけだ。
そしてライブは、急降下するハンググライダーから身を離し、ハンググライダーだけ急降下させ、美術館の入り口に突っ込ませる。
それを見て、美術館の入り口付近に居た人はハンググライダーから逃げる。
しかしそれに逃げ遅れ、ハンググライダーにぶつかりそうになる者もいた。
だがライブは空中からワイヤーを使って逃げ遅れた者を全員拾い上げ、ハンググライダーの衝突から救う。
そしてハンググライダーは入り口の扉に激突し爆発、入り口の扉を破壊する。
その爆発の煙に紛れ、ライブは美術館に侵入する。
その爆発で警官達は少しの間ひるんでいたが、ライブの侵入に気付き遅ればせながらライブを捕まえようと追いかける。
ライブは捕まえようとする警官達をいなし、ターゲットである『神血の一滴』が飾ってある大広間へと急ぐ。
そしてライブは大広間で警官をいなしながらターゲットをちら見で鑑定するが、少し違和感を覚えた。
(これは…イミテーション?!)
大広間に飾られているのは模造品だったのだ。
しかも展示してあるケースとその鍵を軽く触れてみると、つい先程になってイミテーションとすり替えられた形跡たる、人の体温のような不自然な温かさが存在していた。
そこでライブはそよぎの戦略に気付く。
おそらくそよぎはなんらかの手段で外でしばらく飛び回っていたライブが囮だという事に気付き、その隙をついて凝人が展示してあるターゲットを盗みにかかると踏んだのであろう。
そこで、まだ鑑定眼を持ち合わせていない凝人を欺くためにオリーヴにイミテーションと本物をすり替えさせたのだろう。
そして本物のターゲットは今頃、警備体制が最もされている所に持っていかれたに違いない。
(…となると)
ライブはハンドレスの連絡機から凝人へ連絡する。
「コントラリー。今、ここで最も警備体制が敷かれているのは何処かわかる?」
「オーニソガラム?えっと、ちょっと待って。
…熱源反応によると警備員の数が最も多いのは、三階にある展示室だね」
「わかったよ、ありがとう。隔壁を下げてそこの展示室に集まる人をなるべく邪魔してくれないかな?」
「任せて!」
ライブは通信を切る。
「さてと…これで隔壁は閉じて、オーニソガラムの侵入経路は確保したし。もう俺の仕事も大体終わったかな」
凝人は今、美術館の裏手の山の中腹でパソコンをいじっていた。
オリーヴはいくら凝人でもコンソールをいじらずに建物の警備システムを制御できないと踏んでいたが、凝人は今実際に建物の警備システムをパソコンの遠隔操作で制御しているのだ。 警備システムの一端である熱源反応を調べるサーモグラフィーも制御している。
――凝人がコンソールをハンマーで壊したのには理由がある。
それは、凝人が流した『遠隔でシステムを掌握できるウイルス』が外部的要因で止められるのを防ぐため。
そしてパソコンをいじる手を一旦止め、ライブからの連絡を待つ凝人。
だが凝人は急に後ろに人の気配を感じ、後ろを振り向く。
その瞬間、何者かが出した蹴りが凝人を襲う。
「おわっ!!」
凝人は間一髪でその蹴りをかわす。
「ふ…いい反射神経してるじゃない。流石は怪盗の協力者ね」
「だ…誰だ?!」
凝人はそう言うと、先程凝人に向かって蹴りを出した人物を見て眼を疑った。
暗闇でよく見えないがその人物は豊かな髪の毛を横に束ねた、スリムな体型の女の子だったのだ。
「誰だ、と言われて素直に答えると思った?でもまあ私の用件は聞いてもらうわよ。私の用件は…ずばり、あんたを捕まえて怪盗と取引をする事よ」
「取引だと?」
凝人は、なんだかよくわからないがライブやそよぎの知り合いではなさそうな事を直感した。
「そ。じゃ、おとなしく捕まれええええっっっっ!!!」
その女の子がそう叫んだ直後。
その女の子の額にひかる痣のようなものが浮かぶ。
(まさか――この子も能力痕を!?)
そしてその女の子の鋭い蹴りが凝人を襲う。
凝人が持っていたパソコンがその直撃を受け、真っ二つに分かれる。
(おわああああああ!!何てことを…畜生!!)
凝人は正直今すぐ怒りをぶつけてやりたい気分だったが、ここは流石に命の危険を感じ撤退をする事にした。
なにせ相手はあの十人の怪盗の血筋をひく能力者だ。
おそらくパソコンを破壊する程の鋭い蹴りも能力痕の力を使っているに違いない。
凝人は炸裂弾を地面に叩きつけ眼くらましをする。
「うっ!!くっ、やったわね?!」
その女の子の眼に眼くらましが直撃する。
その隙に凝人はその場から離れる。
だがコントローラーを持つライブから離れすぎると首輪が爆発してしまう。
凝人はライブから教わった変装を使い、美術館の近くの場所でやり過ごす事にした。
三階の展示室。
そこでは盗みを成功させた怪盗オーニソガラムの姿があった。
「予告通り、至宝『神血の一滴』はいただきました」
そう言い残して、ライブは窓を突き破りパラシュートで地面に着地する。
そして茂みに隠してあったバイクのようなマシンに細工がされてない事を確認すると、そのバイクのようなマシンで疾走しながら凝人を探す事にした。
程なくして凝人は見つかった。
そしてライブはマシンの後ろに凝人を乗せ、あらかじめ決めてあった待ち合わせの場所へ急ぐ。
『第三規則。勝負が終わった後の待ち合わせ場所はあらかじめ把握しておく』
これもライブとそよぎがつくった規則のひとつである。
今は廃校になっている学校の一室。
そこが今回の待ち合わせの場所だった。
ライブと凝人が待ち合わせ場所に到着すると既にそよぎとオリーヴはそこに到着していて、ライブと凝人を出迎えてくれた。
「さて、と。今回はライブの勝ちって事ね。端鞘さんも初めてなのによく頑張ったわね」
「いやー、もう心臓バクバク。爆弾つける時なんか手が震えてしょうがなかったよ」
「それじゃ、めでたく共犯者になった端鞘さんに今回の報酬よ」
そう言ってそよぎは凝人の首輪を力ずくではずそうとする。
「ぎゃああああ!!!ちょ、ちょい待ち!!爆発するから!!!」
凝人は必死にそよぎから逃げる。
「あら、私をかわせるようになったの。反射神経良くなったわね、端鞘さん」
「そーちゃん。もう言ってあげてもいいんじゃない?」
「へ?」
「ふふ、意地悪してごめんなさいね。どれだけ反応が良いか試したくなっちゃって。貴方に全部話すわ、実を言うとその首輪は爆弾なんかじゃないの」
「…え?」
「その首輪、コントローラーのボタンを押すと電気ショックが流れるんだよね。別に命に関わるようなものじゃないから、安心して。私達怪盗は人殺しはしない主義だから首輪爆弾なんて物騒なものは作らないよ。爆弾っていうハッタリもそーちゃんが思いついた嘘なんだよね」
「ええ。悪いけど、端鞘さんがどれ程の覚悟をしているか見せてもらうためにちょっとでまかせをね。でもこのぐらいなら端鞘さんを裏社会の一員として信用できる人物と認識するわ。
怪盗仕事をする行動力、爆弾をつけられたと思わせられてもへこたれない胆力、それからウイルスを作るスキル。これなら裏社会の何処へ行っても大丈夫よ。私が保証するわ。
なんなら私達がコンビ怪盗としてまた活躍するようになったら端鞘さんには裏社会で単独活躍できるようにしてもいいわよ」
「…あ、いや…恐縮です…」
凝人は正直、爆弾という嘘をつかれて怒る感情よりもそよぎに真っ直ぐ褒められて嬉しい感情の方が頭を支配していた。
「私も保証しますよ、凝人さん。これから頼りにさせてもらいますよ。
では改めまして…よろしくお願いします」
そう言うとライブは凝人に握手を求める。
「あ、うん。よろしく…」
凝人も顔を赤らめてそれに応じる。
「おめでとうございます、凝人さん!!」
オリーヴからも賞賛の声を受け、凝人はさらに照れる。
ライブは思い出す。
――初めてそよぎが自分を信頼してくれた時の事。
そよぎはライブに心の隙間を埋めてもらったと言っていた。
だが実はライブも同じだったのだ。
ライブも心に知らず知らずの内に隙間を作っていた。
怪盗という夢をがむしゃらに追い続ける事によって生じた、隙間。仲間を欲している感情を押し殺して生きていく事の虚しさ。
それに気付いたのはそよぎのおかげだとライブは今だって思う。
そよぎに対して言った事の全てをライブは自分の中で否定していた。
だが同じ境遇のそよぎを見て、思わず『自分とそよぎ』に向かって言う事を覚悟したのだ。
今の凝人を本当の意味で信頼できるようになったのもそよぎがいなかったら、出来ずにいたかもしれない。
――ありがとう、そーちゃん。
ライブは心の中で何度もそう言った。
首輪をはずしてもらう凝人。
久しぶりに首輪をはずしてもらったせいか、凝人は首がスースーした。
だがその感じよりも胸の奥から湧き上がってくるような充実感と満足感が心地良かった凝人だった。
「ところで…」
ライブは凝人が抱える真っ二つに割れたパソコンを見つめる。
「その子、もう使えないですね。何かあったんですか?」
「ああ、これね。バックアップはとってあるからそよぎさんから貰った予備を使えば大丈夫…ってそんな事より重大な事言い忘れてた!!」
「きゃっ!どうしたんですか、重大な事って」
いきなり大声を出す凝人に驚くライブ。
「能力痕だよ!能力痕持った女の子が俺に襲い掛かってきてさ、なんか怪盗と取引をするために俺を捕まえるとか言ってきて」
「えええっ?!」
「端鞘さん、よく逃げ切れてきたわね…それにしても…」
「取引…ね。なんかひっかかるね、そーちゃん」
「うん…その様子じゃこれからはその女の子が襲い掛かってくる可能性があるわね。ちょっと厄介になってきたわね」
「あの…ライブちゃん、そよぎさん、オリーヴちゃん。その事なんだけど、なんとかなるかもしれない」
「え?」
ライブは驚きながら凝人を見る。
「実を言うとパソコン壊された事に腹が滅茶苦茶立ってさ。後でそいつに何か出来ないかと発信機付けてきた。そいつの靴に」
「…」
「…」
「…」
「え、どうしたの、三人共黙っちゃって?!俺なんかやばかった?!」
凝人は場の空気が凍りつく事に耐えかねて訴える。
「いえ、そうじゃなくて…」
「ねえ…」
「なんか凝人さんって…」
オリーヴが続く言葉を言う前にそよぎが口を開く。
「怒らせると、怖い人ね。まあそれだけ裏社会慣れしてた方が私達にとってはありがたいけど」
「とにかく凝人さん、大手柄ですよ!そのパソコンを壊した怪盗の血筋の子に先にこっちから仕掛けちゃいましょう!!」
「そうだね、ライブちゃん!不安の種は早めに取り除かなくちゃね!!」
そういきごむ二人を見てそよぎとオリーヴは思った。
――凝人は生まれ付いての裏社会の住人だと。