インビジブル
お題
『マフィン』
『消しゴム』
『モノローグ』
朝、教室へ向かう途中、すぐ横の窓が開いていたのか、風が少し前を歩く女の子の髪を揺らした。
窓から外を見上げれば、そこには透明感のある青空が広がっていた。
教室の入り口をくぐったあたしは、高らかに声を上げた。
あたしの一日は、朗らかなあいさつで始まるのだ。
「みんな、おはよう!」
けれど、教室内に沢山の生徒がいたにも関わらず、あたしに挨拶を返す人は誰もいなく、あたしの挨拶は悲しきかなモノローグになってしまった。
まあ、それも当然のことだ。仕方がない。
何の気なしに目線をあたしの席へと移せば、机の上には一本の菊の花が刺さった花瓶が置いてあった。
「……これ、わざわざ買ってくれたんだよね」
その後、あたしは教室の中央辺りでかしましくしゃべっている女の子達の輪に加わった。
疲れた表情で呆れたように口を開いたのは、クラスの中でも比較的人気の高い良子だった。
「でさー、京子のやつったら、昨日はずーっとマフィンが食べたいマフィンが食べたいって喚いてるのよ」
京子って、確か良子の妹だったっけ。
「それで、夜中にコンビニに行ってマフィン買ってきたのよ。夜の10時よ、10時! ほんと嫌になっちゃうわ」
「でも、買ってあげたんでしょ? なんだかんだ言って良子って妹の事好きよね」
そう返したのは、手鏡を見ながら前髪を指先でいじっている香織。
「好き? 勘弁してよ、あんなガキ。ああでもしないとずっと泣き止まないんだから」
そう言いながらも、案外まんざらでもない表情をしていることにきっと良子は気づかないのだろう。
そんなことを考えながら良子の顔をみてニヤニヤとしていると、
「あっ」
と、間抜けな声がどこかから聞こえてきた。
ふと視線を声の主へと動かせば、さっきからひーこらと宿題に励んでいた富樫君がこちらの方へ……いや、床の方へ手を伸ばしているのが見えた。
富樫君の視線を追えば、消しゴムがあたしの足元へと転がって来ていた。どうやら彼は消しゴムを落としたらしい。
何気なく手を伸ばしてそれを拾おうとしたあたしは、途中であることに思い至り、その手をぴたりと止めた。
「またやっちゃったなあ……あたしじゃダメなのに」
手を戻してどうしたもんかと考えていると、消しゴムに気づいた香織がそれをすっと拾い上げた。
「消しゴムじゃない。誰のだろ」
そう呟いた香織に、富樫君が席を立ってこちらに歩きながら話しかけてくる。
「あ、それ俺のだよ。サンキュー」
「富樫君の? はい」
富樫君に消しゴムを返す香織は、彼の机の上のノートを一瞥した。
「また宿題やってきてないの? 宿題ってどういう字を書くか知らないんじゃない?」
「おっと、今はそんな小言を聞いている場合じゃないんだ。ありがとな」
そう告げた富樫君は、そそくさと自分の席へと戻って宿題を再開した。
ふと、香織の方へ視線を戻せば、わずかだけど顔が紅潮しているのがはっきりと見て取れた。
こんな表情を見て、香織の恋心に気づかない人はいないだろう。
「えらくうれしそうな顔してるねーかーおりー」
「べ、別にうれしくなんか!」
良子に茶化される香織を見ながらクラスの平穏を感じていると、
キーンコーンカーンコーン……
というチャイムと共に、ガラリと戸をあけて担任が入ってきた。
「おら、お前らとっとと席に着けー」
そんないつも通りの気の抜けた担任の声を合図に、教室中へと散っていた生徒達がそれぞれの定位置へと戻りだした。
あたしの席を除いてすべての席が埋まったのを確認すると、担任は出席を取り始めた。
「相川―」
「はい」
そんな声を背中越しに聞きながら、あたしはドアをすり抜けて廊下へと出る。
――あたしがちょっとした不注意で教室から転落死してから一週間。
教室はどうやらいつもの日常を取り返したようだ。
「それじゃ、あたしは中庭で日向ぼっこでもしようかな」
そう言って、幽霊のあたしはぷかぷかと浮かびながら、中庭を目指して移動を始めたのだった。
ちょっとしたどんでん返しをやってみたかった。
お題が被っても話の広げ方次第で色々と変わりますね。