その08、旅立ちの日
その08、
「簡単に申しますと、ご子息を私の弟子にいただきたいのです」
「弟子って、魔法使いのかい」
ええ、とうなずく美貌のエルフに母親は胡散臭そうな顔をした。
ゴローの家の中。
親子四人がそろい、エルフのバレンシアと対峙していた。
父親はどこかソワソワしているが、母親はわりとどっしり構えている。
「そりゃ昔から妙なとこのある子だとは思ってたけどさあ……」
母は妹を抱きながら、困った顔だった。
「これでも男の子だしさ、将来の働き手なんだよねえ」
「けど悪い話じゃないぜ」
そう言う父親の視線は、机に置かれたものに注がれていた。
やや大きめの、ずっしりと重そうな革袋だ。
中には金銀の硬貨がぎっしりと詰まっている。
「そうかもしれないけどさあ……」
チラリと母は探るような視線で革袋を見た。
(ああ)
母の視線にゴローは納得した。
どうやら母もすでに腹は決まっているらしい。
しかし、もう少し粘れば貰えるモノも増えると考えているようだ。
そのへんが父よりも聡いというべきか、欲深いとすべきか。
「そうですか……」
残念そうにバレンシアはため息をついた。
「やはり、お金で家族を渡せなどというほうが無理な話ですね」
「え!」
これに驚きの声をあげたのは父だった。
「よくわかりました。諦めましょう」
そう言ってバレンシアはその白い指を革袋に伸ばした。
「お待ちよ……!」
母が金切り声をあげ、恐ろしい速さで革袋をつかんだ。
「…………」
「いや、そう結論を急ぐもんじゃないよ……」
つかんだ後であわてて取り繕う母だったが、いささか手遅れである。
後はいちいち説明するまでもない。
ゴローはバレンシアに引き取られることが決まり、その代価として革袋につまる金貨銀貨が両親のものとなった。
「なるべく早く修行を開始したいので」
かくして、バレンシアはいつの間にか用意した馬にゴローを乗せた。
それから身軽な動作で自身も馬に飛び乗る。
重力を感じさせない、舞うような動きだった。
「じゃあ、がんばって魔法使いになるんだよ」
「家のことは心配すんな。元気でやれ」
どこかおざなりな見送りを受けながら、ゴローは生まれた村を後にしたのだった。
「メハジ村――」
小さくなりつつある村を振り返りながら、ふとゴローはつぶやく。
村の名前だが、聞いたことは何度もあるけど口にしたのは、
(これが最初な気がする……)
「寂しい?」
手綱を握りながら、バレンシアが言った。
これにどう答えていいのか、ゴローは迷う。
答え自体は即答できそうなのだが、それを口にするのが憚られた。
「あんまり」
やや時間がすぎてから、ゴローは投げやりな口調で言った。
「そうでしょうね。そんな顔をしているわ」
「一応生まれ育って、思い入れもあるはずなんだけど……」
今ひとつ熱というものが発しない。
それは両親、家族に対してもそうだった。
恩も義理も感じてはいるけど、どこか他人のように感じられる。
妙に、さめているのだ。
この感覚は、転生直後にまだ魂が肉体に馴染んでいなかった頃からずっとある。
自分がゴロンとした異物であるという奇妙な実感。
村では特別にいじめられたり、目の敵にされたことはない。格別に印象に残るような思い出というやつもなかった。
何となく、他人と自分に見えない膜のようなものがある。
それよりも、今こうして村を出てきた現状のほうが、
(自分がこの世に生まれたって実感できるような……)
妙な気分なのだった。
「どういう気持ちがわからないけど、村はちゃんと見ておくべきかもね」
バレンシアがそう言った。
「これで見納めになるかもしれないのだから」
「……それって修行で死ぬかもしれないってことですか?」
「は?」
ギョッとした聞き返したゴローに、バレンシアは意外そうな顔をする。
「それはないと思うけど。第一こっちが困るもの」
「じゃあ……」
「先行きが不安な時代だからね」
「どうも意味がよく……」
「こないだの盗賊、いえ、盗賊になった元貧農のことを思い出してみなさい」
「ああ。あれって結局どうなったんですか?」
「ゴーレムで捕まえて役人に突き出しておいたわ。いえ、そんなことはどうでも良くって」
ごほん、とバレンシアは咳払いをする。
「あいつらはよその領内から逃げ出して、盗賊に身を落としたらしいの。そういう人間が近頃増え始めているのよねえ」
「不景気ってことですか」
「ええ。作物の不作が続いているし、王様たちもおかしなことになっているわ」
少し離れた国では戦争も起こったようだしね、とバレンシアは付け足した。
そんな話を聞いて、ゴローは再び離れていく村を見返す。
やはり、貧相で凡庸な田舎の農村だった。
だが、これで果たして良かったのか……という葛藤も起こる。
(自分がいなくなるってことは……ゴーレムの労働力がなくなるってことだよなあ。でも……けっこうな金は貰ったみたいだし……)
あれこれ考えるが、今さらどうしようもない。
「よう、やっと村を出たなあ」
いきなり耳元で声がしたので、ゴローは硬直する。
気がつけば、あの使い魔にして小悪魔のシャグマがすぐ目の前に。
「うちのご主人様からの伝言だよ。まさかこうも能無しだとは思わなかった。このままじゃ、せっかくチートをやったのにすぐに死ぬ。せいぜい魔法使いの勉強をしろ」
ということさ、と笑い、シャグマは消えるように飛んでいく。
反論のしようのない事実を言われ、ゴローはガックリときた。
馬は、ポクポクと静かに道を進み続ける。