episode9:踏み出す勇気、後押しの手
「はぁ…はぁ…」
まだ幼い少女が、格闘術の構えをとりながら息を荒げる。
その少女に対峙するのは一人の痩せ型の二十代半ば程の見た目の青年。
長髪を後ろで束ねてベレー帽をかぶった、一目見ただけでは女性と間違われてしまいそうな男性だ。
その青年は格闘術の構えを取っていない。
少女が青年に向かってフェイクのパンチと、本命のキックを隙を見て放つ。
――だが、青年は少女の動きを全て一瞬で見切っていた。
青年は少女の攻撃を軽く受け流し、少女の勢いを利用してそのまま少女を放り投げる。
少女は床に敷いてあるマットに叩きつけられた。
「今日はここまでにしようか。そろそろ夕飯にしないと」
「駄目。まだ父さんから一本取ってないもの」
少女はそう呟くと、起き上がって再び構える。
そんな少女の頭に父さんと呼ばれた青年はポン、と手を置くと少女の頭を撫でた。
「…私から一本取ろうだなんて、まだ早いよ」
「だって悔しいんだもん…」
「いやいや、一本取られたら悔しいのは私だから。私の方がまだまだ実力が上なのはわかるだろう?」
「わかるけど、勝ちたいの!!」
「…普段のおとなしい様子がまるで嘘みたいに激しく自分を主張する事がある。長所にもなりえるけど、普段とは違う自分のギャップに悩まされる危険も孕んでいる…」
「…父さん?」
「いや、なんでもないさ、独り言だから。あ、でも一言だけ言っておくよ」
「何?」
「自分が強くなりたいと願うのなら、まず自分の本当の弱さを知る事から始めなくちゃ。
なに、君は私とあの人の娘だからきっと強くなれるさ…ライブ」
そう言って微笑んだ”ライブの父さん”は――どこか遠くに思いを馳せるように空を仰ぎ見た。
「今日はもう帰るね」
そーちゃん邸での食事が済んだ後。
私はそう言って、家に帰ろうと支度を始める。
そーちゃん達には話していないけど、今夜はそーちゃん邸に泊まる予定だった。
けど今日は何か――考えたい事があるから泊まる気にはならなかったんだと思う。
「…ライブさん、あの」
オリーヴちゃんが心配そうな面持ちで、私に何か言おうとする。
多分、私の事を心配してくれているんだろうな。
(…ごめんね、オリーヴちゃん)
そう思いながら、私はオリーヴちゃんに「心配しないで、大丈夫」と言おうとした。
――本当は、全然大丈夫なんかじゃないのに。
「わかったわ、ライブ」
私に突然そう話しかけたのは意外にもそーちゃんだった。
いつものそーちゃんのイメージだったら心配して私に事情を聞くかと思っていたけど。
「ライブ、今日はゆっくり休んでね。さ、オリーヴ。ライブを見送りましょう」
「お姉様…」
オリーヴちゃんはそーちゃんを訴えかけるような視線で見つめる。
けどそーちゃんはオリーヴちゃんの頭を撫でると、私とオリーヴちゃんに向けて笑って見せた。
「私…もう寝るわ…おやすみなさい…」
ライブが帰った後、疲れ切った様子のそよぎは入浴を済ませるとふらふらと寝室へ行ってしまった。
静まり返った雰囲気のリビングに残されたオリーヴ、アルマ、アルムの三人。
三人は互いに目を見合わせると、小さくため息をついた。
「…ねえ、オリーヴたん。ライブさんは男の人に告られたけど、断ったんだよね?ならライブさん的にも…ましてやそよぎさん的に落ち込むような事ないと思うんだけどなー」
「…はい…オリーヴもそれは疑問に思っているのですが…」
「ライブ様は繊細な方ですから、断った相手の事を気にしているのはわかるのですが…そよぎ様がライブ様に深入りしなくなったのは妙ですものね」
「とにかく、このままじゃ駄目だよ!やっぱりそよぎさんとライブさんはイチャイチャしてた方が自然!」
「イチャイチャ…と、とにかくオリーヴもアルマさんに同意です!でも、どうしたらいいのか…」
「…それについてなら、わたくしに策がありますの」
アルムが突然放った一言に、オリーヴとアルマは瞬時に反応、アルムを見やる。
「本当ですか!?」
「何、どんな策?!早く言って、アルム!」
「それはもちろん…」
とある日曜日。
休みの日であるにも関わらず生徒会に呼び出され、残務整理を済ませたそよぎは脱力しきったように帰宅した。
(…あら?)
そよぎが自宅のドアノブをひねってもドアは開かない。
どうやら現在、そよぎ邸には誰もいないらしい。
そよぎは鍵を使ってドアを開けると、私室に行き、制服から私服へと着替える。
そして、リビングや地下室へと行って誰かいないかと探すが、本当に誰もいない事に気付く。
いつもなら、アルマやアルム、オリーヴの内誰かがいるのが当たり前なのであるのに、だ。
(…そうだ、まだ行ってない所があったわ)
それはオリーヴの仕事場ともいえる、地下室からさらに奥まった地下にあるガレージ。
ガレージ自体は地下にあるのだが、いざとなったら庭にあるガレージに繋がるハッチが開き、地下のガレージから直接外に出る事も可能である。
よって、そのガレージにはオリーヴの作った発明品の数々が大量に置いてあるのだ。
もちろん韋駄天もあったのだがシルフと出会った洞窟での怪盗仕事で、韋駄天は壊れてしまったので現在ガレージに韋駄天はない。
そしてそよぎが地下室からさらに奥へ進み、ガレージのドアを開けると…
ガレージの中央に置いてある乗り物が目に止まった。
――それは韋駄天とは似て非なるもの。
操縦席周りは韋駄天のフォルムを残してはいるが、外装は韋駄天よりも一回り大きい。
全体的に流線型で、各部にオリーヴの作った様々な新装備が施されている。
まだエンジン周りの調整が終わってないのか、エンジン部の外装ははずしてあるままだが、これが完成したらさぞ絵になるに違いない。
(…これがオリーヴの言っていた、韋駄天強化改良型…『増長天』…)
そよぎはオリーヴから増長天の話を聞いていたが、実際見るのは初めてなのだ。
それからしばらく増長天に見入ってしまってしまったそよぎだが、ふとガレージの隅の方から妙な音が聞こえてくる事に気付いた。
(…何かしら)
そよぎは音の正体が何か気になったので、音のする方へと歩き出す。
カサカサ、とまるで紙同士が擦れあうような音だ。
そして、そよぎが増長天の後ろに回ると…。
ガレージの一角の机の上に灰色にうごめく大量の小さい何かが視界いっぱいに入る。
そのうごめきはまるでテレビの砂嵐のように激しく動いていて…
「◎Δ≦!!!!∑@%#¥~~っ!!!!」
それを見たそよぎはあまりのグロテスクさに言葉にならない悲鳴を上げ、袖に隠していたワイヤーを振り上げた。
「…それ、本当?オリーヴたん」
「はい、本当です。早くしないと台無しに…」
アルマはオリーヴを背負いながらそよぎ邸のガレージへと向かって急いで走っている。
そして、そよぎ邸へと着くとオリーヴが合鍵を使いドアを開け、ガレージへと急ぐアルマとオリーヴの二人。
――程無くして、ガレージの内部から言葉になっていない悲鳴のような声が聞こえる。
「まさか…お姉様!?」
自分の大事な姉がガレージにいる事を確信し、オリーヴは顔を青ざめていった。
「お姉様!大丈夫ですか!?」
オリーヴが勢いよくドアを開けてガレージに入る。
アルマもオリーヴに続き、ガレージへと入った。
「…はーっ、はーっ…」
するとガレージの一角で、ワイヤーを持って息を荒げたそよぎの後ろ姿と、そよぎの周りに転がる工具やら機材が見えた。
「あ…お、お姉様…」
「はぁはぁ…え?オリーヴ…って、ええええ!?」
そよぎが見つめる先には、運悪くそよぎのワイヤーがヒットしてしまった増長天のパーツが転がっている。
「ご、ごめんなさい、オリーヴ!!私、必死でつい…」
「い、いえ、大丈夫です、お姉様!それよりお怪我は…」
「私はだいじょう――」
大丈夫、と言いかけたそよぎの頭の上に突然ポトン、とネズミが一匹落ちてきた。
――そよぎが見たうごめきの正体は大量のネズミ。
そよぎがワイヤーで追い払いきれなかったネズミの一匹がそよぎの頭上にたまたま落ちてきたのだ。 次の瞬間、そよぎは白目を向いて卒倒する。
「きゃああああ!!!!お姉様ー!!」
ガレージ中にオリーヴの悲鳴がエコーしていった。
「ただいま戻りましたわ。ちゃんとライブ様をお連れして…あら?」
「お邪魔しま…そーちゃん!?」
ガレージでの事件の後、数分後。
アルムがライブを連れてそよぎ邸のリビングへと入ると、ソファーに横になっているそよぎがうなされながら寝ていた。
「ど…どうしたの!?そーちゃんは?!ね、ねえオリーヴちゃん!!」
ライブはオリーヴの両肩に手を置いてオリーヴに問う。
「ごめんなさいっ!!」
すると突然アルマがライブに対して頭を下げた。
「実を言うと…アタシが全部悪いんです…」
アルマはライブに対して説明を始める。
『ライブ様もそよぎ様も女性。ならばとびっきり美味しいスイーツを囲めばわだかまりも自然と解けるはず…と信じたいですの』
アルムからしても、スイーツで本当にすぐわだかまりが無くなるとは思っていない 。
だが、とりあえずどんな理由でもいいのでライブとそよぎを直接話させる機会を作った方が良い、という狙いがあって提案したのだ。
その案にオリーヴとアルマは同意し、その提案を実行に移すための準備が始まった。
まず、スイーツに関して詳しいアルマがオリーヴと同行、ライブとそよぎの好きそうなスイーツを購入する為商店へ行く。
その間にアルムがライブを連れてくるためライブ邸へ行った。
だがここで商店へ行った二人に誤算が起きる。
一度買い物を済ませそよぎ邸へと戻ろうとしたのだが、たまたまライブとそよぎの食べたがっていた限定スイーツが、買い物をした店とは別の店で行列を作りながらも販売していたのを買い物を済ませた後に発見したのだ。
そのスイーツは一人一個限定販売なため、オリーヴとアルマの二人が買えるのは二つまで。
食べさせたい相手はライブとそよぎの二人。
この事だけ考えれば問題はないのだが、行列に並んでいたら既に買ったスイーツが悪くなってしまう。
だから体力に自信があるアルマが一度急いでそよぎ邸に戻り、その後行列に並べば良いという結論に達した。
そして予定通りアルマはそよぎ邸に買ったスイーツを保存してから行列に並び終えた。
「…えっと、それとそーちゃんがこうなったのに何の関係が?」
「問題はここから…。…実を言うとアタシの保存方法に問題があったみたいで」
「ここからはオリーヴが説明します。アルマさんがスイーツを保存したのはオリーヴが使っているガレージだったんです。今の季節でもガレージはひんやりと涼しいので、天然冷蔵庫としても使える…確かにそうです。でも…」
「…換気と排水に問題があった。そういう事だったのよね…」
オリーヴの言葉を遮るようにそよぎが突然呟く。そして、そよぎはゆっくりと起き上がった。
「お姉様!?大丈夫ですか!?」
「ええ、まあね。ライブ、心配かけちゃったわね…ごめんね」
「…そーちゃんっ!!」
ライブはそよぎに抱きつく。そよぎはそんなライブの頭を優しく撫でる。
それを見た一同はほっと胸を撫で下ろす。
――その後ライブは全ての事情を聞いた。
アルマはオリーヴの言った通り、冷蔵庫ではなくガレージの一角にスイーツを置いた。
これは冷蔵庫が一杯で保存場所がなかった為、アルマが思いつきで行った事である。
だがそよぎの言った通り、ガレージには換気と排水に問題があった。
オリーヴの作る発明品は裏社会の技術を大量に使用している。
そのため表社会には門外不出である事が必然となるゆえ、発明の際に発生する排水や臭気などを一般的に普及している換気扇や下水に処理を任せるわけにはいかない。
だから裏社会専用の下水道を使う事もまた必然となるのだ。そよぎ邸のガレージは裏社会専用の下水道へと直接繋がっているわけである。
しかし、その下水道は…大量のネズミやその他虫などが大量に通っていたのだ。
これは一般的ではない裏社会の下水道の特徴なのである。
しかしネズミや虫が狙う食品などを近づけなければ何も問題はない。オリーヴはこの事を知っていた為、徹底して食品をガレージには持ち込まないようにしていた。
だがそんなガレージの一角に甘い匂いを撒き散らすスイーツを置こうものなら…。
――結果は火を見るより明らかだ。
スイーツの甘い匂いにつられて大量のネズミや虫のご登場である。
そこにそよぎがたまたまやって来てしまって、ネズミや虫のグロテスクさが原因で気絶してしまった、というワケだ。
現在ガレージは虫などを避ける煙状の薬を散布する装置で全面的にクリーンアップ中である。
「…ほんっとうにごめんなさい!!!アタシがオリーヴたんにその事を聞いてればこんな事には…」
「…ええ…まあ今回の事は私にも原因がある訳だしね…それにアルマさんも、私とライブの為にしようとしてくれた事なんでしょう?そのスイーツも私達の為にわざわざ並んで…」
そよぎが『わたしとライブ』と言った事に反応するライブ。
――また私が原因でこんな事になったんだ。
そう思うと胸の辺りがチクリと痛む気がしたライブは、その場にいた全員に謝ろうと口を開こうとする――が。
ライブの懐にある通信機の電子音が突然鳴り響く。どうやら凝人からの緊急連絡らしい。
「…凝人さん?」
『た…大変だ、ライブちゃん!!!見つかったんだよ…『破滅の花』が!明日に秘密裏に取引される情報があるんだよ!!!』
「…え!?『破滅の花』!?」
ライブは思わず叫ぶ。
そよぎもその名前に驚きを隠せない。
――『破滅の花』。
実際に存在しない架空の美しい形の花をモデルとし、世界中の珍しい沢山の種類の宝石で作られている伝説や迷信のたぐいとして認知されてきた究極のお宝の一つたるオブジェだ。
花びら一枚一枚が別の高級な宝石で形作られ、その製造技術はそのお宝が誕生した当時では製造不可能とされている、いわゆる『オーパーツ』である。
その昔、そのお宝を取引しようとしていた古代の国がそのお宝を巡る戦いによって滅びたという言い伝えがある。それゆえに『破滅の花』と名付けられた。
あらゆる災厄をもたらす力があるという意味からもその名前になったといういわくつきのお宝でもあり、世界中の怪盗達が憧れる幻のお宝でもある。
当然、それを盗む事が成功しようものなら、裏社会でも大きな評価を受けるに違いないのだ。
ライブとそよぎはむしろそっちの方が主眼になっている傾向にあるが。
とにかくそんなお宝が今、凝人の連絡によると見つかったらしい。
「ライブ…どうやら」
「うん…今回の罰ゲームは延期だね。急いで準備しないと」
「…準備?」
アルマが状況を飲み込めないのか、ライブに向かって問いかける。
「「怪盗仕事の!!」」
すると、ライブとそよぎは同時に同じ言葉で返した。
こうして緊急的に次の怪盗仕事のターゲットは決定したのである。
「『破滅の花』…とうとうこの時が来たのだな…」
パソコンの画面だけが光を放っている薄暗い部屋の中で、眼鏡をかけた中肉中背の白衣の女がパソコン画面を前に呟く。
白衣の女は突然立ち上がると、側にあった金属製の花瓶を天井にぶつからないように上に放り投げた。
花瓶は重力に従い、落下していくが――
白衣の女が手をかざし、花瓶に意識を集中させると、花瓶は床に落ちずにピタリと空中で停止する。
女の顔には光る痣のようなものが浮かんでいた。
(手に入れる…この”怪盗ディグ”がな!!!)
心の中で呟いた白衣の女は、空中で停止したままの花瓶から意識を逸らす。
すると花瓶は重力に従い再び落下を始めるが――白衣の女が瞬間的に花瓶を掴んだ。
――まるでその花瓶がターゲットであるかのように。
――『破滅の花』が取引される日の前夜は裏社会が大きく動いた。
お宝を狙う怪盗達はもちろんのこと、普段はお宝に興味を示さないような戦闘屋達、はたまた研究対象として破滅の花を欲しがる科学者に至るまで。
それだけ破滅の花の事は裏社会では有名な伝説として浸透しているという事なのである。
ライブとそよぎはこの事態に対し、今回の怪盗勝負も特殊ルールで行う事を決める。
シルフと出会った洞窟の時と同じく、ライブとそよぎは二人とも怪盗役で行うというものだ。
本来ならライブとそよぎ達全員で協力してお宝を狙えば怪盗仕事の確実性が増すと思われる所ではある。
が、今までの怪盗仕事のようにチームを二つに分け、お互いになるべく邪魔をしないようにすれば実質全員で協力してお宝を狙うのとなんら変わりはない。
つまり今回はライブとそよぎのチームは直接互いの妨害行動に出ないため、お宝をいかにすばやく確実に盗めるかを問われる勝負となるわけだ。
もちろんライブとそよぎを妨害する裏社会の住人達は多く存在するので、それをいかにして乗り越えるかも問われる。
短い準備期間ではあったが、ライブとそよぎ達は自分達の力を最大限発揮するべく準備に励んだ。
そして…様々な意味での運命の夜が訪れた。
押しては返す波の音が響く。
暗闇に映える白い砂浜には物々しい雰囲気が漂う。
その砂浜では黒いスーツを身にまとった屈強な男達が規則正しく点在し、その何人かは定期的に連絡を取り合っている。
――ここは日本からさほど遠くはないとある孤島。
島の中心には森林と岩山が存在し、昔は人の開発の手が及んでいるとはいえない貴重な場所だった。
だが人が開発していなかったからこそ、裏社会では取引の場所として使われる。
今回取り引きするのは裏社会で有名なグループと、お宝を運よく手に入れたあまり有名でないグループ。
情報が漏れ、凝人やほかの裏社会の住人にばれたのもお宝を運よく手に入れたグループのミスである事は明白なのだが、有名なグループの方にはお宝のほかにもうひとつ狙いがあった。
それはお宝を狙ってきた裏社会でも高い地位にいる者達をおびき寄せ、亡き者にしてしまう狙い。
それゆえ、情報が漏れたのもあまり気にせず、取引の中止もしなかったというわけだ。
そもそも情報が漏れた為、下手に取引を遅らせると運よく手に入れたグループが肝心のお宝を裏社会の高い地位の者達に奪われてしまう危険性もある事も理由なのだが。
そんな中、お宝を狙う予告状を朝方に出した者が三名いた。
一人は怪盗オーニソガラム、つまりライブ。
もう一人は怪盗クロイエンス、つまりそよぎ。
そして三人目は――怪盗ディグ。
怪盗ディグとは、オーニソガラム、クロイエンスと並んで日本で逮捕された事のない怪盗だ。現在、裏社会でも少しずつその名を轟かせつつある。
ライブとそよぎが狙う物に大抵は興味を示さなかったため今までライブ達との直接の対決はなかったのだ。
予告状で示した時間、午前零時。
ちょうど取引が行われる時間だ。
今回は三人の怪盗が同じ時間に予告を出していて、それに備えて雇われた戦闘屋も気を引き締める。
――突然、上空を警備していたヘリコプターが一台落下する。
続いて二台目、三台目と次々にヘリコプターが落下していく。
それに気付いた警備にあたっていた者達はそれぞれの得物を構え、隊列を乱さないように行動する。
「あー、あー、テステス」
スピーカーの音がピーっと鳴った後、ノイズ混じりであたり一面に声が響いた。
「今のヘリ落しは私の仕業だ。恐れる者がいるなら早々にここを立ち去りたまえ。おっと、名乗るのがまだだったな」
スピーカーから聞こえてくるのは女の声。多少誰かを特定できないように変声してあるが、性別だけははっきりと判別できた。
「私は怪盗ディグ。向かってくるものには容赦はしないタチだ。せいぜい命を大事に考えておくことだな。以上!」
ブツッとスピーカーの音が切れる。
怪盗ディグ――彼女もまた、怪盗の血筋の一人だ。
『怪盗エビングハウス』の血を引く彼女は『形をイメージできる金属製のものの運動を停止させる』能力痕を持つ。
ライブの能力痕『形をイメージできる金属製のものを引き寄せる』能力と同じ、運動操作系の能力である。
怪盗ディグはヘリコプターのプロペラ軸の動きのみを停止させ、ヘリコプターを墜落させたのだ。
だが動揺する様子を見せない警備の者達。
そして程なくして今度は孤島に向かって高速で接近している乗り物がレーダーで確認される。
その乗り物はまっすぐ孤島に向かっているが――突然、レーダーの反応はいくつかに分かれた。
その乗り物がレーダーで捉えられる数秒前。
乗り物の上に低い姿勢で振り落とされないように乗っているのは――怪盗クロイエンス。
そしてもう一人、スラスト――アルマも乗っている。
今疾走している乗り物。これこそが韋駄天強化改良型マシン『増長天』。
急ピッチで仕上げられたが、その出来はオリーヴの発明品の中でも最高のものだ。
ふと、増長天の中にいるオリーヴがレーダーで捉えられた事を確認する。
「クロイエンス、スラスト、アレを使います」
オリーヴはクロイエンスとスラスト、つまりそよぎとアルマに通信を入れる。
「ああ、わかった。頼んだぞ」
「OK-!」
そよぎは男口調で答え、アルマも返事をした。次の瞬間。
増長天は四つに分かれた。
オリーヴの乗っていた中心の部分、増長天の後ろの方だった部分、そして左右両側だった部分二箇所。
――これが増長天の特徴の一つ。
単体でも活動できる乗り物四つに分離する事ができる事だ。
オリーヴの乗っている中心だった部分は高速型マシン。つまりほぼ韋駄天と同じ特性を持っている。
そして左右両側だった部分はそれぞれそよぎとアルマが搭乗する。
オリーヴが開発した各種ツールなどが備わった、軽作業型と状況突破型の特性を持ったマシン。
そして後ろの方だった部分は重作業型マシンで、やや小型ながらも強力なクレーンとキャタピラを有する。誰も搭乗しない為、遠隔操作でオリーヴが操縦する。
本来、韋駄天が換装で特性を変化させる予定だったものを変更し、換装パーツを全て合わせてあらゆる状況に対応できるようにしたのが増長天なのだ。
分離させたのはそれぞれの特徴を邪魔しない為の配慮なのである。
「では、手はず通りに。お二人とも、ご武運を!」
「了解した!!」
「りょーかい!!!」
三人は互いに声をかけ合うと、それぞれのマシンで孤島へと向かった。
予告時間とほぼ同時刻。
警備の者達が乗ってきた船に紛れ込んでいたライブは、オーニソガラムのウェデウィングドレス衣装を纏い突然警備の者達に対峙すると、次々と警備を突破していく。
銃などで応戦する者もいたが、能力痕の力で銃弾を全て足元に引き寄せて自分には当てないようにする事で難なく突破するライブ。
だが仮面で隠れている為わかりにくいが、ライブの瞳には生気が宿っていない。
淡々と警備の者達をあしらうその動きはまるで意思のない戦闘屋に近い動きだ。
ただ自分に向かってくる者を排除する。
いつもは余裕たっぷりに言う参上の際の台詞も、全く言っていない。
ライブのわずかな隙を見つけて、後ろから棍棒で襲い掛かる男がいた。
だが、ライブは金属の武器を持っていた警備の者を能力痕の力で自分に引き寄せ、身代わりにする。
棍棒の直撃を受けた者は気を失い、後ろからの襲撃者もライブが格闘術で気絶させていった。
(相変わらずすごいな、ホント…あの手際。漫画でも見てるみたいだよ…)
ライブを遠くから見る眼鏡の男。
その男は凝人だ。
眼鏡をかけているとはいっても凝人は目が悪いわけではない。つまり度が入っていない伊達眼鏡なのだ。
しかし、当然普通の伊達眼鏡ではない。
携帯電話ほどの小さい『キーボードと小型パソコンが合わさった機械』から入力したプログラムを映し出したりする事のできる、パソコンでいうところのディスプレイの役割を果たせる眼鏡なのである。
眼鏡にしたのは、わざわざ視線を手元に向けなくてもパソコンを操作しているとほぼ同等の効果を得るためであり、オリーヴと凝人が共同で開発した。
実を言うと、凝人にも何か専用の道具を作った方がいいという考えは凝人が仲間になった時から考えられてきた事であり、学校でライブが教室まで凝人を訪ねていたのは主にこの事を相談するのが目的だったのだ。
現在、凝人の眼鏡は暗視スコープの役割を果たしており、ライブが暗闇で大立ち回りをしているのもはっきりと見える。
――ライブの心の内までは映してはくれないが。
程なくして、ライブから凝人に向けて通信機で信号が送られてきた。
どうやらライブはこの辺一帯の敵を無力化するのに成功したらしい。
(よし…じゃ俺は仕込みを始めますか…)
凝人はライブの元へと向かい、仕込みを始める。
(はあ…なんとか助かりましたの)
アルムは孤島の森の中を進む。
怪盗ディグが落としたヘリコプターの一機の乗員の中にアルムは紛れ込んでいたが、それが墜落したため孤島の森の中に不時着した。
森に落ちるのならば木々がクッションになりなんとか不時着も成功したのだ。
もっとも、アルムの能力痕『約三十分前まで触れた事のある、動きの脳内シュミレートができるものの位置を動かす』能力でヘリコプターの内部の荷物などを動かす事でヘリコプター全体の重心を上手く動かし、落下の軌道を森に向けていなければ海に落下して木っ端微塵になってしまった所だが。
その後、アルムはスタンガンで他のヘリコプターの乗員を気絶させ今に至るのだ。
(まあ、助かったのはいいのですが…能力を多く使ったせいでひどく疲れましたの…)
アルムは腰を下ろし、呼吸を整える。
(それにしても、怪盗ディグ…なかなか危ない思考の持ち主みたいですのね…ですが)
立ち上がったアルムは自分の行動予定の場所へと目を向ける。
(本当の『愚か者の中の愚か者』の恐ろしさ…思い知らせてやりますの。わたくしを仕留め切れなかった事をたんまりと後悔するがいいですの…)
アルムは懐のメリケンサックを撫でると、走り出した。
「はぁぁぁ…えぇーいっ!!!」
アルマは増長天の分離した左パーツに乗りながら巨大な大槌を振り回す。
巨大な為に屈強な成人男性ですらまともに振り回せないような大槌だが、アルマは自身の能力痕『対象物の変形の振れ幅を限界以上に引き出す』能力、つまり対象物を柔らかくする能力でアルマ自身の筋組織を激しく伸縮させる事で超人的なパワーを得ている。
それゆえ、普通の槌を振りまわすのと遜色なく大槌を振り回せるのだ。
そんなアルマに向かってくる戦闘屋が日本刀を閃かせる。
アルマは瞬間的に刀の刀身に能力痕の力を使う。
だが柔らかくなるとはいえ、アルマに向かってくる斬撃の勢いまで完全に殺しきれるわけではない。
(――とった)
日本刀でアルマに斬りかかった戦闘屋は思った。
しかし。
そう思った戦闘屋の視界に写ったのは夜の空。
次の瞬間、気を失う戦闘屋。
「そんな動き…『仕事抹殺屋』に比べたらスローモーションも同然!!!」
アルマは叫ぶ。
ライブとそよぎに加え、シルフとも格闘術の特訓をしていたアルマには、その戦闘屋ですら遅く感じたのだ。(もっとも、アルマがライブとそよぎと互角に戦えるようになっても、シルフにはまだまだ実力は及ばないのではあるが)
しかし本来、いくら能力痕の力を使ったアルマでも大槌では日本刀にスピードにおいて遅れをとってしまう。
だがアルマの使っていた武器はただの大槌ではない。
大槌の先を付け替える事で、薙刀へと武器を変える事ができるのだ。
他にも先を付け替える事で様々な武器に変化可能であり、前に使った棍棒はその様々な武器の柄になるわけである。
戦闘屋に切りかかられた瞬間、アルマは薙刀に付け替える事を能力痕を使うのとほぼ同時に行っていたのだ。
そして刀身が柔らかくなった刀は僅かにしなり、折れ曲がる。
これがアルマへと斬撃を届かせるのを遅らせた原因なのだ。
結果、『刀身が曲がり遅れた斬撃』が『能力痕を使うと同時に武器の先を付け替えてから放った斬撃』の勝負になり、僅かにアルマの斬撃がスピードで勝った。
もちろんアルマの放った斬撃は能力痕の超人的な力だった事も勝利に起因している。
そして、アルマは戦闘屋のあごをめがけて、峰打ちで下から斬撃を当てたのだ。
――実際、この瞬間の駆け引きをアルマが全て理解しきって行ったわけではない。
だが本能的な、体が勝手に動く感覚と似た、いわばアルマの本当の『運動神経』がそうさせたのは間違いない。
アルマは構えなおすと、取引の現場へと急いだ。
銃声が当たり一面に鳴り響くが、一向に止む気配はない。
何故なら、銃を向けられている相手がいつまで経っても倒れないからだ。
それもそのはず、銃を向けられているのは怪盗ディグ、能力痕で対象物の運動を停止させる事ができるのだ。
いくら銃弾を打ち込もうとしても肝心の銃弾は怪盗ディグに当たる前に空中で停止してしまう。
銃弾は小さく形もさほど複雑ではない為、イメージもしやすい。能力痕にとっては無力とも言うべきものなのだ。
怪盗ディグは長髪を後ろに流し、眼鏡をかけ、スーツの上に白衣を纏っている。夜の闇ではやや目立つ姿だ。
「くそっ!!!この…化け物めぇっ!!!」
「…はっはっは…せいぜい無駄弾を量産し続けるがいいさ…頑張れ頑張れ。…おっと」
銃は無駄だと気付いたのか、怪盗ディグに格闘術でとびかかってくる者が出てきた。それを軽く受け流す。まるで戦闘屋の動きより一歩先の動きをしているように。
――これにも仕掛けはある。
人間は生活を送るのにどこかしらに多かれ少なかれ金属を身に着けている。
例えば金属製の服のボタン。眼鏡に使われる金属製のフレーム。金属製の装飾品やその他沢山のもの。
それらのイメージさえできれば、その物体の運動を能力痕で停止させられる。
例え戦闘屋の体全体の動きを止められなくても身に着けている金属の動きを止めてしまえば、体の一部の動きが封じられる事となり戦闘屋の動きは必ず鈍くなる。
その状態の戦闘屋などまともな格闘術を使えるわけもなく、見切るのも安易だ。
これがその仕掛けなのだ。
能力痕の力を第一段階で節約して使って、イメージさえ常にしていれば割と長時間戦闘屋の動きを鈍らせる事が可能なのである。
だから怪盗ディグは戦闘屋が身に着けていると予想できるすべての物を常にイメージしているわけなのだ。
ましてや戦闘屋は人体急所を守るため、服の下などに金属製の動きが邪魔にならない鎧をつけている事が多い。
――だが突然、ホバークラフトのような低空を浮かびながら、ディグが見たことのないような乗り物で近づいてくる者がいた。
その者は棒状の武器を振り回してディグの方に向かってくる。
それがわかると、ディグは棒状の武器を瞬時にイメージする。棍棒、斧、槌、鎌…そして薙刀。
「…でぇぇいやっ…あ、あれ?」
ディグに向かってきたのはアルマだ。気絶させるための薙刀での峰打ちをディグに炸裂させようとしたが、突然薙刀が空中で停止した。
アルマがいくら力んだ所でびくともしない。
――そのあまりの不自然さにアルマは直感的に思いつく事があった。
これは能力痕の力だと。
「くっ…」
アルマは薙刀の先の方だけはずし、増長天の左パーツから降りる。
残された薙刀の刃は空中で停止したままだ。
「ふうん…」
ディグはアルマの横にまわり、即座に格闘術の型を構えるとアルマの分析を目視で始める。
「常人ならざる力。おまけに私の力を見ても動揺せずに対処…お前も私と同類のようだな」
「…だったらどうだっていうの?」
「あれ?知らないの?私達は戦っちゃいけないんだよ?」
「…あ。そうだったかも」
ぴたり、とアルマとディグの間に流れていた戦いの雰囲気が静まる。
しかし、その二人の雰囲気を隙だと思った戦闘屋は二人を一網打尽にしようととびかかる。
「話の」
「邪魔を」
「「するなぁぁぁーっ!!!!!」」
その戦闘屋を全て格闘術で気絶させるアルマとディグ。
結局その場で気絶していないのはアルマとディグの二人だけになった。
「さて…」
「話の続き、といくか?棍棒の能力者」
「…いや、話の流れ的にそうなんじゃ」
「う~ん、私もそのつもりだったんだけどねぇ…」
ディグは頭をポリポリとかくと、顔に手のひらを当てて顔を隠す。
「…でもやっぱいいや。だって…戦った事がばれなきゃ別にいいんだもの」
手のひらを退けて見えたディグの表情は不気味に歪み、笑っていた。
その顔を見たアルマはぞくり、と背筋が凍るのを感じた。
これもアルマの持つ本能的な直感が成せる恐怖感なのかもしれない。
――この停止する能力を持つ奴は危険だ。
アルマにはそう思えたのだ。
(だけど…あいつの使う能力は物体の運動停止。それもおそらくライブさんと同じ、金属にしか通用しない…)
アルマは棍棒を放り投げ、通信機を地面に置き、胴につけていた金属製の鎧をスーツの上着ごと脱ぎ去ると格闘術の構えをとる。
これでアルマの身に着けている金属はほぼなくなったわけだ。
「…ほー、体力馬鹿だと思ったが意外に頭は回るみたいだな…」
ディグも格闘術の型を構える。
アルマとディグはお互い、様子を見ながら慎重に距離を縮める。
そして…先に動き出したのはアルマだった。
正確に言うと動き出したのはほぼ同時だったのだが、アルマの方が能力痕で体力増強されているのでアルマの方が素早く見えるのだが。
格闘術の駆け引きは序々にアルマがディグを追い詰める方向に向かっていく。
だが、ディグは白衣の裏から何かを取り出すと、アルマに向かって放った。
アルマはその放ったものを拳で叩き落す。
すると地面に落ちたはずのディグが放った何かは突然、破裂したように見えた。
だがそれは破裂したのではない。放った物からは鎖が大量に飛び出てきたのだ。
「…っ!!!」
飛び出してきた鎖はアルマの体に見る見るうちに巻きついていく。
そしてこの後、アルマはバランスを失って倒れてしまう所ではあるが…
「おっと。おねんねにはまだ早いよ?」
ディグが能力痕で鎖を空中停止させる。アルマは鎖で空中に縛られる格好になった。
「ぐっ…」
「あっはっは。私が相手の武器を無力化することにしか能がないと思ったか?私の能力は自分の武器を絶対の拘束具にするのが本領なのだよ」
ディグが放ったのは鎖を発射する球状の装置だったのだ。
放り投げた後、落下の衝撃で自動的に鎖を発射し、鎖の先についた錘が鎖を巻きつかせるように出来ている。
相手に鎖を巻きつけた後鎖を能力痕で停止させれば、鎖と能力痕の二つの拘束力が対象を襲うというわけだ。
(やば…こんな事なら増長天から降りるんじゃなかった…っ)
アルマの意識が薄れていく。あと数秒で意識が完全に途切れるかとアルマが思った時――。
――耳をつんざく爆発音。
「おわっ!!!何だ!?」
ディグの目の前で突然飛んできた爆弾が爆発する。大して大きい爆発ではないため、威嚇程度にしかならないが。
――だが、ディグの集中力を途切れさせるには十分だったようだ。アルマを縛っている鎖から能力痕の力が無くなったのだ。
「でぇぇぇいいっ!!!」
アルマは鎖を断ち切る。鎖に対して能力痕を使用したため、鎖は柔らかくなった。こうなればアルマの怪力で断ち切る事ができるわけだ。
ディグは爆発した場所から一歩後ずさり、爆弾が飛んできた方向に向かって格闘術の型を構える。
「なんだ、ご挨拶だな。いきなり爆弾…それも普通に投げたのではなく予測しづらい変則的な軌道で投げた…」
「ご挨拶とはこっちの台詞ですの。いきなりわたくしの乗っていたヘリを墜落させた貴方には言われたくないですの」
爆弾が飛んできた方向の茂みから姿を現したのは仮面をつけたドレス姿のアルムだ。
アルムも能力痕で投げた爆弾の動きを飛ぶ事のできるラジオコントロールマシンのように操り、不規則に動かす事でディグの目の前で爆発させる事に成功したのである。
「ふん、生きてたのか。だが私に勝負を仕掛けてきた事、私を爆弾で仕留め切れなかった事を後悔するんだな」
「後悔…それもこっちの台詞ですの」
アルムは指をパチンと鳴らす。
すると…アルムが出てきた茂みから大砲が火を噴き、ディグとアルムの間を直撃する。
アルムは茂みの中に大砲を潜ませ、大砲のスイッチを能力痕の力で操り予測がしづらい砲撃を行っているのだ。
しかし、ディグはひるまない。むしろ、歪んだ笑みを浮かべて何かを企んでいるかのようだった。
「そうか…ふふふ、お宝も価値が高いと得だな!貴重な研究対象が二人もやって来たのだからな!」
ディグはアルムも怪盗の血筋だと確信した。
爆弾の不自然な動きと、スイッチもなしに正確に隠していた大砲の扱い方。そしてなにより確実性を取るために派手な行動をしないはずの一般的な裏社会人とは違う大胆さの三つで。
しかもディグは本来科学者という立場であるため、怪盗の血筋の者は研究対象として興味深いと考えていたのだ。
それもディグの祖先たるエビングハウス以外の怪盗の血筋に興味があるのである。
「対象物に意識を残せる怪盗ツェルナー。対象物を軟化させる怪盗ヘルムホルツ。さあ、まとめて私の研究の礎になれ!!!」
ディグは叫ぶと、さっきアルマを拘束した球と同じものを大量にばらまく。
これではあたり一面に存在する物という物に鎖が巻きつく事になり、ディグ自身も鎖で縛られる危険もあるが――。
だがディグに向かってきた鎖は空中で運動を停止した。ディグには鎖も通用しないのだ。
「さて…研究対象、研究対象っと」
ディグはアルマとアルムの二人が鎖で捕まった姿を見るため、二人のいた場所に目をやる。
――すると、二人とも影も形もない。視界に写ったのは、不可解な結び方をした鎖が地面に散らばっている様子だった。
「なに…!?馬鹿な…」
「確実に仕留めたと思ったのに、ですの?残念ですの!!!」
ディグはとっさにアルムの声のする横の方へ振り向く。
すると、アルムの姿はなく、代わりに炸裂弾のようなものがディグの視界一杯に入ってきた。
炸裂弾はディグの目の前で弾ける。次の瞬間、ディグの集中力は再び途切れ、ディグに向かってきて空中に停止していたはずの鎖が運動を再開する。
その鎖はディグめがけて飛び出し、ディグを縛り上げた。
――何故ディグの鎖がアルムとアルマを縛り上げずに落ちてしまったのか。
それは、アルムの仕業である。
アルムは、鎖に縛りあげられる前に手を前に突き出し自ら鎖に触れた。そして能力痕の力で鎖に意識を残し、鎖を不可解な形に結び自分に巻きつかせないようにしたのである。
普通、向かってくる鎖に対して手を伸ばすなどできない――そう確信していたディグの失態だ。
ディグは自分に向かってくる鎖を停止させるので手一杯だったため、アルムとアルマに放たれた鎖までは能力が使えなかったのだ。
「さて、わたくしの勝ちですわね。…そういえば、さっきまでわたくしとディグの他に戦っている方がもう一人いたような気が…」
アルムはあたりを見回す。だが気絶している戦闘屋と縛り上げられているディグ以外誰も見当たらなかった。
実を言うとアルマは鎖が自分の目の前でアルムによって結ばれるのを確認するなり、増長天の左パーツに乗ってその場から離脱していたのだ。
アルムが出てきた時点でその場が爆発物の被害に遭う可能性がある事は明白だからだ。
「さて。それはともかく、ディグ…貴方を確保し、処置はオーニソガラムに任せますか…ですの」
アルムは鎖に縛り上げられたディグを運ぼうとするが…あまりに軽いディグの体に違和感を覚える。
「まさか…」
アルムは鎖を一部能力痕の力で解いてみる。すると、鎖に縛り上げられていたのはディグの着ていた白衣のみだった事が確認できた。
ディグはもうとっくにどこかへ逃げたらしい。
その白衣の内側には金属製のワイヤーが仕込んであり、そのワイヤーが白衣を人の形に強制していた。身代わりにみせかけるのには持ってこいというわけだ。
「空蝉!?いえ、このワイヤー白衣を空中に停止させればこのくらいの事はやってのけれますのね…ううっ」
アルムはふらつく。どうやら能力痕による体力切れが訪れたようだ。
(もう限界ですのね…とにかく、ボートでもなんでも使ってここから離れないと…)
アルムは戦闘屋の何人かが使っていたであろうボートを探し、脱出する事にした。
戦闘屋がライブを迎え撃つ。
武器を使う者や拳を繰り出し戦う者。戦闘屋にも様々な戦闘スタイルがあるのだ。
しかしライブも格闘術において引けを取っていない。
向かってくる者を正面から受けるのではなく、かわしながら一人ずつ確実に相手にする。
しかし、そんなライブを遠く、高い位置から狙撃しようとする者がいた。
――だが、狙撃手はライブに向けて銃を向けた瞬間気絶する。
狙撃手の遥か遠く、孤島の砂浜。
そこには物々しい機材があり、椅子に座って安定した姿勢の凝人が機材に囲まれながらライフル型の麻酔銃を構えていた。
これぞ凝人とオリーヴの共同発明品の一つ。
衛星の極秘ルートハッキングによる地形分析、熱源反応、暗視スコープによる目視、その他多くの手段を使って狙撃手の位置を割り出し、数ミリ単位での精密な射撃を行う。
麻酔銃ゆえにスピードにやや欠けるが、その正確さは熟練した狙撃手と拮抗する。
だがあまりの物々しい機材が大量に必要になるため、移動する事は容易ではなくライブが凝人の為に場所を確保する必要があったのだ。
「…ではこれで商談成立という事で」
「なにやら外が騒がしいみたいだけど大丈夫なのか」
「――大丈夫大丈夫。ここの戦闘屋達は順調にやられてるよ。もう時間の問題だろうね」
孤島の中心にある洞窟、そこに人の手を入れて改造した極秘の取引所。『破滅の花』の取引をする二人の男に一人の女が割って入った。
「貴様…怪盗ディグか」
「ご名答。あんたの手元にあるそれをいただきに参った」
取引していた二人の男を警護する戦闘屋が構える。
「おっと。重要なところであればある程守りも堅くなる。当然物騒な連中も多い、ってわけ。…そして」
ディグに向かって戦闘屋が凶器を閃かせる。
だがその凶器の多くは金属製。
ディグにとっては対処しやすい事この上ない相手だ。
戦闘屋は次々と倒されていき、ついには取引した二人の男のみが残る。
「そして…そういう連中程私には勝てない」
「やっ…止めろ!お、俺はお宝を持っていない!狙う必要はないだろ!?」
取引を終えてお宝を渡して金を受け取った男が命乞いをする。
「んー。確かにそうだねー」
ディグはその男に眩しく笑いかける。
「でもさ、私はあんたみたいなやつ嫌いだから見逃がさない。それに、今私は研究対象取るのにしくじって機嫌悪いのだよ」
ディグはその笑顔を歪め、その命乞いをした男の懐に入ると拳を一発炸裂させる。
その男は気絶し、その場に倒れた。
「アバラを何本か壊したからね、しばらく動けないよ。…ん?」
ディグはあたりを見回すと、お宝を手に入れたはずの男がいない事に気付いた。
しかし、洞窟の岩肌の一部がずらされている事を発見するディグ。
どうやらそこが逃げ道へと続く扉になっており、お宝を持った男はそこを通り外に逃げるつもりらしい。
だがこの洞窟は広く、その逃げ道を通ってもまだ完全に外に出られる事はない。
(逃げ道…まずいな。外に出られたらあの厄介な研究対象達にもお宝を取るチャンスができる)
ディグがアルマとアルムから逃げたのは、倒すのが難しくお宝を奪う為の時間を無駄にしない為だったのだ。
その肝心のお宝を持った奴を目の前で逃がし、挙句の果てに倒すのが難しい奴らの前にそいつをむざむざ放してしまった。
これでは時間を急いでここまで奪いに来た意味が無くなってしまう。
ディグは急いでお宝を持った男を追った。
「ぜはっ…はっ…はっ…」
孤島の洞窟に戦闘屋をいなしながら侵入を成功させたライブ。
だがこのあたりからライブの呼吸が乱れ始める。
一見冷静に淡々と戦闘屋をいなすライブだが、いつもよりも冷静さに欠けてしまっている。
――何故なら、今のライブの心はいつもより大きく乱れているからだ。
見た目が冷静に見えるのはその反動といってもいい。あるいは、ライブが自分の心を誤魔化す為の無理なカモフラージュといった所か。
不意に、ライブが一瞬後ろから押さえ込まれそうになる。
だがライブは足元に転がっていた銃を能力痕で引き寄せると、押さえ込もうとする者の後頭部に銃をぶつける。
押さえ込もうとした者は倒れる。倒れた者の頭からジワリと血が流れた。
(…っ!!!!!!!!)
ライブはその血の色に驚く。
今までライブは血を流させずに意識だけを無くさせて戦闘屋をいなしてきた。
だから怪盗仕事で血を見る事はほとんどなかったのだ。
「…う…」
ライブは後ずさる。
――血を恐れるからなのか、怪盗仕事をする前からあった心の乱れか。あるいは、両方なのか――
「間違いない…研究対象、貰い受ける!!!」
突然の声。ライブは声の方に振り向く否や、鎖がライブを拘束した。
「しまっ…」
「お前…対象物を引き寄せる怪盗へリングの血筋だな…。絶滅したと思われていた希少な血筋をこんな所で見つけるとはな!!!」
突然現れたのはディグだ。それも脇には『破滅の花』を抱えている。
「貴方は…怪盗ディグ…もうお宝を…それもその事まで知っているってことは」
「そう、私もお前と同類だ。それも同類の中でも似たもの同士…」
ライブを捉えた鎖が空中で停止する。
(これは…エビングハウスの停止能力…私の引き寄せ能力と同じ、運動操作系の能力…)
「お宝も、研究対象も。今回は当たりだな」
「…貴方、私達は戦っちゃいけないのを知らないの!?」
「知ってるさ。でもそれは情報戦で表社会への漏洩を恐れての事だろう?今この場には私とおまえしかまともに起きちゃいないよ、聞かれる心配はない。それも」
ライブは視線を周りに向けると、気絶した戦闘屋が転がっているのが見えるが、起きている者は確かにこの場にはライブとディグしかいない。
もっとも、ライブは動きを完全に封じられているのだが。
「私が怪盗の血筋に興味があるのは自分の研究で怪盗の血筋の秘密を暴きたい為だ。別に表社会にばらそうなんて考えちゃいないさ」
「…なら問題はない…なんて言うと思ったか!!」
洞窟の中では光の反射が少ない為見えずらいワイヤーが閃いた。
ディグはそれをギリギリでかわすが、ライブを拘束している鎖への能力痕は途切れさせない。
ワイヤーでディグを攻撃したのはその場に駆けつけたそよぎだ。
「いきなり来たと思えば、その能力…今度は怪盗ミュラー・リヤーのひも状物体への感覚延長能力か。…ま、へリングに比べれば珍しさは落ちるし…もう私はここいらで失礼させてもらうよ。これ以上は私が危険だし」
ディグはこれ以上の戦闘は不利だと感づき、撤退をしようとする。
だが、そよぎはディグをワイヤーで威嚇し逃がさない。
「なんだ、このお宝がそんなに欲しいか?しょうがない、私はヘリングの血筋の者で我慢してやるか。
…お宝はくれてやる、ほれっ」
ディグはそよぎに向かって『破滅の花』を放った。この状況ではそよぎに完全に勝ちきる事は不可能と思い、お宝をそよぎに渡す事で逃がして貰うのと、意識をお宝に向けさせる事で一瞬の隙を作るのが狙いだ。
――しかし、そよぎはディグから一切意識を反らさず『破滅の花』がそのまま地面に落ちるのを無視した。
「なっ!?何故!?お前はこれが欲しいんじゃなかったのか!!!」
「…欲しいさ。だがそれより大事な事がある」
「何だと?何だ、それは」
「信念だ!!怪盗の血筋の者を研究などと…恥を知れ!!」
そよぎは男口調で叫ぶ。捕らえられているライブを見ながら。
「…ふふ。成程、貴様が怪盗クロイエンスか。クロイエンス…フランス語で”信念”の意を示す。ふん、綺麗事を…」
そよぎはディグにワイヤーを放つ。
「ふん…おとなしくしてればいいものを!」
ディグは鎖を放つ。そよぎのワイヤーは鎖と複雑に絡み合った。
そして…
――またも突然の爆発音。
絡み合った鎖は目の前で散った。鎖には爆弾が仕込んであり、破片が鋭く散るようになっていたのだ。
散った破片は当然、ディグとそよぎを襲うがディグには通じない。
そよぎも間一髪で避けるが、右腕にいくつか破片がささる。
だがそよぎが避けた破片は洞窟に配置してあった通気用のパイプに直撃してしまう。
――これが次の瞬間に起きる事態を招く事になる。
割れたパイプから何匹かのネズミとかさかさと蠢く虫が出てきたのだ。
「&⊿@¥≪⊥ーーーーーーーー!!!!!!!!」
そよぎが声にならない叫びを上げる。
どうやらガレージでの一件からそよぎはネズミや虫が苦手になってしまったらしい。
そよぎはネズミや虫が自分の足の周りをうろつくのを見てその場にうずくまってしまった。
「おや、クロイエンス。おまえこういうのが苦手なのか。よく見ると結構可愛いんだけど、まあいいか。この隙に…」
ディグが逃げる。捕らえられたままのライブはネズミに襲われるそよぎを見て鎖を力づくではずそうと力む。
しかし、能力痕の力が作用している。はずせるわけが無かった。
――そーちゃんを助けないと。
でもこれはそーちゃんとの怪盗の勝負でもある。
今回邪魔はしない約束はしたけど、真剣勝負である為そーちゃんを助ける事は一番しちゃいけない事。
いや、むしろ私が助けられる立場か。
このまま連れ去られて実験とかされちゃうのかな…
いや、そんな事よりも。
――もう二度と、そーちゃん達と一緒でいられないのかな。
(嫌。嫌。そんなの嫌…!!!!)
けど鎖ははずせない。だからそーちゃんにディグの集中力を欠いてもらわないといけない。私は身動きが取れない。
(――考えなきゃ。何か手はあるはず。今までのそーちゃんとの勝負はあらゆる局面を想定してやってきたもの。それを無駄にするわけにはいかないもん…考えろ、私…)
ふと、ネズミや虫が出てきた洞窟中に張り巡らされているパイプが目に付くライブ。
(そうだ。あのパイプを引き寄せてディグに当てれば…集中力を途切れさせる事ができるかもしれない。そうすれば、この巻きついている鎖も一緒に引き寄せて、拘束を解けるかも)
だが、パイプを引き寄せればまだパイプの内部に潜んでいる大量のネズミや虫が出てくるかもしれないのだ。
そうなればネズミや虫が苦手なそよぎがどうなるか…下手すれば一生トラウマになって洞窟すら怖くなるかもしれない。
確かにネズミとか虫が怖いんじゃこの先、まともに怪盗仕事をやっていられないかもしれないけど…。
いくらなんでもそれを教えるにしても荒療治過ぎるから駄目。そんなの絶対駄目。そーちゃんに嫌われそうだし、絶対に嫌。
あ…でも…
(もしかして私…また、自分だけ嫌われないようにしてる?葛西さんの二の舞は駄目…でもやっぱりそーちゃんに嫌われるのも嫌…)
『ライブの言ってる事は間違ってない。私が保証するわ。だからライブは自分を信じてあげてほしいんだ。…仮に、ライブが間違っているとしたらその時は私も一緒に間違えて、一緒に改善する。ライブを一人にはしない』
前にそーちゃんにいわれた台詞。
いつだってそうだった。そーちゃんは格好良くて、私に喜びを教えてくれる人で。
――そっか。私、気付いちゃった。
私は葛西さんを拒んだのは、葛西さんが嫌いなんじゃない。
葛西さんは裏社会の住人ではない。だから私とは住む世界が違う。だから拒んだんだ。
そしてもう一つ気付いた事。
それは…私には誰よりも信じている、大事な、私と住む世界が同じ人がいる。
その人は葛西さんよりも近くて、私とどこまでも一緒にいてくれる人で…離れたくない人。
――鼓芽 そよぎちゃん、そーちゃん。私のかけがえのないパートナー。
葛西さんと深い仲になればそーちゃんは離れていってしまう。それが何よりも嫌で…
(私、そーちゃんを信じるよ。だから私も私自身を信じる。もう嫌われる可能性があるからって自分の気持ちを押し殺したりしないから…)
「…いっけええええええっっっっっ!!!!!!!!」
ライブは自分の能力痕の力の全力を出す。
洞窟中に配置されているパイプがガタガタと揺れ、ライブの元に集まろうとする。
「何を…はっ!パイプを引き寄せて私にパイプをぶつけるつもりか!なら!」
ディグもパイプに能力痕の力を使う。
「これで手は封じた!もう諦めろ、ヘリングの血筋!!!」
「諦められるわけ…ないじゃないっっっっっっっ!!!!!!!!」
ライブの顔に能力痕が浮かぶ。
第三段階の能力痕だ。
だがディグの顔にも第三段階の能力痕が浮かぶ。
――しかし、ライブの頬に光る縦線の痣がさらに浮かんだ。
能力痕は段階が上にいく程痣の量も増える。
つまりライブの今の状態は、ライブの限界だった段階の一つ上の段階――第四段階。
洞窟中が揺れる。メキメキと音をたてて岩壁が崩れて…
「はぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
叫んだライブの手元に何もかもが引き寄せられる。
パイプやライブを拘束していた鎖、果ては岩までも。
「な…なんだ、これは!!!!!!!!!」
ディグは叫んだが、次の瞬間には意識を失ってしまっていた。
「…ん?」
ライブが目を覚ます。すると、ライブは自分が病院のベッドの上で寝ていた事がわかった。
「あれ?なんで私…」
「ライブ!!!!!!!!」
ライブが呟くと、ベッドの横にいたそよぎがライブに抱きついた。
「そ…そーちゃん?どうして…」
「よかった…ライブ、ライブ…」
そよぎは泣いている、ライブはそんなそよぎの頭を撫でた。
「ライブさん、良かった…三日程意識がなくって…もう意識が戻らないかと思いました…」
そよぎの後ろにいたオリーヴが説明をする。
ライブは余計に訳がわからなくなってしまった。
「三日?なんで意識が…」
「貴方は今までにない強力な超能力を使って倒れた」
オリーヴの横にいたシルフも説明をした。
「シルフさんは戦闘屋さんを退けて、倒れたライブさんと気を失いかけてたお姉様と完全に気絶していた怪盗ディグを洞窟の崩れた後から見つけてここまで運んでくれたんですよ」
オリーヴが更に説明を付け加えた。
ライブは洞窟で第四段階の能力痕を使った後、気絶してしまったのだ。
「そうだったの。シルフさん、ありがとう」
「べ…別に。元々私はオリーヴのボディーガードをしていたし、本当にライブ達が危なそうだったからやっただけ」
「ええ。今回はシルフさんがいなければ本当に危なかったわ」
「うん。それに、そーちゃんも、ね。ところでそーちゃん、ごめんね。私、ネズミとか虫を…」
そう言いかけたライブの口元を、そよぎは右人指し指でふさいだ。
「ライブのおかげで私、ネズミと虫を怖がるのを克服できたわ。ライブが『ネズミとか虫を怖がるようじゃ駄目だよ』って教えてくれたおかげでね。ありがとう、ライブ♪」
そよぎのその台詞にライブは一瞬驚くが――
ライブは笑うと、そよぎに抱きついた。
――悲しげな涙ではなく、嬉しい涙を流しながら。
ライブが第四段階の能力痕を発動した同時刻。
探偵局で事務仕事をしていたせしらは、突然頭を抱えてうずくまった。
「せしら!?大丈夫かい、せしら!!」
一緒にいた夕凪がせしらに駆け寄る。
せしらは夕凪にもたれかかると、呟いた。
「…何かが動き始めた…夕凪…私、どうしたら…」
怯えるような様子のせしらの頭を撫でる夕凪。
夕凪が窓の外を見ると、激しい夜風に揺れる木々も何かを訴えている気がした。