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探検

「怠け者?」


「いっつも死んだじいちゃんがそう言ってた。俺はミノルくんって呼んでる。父さんの兄弟」

「裕翔くんのお父さんの兄弟? それ、おじさんっていうんだよ」

裕翔は話しながら飲み終わった瓶をゆらしている。光を揺らしながらからからとビー玉がまわった。

「怠け者で、あと『こーとうゆうみん』って言われてた」

「何それ」

「働かない人のことだって」

「大人なのに?」

日菜多は声をあげた。そんなことがあるものかと目を瞬くが、裕翔はなんてことないように続ける。

「そう。働けないんだって。朝起きれないし、めっちゃ早口で喋るし、あとなんかすぐ喧嘩しちゃうって。だからうちの神社に住まわしてるって、母さんも言ってた」

「ふぅん……」


 裕翔は瓶を回すのをやめ、飛び上がるようにして立ち上がった。

「ミノルくんのところ行こうぜ! 俺、仲良しなんだ。よく一緒に遊んでる」





 ミノルくんと呼ばれる彼は、境内へ続く石段に座っていた。初めて会った時と同じように、浴衣姿でごつい靴を履いている。


「外にいて暑くないの?」と聞いてみたら「外は暑い。でもここは日陰だ」と笑った。


 裕翔が持って来ていた大きな麦わら帽子を、癖毛の頭の上に置くと「おお、いいね」と目を細めた。

「ねぇ、ミノルおじさん、私のこと覚えてる?」

日菜多が自身の顔を指差すと、裕翔が「ミノルくんが忘れてるわけないだろ」と何故か文句を言う。

 ミノルおじさんはうん、頷いた。

「3日前に、裏の茂みで会った子だ」


 その日、裕翔の誘いで3人は森の探検をした。


 初日にあれほど恐ろしいと思っていた森は、ミノルおじさんの手を握ると、ただの広い探検場所だった。

 自分が一番この森をよく知っていると豪語する裕翔のあとを、ミノルおじさんと日菜多は付いて回る。


 日菜多の服装は足も腕もむき出しの軽装だったので、細い枝でたくさんの擦り傷を作った。草木が肌を撫でるのを気持ちが悪いと泣きそうになったが、今更帰ると駄々をこねることはできない。日菜多は裕翔よりも歳上なのだから。俯いて、足の爪に土が入らないかと神経をとがらせる。


 土の匂いと自身の汗の匂いが混じるのが、なんとも不快だった。


 ようやく日菜多が顔をあげたのは、ミノルおじさんに肩を叩かれてからだった。もう随分歩いた気がして、肩で息をする。


「天使の梯子と言うんだよ」


 ミノルおじさんの指し示す方を見て、ぱちり、と日菜多は瞬きをした。


 目がくらむほどの光の束が、日菜多の眼前に降り注いでいた。

 

 少しだけ開けた場所に、ぶ厚く真っ直ぐに伸びた光の柱が一本、そしてその周りを囲むように光の束が、枝葉の隙間から差している。スポットライトのようなそれは、差し込む高い枝やそのまた高くにある空に繋がるようで、つい日菜多は上に向かって両手を伸ばした。


「すごい! すごーい! 綺麗!」


今までに一番の大声で、叫ぶ。手を伸ばしたままでくるりと回った。舞台にいるようだ。上を見ながらくるくると回る。

 地面に伸びた木の根と落ち葉に足を取られて、尻餅をついた。光の柱の中に入ってみると、案外外から見るよりも眩しくない。むしろ葉を透けて通るその光は柔らかく、森の枝葉を一層色濃く染めていた。


「この時間に見られるのは珍しいなぁ」とミノルおじさんが笑う。

「日菜多! いつまでいるんだよ! 奥行くぞ!」


裕翔の声かけに、日菜多は「はぁい!」と従った。


 あれほど鬱陶しかった土の匂いにもなれた。蝉の音も耳に馴染んだ。

 

なにより、顔を上げさえすれば、ただの緑一色だと思っていた森の木々が、今まで見たこともないほどたくさんの色を持っていることに気づく。


 今日だけは、一行日記書けるかもしれない。


 八つ時には間に合うように探検を終えて、家屋に戻るとおばさんが「あーあーあー、なんてこと。外に行くならズボンを履きなさいよ」と呆れた。薄い傷だらけになった日菜多の細い手足を見て、「夜、お風呂、染みるよ」と無情にも告げる。思ったよりも叱られなかったと、日菜多はほっと安堵した。

 

 その晩のお風呂は地獄だったけれど。



 次の日はきちんと布団を畳み、朝食の配膳の手伝いもした。

 

 神主のおじさんとおばさん、それからほかにも大人の膳を二つ、自分の分と、裕翔の分ーー先日から変わらず、ミノルおじさんの分はなかった。朝起きられないと言っていたから、まだ寝ているのかもしれない。


 裕翔はいやに急いで朝食を掻き込んでいたので、「どうしたの」とつつくと、煩そうな顔で「今日は友達と約束があるんだよ。時間ないの」と睨まれた。日菜多はふうんと相槌を一つ、自分の膳に向かう。やはり箸が進まず、今日も空にできたのは味噌汁のみで、ほかは残してしまった。

「ごめんなさい」と台所に膳を下げる。


 腹が痛くて残すのか、残したから腹が痛くなったのか。どっちだろうと思いながら、離れの部屋に引っ込んだ。


 離れに戻ってぼんやりしていると、洗濯の終わった服をおばさんが持ってきてくれた。旅行鞄を開いて詰める。着替えや、ポーチ、財布ーー鞄の一番下に敷くように入れられた紙を取り出した。

 

 四つ折りにされたそれは引っ張り出すと、びらびらと開いて広がる。ほとんどが空白のままの、宿題の一行日記だ。最後の文字は7月で終わっている。日菜多は8月の終わりの方、昨日の日付に鉛筆を走らせた。


ーーゆうとくんとミノルおじさんと森を探けんしました。暑くてカにさされてケガしたけど楽しかったです。


書いては見たものの、焼け石に水。到底終わる宿題ではない。なんといっても昨日より前の一ヶ月近くが空白で、その一ヶ月はとっくに過ぎているのだ。

 

 何も書くことがない。

 からっぽの夏休みが突きつけられ、ずうんと鉛を飲んだように胃の痛みが広がった。

 

 一行日記の紙を再度折りなおし、鞄に入れる。

 鞄の奥にごろりと転がった携帯電話が指に触れた。ちらりと画面を見るが、連絡は1件もない。日菜多は鞄のチャックを手早くしめて、離れを後にした。


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