episode1:真実は嬉しい罰を添えて
昔、裏社会に一つの情報が流れた。
『怪盗を世に知らしめる』
抽象的なその言葉は瞬く間に裏社会に広まっていった。
それは歌羽 蕾譜 (うたは らいぶ)が十一歳になったばかりの頃の話である。
――ライブは本当の両親の顔をよく覚えられないまま育った。
物心がつかないような昔に父親から怪盗としての修行を積まされ、裏社会の生き方を 教えられた事ははっきりと覚えているのだが、母親についての記憶は全くない。
物心つく頃にはライブは養父と養母に育てられていた。
もともと養父と養母は仲が悪くあまり会話を交わさなかったような仲で、少しでも不満な事があった場合はすぐにいさかいを起こす。その矛先がたまにライブに及ぶ事もあった。
また、ライブは養母からひどい虐待を受けてもいたのだ。
このような状態が長く保つわけもなく、結局その家族は離散した。
その後ライブは孤児院に引き取られる事になる。
だがライブはその一方で素性を隠して裏社会で怪盗として活動してもいた。
そして裏社会で名を上げた結果、自分一人で暮らせるまでになったのだ。
その矢先である。
前述した一つの情報がライブの耳に届いたのは。
そして…その情報が後の怪盗を世に広める事件へと繋がる事と…
運命との出会いへと繋がる事はこの頃のライブには知るよしもなかった。
「必要な物ってどれくらい時間かかりそうですか?」
「ちょっと待って、えーと…そうだな、三十分もあれば十分だよ」
「じゃあ私は部屋の外で待ってますね。そーちゃんと連絡もつけなきゃだし」
「了解」
そう言うと凝人は自分の部屋へと入り、デスクトップ型のパソコンやら、機材やらを準備し始める。
その間ライブは携帯電話に会話を傍受されても大丈夫なように本当に話していた会話ではなく、ランダムで選ばれたダミーの会話を流す機器を取り付けてそよぎへと電話する。
「あ、もしもし?そーちゃん?」
「ライブ!無事?!
端鞘さんに変な事されてない?!」
電話の向こうのそよぎは語調を強くして、平静を装うのもギリギリな様子だった。
「あはは…もう、大丈夫だってば。
何かあったって私、これでも運動神経には自信あるんだから、ね?」
「そうだけど…それは知ってるけど…でも…前に言ったでしょ、ライブを悲しませるような輩は私が絶対、ぜーったい許さないって」
そ れを聞くと、ライブは顔をほころばせる。
「ありがとう、そーちゃん。それと、三十分くらいで準備済ませられるらしいから、一時間後くらいにそっちに行くね」
「うん、わかった…なにかあったら緊急の信号でもなんでも出してね!
地球の裏側だろうとすぐにライブを助けにいくから」
「くす…そーちゃんはやっぱり優しいね」
「そんな事…もう、ライブが優しいからそう思えるんだよ。
とにかく、なるべく早く戻って来てよ。
私の家はライブの第二の家みたいなものなんだから」
「うん。
…ありがとう。後でね。…じゃ、切るよ?」
「…うん」
ライブは携帯を切り、愛おしげに微笑む。
(ありがとう、そーちゃん。やっぱりそーちゃんに会えて良かったよ)
その瞬間、ライブのポケットからポロ、となにか四角いものが落ちそうになる。
ライブはそれをすかさず落ちる前に拾う。
(いけないいけない、これ落としちゃったら大変だものね)
――話は数分前に遡る。
ライブとそよぎしか使わない倉庫内での会話のやりとりがあった。
それは、凝人に告げられた真実。日本全土に知れ渡っている怪盗の二人が互いに味方でありながら、『怪盗が盗み、探偵がそれを妨害する勝負』をしている事。
その後の会話である。
「さあ、私とライブは全部話したわよ。…今度は貴方が名乗る番。ちなみに偽名とかは使わない方がいいわよ、共犯者はある程度の信頼関係が必要だもの。
それに…万が一、本名まで言った私達に嘘ついたらそれこそ、薬漬けの方がいいってくらいひどい目に会ってもらうけど」
「言います。だから…ナイフを構えるのは…ちょっと…
…そんな殺意をこめた目でナイフを向けられれば怖すぎて信頼関係どころじゃない…気がするんですけど」
「…まあ、そうね。
でも、ライブに何かしたら私がこれ以上に怒るって事は認識しておいてくれないとね」
少しむっとしながらナイフをしまうそよぎ。
「俺は端鞘 凝人…。
ただの学生です…まあご存知の通り、ハッカーでもありますが」
「ハサヤ コルト…さんね。いいでしょう。
じゃまずこれをつけてもらうわ」
そういって凝人に見せたものは、首輪。銀色で金属製らしき何の変哲もないように見えるもの。
妙なボタンが中央についている事を抜かせば、だが。
凝人は縛られたままその首輪をつけられた。
そしてそよぎは凝人の首輪のボタンを押す。その後、縄を解かれた凝人。
「…つかぬ事をお聞きしますが、これはなんの意味の首輪でしょうか?」
凝人が問いかけると、間髪入れずにそよぎが答える。
「爆弾」
「…」
「…」
「…」
「だから、何を意味するとかじゃなくて首輪が爆弾になっているの」
「…」
「…」
「…」
(……ま、まあ嫌な予感はしていたさ。スイッチひとつで電撃が流れるとかな。でも…これ、爆発でもしたら確実に死ぬよな?)
凝人はそう思うと、首輪の冷たさが自分の背筋の寒気にやたら直結してくるのがわかった。
「大丈夫。下手な事しなければ爆発しないようになっているから」
「その…例えば?」
「具体的にどういう時に爆発するかって言うと、私が持ってるこのコントローラーのスイッチを押したり、このコントローラーから距離的に離れすぎたり、その首輪を力ずくではずそうとしたりした時。
まあ口封じのために作ったものがまさか今日役に立つとはね」
そう言ってそよぎは四角い手のひらサイズのコントローラーを凝人に見せる。
数分後のライブが落としかけた四角いものとはこのコントローラーの事である。
「言っとくけど、このコントローラーを私かもしくは、ライブから奪えるなんて簡単に思わない事ね。私達は怪盗なんだから」
「…そうでしょうね」
「…これをはずすのはあなたが完全な共犯者になってから。
信用されるにはこれだけ大変ってこと。
私達のような裏社会の住人の場合、特にね」
「それもそうですよね。
…で、俺はどうすれば?」
凝人は腹をくくる事に決めた。決心というより諦めに近い心境だったが。
「ええ、現時点では私とライブだけで勝負をしてるでしょ?
でもこれからは私達だけじゃなく、私とライブにそれぞれ助手をつける事にしたわ。
つまりはチーム戦って事になるわね。
それで端鞘さんには助手の当てがある私ではなく、ライブの助手として勝負をしてもらうわ。
それに共犯者にならないといけないから、今回同様次の勝負の怪盗はライブ、つまり怪盗オーニソガラムって事になるわね」
「ああ、探偵の助手だったら共犯者というより協力者になっちゃうからか」
「当てがあるっていうのはあの子の事だね。普段からそーちゃんのお手伝い希望してたものね」
「…あの子?」
「ああ、こっちの話よ。気にしないで」
「…?」
「いずれ凝人さんにも会うだろうからその時に紹介しますよ。
私と親しい間柄でもあるんです。
…えっと、これからよろしく、凝人さん。チームメイトとして」
「あ、ああ、こちらこそよろしく」
そう言って握手を交わす凝人とライブ。
それを不安そうにみつめるそよぎがいた。
その後、凝人の首輪のコントローラーはチームメイトであるライブが持つことになった。
そして一度部屋に戻って準備をしたいと言う凝人にはライブが同行する必要があった。
なにせコントローラーから離れすぎると爆発してしまう首輪なのだから。
もちろん、ライブに対して過保護とも言えるそよぎは凝人とライブを二人にするのには反対した。
だが、そよぎ自身も家に早くに戻って今回の怪盗事件の後始末をする必要があったために仕方なく家に戻る事にしたというわけだ。
しばらくすると、部屋のドアが開き、凝人が出てきた。…ライブが待ったのは約三十分くらい。凝人がほぼ言った通りである。
「お待たせ、ライブちゃん。
大方のものは持った荷物にまとめたから、これさえあればどこだってプログラム作成ができるけど」
そう言って、凝人は背負っているリュックサックと手さげの袋をライブに見せる。
「あ、ご苦労様です。じゃあ行きましょうか、そーちゃんの家へ。
防音部屋とかあるし、もっと詳しい事をお話し出来ますよ」
「あ、そういえば」
「どうしたんですか、凝人さん?」
「ああ、いや、呼び方はちゃん付けでいいのかなって。
女の子に歳聞くのはなんだけど、俺より君が若く思えてさ。
ちなみに俺は十七歳で高校二年なんだけど」
「ああ、そう言う事ですか。ちゃん付けでいいですよ。
えと、ちなみに私は十五歳で、高校一年生です。
遅生まれだからまだ十六歳になってないんですよ」
「そっか。んじゃあ…ってそうだ、これはなんとなく前から気になってた事なんだけどさ、ライブちゃんって前にどこかで俺にあった事あったっけ?」
ふと、思い出した事を凝人は聞いてみる。
すると、ライブは意外そうな表情をした。
「…覚えてないんですか?
ほら私、図書館で凝人さんにぶつかって本落としちゃったじゃないですか」
「…あ」
そこまで言われて初めて凝人の思考は忘却していた事に行き着いた。
それは図書館であった時にぶつかったネコ耳カチューシャの女の子がライブだという事。
今のライブはそのカチューシャをかけていないから凝人には判りづらかったのだ。
「…すると、ライブちゃんは俺と同じ学校に通ってたのか…
いやー、世界は狭いなあ、ははは…」
「まあ、そういう事ですね…。
あと、そーちゃんも同じ高校に通ってますよ。私とクラスも一緒です」
「まあそうだろうねえ…」
凝人は気付いていた。
そよぎはライブと同じ学校に通わないと不安で仕方ないような人である事に。
となると、そよぎとライブが同じ学校にいる事も当然に違いないだろうとも思えるわけだ。
「でもライブちゃんとそよぎさんが同じ歳ってわかってても、何故かそよぎさんってさん付けしないといけない雰囲気があるんだよなあ…」
「ああ、その話わかります。そーちゃんって綺麗で雰囲気が大人っぽいから。
私は幼く見えるってよく言われますし…」
「ああ、いやいや、幼くってみえるっていうか、若く見えるっていうか、なんかプラスイメージでの方だと思うよ、ライブちゃんは!
あ、でも、そよぎさんが老けて見えるわけじゃあなくて…」
「…えっと、すみません。
意地悪言うつもりじゃなかったんですけど…とにかく、呼び方としては凝人さんの思う通りでいいと思いますよ」
「…うん、わかったよ…フォローありがと…」
会話はそこで途切れた。その後、二人はそよぎ宅へ向かった。
「いらっしゃいませ、端鞘さん」
そう言ってそよぎのお屋敷の玄関先で迎えてくれたのは、大きいリボンを左右につけたメイド服の少女。
どう見ても小学校低学年にしか見えないその容姿にメイド服というのはどうにも異様に見えた凝人だったが(大半の人はそう思うであろうが)、とりあえず何故メイド服なのかにはツッコミを入れない事にした。
「えーと、もしかして…」
凝人がその少女に問いかけようとした直後。
「ライブ!!!」
叫びながらダッシュで玄関先まで走ってきたそよぎはライブの姿をみるやいなやライブに向かってジャンプして、そのままライブに抱きつく。
「ライブ…心配だったよ…あ〜、こうしてると安心…」
ライブはそんなそよぎの肩をそよぎに抱きしめられたままぽんぽんと優しく叩く。
ライブは知っていた。
そよぎは他人に対して厳しい態度をとる事もあるが、それはライブを守るためがほとんどである事。
そして今の態度にみられるような心配症な感じがそよぎにはある事。
そしてそういう事を抜きにしてでもそよぎはいい人である事を。
それを唖然としてみる凝人は、気を取り直して問いかけようとして遮られた質問をメイド服の少女にすることにした。
「あー、もしかして…君がそよぎさんの助手?」
「あ、はい。初めまして。私はオリヴィアニア・ツヅミメと申します。
ちょっと呼ぶには長い名前だと思うので、できればオリーヴと呼んで下さい」
オリーヴはぺこりと頭を下げる。
こちらこそ、と凝人も頭を下げる。その後、オリーヴが口を開く。
「凝人さん、お夕飯はお済ですか?」
「あ、そういえば食べてないや。
いや、プログラム作るとご飯とかたまに抜いちゃうんだよね。集中しちゃうと止まんなくてさ…」
(…あ、なんか思い出したら急に腹減ってきた…)
ぐう、と凝人の腹の虫が鳴る。それを聞いたオリーヴは嬉しそうに話しかける。
「もしよろしければお夕飯食べて行きませんか?今日はオリーヴとお姉さまが…ってお姉さまっていう呼び方はそよぎ様をそう呼んでいるんですけど、とにかく私とお姉さまが作った料理が用意してあるんですよ。結構自信作です」
「え、いいの?あ、でも…」
ちらっとそよぎを見る凝人。その視線にそよぎが気付いたらしく、そよぎが呟く。
「私が信用できない?
私はただライブを悲しませる輩が許せないだけ。貴方を嫌ってるわけじゃないから。
…でもまあ、誤解をさせるような態度をとっていたのは私の方だし、謝るわ。ごめんなさい。
…どうやら本当にライブに変な事しなかったみたいだからとりあえず貴方を信用するわ」
そう言うと、軽く頭を下げるそよぎ。
「あ、ええっと…それはいいんだけど…」
凝人がどもっているとそよぎはそれを見て、少しイラっとする。そして思わず、語調を強くして言う。
「あーもう!貴方男でしょ、はっきりしなさい!
まさか私が毒でも盛ると思ってるの!?」
「いやいや違いますよ!
ええと、よ、喜んでご馳走になります!!」
本当は凝人は他人の家での食事に誘われるのが今までなかったため戸惑ってしまっただけなのだが、その態度がそよぎには気に入らなかったようだ。
やっぱりそよぎにはあまり好かれなさそうだと凝人は思った。
テーブルの上にはスプーンと皿の上に盛られたとろとろした半熟のオムライス。オムライスの横にはコンソメスープがついている。
「いただきます」
ライブとそよぎと凝人とオリーヴは手を合わせて声をそろえて言った。
そして四人は食事を始める。
凝人がスプーンでオムライスをすくうと、とろとろのたまごの下にはケチャップの赤色をしたチキンライスではなく、黄色い色のご飯と鶏肉がある事に気付いた。
「あれ、これドライカレー?チキンライスじゃないんだ」
凝人はオリーヴに問いかける。
「はい、ドライカレーオムライスです。合うんですよ、ケチャップと卵とドライカレーって。あ、もしかしてなにか苦手なものとか入ってますか?」
「いやいや、違うよ。…うん、これは美味いや。確かに合うね、これ。ケチャップのしょっぱさと卵のまろやかさとドライカレーの香ばしさがなんとも。うん、美味い美味い」
ぱくぱくとスプーンでドライカレーオムライスを口に持っていってはたまにコンソメスープをずずっとすする凝人。その食べっぷりに少し驚く他の三人。
食べ始めてから数分が経過しごちそうさまをした後、そよぎは居間の隣の部屋へ他の三人を導く。そこは窓がなく、完全な防音部屋だ。
そよぎは棚から出したファイルから古い新聞記事を抜き出して、防音部屋の中央にあるテーブルに広げる。
その記事は、現代に怪盗が出没するようになった原因とされる事件のものだった。
「この事件の事、端鞘さんはご存知?」
「ああ、もちろん。
――ある暗黒街のもの好きの大富豪が怪盗の存在を世に知らしめるためにある大会みたいなものを主催したって話だよね」
「――そう――」
そよぎは、凝人の言う事を聞きながら遠い眼をして、天井を仰ぎ見る。そして、ぽつぽつと語り出す。
「端鞘さんの言う通りよ。ある裏社会の大富豪が怪盗を社会の表舞台に立たせるため、手始めとして全世界の怪盗を集めて、一つのターゲットを奪い合うといった怪盗仕事の勝負をさせる。
その大富豪が自分専用の怪盗を選び抜き雇う事を目的とした『怪盗セレクション』―。
その大富豪は裏社会で名高いからその人を手を組めれば怪盗としても、裏社会の住人としても高い位置につけるだけに裏社会の人達の興味を惹きつけるには良い提案だった。
けど結局その催しは警察やその開催者の不備によって結果、うやむやになり関係者のほとんども逮捕されてそこで終了。
現在、世界中に怪盗が表社会に現れたのはその事件に感化された人が出てきたのが原因よ」
それだけ言うとそよぎは凝人に向き直る。するとそよぎの綺麗な銀髪がさらっとたなびく。
「それから、裏社会の人も表社会に出るようになったわ。表社会の怪盗のやる事はぬるいって思った人が大半みたいね。
そして、その怪盗達が事件を起こす事に危機感を抱いた政府は怪盗逮捕を主に扱う探偵局を設立した。ここまでは、周知の事実よね?」
その言葉に頷く凝人。
「けど、探偵局を設立した目的はまだもう一つあるの。それは、まだ知られていないある事実を隠すため」
凝人の喉がごくりと鳴る。
「その騒ぎで逮捕された大富豪が持っていた書物やいろんな物品から判明した事実。
それは怪盗という存在は百年以上も前から様々な所で活動し、時に歴史を操り、社会をも動かしてきた事。
そしてその主犯たる十人の怪盗の存在」
「な…。」
凝人は驚く声を言いかけたが、途中で引っ込めた。なにせそよぎの言う事は凝人にとって実に興味深いものであったから、話を中断させたくなかったのだ。
「単にこの事実だけならまだ社会に公表しても問題はないわ。
ただ、問題なのはその十人の怪盗は人ならざる能力を有していたという事なの。
それは一般人には迷信扱いを受けるようなまさに超能力と呼べるに相応しいものだった」
凝人は、その言葉に唖然とした。当然ではあるが超能力なんて空想だとしか思えないからだ。
「まあ、どのくらいのものかは実際見れば判ると思うけど…ええと、ここには私の能力を発揮できる良いものがないわね…」
「あ、じゃあ私が見せるよ」
そう言ったのはライブだった。ライブは懐から銃を取り出す。
それを見て凝人は一体何が起きたのかよくわからず、ライブの持つ銃に怯える。
「あ、大丈夫です。これ、銃に似せて作った模造品なんです。銃弾は撃てません。
でも、素材は本物と同じですけど」
そう言ってライブはその銃の模造品を床に置く。そして、その銃から離れるように部屋の隅まで遠ざかる。
ライブは意識を集中し、右手を銃に向けてかざす。そして右手の人指し指と中指を立てる。その直後――。
ライブの額に『光る痣のようなもの』が浮かぶ。
「――!!!」
凝人が驚いた瞬間。銃はライブの右手に一瞬で引き寄せられ、ライブはそれをパシッと右手で受け止めた。
「まあこういう感じです。私の場合は『形をはっきりとイメージ出来る金属製のものを引き寄せる』能力なんですよ」
「…え、えーと。な、なんつーか。初めて自分の目を疑うような気分…怪盗になれば誰でもこんな事が出来るようになるとか?」
「いいえ、違うんですよ。
こういう能力があるのはさっきのそーちゃんの話の十人の怪盗の血を引く人だけなんです。
私はこの引き寄せる能力から憶測するに同様の能力を持っていた十人の怪盗の内の一人、『怪盗へリング』の血を継いでいる事になります」
「…能力から憶測?
つまりその怪盗へリングって人はその引き寄せる能力を持っていて、他の九人は違う超能力を持っていたって事?」
そう凝人が問いかけると、そよぎは凝人の洞察力に少し関心する。
「そう、理解が早いわね、端鞘さん。
例えば私の祖先たる『怪盗ミューラー・リヤー』は『紐状の物体をその端に触れている時に自在に操れる』能力を持っているの。
もちろん、私もその能力を使えるわ。
端鞘さんのいう通り他にも種類の違う超能力があって十人の怪盗でそれぞれ別の能力なのよ。
まあ子孫がいるいないの差があるせいか、絶滅した能力もあるし、複数の人が共通して使える能力もある。
だから能力の種類で誰がどの怪盗の血を引くかわかるってわけ」
「…成程。あ、もしかしてオリーヴちゃんもなにか能力があるの?」
凝人はオリーヴに向かって言った。するとオリーヴはあわててぶんぶんと手を振る。
「あ、いえ、オリーヴは怪盗の血を引いていませんから。
そういう意味ではオリーヴは凝人さんと同じです」
「そうなんだ。まあ、こんな能力があるんなら盗みも楽勝ってわけですね」
その凝人の言葉にライブとそよぎの二人が反応する。そしてそよぎはため息をつき呆れ、ライブはあはは…と苦笑する。
「この能力だけでなんでも出来るんなら苦労はしないんだけどね。
この能力を使うにはある程度の条件が必要なのよ。
さっきライブが言った通り、ライブの能力は形がはっきりとイメージできて、かつ金属が素材の大半を占めているものでなければ効果はないの。
私の能力だって紐状の形をしていて、かつ操る時に端の方に触れてなければ効果はない。
工夫が必要って事なのよ。
例えば…ライブの持っている銃のレプリカは警察が主に使用している拳銃をイメージするためのレプリカ。
あの光明ビルに突入する時に警官をいなした時なんかは警官の持っていた拳銃を警官ごと引き寄せて警官を自分の身代わりにした。ライブの得意技よね」
「うん」
(…あ、なるほどー。だから警官が警官を捕まえるっていう妙な事になってたんだ…)
凝人はうんうんと頷く。
「まあとにかく、この能力が一般に知れたらパニックになるか、マスコミが黙っちゃいないでしょ?
だからこの能力が存在している事を隠すために探偵局が一役買ってるってわけ」
「…でも、探偵局が隠している事実がライブちゃんやそよぎさんに関係しているんなら…その能力を持っている二人は探偵局の人からマークされているんじゃ?」
「いい質問ね。実を言うとこの能力が発動する時に浮かび上がる文様…
私達は『能力痕』と呼んでいるけどこれは、医学的な検査とかでは絶対に発見されないようになってるの。理由はよくわからないけどね。
それに、怪盗の一族というものは自分の家系を警察とかには絶対にばれないようにするものだから、探偵局にとっても誰が能力痕を持っているかなんて判らないの。
ちなみにこの能力は十人の怪盗のリーダーが見つけた古文書から編み出した、呪術的なものから出来たと伝わっているわ」
「…成程。よくわかりました。
…なんか本当に謎だらけの世界に足踏み入れちゃったんだな、俺…」
「これから嫌という程思い知る事になるわよ、端鞘さん。で、説明はこれで終了。
ここから本題よ」
そよぎはそう言うと棚から一冊の本を取り出し、その本の付箋が張ってあるページを見せる。
「いつもは学校で直接最初の予告状の受け渡しをライブと私の間でするんだけど、凝人さんの事があるから早めに次のターゲットの予告をするわ。どうかしら?」
「ターゲットって…これですか?」
凝人はそのページに記されているターゲットに驚きを隠せない。
「うん、いいよ。そうだね、首輪をしたまま凝人さんを学校に通わすわけにいかないものね。変に思われちゃう」
ライブはターゲットを見ても軽く承諾するだけで全然驚かない。
「オリーヴも賛成です」
オリーヴも全然驚かない。いつもの事のようにさらりと反応するだけだ。
次のターゲット。それは至宝として名高い、天然の巨大ルビー削りだしで作られた『神血の一滴』と呼ばれるものだった。
「ってこれ、美術館保有の至宝じゃないですか!?
俺はこんなものを盗りにいく手伝いをするってんですか…」
「だから言ったじゃない、嫌という程って」
「いや、でも俺みたいな素人が同行して足引っ張る事にでもなると…」
凝人は怪盗仕事の共犯になるのはいいと思っているが、いきなりこんなレベルが高い盗みの仕事だとは思わなかったのだ。
「大丈夫。もし危なそうになったら探偵として行動している私とオリーヴが助けてあげるから。勝負さえつけば貴方と私は味方同士なんだから、ね。
…とりあえず貴方は怪盗という職業がどれだけ厳しいのかを体で感じてかつ、自分の本気を出す事を覚えるように。余計な事は考えない。
まずそれがこの世界で生きていく第一歩になるんだから」
そよぎの思う事がなんとなく読めてきた凝人。
おそらく、そよぎは巻き込まれた凝人を彼女なりに心配してくれているんだろう、と。
「そもそも、私がライブの足引っ張る事なんて許させるわけないじゃない…」
そよぎがぼそりと呟く。
それを聞いた凝人はさっきまで自分が思っていた事を少し自分に都合良いように感じてしまっていた、と思い苦笑する。
とにかく、今はやるしかない。その結論だけが凝人の頭の中にはっきりと残った。
そして、改めて考えてみる。
よく考えればライブもそよぎもオリーヴも凝人よりも年下だ。
だが凝人に比べて怪盗の仕事を実行する事の不安など皆無に等しい。
それだけ昔から慣れているとしか思えない。
そう思って凝人はある事を思い出す。数日前によく話す男友達と話した内容についてだ。
その男友達は凝人からすれば異常な趣味、BLに慣れていた。
だがその男友達にとっては凝人から異常であっても、慣れていたからそれが普通だったのだ。
慣れている凝人にとっては普通である不正プログラム作成はおそらく大体の人にとっては異常であるに違いない。
(つまり、慣れてしまえば人というのはどんな事でも普通に思えてしまうものだって事か。……面白い)
普通の人が考えればこんな事やってられるか、とか逃げられるんなら逃げたいとか思うところではあるが。
凝人の思考は彼自身でも不思議なくらいはっきりと、面白いと思わせる。
(今俺の目の前にいる三人のやっている事ほど面白くて異常な慣れなんて…これをおいて他にないくらい面白いじゃないか!
――だったらこの異常な世界に…慣れてやるさ…!いや、慣れてみせる!!)
それは諦めとは全く別の感情。
絶望的な状況を前向きに考えるというより、凝人自身があたかも最初から望んでいた感情がそのまま出たと言った方が正しい。
それがわかった凝人は悩んでいた自分が急に馬鹿らしくなってきた。
凝人はそう判断した後、頭の中がすっきりしたのか落ち着いて口を開く。
「わかりました。じゃあ俺は俺に出来る事を見つけ出していこうと思います。
一般に出回っていないような凄い機械とか怪盗が協力してくれるんならできるかもしれないし」
その態度の変わりように驚く三人。
だがそよぎは落ち着いている凝人に対してそよぎ自身も落ち着いて答える。
「…まあ、急にやる気になったのは置いといて、やる気になるのは良い事ね。
とりあえず、次の怪盗仕事までは凝人さんにはこの私の家の空き部屋で寝泊りしてもらうわ。首輪の事があるしね。
その間学校は欠席してもらうけど、私の監視付きなら電話ぐらいは使わせてあげるから。それと、ライブと相談したい時はこの防音部屋を使うといいわ」
そうして話はまとまった。
次の怪盗仕事はライブが怪盗オーニソガラムとして、凝人はその助手として盗みを行う。
そよぎが探偵として、オリーヴはその助手として二人の仕事を止めるべく行動する。
その日時は約二週間後。場所は日本国内の有数の美術館。
それまで互いに自分の手の内は漏らさずに過ごす。
そして、瞬く間にその二週間は過ぎていった。
「さて…と。どう?準備はいい、『コントラリー』?」
犯行予告時間の午後九時まであと五分。空は暗く、町の明かりが辺りを照らしている。
ターゲットのある美術館の向かいのビル。その屋上。
ライブはウェディングドレスのような衣装と仮面舞踏会でイメージされるような仮面『ヴェネチアンマスク』を身に纏い、今ノートパソコンのキーを叩いている、黒いスーツとサングラス姿の凝人に話しかける。
「ああ、チェックにチェックを重ねてるから大丈夫。
設定と制御は任せて、『オーニソガラム』。…やっぱさ、下準備が怪盗の基本って言葉が身に染みるよね…。」
「ふふ。そうだね」
微笑むライブ。
今、ライブは『怪盗オーニソガラム』、凝人はコードネーム『コントラリー』としてビルの屋上に佇んでいるのだ。
「まあ色んな技術を教えてもらったし、以前なんかより随分とたくさんの事が出来るようになったよ。
あとは、本番でとちらないように精神統一するだけ」
「うん、しっかり精神統一して下さい♪
あと、相手は能力痕を使ってこないと思いますから」
「了解」
(まあそよぎさんが探偵の姿で能力痕使ったら同じ探偵局の人に怪盗の血筋ってばれるのは当たり前だしね。
しかし…そよぎさんは『怪盗クロイエンス』…蛇の道は蛇って言うから、こっちの手の内が読まれる可能性がある…
やっぱりこの勝負、危険だけど確実に技能アップしそうなものだよなあ…改めて考えてみると)
それだけ思うとノートパソコンを置き、深呼吸する凝人。
「そういえばさ…ここ二週間は怪盗についての色んな事を知らされたり、新しいプログラムを作ったり、機械について研究してたりで聞きそびれちゃったんだけど」
「なんですか?」
「時間がないから手短に答えてくれたんでいいけどさ、今まで怪盗オーニソガラムも怪盗クロイエンスも盗みが失敗した事はないって新聞でもニュースでも言ってた。
と言う事はこの勝負は怪盗として行動した方が必ず勝つって事なのかな?」
「ああ、違いますよ…
だって前回の光明ビルの勝負は実質私の負け。
盗みは成功してたけど逃げる途中で失敗した事になるから、本当ならその時点で逮捕されて終わりだったんですよ?
それでも新聞やニュースでは私の事は盗みが成功した事として報道されたじゃないですか」
「あ…そっか。
ということはクロイエンスが前回のターゲットを回収していたし、勝負に負けても必ずどっちかが回収して怪盗の盗みを成功してた事にしてたってことか」
「まあ、もとは味方同士だし。二人で盗みを成功させた、って解釈もできますしね♪」
「うーん、でも…」
「?」
「それじゃ、どっちが勝ってもなんかおんなじだよね。
そりゃあ憧れのための技能アップだから真剣になれるけど、どうにも張り合いがなくなるっていうか…
あ、これは俺の勝手な価値観だから、オーニソガラムは違うのか…」
「え、張り合いありますよ?」
「え?」
「そういえば言ってませんでしたよね。
まあこれは私とクロイエンスの間だけの話だから仕方ないんですけど。
この勝負に勝った方は負けた方に言う事を一回聞いてもらえる、ってルールがありまして。
ちなみに光明ビルでの後、そのルールで私はクロイエンスに『膝枕で耳掃除』をしました」
「…は?…ひ…膝枕で耳掃除?」
凝人はその言葉に自分の耳を疑った。
ライブの言葉の前半から凝人は、罰ゲームみたいなそのルールの内容を罰金とかなんか恥をかくようなものを連想していた。
(それもお宝を狙う怪盗だぞ?)
凝人はその罰ゲーム規模も怪盗だけに相当大きいものだと憶測していた。
(それが、膝枕?
なんでそんな、まるで新婚同士でするような事が罰ゲーム?)
「その前は私の勝ちでクロイエンスにあーんって食べ物をたべさせてもらって、そのさらに前には私の負けでクロイエンスが選んだ衣装を着て写真を撮ってもらって、その前の前は私の勝ちで…」
「わーっ、ストップ、ストップ!もういいから、言わなくて!」
「あは、そうですね。あんまり人前で言っちゃうとちょっと恥ずかしいかもですね」
ライブはそう言ってぺろっと舌先を出す。
凝人はライブのその言葉に対してそうじゃないと思った。
それ以上聞いてもなんかとんでもない事を聞く気がしたのでたまらず中断させてしまっただけなのだ。
凝人はこの罰ゲーム (?)に関しては言及しない方がいいだろうという結論を出した。
「時間ですね。
『第二規則。勝負の前に互いに待機している場所は明かさない』。
クロイエンスが何処に潜んでいるかはわからないから気をつけて下さいね。
それじゃあ…行きます!!予定通り行きますよ!!」
「了解!!!」
凝人はライブとそよぎからこの勝負についての規則がある事を聞いていた。
そのひとつが今ライブが言った第二規則である。
だが、ライブとそよぎの間だけの罰ゲーム (?)の話はその規則に含まれないようだ。
全部規則を教えられたはずの凝人が初めて聞いた事なのだから。
そしてライブと凝人はハンググライダーでビルの屋上から夜の街へと飛翔した。




