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ある読書家の苦悩

お題

『牛乳』

『図書館』

『匂い』

 私は、図書館が好きだ。

 校舎の北に配置された、真っ白な豆腐のような直方体の外観をした図書館こそが、私の宝箱であり異世界への扉である。

 いや、さすがに異世界への扉と言うのは比喩であるけれども。それぞれの世界観を持った無数の本たちが蔵書されているって意味だ。

 小さいころから母親に連れられて地元の市の運営する図書館によく行っていた。

 幼い私は割と元気な方でいたずら好きで母親を度々困らせていたらしく、本を読んでいる間はそれが嘘のように静かになることに気付いた母親が、図書館に私を連れていく事を思いついたらしい。

 なんというか、申し訳ない話ではあるけれど、そのおかげで今の私がある。



 今時はここ以外で見る事の無くなってしまった回転扉の入り口を潜り抜けると、鼻孔の奥を紙とインクの匂いが刺激した。

 これこれ、この匂いこそが図書館の醍醐味であり、私が図書館を愛する理由のひとつである。

 この匂いを嗅ぐだけで、これまで私が読んできた物語が走馬灯のようによみがえる……というのは言い過ぎだけど、その時感じた高揚感は確かに私の胸にある。

 さて、今日はどんな物語が私を待っているのだろうか?





 ……と、いつもだったらずらりと並んだ本棚の、奥にある小説コーナー(稀に伝記、児童書コーナー)へと向かうのだけど、最近は事情が少しだけ異なる。


「よう、今日も来たのか」


 私の姿を見るなりすぐさま声をかけてきた、読書スペースに陣取る彼。

 左手にハードカバーの小説、右手にはどこから手に入れたのか、ストローの刺さった小さい紙パックの牛乳を持っている。

 いつもこうだ。彼は常にこのスタイルなのだ。


「……ねえ。私何度も言ってるよね? 図書館内は飲食禁止。それが出来ないなら図書室に入らないでって」

「ああ。何度も聞いてるさ。でもいいじゃねえか。まだ本を汚した事なんかないんだし」

「汚すリスクがあるから言ってるの。ルールってのは、制定された理由がきちんとあるんだから」


 彼のその傍若無人ぶりに、私は声を荒げそうになる。

 けれど、神聖な図書館でそんな大声を出しては他の生徒達に迷惑をかけてしまう。

 とにかく、図書委員会に籍を置くものとして、ルール違反者を見逃しておくことは出来ない。


「いいから早く出ていって。早く」

「はいはい、こうすりゃいいんだろ」


 そう言うと、彼はストローに口をつけ、耳障りな音を図書館中に響かせながら牛乳を飲みほしてしまった。

 まわりの生徒達の視線が一気に私達に集まる。

 そして、彼はなぜか満足げなドヤ顔で、


「ほら、飲み物はなくなったからもう飲食できないぜ? これならいいだろ?」


 と、私に言ってのけた。

 な、な、な……


「何にもわかって! ……ない」


 無意識に上げてしまった大声に気づいて、途中で無理矢理ボリュームを絞った。


「飲むこと自体やめないと、何の意味も……」

「まあ、それはそれとしてさ」

「それはそれとしないで」

「お前に薦めてもらったこの本、おもしれえな。まだ半分しか読んでないけど」


 私の注意を、説教をさらっとスルーした彼は、そう言いながら持っていたハードカバーの表紙を私に見せてきた。

 怒り半ばの気持ちでそれを見れば、確かに私が先週彼に紹介した本だった。

 まあ、教えた本を読んでもらって面白いと言ってもらえれば、嬉しい事に間違いはない。

 けれど、


「話を逸らさないで」

「あーやっぱだめか」


 私は彼のルール違反を許す事は無いのだ。

 こんなやり取りを、もう二、三週間は続けている。

 一向に改善される事の無い彼の態度に苛立ちを覚えるが、彼は高校に入ってから本を読むことの面白さに気づいたらしく、その興味を取り上げることはできない。

 そう思って最初の頃は優しく敬語で注意していたが、何回注意してもルールを守ろうとしない彼に業を煮やし、いつからか敬語は取れてしまった。

 ……まあ、いい傾向だ。

 もっと親しくなれば彼もルールを守るようになってくれるかもしれない。




 結果から言えば、しばらくして彼は余計に言う事を聞いてくれなくなってしまった。

前々から書きたかった図書館の話。

お題が出たから書けたけどお題で出なくても書いて良かったか。

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