止まった時計を動かすために
お題
『色紙』
『未来』
『塩』
「ハァ……ハァ……」
月明かりの差し込む一階の廊下を、僕は全力で走っていた。
左腕にはめた最近買ったばかりの電波時計であるはずの時計は、ずっと前から10時43分で止まっている。
息を絶え絶えにしながら、あてもなくただただ走り続ける。
すると、三つ先の部屋のドアが少しだけ開いていることに気が付いた。
チラと後ろをみてあいつが来ていないことを確認すると、その部屋へと飛び込みすぐさまカギを閉めた。
少しだけカビの生えたような畳の臭いが僕の鼻を刺激した。
窓には緑色のカーテンがかかっており、部屋の八割には畳が敷いてあった。
棚に置かれている設備を見るに、どうやらここは茶道部の部室のようだ。
「くそっ……! なんなん……だよ一体……!」
ドアに背中をあずけてずりずりと座り込む。
息を整えながら何故僕がこんなハメになったのかを回想する。
僕は、週末の課題のプリントを取るために学校に忍び込んだ。
教室の机の中をあさる僕がふと視線を扉の方へと向ければ、そこには真っ黒で長い髪を顔の前にたらし、白装束を着て、
「私の宿題……どこにあるの……?」
なんて台詞を口走った女で立っていた。
その姿に不信感を覚えながらも、こいつも僕と同じくプリントを忘れたのか? なんてことを考えながら、そんなもん知るかと答えれば、
「ならあなたの頭を頂戴!」
と言って僕の方へと駆け寄ってきた。
僕は慌てて机を蹴散らしながらもう一つの扉から廊下へと飛び出し、その女との鬼ごっこが始まったのだ。
間違いなく、女は幽霊や妖怪、もしくはその親戚か何かであることは明白だった。
だって、明らかに机をすり抜けていたからな。
心臓の鼓動も落ち着きを取り出してきたころ、僕がこれからどうするかを考えようとしたその時、部屋の四隅に妙なものが置いてあるのに気が付いた。
白い小皿の上に、何やら白い粉のようなものが小さな山を形成するように積んであるのだ。
一番近くにあるそれに手を伸ばして確認すると、さらさらとした感触が得られた。
「これ、砂糖か?」
答える人なんかいないことなど分かっていたのに、僕は思った事をつい口に出してしまった。
なのに、
「いえ、塩よ。盛り塩ってやつね」
なんて声がどこからか聞こえてきた。
とっさにきょろきょろと周りを見渡せば、部屋の中央に薄く何かがちょこんと座っているのが視界に飛び込んできた。
「ひ――」
声にならない悲鳴を上げて部屋から飛び出そうとドアの方へ顔を向ける。
しかし、それと同時に
ドンドンドン!
ドアが叩かれる音がして、その犯人がさっきの女であることがすりガラス越しに確認できた。
反射的にドアから離れたもんだから、僕は足をもつれさせて後ろに倒れて尻を強打してしまった。
「今扉を開けたら、あなた死ぬわよ」
背中越しに、またさっきの声が聞こえてくる。
振り向けば、さっき見た薄い存在が話しかけて来ていた。
それは、黄色い和服を着た8歳ほどの子どもだった。
「驚かなくてもいいわ。わたしはこの部屋の座敷童みたいなもので、あなたの味方よ」
「座敷童……」
「そう。とはいっても、盛り塩の力を借りてこの部屋を守り切るだけで精一杯なんだけどね」
盛り塩……そうか、それがあるからあの女は物をすり抜けられるのにこの部屋には入ってこないのか。
この座敷童の事を信用できるとは到底思えないけど、ここまで話をして何の危害も加えてこない辺りあの女よりはよっぽどましだ。
「じゃあ、この部屋にいれば安全なのか?」
「まあ、そういうことね」
「なら、ずっとここにいて、だれかが来るのを待てばいいのか」
そう安堵した僕に対して、
「誰も来ないわよ?」
と、その座敷童はさも当然の如く言ってのけた。
「誰も来ないって……あ、明日は週末だからってことか? いや、それでも用務員か茶道部の部員は来るんじゃ……」
「そうじゃなくて、誰も入ってこないのよ。この学校には」
「……どういうことだよ」
「わたしたちの過ごす夜の学校には、時間の概念が無いのよ。だから、いつになっても明日は来ないし誰も来ない」
そんなバカな、と言いかけて視線を腕時計にうつす。
あれから何分もたっているのに、いまだそれは10時43分を指していた。
「信じてくれた?」
「……ああ」
「なら、ここから出ないとね。学校の外まで行けば安全よ」
座敷童はあっさりと告げたけど、ドアの前は今もなおあの女が陣取っているのが見える。
「出るって……そんなの無理だろ! あいつに捕まるだけだ!」
「だったら、諦めてここにいなさい。大丈夫よ、餓死で死んだってここの住人になるだけだから」
「……」
死んであの女の仲間入りするなんて、そんなのごめんだ。
けど、ここから出るったってそんな勇気も出やしない。
……踏ん切りの付かない俺がふと周りに視線を飛ばすと、棚に何枚かの色紙が飾っているのが目に入った。
卒業生に渡すためなのか、部員からのものであろう寄せ書きが所狭しと書いてある。
きっと、この先輩はそれはそれは沢山の部員に慕われていたのだろう。
……それに比べて、僕はどうなんだろうか。
友人は何人かいるけど、慕ってくれる後輩なんていないし、彼女だっていない。
何か誇れることを成し遂げたことも無い。
……。
「それで? どうするの?」
急かすように決断を迫る座敷童に、僕は言ってやった。
「出ていくよ。こんなところで、死にたくないから」
「そう。でも、どうやって?」
「それなんだけど、別に、入り口から出なきゃいけないってことはないだろ? 出口は、もう一つあるんだから」
そう言って、僕は座敷童越しにあるものを指差す。
「なるほど、窓ね」
「ああ。ここからなら校門より裏門の方が近そうだ。それと、この盛り塩、少しだけもらってくぞ。いざという時の為に」
「ええ、構わないわ」
一応上履きを脱ぎ、畳の上を歩いて窓のふちにたどり着く。
窓をカラカラと音を立てながら開けると、涼しい風が部屋の中に入ってきた。
上履きで外に出ることになるけれど、仕方がない。
「じゃあな、座敷童」
窓から部屋の外へ飛び出した俺は、ここからなら校門より裏門の方が近いだろうと判断した。
右手に塩を握りしめながら一目散に裏門を目指す。
生きて家へと帰るために。
そして、僕の未来の為に。
ジェネレータ先生、四回目でお題が被りました!
塩→盛り塩の連想。