episode0:世界の境界
一瞬のビル風が夜を舞った。
その瞬間の後、布がたなびく音と共に人影が明かりの消えた高層ビルの窓ガラスに写っては消える。
それから十数秒遅れて、パトカーのサイレンの音がけたたましく鳴り響いて来る。
その音は次第に延びて小さくなって…やがて遠くに去っていく。
それは怪盗と、それを追いかける警察が作り出す音だった。
――そんな一瞬の騒音の訪問が当たり前のように多くの人に受け入れられているようになっている現在。
だが……。
パトカーが過ぎ去った後、物陰で笑みを浮かべていた一人の探偵が気付かれる事はなかった。
主に人の話声と足音で構成された喧騒の中、学校の廊下を歩くつり目で長髪の青年。
彼の名は、端鞘 凝人 (はさや こると)。
私立高校の生徒で歳は十六、趣味はパソコン…などと言えば就職の時の面接のようだが厳密には少し違う。
正確にはパソコンを使っての不正プログラム作成…その他もろもろややアウトサイダーチックな事が趣味なのだ。
だがその趣味と、運動神経が標準以下で成績があまり良くないという事と『ある事』を除けばどこにでもいる一般人となんら変わりはない。
教室に着いた後、机に鞄をたてかけ席につく凝人。
すると程なくしてよく話す男友達が話しかけてきた。
「ふはあ…ん…」
凝人は豪快にあくびをした。
「なんだ、端鞘、寝不足か?またパソコンやってたんだろ」
「ああ、まあな。いつもの事だ」
そっけなく返事を返す凝人。友人の間では無愛想と認識されているのだ。
すると話しかけてきた男はニヤリと笑い、やや小声気味に耳打ちするように凝人に話しかける。
「お前もディープなパソコンユーザーなら恋愛ゲームとか興味ないのか?」
「…なんだその偏見。まあ、いくつかはやった経験はあるが、プログラムメインだ」
「そうかそうか。そんなお前にお薦めなのは、BLだ」
「………。」
BLというのは…言うまでもない(?)がボーイズラブの略、男同士の恋愛の事である。
「…お前、本気か?」
「まあ、そういう反応は予想していたさ。だがBLだとあなどるなかれ。いやあ、慣れるってすごいよな、俺も最初は毛嫌いしてた。でも案外そういう世界もありかなって思えるんだもんな」
「慣れって…ああ、悪い。俺、そういうのに慣れるつもりないから」
「まあそう言うな…」
ここでタイミング良くチャイムの音が鳴り響く。
「んじゃ後でな。BLゲーとか持ってくるなよ俺の家に」
凝人はチャイムを理由にして半ば強引に話を終了させると便乗してBL拒否の意を伝え、少しふてくされたようにする友人を席に返す。
今日もまた一日が始まるのだなあと思った凝人はさっきよりも豪快なあくびをした。
昼休み。
高校生になってまで図書室に来る人は余程の本好きな人だと凝人は思う。それくらい図書室に来る人は中学や小学の時に比べて少ないように見えるからだ。
ところで何故勤勉とは言えない凝人が図書室に来たかというと、ある週刊誌が目当てである。ここの高校…私立綺寺 (あやでら)高校は図書室に最新の週刊誌を置いているので、一時の話題だけでいちいち週刊誌を買うなどという金銭面においての痛手からは逃れられるのだ。
そして目当ての週刊誌を取って、席につこうとテーブルの方へ振り返った時だった。
どんっ!と、凝人の肩が誰かにぶつかってしまった。
「きゃっ」
驚く声が発せられると同時に、ぶつかった人が抱えていた大量の本が床にばらばらと音をたてて落ちていく。
「あ、ごめんなさい、私、ぼーっとしちゃってて…」
「あ、俺こそごめん」
凝人とぶつかったのは肩まで届くくらいの長さの黒髪の女の子で、頭にはネコ耳みたいなカチューシャを乗せているのが可愛らしい顔立ちとよく似合っている。ネコ耳の片方だけにリボンがついているのもまた似合っていた。
(中学部の子かな?)
ちなみに清寺学院は中高一貫校で一部の勤勉な生徒の中には中学部の生徒でありながら高等部の図書室に本を閲覧しにくる生徒もいる。だが、中学部と高等部で制服の違いがないため、同級生かどうかは判断が難しいのだ。
凝人は落ちた本を拾うのを手伝おうと手を伸ばそうとする。すると女の子はあわてて口を開く。
「あっ、大丈夫です!自分で拾えますから!」
そう言うとネコ耳カチューシャの女の子は驚くほどの手際の良さで角が擦り切れた歴史の本やら分厚い辞書やら、コンピュータ以外の勉強が苦手な凝人が読んだら四,五分で眠りにいたるような本の数々を拾っては抱えていく。
それから女の子はぺこりと一礼するとそそくさとカウンターへと去って行った。
(…変な恋愛小説とか一冊もなかったのにな)
借りようとするものを見られて恥ずかしがるように見えた女の子に対して、率直に思った事を凝人は否定した。本当に怪しい所など何もなかったのだから。
そして凝人は席につき持ってきた週刊誌を広げる。
(さて、例の記事はあるのかっと…っと、あったあった)
記事のタイトルにはこうある。
『探偵局が発表した、今年度の未逮捕の怪盗の人数は三名と断定』
(へー、三人か。先週の途中報告では四人って言ってたのにな)
昔、ある事件があった後世界中に怪盗が出現するようになった。
そして現在は日本にも怪盗が何人か出現している。その影響で、年度毎に怪盗が何人逮捕されなかったなどの話題もテレビや週刊誌などで当たり前のように報じられるようになった。
もちろん、怪盗なんて非現実的な存在は大した事もなく消えていくだろうと怪盗出現当初誰もが思っていたが、時が経つにつれて逮捕出来ないような怪盗は(数こそ少ないが)確かに存在しているという事が世に認められるようになっていった。
その事を危険視した警察と政府は『探偵局』を設立、今や探偵局は内部で探偵を階級分けするぐらいに巨大な組織となり、怪盗逮捕に向けて全力を尽くしていた。
当然だが、世間は探偵を賞賛している傾向にある。だが、凝人はその逆だ。
前述した普通の人と違う『ある事』とはその事。
現実的で怠惰ともとれる世をあざ笑うかのようにしている怪盗のような存在に憧れを抱いている事だ。
凝人は運動音痴ゆえ怪盗のような事は出来ないが、彼なりのやり方で怪盗のような生き方がしたいと思っている。その一心でパソコンを使ったアウトサイダーな事を身に着けたのだ。
凝人には『ただウイルスを作って不特定多数の人に被害を被らせるのでは単なる犯罪者、怪盗のような生き方ではなく単なるつまらない泥棒の生き方にしかならない』という信念がある。
それゆえネットで予告状を出して悪質なサイトにウイルスを流したりする、悪者を懲らしめるような義賊的な理念に沿ったやり方をしている。そしてネット上にはそんな彼を賞賛してくれる人もいる。そのおかげでこんな事が続ける事が出来たのも自覚している。
それは怪盗はヒーローである、と本当に凝人が思える時でもある。
だが凝人と怪盗との間には生きる世界の隔たりがあるのを分かってもいるため、凝人にとってあくまで怪盗は憧れのヒーローでしかない、という事を思い知らされる時でもあった。
(…お?)
凝人は週刊誌の怪盗に関する記事の最後の方に注目する。それは怪盗からの予告状の文面だった。
『年明けに催される光明ビルの一大イベントである世界名画展の日の夜、午後九時に光明ビル所有の名画「逆光」をいただきに参ります 怪盗オーニソガラム』
(おおっ、年明けか!もうすぐ冬休みだもんな!丁度いい、今回は見に行けるぞ!)
凝人にとっては怪盗の犯行予告の指定した時間の予定が空いてる場合、必ずと言っていい程見に行くのが習慣なのだ。
(でも犯行予告した日まで時間が結構あるな。じゃあ前から考えてたアレを完成させて持っていこうかなっと…よし、それなら今日からその作業に没頭しようかな)
凝人は思わずニヤリと笑みながら、そこが図書室である事も忘れ周りから奇異の目で見られている事にも気付かないくらい、しばらく自分の考えに陶酔していた。
「ふぃーっ…」
凝人が座りながら大きく伸びをすると、椅子の背もたれがギシッと音を立てた。
プログラムの打ち込みとチェックが一段落したのだ。
――今日はあの怪盗オーニソガラムの犯行の日。
一人暮らしの凝人としては、こんなプログラムに熱中する日々が続いても親に心配される事もない。
無茶な徹夜続きなどでも一段落するまでは終わらせない主義も一人暮らしゆえだ。だが今回の作業だけは早めに終わらせる必要があった。何故なら今回の凝人の作品は今日のために準備していた物だからだ。
(……おっと)
時計をみると急がないと犯行の時間に間に合わなくなってしまうような時間になりつつある。
凝人は急いで着替えを済ませて家から出かけた。
(おー、いるいる、相変わらず)
現場についた凝人は多い数のギャラリー達に圧倒された後、持参してきたノートパソコンを起動させる。
ギャラリーは密集こそしてないが、ガードレールに腰掛けたり、座り込んだり、カメラの準備をしている奴もいる。むろん一般人に比べれば人数は少ないが警官もいる。
交通整理や警備などの警官もいるが主な警官はやはり今回の予告状にあったターゲット…名画『逆光』がある光明ビルを囲んでいる。
(それにしても…入り口びっちり警備してるな。こんな高いビルだから上から進入するには難しいからか?まあどうこれを打ち破るかは怪盗次第か)
今回のターゲットである絵画は、カメラに写れば失敗に思える逆光を見事に絵画で表現して芸術品に仕上げた、といった物であるらしい。
凝人はちらっとノートパソコンの時計表示を見る。そろそろ犯行予告の時間であるのが判った。
周りのギャラリーからもだんだんどよめきが消えていく。
それから数秒ぐらいだったろうか。
金属で、しかも中が空洞のようなものがタイルに落ちる音がした。その直後。
スプレー缶が突如破裂した様な爆音と、同時に発生した煙。
煙はすごい勢いであたり一面を覆う。
(もしかしてあの金属音…発煙装置が投げ込まれた音か…!)
そう思った矢先、煙でよく見えないがなにかが凝人の頭上辺りを横切った感じがした。だが次の瞬間、一瞬だけ煙が晴れて、横切ったものが何かはっきりと確認する事が出来た。
そしてその『なにか』―それは予告状通り現れたパラシュートですばやく降下する怪盗オーニソガラムその人だった。
一見するとウェディングドレスのような純白のドレスを身に纏い、顔には仮面舞踏会でイメージされるような仮面をつけている。
だが煙でその姿は見えなくなる。
「出たぞ!」
「まわりこむんだ!右だ、右!」
警官達の叫ぶ声。ばたばたと足音が回りから聞こえてくる。
(な、どうなったんだ!?)
煙は徐々に薄れていって…だんだん周囲の人にも見えるようになってきた。
警官達が誰かを取り押さえているシルエットが煙の向こうに写る。
だが。
(………警官が、警官を取り押さえても意味がないと思いますよ…)
警官達が取り押さえているのは同じ警官だったのだ。
警官は自分達の仲間を自分達自らの手で捕まえている事に気付いたのか、急いでビルの中へと一斉に駆け込んでいく。
見事に警官が怪盗にしてやられたようだ。
(すげえ…。どうやったんだ、あれ…)
凝人は感嘆しながらその場で立ち尽くしていた。
「止まれ!!」
警官の制止の言葉は私にとっては意味を成さない。
腰に据え付けてある発煙筒を投げて混乱している警官達をかわす。
それを何度か繰り返して、数十分。今回のターゲットのある大広間に辿り着く。
だが私は少し違和感を覚える。今日は少し警官達の数が少ない気がしたのだ。
(気のせいだよね。そんな事思ってる場合じゃないし…さ、鑑定しないと…)
警官達をかわしながら仮面ごしのちら見でターゲットを軽く鑑定。間違いない、本物だ。
私が画に近付くと同時に、画の周りに固まっていく警官。
(…えいっ)
私は後ろ手に隠していた目くらましの玉を投げ、発光させる。
警官達が一瞬ひるむ。
私はその隙をついて警官達をすり抜け、一瞬で画を抱える。その後すばやくワイヤーを天井にひっかけ、警官達の遥か頭上へと跳躍する。
その後、警官達から離れた上部へと続く階段の入り口で振り向き、警官達に向かってお決まりの台詞。
「予告状通り、名画“逆光”はいただきました」
それだけ言い残し、私は階段を上っていく。それから、数秒間走って、屋上にたどりつく。
そこで事前に屋上に隠しておいた簡易グライダーを組み立ててそれに乗り、屋上から夜の街へと飛翔する。
下から大騒ぎする人々の声が遠く聞こえてきた。
(さて…今日はまだ目立って仕掛けてこない以上…なにかある…まだ勝ったなんて言えないかな…)
などと思っている時だった。
(――あの人…どこかで見覚えが…)
私をカメラで捉えようと走りよってくる人達に混じって、どこかで見覚えのある顔の存在に気付く。その人は若い男の人だった。…怪盗という職柄ゆえ、瞬間記憶能力は常人よりも遥かに良いのも考えものかも。
(大体、今は知り合いにあっても意味は特にないしね…。)
そう思って目を下の人達から逸らそうとした時だ。
よりによってその見覚えのある顔の人が…曲がり角から急に曲がってきた車と衝突しそうになったのに気付く。
(――!!!)
一瞬の僅かな判断力と瞬発力を振り絞り、ワイヤーを投げる。その人を助けるために、その人にひっかけるように。
激しくコンクリートとタイヤの擦れる音を残し車は曲がり角を曲がった。
次の瞬間、けたたましい金属音が耳をつんざく。
車が電柱に激突したのだ。私を追ってきた人全員がその車に注目する。
そして、私が掴んでいるワイヤーの先になにやら重いものがぶら下がっている事に気付く。
どうやら、見覚えのある顔の男の人は助けられたようだ。
そして追ってきた人の隙を見て、私は発煙筒を投げた。その隙に身を建物の屋上に滑り込ませ、身を隠そうとする。
その時、さらに想定外の事が起きる。
私のグライダーが空中で分解したのだ。私は当然バランスが取れなくなる。
(しまった!こうきたの―!!!)
そう思った時点で今回の勝負は決した。
(今回は私の負け、か…。)
その確信がとれたのとほぼ同時に。
空中分解したグライダーの、私と命綱でつながれたパーツからパラシュートが開いた。
このパラシュートもあの人の細工だろう。そのおかげで私はゆっくりと降りられる。そして 想定外のこの事態をうけて予定していた建物とは違う建物の影に身を滑らせる。
もちろんワイヤーの先につながっている男の人を怪我させないようにたぐりよせながら。ちょっと重いけど。
そして…私の身を滑らせた先には…一人の少女が待っていた。
相変わらず、綺麗な銀色の長い髪。目を見張るほど整った顔立ち。
そしてその…上着を着ているせいでわかりにくいものの完璧にグラマラスな体型、それらを全て持ち合わせたその少女はにっこりと微笑んでいる。
だが私が持っているワイヤーと、その先にひっかけられている、今立ち上がる最中の人を見てその表情は意外そうな表情へと変わる。
あぁ、しまった!!――見られた!!
私が密会してる所をこの助けた男の人に…。
「あ、あんたは…なんで怪盗オーニソガラムと…」
男の人がそう言いかけた時だ。
少女はそれを制止するようにすばやく、細いナイフを男の人の首筋に突きつけて言う。
「しっ!手短に言うわ、あなたも一緒に来なさい。さもないと、あなたの命は保障できない」
それを聞いたこの場で唯一状況が飲み込めていないこの男の人は凍りつく。
(…あはは、相変わらず信用してない人にはブラックジョーク厳しいなあ…でも今はそうでも言わないとダメかも)
「…わかった」
男の人は凍りついた表情でそう返事した。
それを聞いて頷き合う私と少女。ひとまず撤収する事が決定した。
そして私達三人は脇に置いてあった車に外見が似た乗り物に搭乗する。
ちなみにこの乗り物は、正式に世に認められた乗り物ではない。技術はよくわからないけど、スピードは車よりも出る。まあ私達二人とも免許取れる歳じゃないしね…。
私達を乗せた乗り物は軽く浮いた後に結構なスピードでとばして、人気のない所を目指し、発進した。
「さて…落ち着いた所で話をしましょうか」
「……」
人気のない薄暗い倉庫の中。凝人は両手両足に手錠をかけられ、体はロープで縛られている。
何故こんな事になっているかというと…
怪盗の盗みが成功した事が確認できた凝人は怪盗を追いかける人に混じって怪盗を追いかけていたら車にひかれそうになってしまう。
それをギリギリの所で怪盗の持つワイヤーで助けられたのだ。
だがその後助けてくれた怪盗と見知らぬ少女が何故か知り合いみたいな雰囲気だったのを目撃してしまったのが運の尽き、見知らぬ少女にナイフを突きつけられて分けの分からないまま 凝人はそのまま倉庫まで連れて来られてしまったのだ。
「………それで、俺はこれからどうなるん…でしょう?」
凝人はさっき助けてもらった怪盗オーニソガラムと、その知り合いらしい少女の二人に口封じのための脅しだと言う事を予測しつつも恐る恐る問いかける。
「そうね…私がオーニソガラムと知り合いとばれた以上、ただで帰すわけにはいかないくらいはわかるわよね?」
予測があたっている事を確信した凝人はがっくりとする。少女は続けて言った。
「まあいますぐ薬漬けにして廃人にして記憶すっ飛ばすのも悪くないけど…」
「ちょ、ちょっとそれはやりすぎなんじゃ…」
怪盗オーニソガラムが少女をフォローしている。よく考えればかなり妙な光景である。
(それにしても気のせいだよな?なんか…今、ものすごく物騒な事が聴こえたような……)
「まあこの人をどうするかは…う〜ん…どうしよう…ん?それ、何?」
「え?ああ、それって…このノーパソの事?」
凝人の背負っているリュックから少しはみ出ているノートパソコンが少女の目に留まったようだ。
「ええ。まさかそのパソコンでここの場所を教えてるとかそんなんじゃないでしょうね!?」
「ええ!?いや、違う違う!そんな事しないって!わざわざ手助けした人に敵対する必要があるわけないですからっ!」
(ナイフを首に突きつけながらまくしたてないでー!うわわ、ナイフの先っぽが喉仏あたりにチクチク当たってる!それ以上近づけたらマジで斬れる!!!)
凝人は少女に聞こえないのにも気付かずに心の中で泣き叫んだ。
「……?手助け、ですって?」
少女は怪訝な顔をした後、ナイフを下げた。
「説明願えるかしら?手助けって…まさか貴方が怪盗オーニソガラムを助けたっていうの?」
(ああああ…やべ、本音がなんてこんな時に出ちまうんだ!もう少し穏便に済ませられる所だったかもしれないのにさあ!えーい、もうやぶれかぶれだ!!)
凝人はもう何がなんだかわからなくなってしまっていた。
「…えっと、実は…このノートパソコンでビルのホストコンピュータに侵入して、警備が配置されている一部の部屋を名画がある部屋から隔離するように隔壁を降ろして何人かの警官を足止めしていたんです」
(なーんて本当の事言って信じてもらえるかっての、馬鹿な俺!)
凝人は思う。廃人にされる前にもう少し未練がなくせれば良かったのにと。凝人の脳裏に浮かぶ数多の未練。まだ作りきっていないプログラム、気になる漫画の続き、ラスボスまで到達してないゲーム、堪能し足りてない最近買った音楽CD……
「ふーん、で、ホストコンピュータからビルの見取り図も得てたってわけね」
「そうです。ついでにカメラとかもいじって…」
凝人は自身がこういう絶望的な状況になって初めてわかった。それは今までの生活がいかに幸せだったかという事。
(はは、廃人になる直前に気付くなんてなあ…)
「…なるほど。履歴を見る限り、過去になんらかの拍子でネット会社のサーバーとビルとかの一般コンピュータのネットワークが繋がった時があって、その時にウイルスで侵入して一般コンピュータのパスとそのパス改変パターンを得て…」
「その通り。過去に大地震があってその時にネットワーク会社の回線を一時的に使用しなけりゃ一般ネットワークが完全に駄目になる所だった時があってさ。まあ一流のハッカーからすれば一般コンピュータサーバを掌握する絶好の機会だったわけでさ…って、あれ?」
「ふーん、成程。貴方、かなりやるわね。こんな緊急時の重犯罪を軽々とやってのけるなんて、多分ハッカーの中でも貴方ぐらいね。目的は?」
「そりゃ……」
いつの間にか会話が成立している事に今初めて気付く凝人。
(手の内を全部言っちまった…。しかも俺の話を信用してる雰囲気になってるぞ?なんで?……あ。)
凝人が顔を上げると、少女はいつのまにか凝人のノートパソコンを奪い取って、そのキーを叩いている。
(ちょっとまて、もしかしてハッカーである俺のパソコンを解析してるだと?しかもいつの間に奪ったんだ?)
プログラムにおいては常人ではない凝人のノートパソコンは複雑で、理解は到底出来ないプログラムの羅列ばかりなのだ。それを解ってしまうとは、少女もまた常人とは思えない。
「えっと…もしかして、あんたも有名なハッカーとか?」
凝人がそう問いかけると、少女はノートパソコンの画面から凝人に視線を移し、睨み付けるように言う。
「それは置いといて、私の質問に答えなさい。目的は?」
だが少女の返答は冷たく言い放たれた。
「……だあもう、こうなりゃ言ってやる!!俺にとって怪盗はヒーローなんだよ!そのヒーローの手助けを自分の技術でしてみたいと思ったんだよ!あーもう、子供っぽい理由だよな!笑いたければ笑っていいさ!信じないならそれでいいさ!さー、さっさと廃人にでもしちゃってくれよ!」
二度目のやぶれかぶれ。
ここまで来ると本音の全てを出し尽くしたといえるレベルだ。
「どう思う?」
「うん、彼の言う事は合ってると思うよ。実際、今日は警官の数が少なかったし。もしかしたら、丁度いいかもね」
「ハッカー、ね。確かにこのレベルだと私達ですら出来ないし、今までにないタイプだものね。…………………………ふう。貴方の言ってる事を信じ、貴方が廃人にならずに済む方法をこれから提案しようと思うのだけどどう?聞く気はあるかしら?」
凝人にむけて、やれやれといった様子で話しかける少女。
「…はい? えーと、正直、理解が追いつかないんだけど。つまり俺を信用してくれて、なにかこの危機を脱する方法もあると?」
声を震わせながら凝人は問い返した。
「ええ、そうよ。しっかり理解しているじゃない」
その言葉を聞くなり、凝人はがばっと身を乗り出し、返事する。
「……………………是非、聞かせて下さい!!」
凝人はまだいまいち理解が追いついていない。だが廃人にならずに済むなら願ったり叶ったりという考えから発言してしまっただけなのだ。
「いい返事ね。結論から言えば、貴方が私と怪盗オーニソガラムに協力しなさいって事よ」
場がシンと静まり返る。その間、凝人は少女の言葉を頭の中で反復させる。
すると、その提案は凝人にとっては地獄どころか天国のような提案だという事が理解出来た。
なにせ憧れの怪盗に協力しろというのだから。今日は勝手に協力しただけだが次からは正式な協力ができるのだから。
そう思考が判断した瞬間から凝人は縛られながらも興奮を隠し切れなくなった。
「喜んで!!!!!こ…こここっこんな、す、すす素晴らしいてて提案、ゆゆゆ夢にも思わなかったんです、はいっっ!」
「あ、あの…お、落ち着いて…。あはは、怪盗をヒーローとして見てくれているのはわかりましたから…」
「…即答ね。じゃあ決まり。」
怪盗が興奮する凝人をなだめているのを見て、少女はふうっとため息を一つ。
しばらくして凝人が落ち着きを取り戻すと少女がやれやれといった感じから一変して真剣な表情をするなり口を開く。
「じゃあ名前くらい言わないとね。私の名前は鼓芽 そよぎ (つづみめ そよぎ)。そしてこの娘は、怪盗オーニソガラムこと歌羽 蕾譜 (うたは らいぶ)よ」
そう少女が言うと、怪盗はマスクを取る。すると、ウェディングドレスのような衣装によく映える可愛らしい素顔が現れた。
(でも、ん?なんかこの人、どっかで見たような…)
凝人はそう思い、記憶から出そうと頑張ってみるが…無理であると判断した。
そして……
真実は語られ始めた。
「私とライブは本来二人組の怪盗コンビとして活躍していたわ。でもその日々を繰り返してみて、私達はある事に気付いたのよ」
「私達はお互い最高の怪盗となるのが夢であり、目標でもあったの。でも、そーちゃんが
今言ったようにある事に気付いたの………私達自身だったら私達を成長させられるという事に」
「まあ要は自分達じゃない奴らと怪盗勝負をする事も大事だけど、自分達自身で互いを見つめ直せる機会があまりなかったから…敢えて味方でありながらも、相手として勝負をする時が必要じゃないかと考えたの」
「お互いに怪盗という夢に対する想いの深さを理解し尽しているからこそ思える事なんだよね。それで、思いついたのが…今私とそーちゃんの間でしているこの勝負なんだよ」
「私はある時は探偵局所属のS級ライセンス取得探偵 鼓芽 そよぎ。またある時は…日本にいる三名の怪盗のうちの一人、怪盗クロイエンス」
「私はある時は日本にいる三名の怪盗のうちの一人、怪盗オーニソガラム。またある時は探偵局所属S級ライセンス取得探偵 歌羽 雷譜」
「私とライブは一人で二つの職を持つわ。そして私とライブは互いに役回りを変えて『怪盗が盗み、探偵がそれを妨害する』勝負をする。ライブが怪盗の時は私が探偵、私が怪盗の時はライブが探偵としてね」
「勝負は互いの全てを出し切るのは当たり前。だから私達は互いを高めあうその勝負をしてきた結果、探偵においては最高のランクまで上り詰めたの」
「もちろん、私とライブは本来パートナーであるわけだから勝負をしたらそこから学んだ事を教えあい、互いを高める糧とする」
「そして、いつか私達が今よりもっと成長して他の誰にも負けない最高の怪盗となった時こそ、再びコンビ怪盗として世界中にその名を轟かせる。この夢のための私とそーちゃんの間でする今の勝負なの」
「そう。いわばこの勝負は私達がお互いを高めあうのに必要な事の一つなのよ」
――そう真実は語られた。
社会的に異常と言われるような事であり、逮捕されてしまうかもしれないような危なくもある事ですらこの二人にとってはまるで親友同士で競い合うスポーツ、あるいはもっと軽い意味で言えば仲の良い友達同士でする対戦ゲームのようなものだという事だと。
それが世人に知られていない話であり…互いに役回りを交錯させて行う
『交錯逸話』――たる事を。