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その01、スタート

 その01、




 ともかく困っていた。


 山田氏は机の前で腕組みをし、ひたすらにうなる。

 目の前には安物のノートパソコン。現在求職サイトを閲覧中である。


 しかし、これというような仕事は見つからない。

 先日勤め先が倒産をしてからというもの、悶々とした時間を過ごしている。


 給料の安いわりに仕事のきつい職場ではあったが、それでも正社員であったのに。

 おまけに今月の給料はまだ未払いであった。


(この際、バイトでもいいから妥協をすべきか……)


 当座の食い扶持ぶちについて考えている最中、ふとたたみへ伸ばした左手に――


 カサリ。


 何か、紙の感触があった。

 はてと思って拾い上げてみると、一枚の白い紙。


 表面には、


『急募! 異世界転生してチートするだけの簡単なお仕事です』


 と太字で印刷された文章の下に、URLがあった。


「なんじゃ、こりゃ」


 全然おぼえのないものだった。酔った時に拾ったものだろうか。

 山田氏はアレコレと思い返したが、やはり記憶にない。


 そもそも山田氏はプリンターの類を所有していないのだ。


「イタズラか……?」


 誰かがイタズラで投函とうかんしたものかもしれない。

 そう思って捨てようとしたのだが、ちょっと気が変わって――


「…………」


 本当に、気の迷いからだった。

 山田氏は印刷されているURLを打ち込んで、エンターキーを押して。


「ようこそ」


「え」


 エンターキーを押した、そう思った瞬間山田氏は見知らぬ場所にいた。


 一言で語るなら、真っ白い部屋。

 小さな椅子と机があるだけで、窓もドアも見当たらない。


 机の前には、一人の美しい少女が座っていた。

 死人のように青白い肌に銀色の髪、血のように赤い瞳。


 瞳孔は人間のそれではなくて、猫のような縦長の形をしていた。


「え、いや、あの――」


 山田氏は現状が把握できずに、何度も目をこすり、頭を振る。

 夢かもしれない。いや、幻覚か。


 そう思うのだが、どれだけ経っても周りの景色は変わらない。


「まず、名を聞こう」


 少女は傲然ごうぜんとした態度で山田氏に言った。


「山田、五郎」


 わけのわからない圧迫感に押されて、山田氏はとりあえず名乗った。


「ふむ、けっこう。では早速に行ってもらおうか」


「はあ? ちょ、ちょっと……」


 勝手に満足した様子でうなずいた少女は、何やら話を進めようとしている。


「なんだ?」


「何だって……そもそも、ここはどこで……」


「どこでもない。面接用に用意しただけの簡易魔法空間だ」


「は?」


 少女の口からつむがれた何やら痛々しい単語に、山田氏は瞠目どうもくする。


「ここがどこかなぞどうでも良い。こっちは仕事さえしてくれれば良いのだ」


「仕事」


「お前はその面接にきたのだろう」


「いや、そんなおぼえは……」


「これに見覚えは?」


 戸惑う山田氏の前に、一枚の紙がすっと現れた。

 その紙片は空中に浮遊して、微動だにしない。


 紙面にはこうある、


『急募! 異世界転生してチートするだけの簡単なお仕事です』


 と。


「いや、それは……」


 ちょっとした冗談で、言いかけて山田氏は沈黙した。

 少女の放つ、得体の知れない赤い視線に屈したからだ。


「ともかくお前が最初の応募者だ。こっちも贅沢は言わん。すぐに行け」


「行くって、どこに」


「ここに書いてあるだろう。お前ら風に言えば、【異世界】だ」


 少女は紙面の文字を指して、くつくつと猫のような笑みを浮かべた。


「安心しろ、衣食住は保証してやる。給金も弾むぞ」


「いや、しかし」


「ではな」


 山田氏が何とか反論を試みようとした矢先、少女はついと指を突き出し、振った。


「う――」


 その途端、山田氏は視界が真っ黒になり、がくりと崩れ落ちる。


 どくん、と嫌な音を聞いたの最後に、山田氏の意識自体も真っ黒に染まった。


「ではな。期待しているぞ」


 最後に聞こえたのは、銀の少女の笑いを含んだ声だけで。



 …………。



 山田氏にしてみれば、まさに直後のことだった。

 耳も目もまともに働かず、立ち上がることさえできない。


 そんな感覚と同時に、泣き声をあげている赤ん坊を上から見おろしている。

 赤ん坊と山田氏の体は半透明のロープのようなものでつながっていた。


「何だこれ……!」


 山田氏は半透明の状態で宙に浮きながら叫ぶ。だが、それに反応する者はない。

 部屋にいる数人の人々はみんな忙しそうに動き回っている。


 何か言っているようだが、言葉は理解できなかった。

 日本人ではない、何となく白人っぽい人々。


 それはともかく、出産という吉事の場であるのにみんな深刻な表情だ。

 いや、それだけ真剣であるということなのか。


 どうも判断に迷うおかしな雰囲気だった。

 赤ん坊が産湯につかると、お湯の暖かさが山田氏にも伝わってくる。


 どうやら赤ん坊と山田氏はつながっているようだった。


「ひょっとして、これが異世界転生……?」


 見知らぬ場所と人々を見おろしながら、山田氏はつぶやいた。

 やがて母乳を初めて口にする感覚が伝わってくる。


 どうやらその赤ん坊こそ、山田氏の転生先のようだ。


「しかし、何でこんなけったいな状態に……?」


 頭を抱えてつぶやく山田氏だが、やっぱり誰にもその声は聞こえない。

 呆然としながらも、どこか冷めた感覚で人々の様子を観察する。


 みんな貧しい身なりをした、貧相な顔つきをしていた。

 だが、この見知らぬ異世界人のもとで新たな生を始めねばならないのだ……。





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