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セドリック・オールディントンの話

 私の妻は病弱だった。

 

 強面を気にする私に対し、妻は儚げで美しい人だった。実際、本当に儚すぎて、触れればすぐに壊れてしまいそうな人。優しい笑みは弱弱しくも思えて、私は妻の笑みを見ると幸福感と同時、失う恐怖を感じていた。


 ジゼル・レインは酒場の店主の一人娘だった。

 ジゼルが店へ顔を出すことはほとんどなく、体調の優れるときだけ、父親を手伝っていた。彼女の両親は彼女を愛していたし、彼女も両親を愛しているのは、見ていてもわかった。

 私は暇さえあれば酒場に通うようになった。ジゼルが店に出る日がいつかはわからない。それならばと通えるだけ通った。


 その甲斐あって、彼女は私の顔と名を覚えてくれた。オールディントンの姓のおかげもあるだろうが。


「ジゼル、貴女は美しい人だ」

「からかっていらっしゃるのですか?セドリック様」

「私のことはどうかセディと」


 恋人になるまでそう時間はかからなかった。しつこい私に、彼女は半ばあきらめたように交際を了承してくれたのだ。

 それでもかまわなかった。他の男の手に渡るくらいならば、愛がなくとも私が恋人でいたかった。

 恋人らしい、たとえば二人で出かけることもなければ、屋敷へ連れ込むこともしなかった。彼女は体が弱く、外に出て来これる数も限られる。店に彼女が出て来た日だけ、客や店主の目を盗み、言葉を交わし、手をつなぎ、キスをした。それだけで私は、次彼女に会うまでどれだけでも待てた。


「セディ、もう貴方には会えません」


 そんなある日、彼女が言った。

 私は絶望より先に疑問を覚え、咄嗟に尋ねた。


「何故?」


 彼女は困ったように視線を彷徨わせてから、私に目を合わせた。


「貴方に飽きたのです」

「下手な嘘はよしなさい」


 嘘が下手にもほどがある。泣きそうな顔でそう言われても納得できるはずがない。

 やがて彼女は私の手を握り、震える声で呟いた。


「もう長くありません。他の方をお探しになって」

「あとどれだけだ」

「わかりません。けれど薬が尽きました」

「……」


 気づいてしまった。彼女は長くないのではない。諦めてしまったのだと。おそらく、自殺するつもりだろう。

 薬の値はばかにならない。医者に診てもらう金も。彼女はこれ以上両親に世話をかけまいとしている。閑古鳥はいないが、特別繁盛している酒場でもない。しかし彼女の両親は愛しい我が子に惜しみなく金を使うだろう。


「…薬を、与えよう」

「貴方が?」

「ああ」

「いけません」

「なぜ?」

「ご迷惑をおかけできません」

「もちろん、タダなどと言わない」


 自己嫌悪すらした。私は汚い人間だ。しかしどれだけ卑怯な手を使おうとも、私はジゼル・レインを欲した。


「医者にも診せてやろう」


 ただし、


「貴女の身と引き換えにだ」


 彼女の腕を引き、私の意向を彼女の両親に教えた。

 薬も、医者も、私が手配する。ただし、娘を妻にもらうと。


 レイン夫妻は猛反対をした。ふざけるな。大事な娘を売るものか。薬代も診察代も自分たちで払う。二度と娘に近づくな、と。

 以来夫妻はジゼルを酒場へ連れて来ず、加え私を出入り禁止にした。これには感心した。子爵位を持つ人間を出入り禁止にするにはよほど度胸のいることだ。夫妻はそれだけ娘を愛していた。

 しかし曲がりなりにも爵位持ち。彼女の家はすぐに突き止めた。


「貴女に問う。私の妻になるか、死んで、両親を悲しませるか。どちらを選ぶ」


 レイン夫妻が仕事の最中、私はレインの家へ忍び込んだ。

 戸惑いを浮かべる彼女は答えたのだ。


「どうか貴方の傍に置いてください」


 己の罪深さは理解している。私は彼女の親から彼女を奪う。その日中に彼女をさらい、以来私は、療養と称してジゼルを屋敷に閉じ込めた。


 なんと愚かだったのかと、毎日自分を呪った。

 脅迫で手に入れた関係など。両親から彼女をうばったこと。彼女から両親をうばったこと。決して許されない。

 同情か、哀れみか、ジゼルは私に愛の言葉を囁く。それさえも苦痛に感じる。甘美なはずの言葉は私を逆に蝕む。

 愛してほしい。思うと同時に、愛される資格などとっくに失ったと思い出す。

 だからこそ、耳を疑った。



――貴方との子が欲しい。



 ジゼルが言ったのだ。彼女が、私に。

 囲って二年ほどたった日だった。私は一度も彼女と、恋人であった日にした以上のことをしなかった。卑怯な私に、これ以上彼女が壊されるのはあまりにも酷なことだ。


「子など生まなくとも、貴女がいればいい」

「私は欲しいのです。愛しい人との子はどれだけ可愛いでしょう。それとも、私は貴方の欲を誘えないほどに、魅力が乏しいのでしょうか」


 今は思う。あの日々の中、ジゼルの愛を信じなかったことこそ、なにより愚かだったと。


「セディ、私を愛していると言うなら、私の願いをきいてください。私のことを信じてください。愛しています。両親との別れは確かに辛いものでした。けれど貴方がいなければ、私は孤独に死ぬだけだった。愛しい人。私が貴方を想う以上に、私を想ってください」


 間もなく、生まれたのは可愛らしい娘だった。ジゼルに似た聡明で、賢い一人娘。すくすく育っていく娘を前に、日々の喜びをかみしめた。私たちの自慢の娘だ、と、ジゼルは大層娘を可愛がり、私も負けぬほどに娘を愛した。

 しかし、あの子は三つの誕生日を迎えたころ、ジゼルは病状を悪化させた。いつ亡くなってもおかしくないと。ベッドから出られなくなった。


「お葬式の準備を、してください」

「馬鹿なことを言うな!!」


 思えば初めて、妻に怒鳴った。


「お願いです。沢山お願いがあるの。貴方とセシルと出かけた丘。星を見た丘。あそこで式をしてください。お墓も、あそこがいいわ。お願いです」

「貴女はまだ生きているだろう!」

「生きている間に、準備をして。私は悪い女です。私が死んで、悲しむ間もないほど葬儀の準備に追われてほしくありません。悲しんでほしいのです。酷い話でしょう。私のために、貴方にただただ泣いてほしいのです」


 聞き入れたくなどなかった。それでも、数年に一度の彼女の頼み。


「……わかった」


 無視できるはずがなかった。




***




 カーライルの息子を引き取ったのは、正解だったか間違いだったか、今でもわかりかねる。

 あの子を邪魔だと思ったことはないし、かつて友人の様に親しかったカーライルに似たところを見せるあたり、微笑ましくもなった。

 共に生活をしていれば、息子のいない私たち夫婦や兄弟のいない娘にとって、あの子は家族同然の存在となった。

 しかし気づいてしまったのだ。あの子が時折見せる、娘への熱い視線に。執着心をも滲ませる瞳は、かつての自分を思い出させた。いつかあの子は、娘をさらってしまうのではないか。その時私はあの子を責められない。私はジゼルの両親に同じことをしたのだから。


「あの子もいつか恋をするだろう」

「どちらですか?」

「セシルだ」


 二人きりになったところで言うと、ジゼルはクスクスと笑った。


「早い心配ですね」

「……いつかさらわれるだろう」

「自己投影ですか?」


 まさにそうだ。娘はジゼルに似てどこかのんきすぎる。そしてあの子は私に似ている。


「簡単な話です。貴方が認めてあげればいいのです」

「娘をやることをか?そう簡単ではない」

「ですから、今から心の準備をしておくのです。アシュレイはいい子でしょう?知らない方にとられるよりも、あの子なら、セディだって納得できるのではないですか?」

「そう簡単ではない…」


 しかしその日が来たら……。私にはどうすることもできないだろう。ジゼルの言うことが最も筋が通っている。それにカーライルの息子であれば、幸せな家庭を築けるだろう。不慮の事故にさえ合わなければ幸せな夫婦だった。


「心の準備…か…」


 その言葉が彷彿とさせるのはジゼルの病状もあった。考えたくもない。あとどれくらいかなど。

 変なところで敏い妻は、私が抱きしめれば、「愛しています」と何度も囁いた。


 柩の中の母を見て、泣かずにいられる我が子は薄情などではない。暗い面持ちで俯く従者に寄り添われた私たちの娘は、従者に一言述べ離れると、私の前へやってきた。

 私に笑って見せようとしているのか、頬をひくつかせながら、私に両手を伸ばしてきた。


「お父様も、お母様も、大好きよ」


 的外れなことを言っているようで、娘なりに考えたのだろう。手は私に伸ばし、瞳は空を向いている。

 ああ。ああ…!お前の思う通りだ。お前のお母様は空でお前や、お前の大事な従者や、私を、見守ってくれているだろう。お母様はお前たちを、私たちを、愛してくれていたから。


「…っぁ…あ…ああ…っ!!」


 お前のお父様は情けない。まだ子供のお前を支えてやらなければならないのに。けれどできなかったんだ。心の準備など。希望を捨てられなかったんだ。お前の花嫁姿を、二人で見たかった。お前のお母様と一緒に、お前の子の、おじいさまとおばあさまになることを、夢に見たんだ。

 情けない。大の男が情けない。声をあげて泣いたのは何年ぶりだろう。

 明日からは、父に戻ろう。だがそれまでは、あの美しい人のために泣かせてくれ。




 先に屋敷に戻る子供たちは馬車に乗り込んだ。

 私に似た少年が、娘を抱きしめ私の目を見た。


「傍にいますから。大丈夫」


 きっと私の娘は、この少年を選ぶだろう。

 ぼんやりと、そう思った。


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