第三章:驟雨(シュウウ)
彼女が突然消えてから五日目。あの日以来雨が降る事は無く、彼女も姿を現さなくなった。
六日目、七日目と、日が経つにつれて春弥の中で、彼女に会いたいという感情はいっそう大きくなっていた。
八日目の朝、雨音が聞こえた。春弥は布団から飛び起きて、窓の外を確認する。遂に待ちに待った雨が降ってきたのだ。
学校ではテスト返し真っ只中、皆が一喜一憂するさなか、春弥だけはその日のを嬉しく思っていた。帰ると親に怒られる、帰りたくないと皆は口をそろえて言うが、彼だけは違った。帰りの時間が待ち遠しかった。
副担任が明日の連絡や生徒の呼び出しを済ませ、帰りの挨拶が終わると皆すぐに教室から出ていった。
春弥は、テスト週間が終わったのにもかかわらず、教室に独り残って勉強を始めた。そして、下駄箱辺りの人通りが無くなった頃に切り上げ、傘を持って外に飛び出していった。
いつもの場所で彼女は、厚い雲に覆われた空を見上げていた。そして、勢いよく飛び出して来た春弥に気付き、ほほ笑んだ。
「あ、来てくれたんだ、うれしい。ここ最近雨が降らなくって、ちょっと寂しかったなぁ…なあんて」
白い彼女は、笑顔で春弥にそう言った。
「う、うん、そうだね…」
これが、春弥の精一杯の一言だった。しかし、春弥にとってこのたった一言が、大きな進歩だった。次の言葉に繋げる事が出来たのだから。
「き、君は名前…なんていうの?」
「わたし?そんなのとっくに忘れちゃったよ、もうかなり昔の事だからね」
会話は予測不能、春弥自身しっかり覚悟はしていたが、そんな返しは本当に予測不能だった。
「かなり昔?…やっぱり、その、幽霊とかそういうのなの…?」
春弥は、戸惑いながらも、なんとか会話をつなげた。
「うーん、よくわかんない。でも、私はキミ以外の他の子には見えていないの、それはキミも分かるでしょ?」
「あ、やっぱり…そうだったんだね」
傘も無しに一人で立っている彼女に誰も気づかないはずがない。やはりそういう事だったのだ。
「キミ、名前の読みは…シュンヤ君でいいよね、シュン君って読んでもいいかな?」
白い彼女は、首を傾げて春弥に確認を求めた。春弥は、必死で恥ずかしさに耐えながら、彼女の目を見て「うん」と答えた。
「じゃ、じゃあ、君の名前も…あっ、覚えて無いんだっけ」
「ならシュン君が付けてよ!良い名前をさ」
突然の無理難題に春弥は目を見開いた、まさに予測不能。その春弥の表情を見て彼女は笑い、つられて一緒に笑った。少し緊張が和らいだ気がした。
気を取り直して、彼女にふさわしい名前を考えた。あの日の出会いを思い出す。そして至った答えが。
「レ…レイン、なんてどうかな…?」
春弥が持った、彼女の第一印象、雨に似ているのをそのままイメージした名前だ。何のひねりも無い、ストレートすぎる、と自嘲した。自分のネーミングセンスの無さにつくづく心が痛むが、彼女の方はそうでもなかった。
「レインかぁ、良いね!ストレートにさ、わたしを雨に例えるなんて、中々センスあるじゃん!」
彼女も、自分が雨に似ている、というのは自覚している様だ。というか、彼女自身は雨の日しか現れない謎の少女だ、やはりこの名前がぴったりだろう。
「よ、よろしくね、レイン…」
「うん、よろしくねシュン君」
春弥は、レインとの距離が一気に縮まったのを全身で感じた。それはレインも同じであるはずだ。
電柱に付いている灯かりに電気が灯った。空も少し暗くなっている。
「今日はこの辺にしよっか。じゃあねシュン君」
春弥は物惜しそうな顔をしながらも頷き、レインに手を振って自転車置き場に向かった。振り返ってみても、もうそこには誰もいなかった。
一緒に会話した時間があっという間に感じた。その感覚は、会話によるものなのか、彼女への感情によるものなのか。それはまだ春弥には分からなかった。
あの会話から五か月が経つ。春弥は、雨の日は毎日のように居残りして勉学に励み、レインとの会話を楽しんだ。
レインの事を、いろいろと知る事が出来た。
今までずっと色んな場所を巡って来た事、レインの事が見えると言ったのは春弥で三人目という事、ここまで会話が進んだのは春弥が初めてだという事。
しかし、レインは自分の正体については、明かそうとしなかった。記憶が所々おかしいらしい。レイン自身も自分の正体を知らず、思い出せそうだが思い出したくない様だ。
二週間にわたって雨が降らない時もあった。その時は雨が降るまでじっくり待って、話せる時にじっくり話すのが一番だという事も知った。いっときは、雨を降らせる機械でも開発してやろうという意気で気象について調べた事もあった。
五か月も会話を続けると、春弥の心に大きな変化が表れた。会話に対する疎遠感が和らいだ、会話の楽しさを知ったのだ。
授業でも、隣同士での作業の時、中々自分から話そうとしなかった春弥だったが、自分から会話を持ちかけるなど、大きな成長が目に見えてわかった。
自然と会話する量も増えていき、周りの、彼に対する態度も大きく変わっていった。そして、彼にも遂に友達が出来始めた。
変化はそれだけでは無い。レインに会うために、雨の日は毎日居残り勉強をしていたためか、家で勉強をする習慣が出来たらしい。テストの成績が大幅に良くなったのだ。
学年順位が三百人中二百位代から中々抜け出せなかった彼が、最近のテストでは上位二十名の中に入る程になっている。これには、先生も親も、春弥本人でさえも驚きを隠せなかった。