雨乞蛍
今年も、五月蝿いくらい蝉が鳴き始める季節が来る。
「君も、ここでずっと人を待っているのかい?」
私の横にはいつの間にか暗闇に溶け込むような真っ黒な髪をした少年が立っていた。
「・・・・・・そうね。待っているのかも」
着ていた浴衣の袖を揺すりながら私は答える。
すると彼は、「そっか」と言って私の隣へと腰を下ろした。
「蛍、綺麗だねぇ」
「・・・・・・そうね。この手に、掴みたくなるほどに綺麗」
私は目の前にある池を見つめながらつぶやいた。
その池の周りを蛍は淡く光りながら飛ぶ。とても綺麗。だけど
「弱々しい光に私の心を照らすことは出来ないの」
「ん? なんで?」
「その理由は、あなたが一番知っているでしょ?」
「・・・・・・そうだね」
「・・・そうよ。いつだって、貴方は私のことを私以上に知ってる」
「・・・・・・うん」
「否定してよー」
ふたりの間には、優しい空気が流れる。
そして、2人はひとしきり笑うとただ黙って蛍を見つめ続けた。
「・・・・・・もうすぐ、七夕らしいよ」
しばらくの間続いた沈黙を破る様に彼は呟いた。
私は、空を見上げる。
空には、見たこともないような星空が広がっていた。
それは、私と彼の近くにもあるかのように。
「ファンタジーな話は好き?」
「え? ま、まあ、好きだけど・・・・・・何?」
私の突拍子のない言葉に彼は首をかしげている。
私は、昔母から聞いた話をした。
「天の川は知ってるよね?」
「うん。あの、織姫と彦星のやつ・・・だよね?」
「そう。じゃあ、天の川の先には何があるか知ってる?」
「その先? うーん・・・・・・わかんないな」
「そこにはね、大切な、大切な人や時間があるんだって」
「大切な、人や時間?」
「そう。あの先を渡ったら、大切な人に会えてかけがえのない時間を過ごせる。そんな場所があるの」
「・・・・・・だから、君はここにいるんだね」
目を瞑りながら話をする私に彼は優しく聞いた。
私は、「うん」とだけ答える。
「いつまでもいつまでも待つの。誰よりも大切な人だから」
「・・・・・・それじゃあ、君が幸せになれないよ?」
「・・・・・・知ってるよ、そんな事。だけどいいの。私、天の川を渡るんだ」
「・・・・・・そっか」
私の言葉に、彼は少し寂しそうにつぶやいた。
私は、彼に笑って見せる。そんな私に彼は、「じゃあ、」と言って話をしてくれた。
「蛍はどうして輝くか知ってる?」
「なんで? わかんないな」
「少しは考えなよ・・・」
「勉強は苦手なの!」
彼の質問に、私はすぐにわからないと答える。すると彼は苦笑いをしながらも話を続けた。
「蛍はね、命の光だって言われてるんだ」
「命の・・・・・・光?」
「そう。蛍が光れば光るほど、来年には新しい生命が芽生える。そう言われているんだよ」
そう言って笑う彼の顔は優しくて綺麗だった。
だから、私も「素敵ね」と答える。
きっとこんな事、教科書にはどこにも書いていない。検索したって出てこない。
これが、作り話であると私達は知っている。だけど、それでも尚その話を信じているふりをするのは他に信じられる物がないからだろう。それに縋るしか無いからだろう。
「じゃあ、僕はそろそろ星になるよ」
座っていた少年はそう言って立ち上がった。そして、池の中へと足を踏み入れる。
彼が足を入れると同時に池の水面は白く光り、蛍達はいっそう輝き始める。
池の中へと沈んで行く彼は、「あっ」と何かを思い出したような声を上げて私を振り返った。
「七夕の日は、もしも雨が降ったとしても雨雲の上は晴れてるんだよ。年に一度だけの日が雨だとしても毎年会えてるんだよ」
まだ、その場にしゃがみ込んだままの私に笑いかけ、彼は池の中へと消えて行った。
いっそう蛍が輝いて私を取り囲む星も光る。
最後に彼は、何を伝えたかったのだろう。
(・・・・・・分かってるのに、私ったら、未練たらたらでダメだね・・・・・・)
輝く蛍や星を見つめて思う。
私も、もうすぐ彼と同じように星にならなくてはならない。
ここで、まだ来ることの無い「彼」を待つ事なんてダメなんだ。
「ごめん、私、先に星になって待ってる。天の川一緒に渡れなくてごめんね・・・・・・」
私は、ずっと足を踏み入れる事の出来なかった池に足を入れた。
温度などは感じない。
蛍が輝いて私を祝福してくれている。
「ふふっ・・・・・・・・・またね、」
私はほほに冷たいものが伝うのを感じながら沈んでゆく。
(死んでも、感覚ってあるんだ・・・・・・)
何回天の川をたった1人で見たかわからない程歳をとった私が初めて知った事だった。
池の景色を目に焼き付けながら、私は星の一つとなった。
「今年も、雨だよ。君が死んでから毎年雨ばかりだよ」
少年はとあるお墓の前でそう呟いていた。
少年の前にあるお墓には朝顔が備えられている。
「雨でも、私はあなたのそばにいるよ--」
「・・・・・・・・・」
彼の耳には、この世に居るはずのない人物の声が届いた。
少年は目を見開いたがその目はすぐに優しい瞳に変わる。
「っ--じゃあ、君に届くように毎年短冊を書かないとね!」
少年は涙を流しながらつぶやいた。
その声は、彼女に届いたのだろうか。
(ちゃんと、聞こえてたかな?)
空を見ても、答えはわからない。だが、一つの星が微かに揺れたような気がした。
七夕ですねー
織姫と彦星の笑顔は、見れますかね?