資料室の幻想
お題
『針』
『未来』
『アイスクリーム』
まだ夏休み前だというのに太陽がフルパワーでその猛威を振るっている放課後、俺は資料室の掃除をしていた。
蒸し暑い部屋の中を漂うチリやほこりをキツイ西日が照らしている。この部屋の中にいるのは、汗水をたらしながら床をホウキで掃く俺の他には、ソファーに腰を掛けてのんきにバニラアイスを口に運ぶ市ヶ谷先生だけである。
白衣の下から豊満な谷間がのぞく市ヶ谷先生は、校内では冷血な美人教師で通っている。黒いショートカットを揺らしながらアイスを食べるその姿は、艶やかさすら感じてしまう。
「それにしても意外だな」
「何がですか?」
突然市ヶ谷先生に話しかけられた俺はホウキを止め、市ヶ谷先生の方へと顔を向ける。
「いや、神矢君は掃除は雑にすると思っていたからな。君、おおざっぱな性格だろう」
「おおざっぱな性格ってのは否定しませんけど、この掃除は自分のためですからね。そりゃあ丁寧にもなりますよ」
俺がこの掃除をしているのは、この市ヶ谷先生との取引の結果である。
この学校で市ヶ谷先生の印象をアンケートしてみれば、完璧だの冷血だのといった文言が並ぶはずであるが、その言葉は市ヶ谷先生の真実をまったく映し出していない。
本当の市ヶ谷先生は、実にマイペースでものぐさなのだ。自分がいかに楽をして過ごせるかを追求した結果、他人に干渉せず先のような印象が生まれたのである。
「それより、さっきの取引のこと、忘れてないですよね?」
「ああ、覚えているさ。神矢君が私の部屋を掃除する代わりに、私は神矢君にこの部屋の一角を提供する、ということだろう」
「市ヶ谷先生の部屋、じゃなくて資料室ですけどね……」
そんな市ヶ谷先生は、本来公共施設の一部であるこの資料室をまるで自室のように占拠している。とはいえ、この資料室にあるものがつかわれることはほとんどないため、市ヶ谷先生の教師としての実力も相まって校長たちも見逃しているようだが。
校内で自由に使える場所が欲しかった俺は、そんな資料室に目を付けた。
そこで、市ヶ谷先生に資料室を使わせてもらえないか交渉しに行ったところ、先の取引を取り付けることができたのだ。
「にしても、市ヶ谷先生。この資料室、どのくらい掃除してないんですか。ちょっとやそっとでたまる埃の量じゃありませんよ」
俺はそう文句を言いながら、ホウキの動きを再開させた。
「さあな。少なくとも私がここに来てから二年は誰も掃除をしてないはずだが」
「二年!? ……よくもまあそれだけ放置しましたね」
「別に。掃除する気にならなかっただけだ」
そう言ってまたバニラアイスをほおばる市ヶ谷先生。
こんな姿を見たら市ヶ谷先生を慕う皆はどう思うだろうか。
「市ヶ谷先生。掃除が終わったら俺にもアイスくださいよ。ただでさえ暑いのに何で一人だけそんな美味しそうな物食べてるんですか」
「嫌だね。これは私のアイスクリームだからな。それに、取引にも入っていない」
「まあ、そう言うと思いましたけど……」
溜息を付いてホウキを棚の後ろへ忍ばせると、ごそっと埃の塊を掻き出した。
「うわあ……」
その衝撃的な光景にひるみながらも、棚の中を掃除するために棚に並ぶビンをひとつひとつ取り出していく。
「このビンなんだ……よくわからないものが入ってるし……」
ビンの中身をあまり考えないようにしながら棚の中に手を差し込んだ瞬間、
「痛っ!」
指先に小さな痛みが走った。
慌てて手を確認すると、わずかだが血が出てきている。
棚の中に視線を移すと、そこには小さな針が一つ落ちていた。
「なんでこんなところに針が……」
不思議には思ったものの大した痛みでもないため、指先の血を服で拭った。
針の事を報告しておこうと再び市ヶ谷先生の方へ振り返ると、
「あれ?」
さっきまでそこにいたはずの市ヶ谷先生の姿が見当たらなかった。
「トイレにでも行ったのか?」
でも、ドアが開いた様子はない。
あの人が何の用もなしに席を立つはずは無いし、念のためドアを開けて廊下へと出てみる。
すると、
「なんだこれ……!」
ついさっきまでは何の変哲もないごく普通のリノリウムの廊下だった。
しかし、今では窓ガラスは割れ、壁や床には大きなひびが入ってしまっている。
まるで、夢でも見ているかのようだ。
窓から望む景色は、さながら戦時中のように様々な建物から火の手が上がり、何本もの黒い煙が空へと昇っている。
「な、なんでこんな……」
腰を抜かし廊下にへたり込むと、
「痛っ!」
またしても、指先に小さな痛みが走る。
そして、気が付けば俺がへたり込んでいる廊下は何の変哲もない者へと戻っていた。
視線を床へと移せば、やはりそこにあったのはさっきの針。
「おい、一体どうしたんだ。神矢君」
その時、俺の背後から市ヶ谷先生の声がした。
首だけをそちらの方に向ければ、市ヶ谷先生はアイスクリームの容器を片手にソファーからこちらの様子をうかがっていた。
「急に廊下へと歩いて行ったかと思えば、廊下に座り込んでどうしたんだ一体」
「いや……それはこっちのセリフなんですけど……市ヶ谷先生こそ、さっきどこかに行きませんでしたか?」
「そんな事は無いが。私はずっとここに座っていたよ」
市ヶ谷先生は、こんなことで嘘をつくような人じゃない。
じゃあ、なんで……?
「どれ、神矢君。一体何があったのか、話してみてくれ」
「……別に、大したことは話せませんよ。多分、幻覚でも見てただけです。夢か異世界か、それともこの世界の未来かはわかりませんけどね」
一話目からこんなオチですが、続きません。
当面の目標はしっかりと起承転結を付ける事です。