それはまるで嵐のように去って行った
お題
『ナイフ』
『砂糖』
『SF』
※今回は一部残酷な表現を含みます。
窓の外から小鳥のさえずりが聞こえてくる朝。
始業時刻まではまだ一時間以上あるけど、私こと椎名碧海はすでに教室の中にいた。
今日は何の変哲もないただの平日。
砂糖のような甘いラブロマンスも泥まみれのスポ根ものも始まりはしない。
いつものように、教師の垂れ流す訳の分からない呪文を垂れ流す授業を受けるのだと、私はついさっきまでそう思っていた。
けれど、
「なんで……なんで……!」
と、そんな言葉を口走ってしまった私の右手には、鮮血の滴るナイフが握られており、目の前には、見知らぬ誰かが血を垂れ流しながら倒れていた。
死体だ。
私は、誰も刺してなんかいない。
今日は朝早くに来て宿題をやろうと思い学校へと向かったのは覚えている。
けれど、気が付けばこうして血染めの死体の前に立ちすくんでいたのだ。
死体は、黒いジャケットにパリッとした紺色のズボンを履いている青年だ。その髪は染めているのか派手な緑色だけど、でもその大半は血の赤になっている。
「と、とにかくなんとかしないと」
なんとかする?
どうやって?
さしあたっての問題は、このナイフとそれについた血だ。当然私の手にもちはべっとりと付いている。
血を洗い流すために手洗い場へと向かおうと、踵を返す。
すると、
「ああ、ごめんごめん。巻き込んじゃったみたいだね」
そんな明るい声が背中越しに聞こえてきた。
「ひっ!」
振り向くと、そこには、さっきまで床に倒れていた青年が立っていた。
「し、死んでなかったの……?」
「いいや、確かに死んでいたよ。でも生き返ったんだ」
「は、はあ……?」
そんな、SFみたいなこと、こんな目の前で起こるなんて……。
「信じられない? ならこれでも見てみる?」
あまりの事態に混乱している私に向かって、青年はシャツをぐいっとめくりその腹部を見せつけてきた。
「きゃっ!」
私は、とっさに顔を背けてしまう。
だ、だって、恥ずかしいじゃない……。
「ああ、ごめんごめん。でも、手っ取り早く信じてもらうにはこれが一番だと思ったから。ほら、見てみてよ」
あっけらかんとその青年は告げる。
恐る恐る視線を青年の腹部へと向けると、生々しい傷跡が見えた。
――急速な勢いでふさがっていく傷跡が。
「え……?」
「まあ、簡単に言えば僕達はそういう種族なんだよ。君たちとは違う、ね」
呆然とする私をよそに、青年は朗らかに説明を続ける。
「いやあ、時空移動に失敗しちゃってね。死体になってこの学校に出てきたのはいいんだけど、この世界って結構厳密にできてるからさ、人が一人なんの理由づけもなしに出現するのってまずいんだよね」
「時空移動って……」
「そこで、誰か僕を殺してくれる人間が必要になったんだ。そこで白羽の矢が当たったのが、君ってわけだ」
何も言えない私からナイフをさっと奪い返すと、
「それじゃ、ごめんね。当分は僕もこんなところに来ないと思うからさ、学園生活を楽しんでよ。じゃあね」
そう言って、青年は笑顔で手を振りながらすっと消えてしまった。
「え……あ、は……え?」
気が付けば、床に広がる血も私の手に付いた血もきれいさっぱりなくなっており、教室にはまったく理解の追いついていない私だけが残されていた。
大迷走。
ナイフの文字を見て血が出る話しか思いつかなかった。