世界が変わったけど、信じません。
俺は姿見を見ながら制服に着替え終えると、今頃ジリリリと鳴りだした目覚まし時計を止めた。
頭が重い。
階下に降りる前に、もう一度自分の顔を確認する。
「どう見ても俺だよな……」
見間違えようのない、見覚えしかない俺の顔だった。
先ほど思い切り叩かれて赤く腫れている両頬をさする。
どう見ても、ブサイクな俺だチクショー。
神を呪う。
「よし……」
ストレスを吐き出すように呟くと、俺は階下へと向かった。
階段を降り、洗面所で顔を洗う。
再び鏡を見る。
よし……この鏡も嫌な現実を映し出しているな。
いつもは不快なだけの鏡も、今だけは自分を自分たらしめてくれる有り難い存在だった。
一瞬、俺はどこかおかしなパラレルワールドにでも飛ばされたのかもしれない不安が頭をよぎりながらも、振り払うようにしてリビングへと向かった。
リビングからは朝の食卓の匂いが廊下まで届き、俺の空腹を誘った。
いつもの匂いだ。
俺は安心し、リビングに足を踏み入れた。
キッチンには人が立っており、後ろ姿を向けて包丁をまな板に落としトントントンと朝食作りをしていた。
「おはよ、かあさ……」
そう言いかけて、また違和感に気付く。
流麗に伸びる艶のある黒茶の長髪が、まるで母さんではなかった。
鼻歌混じりなのも、気になる。
いつもより、長身だ。それにいつもより痩せている。
トントント……俺の声に呼応するように、包丁の音が止まる。
鼻歌も鳴り止む。
ドキリ、と俺は息を飲み込んだ。
緊張が走る。
「……。」
数瞬後、クルリ、と振り返った母さん(仮)の顔は、やはり、俺のよく見知った母さんの顔ではなかった。
俺はゾクリと寒気が走った。
「あら。おはよ。ひと君♡」
「……。」
美人だった。
美人。巨乳。美尻。スレンダー。鳩が豆鉄砲を食らったようなきょとんとした顔をした後の、温かく包み込む優しい笑顔。
文句なしだった。
だが、これだけは言わないといけない。
「か、か、か、か」
「……?」
「か、。かかかか、か、かかかかかかか、かかかか、か」
「え……?」
「かかかかかかかかかか、かか、か」
「なによ……?」
「か、かかかかか、かか、か……。だ、誰ですかあなた? か、か、母さん、じゃ、ない、ですよね?……?」
俺の言葉に、怪訝な表情で見つめる母さん?(仮)。
真顔になり、俺を警戒するような瞳になる。
温かかった空気が、急激に氷り張り詰めていくのを感じる。
ごくり、俺は一歩引いて冷や汗を一滴流した。
やばい、言っちゃいけないことを言ったかもしれない。
そう思うが、言ってしまったものは仕方が無い。いや、むしろ言って良かったのだ。
「……。」
「……。」
無言で見つめ合うこと、数秒。
1秒1秒が長く感じる。
コトコトと味噌汁を煮込む音がリビング内に充満する。
そして次には、あろうことか母さん(仮)は無表情のまま、俺に近付いて来た。
俺の目の前で、母さんが立ち止まる。
……!?
ドクリと心臓が高鳴った。
「……。」
「……。」
どうこの場を乗り切るか考えていた俺だが、最初にその空気を壊したのは、母さん(仮)の方だった。
「……? おかしなことをいう子ね。どこか変なところに頭でも打ったの?」
母さん(仮)はあくまでも冗談だと受け取ったらしく、警戒心0の柔和な笑みを浮かべて、俺を見た。
と、そこで緊張が一気に解けた俺は、ぼっち特有のコミュ障を遺憾なく発揮していた。
「あ、ああああああ、ああああああああああああああああ、そ、そそ、そそそうだよね。ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼく、かかかかっかか母さんの子供だよねうんちょっとからかっただけだよごめんねかかかかか、母さんっ!」
「んもう、母さんをからかったのね? 意地悪なひと君♡」
耳に囁くように抱きつかれ、顔を覆うように蠱惑的乳房を押しつけられる。
それだけで俺の理性は、野生児へと変貌した。
こんなのって、あり?……?!
「さ、早く食べちゃいなさい。さもないと、折田さんの所の、ススムちゃんを待たせちゃうわよ♡」
母さん(仮)は離れ、俺に朝食を促した。
鼻孔をくすぐる甘い香りが、離れていく。
「は、はーい」
俺は返事をすると、美人な母さんの(ええいもう母さんでいいや)美味しい朝食を飲み込むようにして急いで平らげた。
食べ終えると、逃げるように母さんに挨拶をして家を出た俺だった。