雪が魅せてくれたもの
彼女と初めて会ったのは、生まれて初めて雪を見た、小学三年生の冬だった。
学校が冬休みになり、毎日、近所の友達と遊んでいた日だった。
夕方の五時頃になると、小倉克哉と遊んでいた子ども達は母親に呼ばれ、それぞれの家に帰っていった。克哉の母親も呼びに来たが、まだ遊び足らなかったので、もう少しだけ、と言うと、六時までには帰って来なさいよ、と言い、家に戻っていった。
けれど、遊ぼうにも友達はみんな帰ってしまったので、どうしようかと悩んだ結果、探検に行くことにした。
いつもは、自分の家が見える範囲でしか、遊んでいなかったので、自分が知らない場所に行く。友達も親も知らない、自分だけの秘密の場所。そう考えるだけで胸がドキドキした。
克哉はとりあえず歩き始めた。歩き始めると、すぐにT字路にぶつかった。ここを左に曲がり、そのまま道なりに歩くと、空き地があるのを知っている。けれども、その先には行ったことがない。なので、今日はその先に行ってみようと思った。
空き地に着き、いざ先に進もうとしたが、一人で行ったことがないため、急に不安になって、引き返そうかと思ったが、自分を奮い立たせ止まっていた足を動かした。
辺りはさっきより暗くなり、街灯の明かりが、克哉にとっては何より心強い味方だった。
ふと、頬に何か冷たいものが当たった。雨が降ってきた。そう思ったので、急いで家に帰ろうと、来た道を振り返った。
「雪だ!」
近くにいたカップルの女の人が声をあげた。
これが雪、その時に初めて雪を見た。
空を見上げると、街灯に照らされて、小さな白い粒がゆらゆらと舞っていた。
気付けば「わあ」と、声を発していた。それほどまでに綺麗だった。
雨じゃないとわかれば、まだ外で遊べる。克哉は再び前に歩き出した。
雪が降る中、歩き出した克哉の耳に、ブランコの揺れる音が聞こえてきた。足を止め、近くを見渡しても公園はなく、気のせいと思い、また歩き始めた。するとまた音が聞こえてきた。克哉は怖くなった。
「どうしよう」
もう帰ろうかと思ったが、ブランコの音が、気になって仕方がなかったので、音のする方へと向かっていった。
右へ左へ、音だけを頼りに、知らない道を進んで行った。進むに連れて、街灯の明かりが少なくなり、克哉の不安も増していった。
何度目かの角を曲がると、ようやく公園を見つけた。
ブランコが二つだけしかない小さな公園に、自分と同じぐらいの身長の女の子が、一人でブランコを漕いでいた。
公園は今までの道とは違い、街灯がないにもかかわらず、なぜか明るかった。それだけで克哉は安心した。
ブランコを漕いでいた少女は克哉に気付くと、漕ぐのをやめて、笑顔で近づいてきて、少女が克哉の手をとって
「一緒にブランコ乗ろう」
その笑顔につられて、克哉も笑顔になった。
二人は一緒にブランコを漕ぎ始めた。何も話さないまま、ずっと漕ぎ続けた。それでも克哉は楽しくて、ずっと笑顔のままだった。
しばらくして、少女がブランコを漕ぐのをやめた。
「もう帰らないと」
克哉の方を見ずに、俯きながら言った。
「まだ大丈夫だよ」
克哉もそろそろ帰らないとお母さんが心配するが、怒られてもいいから、もっと少女と遊んでいたかった。
「だめ、帰らないとお母さんが心配しちゃう」
「じゃあ明日も遊べる? ここに来たらまた会える?」
「わからない……」
少女は俯いたままだった。克哉はどうにかして笑って欲しかった。
「ぼく小倉克哉、君は?」
「……長瀬愛」
「ながせ、見て見て」
長瀬が顔上げると、克哉が両手でほっぺたをぎゅーと押さえて、変な顔をしていた。それを見た長瀬が笑った。
よかった、笑ってくれた。克哉は嬉しくなった。
「かっちゃんって、面白いんだね」
かっちゃんと呼ばれ、ドキッとした。
「かっちゃんと会えてよかった、楽しかった。また会えるといいね」
そう言って克哉から離れて行った。だが、何かを思い出したように立ち止まって、振り返ってこう言った。
「帰り道は心配しないで、目印があるから」
気が付けば雪はやんでいた。
帰り道には、さっきまで降っていた雪が、道端に所々積っていた。それを辿って行くと、あの空き地に出た。そこから先の道には、不思議と雪が積もっていなかった。
家に帰ると、やっぱりお母さんに怒られた。
「六時までには帰って来なさいって言ったでしょ」
「ごめんなさい」
怒った顔を見たくなかったので、下を向いたまま謝った。
「晩ご飯にするから、ほら、手を洗ってらっしゃい」
母さんはそれ以上怒らなかった。
次の日、昼ご飯を食べるとすぐに遊びに出かけた。出て行く時に、今日はちゃんと六時までには帰って来なさいと、釘を刺された。
早くあの公園へ行って、長瀬に会いたい。
その気持ちが克哉の歩を早くした。昨日はブランコの音に導かれて、辿り着いたので、今日もあの空き地の近くに行けば聞こえるはずだ。
克哉は空地へと向かった。
空き地に着くと、立ち止まって耳を澄ましてみたが、今日はブランコの音が聞こえてこなかった。近くをうろうろしても聞こえてこなかったので、自力で探すことにしたが、どうしても見つけられない。歩き疲れ、仕方なく家に帰った。すると母が、ずいぶん早いわねー、と驚いていた。
次の日も、その次の日も、克哉は公園を探しに出かけた。けれども、一向に見つかる気配はなかった。そして、冬休みが終わった。
学校が始まり、公園を探す時間が減ったが、休みの日には公園探しを続けた。
明日探しても見つからなかったら、諦めよう、そう心に決めた。
翌朝、起きてみると、街が銀色に染まっていた。道路も家も車も、みんな真っ白、克哉は嬉しくなって、すぐに着替えて外に飛び出した。
雪の上を歩くなんて初めてだ、自分の足跡がはっきりと残っているのを見て、シシシッと、笑った。克哉はそのまま歩き始めた。
気が付くと、空き地へと向かっていた。どうせ見つからないと思いながらも、辺りを探し始めた。すると、目の前に足跡があった。克哉より少し小さい足跡だった。
それがずっと続いている。もしかして、と思い、克哉は足跡を辿ってみた。
辿っていくうちに長瀬に会える、そんな気がしてきた。そう思うと嬉しくなって、走り出していた、辿っていった先に見えたのは、あの公園だった。
公園に着くと、前と同じように長瀬が一人でブランコを漕いでいた。長瀬は克哉の姿を見つけると、ブランコから飛び降りて、克哉の見たかったあの笑顔で、近づいて来た。
「よかった、また会えた」
長瀬も嬉しそうだった。
「いっぱい探したんだけど、見つからなくて、でも会えてよかった」
「かっちゃんなら、私の足跡を必ず見つけてくれるって思ってた」
長瀬は微笑んだ。
克哉は、ずっと気になっていたことを訊いた。
「また会えるか訊いた時に、どうしてわからないって答えたの?」
長瀬の顔から笑顔が消えた。
「雪が降るか、わからなかったから」
長瀬は俯きながら答えた。
「……雪?」
「でも、もういいの。こうして会えたんだから」
克哉が首を捻っていると、長瀬は顔を上げて言った。
笑顔だったが、克哉の好きな、あの笑顔ではなかった。これ以上訊いたら、長瀬がどこかに行ってしまうような気がしたので、それ以上何も訊けなかった。
前と同じように、二人並んでブランコを漕いだが、さっき見せた悲しそうな笑顔が頭から離れなかった。
別れ際に初めて会った時と同じ質問をした。
「また会える?」
「わからない」
長瀬の答えも同じだった。
「雪が降ったら会えるんだよね? じゃあ雪が降った日には、必ずここを見つけるから、ながせも来て、そしたらまた一緒にブランコに乗ろう」
答えを聞くのが怖かったが、長瀬は、克哉の大好きなあの笑顔でうなずいてくれた。
約束を交わして二人は別れた。
それ以来、雪が降る日を心待ちにしていたが、その年は一度も降らず春が来た。来年も再来年も、大阪には雪は降らなかった。
雪が降っていない日に、何度か探しに行ったが、やっぱり見つけられなかった。
克哉は今年、中学生になる。それでも毎年、冬になると、あの公園を探しに出かけている。
ながせめぐみ、名前以外何も知らない、初恋の女の子に会いに行くために。