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或るあるシリーズ

或るバイクの一生

作者: 林 秀明

早朝朝靄に包まれた中で私のバイク音だけが妙に響く。

いつもそういった神妙な気持ちで朝を迎え入る事が好きだが、生憎今日は雨だ。バイクの音に雨が滴る音が重なり、「雑音」と認定した私の心に不調和音が鳴り響く。

いつもながら「カッパ」をうまく着こなし、バイクシートに座る瞬間、一瞬おしりにひやっとしたものが染み込む。その時私は自分がゆっくりとくつろぎたい時に急に友達がズカズカと自宅へ遊びに来る、そんな嫌な瞬間の気分になるのだ。

 私は雨が嫌いだ。いやむしろ濡れるのが嫌いである。出勤前の100%完璧なスーツ姿が濡れた事によって80%、70%の状態になる。濡れただけで良いが、その濡れた個所が出勤時に気になり、仕事の能率を悪くし、60%。50%になる。雨に濡れる事によって半分の力しか出せないのである。

 私のかの友人はこう言う。

 「雨は涙を流してくれるというが、俺は違うと思う。雨は涙は流しても心の傷は流せない。一度洗車をしてきれいになった車がまたいずれ汚くなるのと同じ事だ。車の心をきれいにすることは出来ないんだ。」

 私はこの言葉を聞くといつもわかったようで分からない顔をする。なんとなく意味が分らないからだ。


 私は住宅街を抜け、市の街道を真っ直ぐに走る。少しでも雨に濡れたくないため、出来る限り信号待ち時、車の左側をスイスイと通る。猫が狭いブロック塀の脇道を通るかのように。しかし人生川が穏やかに流れるようにうまくいかないのである。必ず1台は歩道ギリギリに車を寄せ、バイク関係の乗り物を通さない猛者がいる。私はそいつを「のんきでオタンコナス」と呼んでいる。のんきでオタンコナスがいる限り、私は車と同じような扱いで雨に打たれながら信号が変わるのを待ち続けるしかないのだ。


それでもなんとか次の信号で私は「のんきなオタンコナス」を退け、右側にあるコンビニへ入ろうと右のウィンカーを出した。そこは車通りが多く、なかなかバイクと云えども曲がる事が難しい。また車道も狭いため、後ろの車も追い越せず待ちぼうけになってしまう。

1回目私は雨が目に入り、曲がるタイミングを逃してしまった。

2回目曲がれそうだったが私の優柔な判断で、曲がるタイミングを逃してしまった。

そして3回目…

私ははっと気付いた。自分も「のんきなオタンコナス」の一員になっているという事を…


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― 新着の感想 ―
[一言] エッセイらしいエッセイですね。こういうの好きです。
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