5、従者の敗北
もともとは、ただの被害者だった。が、事情が変わり、僕とアリシアは共犯者になった。
駆けつけたマクラクラン先生に叱られたアリシアは、普段の強気はどこへやら、ボロボロと泣き出した。これには周りの空気も不穏なものに変わる。
「人に迷惑はかけるなと、いつも言ってるだろう!」
「だって…っ!先生が悪いのよ…!あの、モートン男爵の娘ばかり構うから…」
あまり、他の生徒のいる場でくっつくのはどうかと思うが。今のアリシアを落ち着かせるにはこうするしかないのだろう。マクラクラン先生は、大声で叱って悪かった、と彼女の頭を撫でながら謝っている。
「ミス・オールディントン、迷惑をかけてすみませんでした。ミスター・カーライルも、付き合わせてしまってすみません」
普段の先生の丁寧な口調で謝られる。
「いいえ。お気になさらないでください、先生」
「……お嬢様?」
僕を見上げるお嬢様は、口元に手をあて、意地悪く笑った。
「ちょっと調子に乗りすぎたわね、マイ・ディア?」
ローナの言うにはこうだ。
アリシア・キャンベル伯爵令嬢には幼少期から想いを寄せる年上の幼馴染がいる。その幼馴染と、つい先日婚約が成立したという。しかしその婚約者は彼女以上に世話をやく女子がいた。それがレイラ・モートン。
その名前が出た瞬間、間違いなくその婚約者は好きであの痴女と関わっているのではないだろうと察したが。容姿がいいことは否定できないので、ライバル視されることもあるだろう。
そこで一途な伯爵令嬢は考えたのだ。どうすれば、年上の婚約者が自分を気にしてくれるか。他の男と仲睦まじい姿を見れば焦ってくれるかもしれない、と。
ここで大きな問題が発生した。誰を相手に選ぶかだ。
都合の悪いことに、彼女は自分にとってどうでもいい相手には酷い態度だった。協力者を作ろうにも協力してくれるような相手がいない。
どうすればいいか考えた伯爵令嬢は結論に至る。自分に逆らえるはずもない庶民を利用してやろう、と。庶民に頭を下げられないプライドの高い彼女は本気で僕を自分に惚れさせてやろうとしたらしいが、いい迷惑だしなめるなという話だ。
ローナがした提案というのは、彼女と協定を結べというものだった。
「だって君、やることやってないから鬱憤たまってるでしょ?嫉妬する可愛い先輩を見て優越感に浸るのも乙じゃないかな」
らしい。
まあ一理ある。お嬢様の嫉妬は比較的静かだし、嫉妬に狂って泣きじゃくるあの人も悪くない、と。いっそ嫉妬で首を切られても本望……と言うとローナには逃げられたが。
アリシアには、すべてを知っているから協力をしようと正面から申し入れた。彼女も別段抵抗もせず、ここ数日行動を共にしていたが。
正直なところ逆に辛かった。お嬢様が他の男と話しているのを邪魔しに行くこともできず、二人きりの時間もとれず。しかも嫉妬している風もあまり見せない。
得るものより犠牲の方が多かった。
「知っていたんですか…」
「あれだけあからさまじゃ、彼女の婚約者も私たちを巻き込んでいることに気づくもの」
それで、すでに件の婚約者……マクラクラン教諭に謝罪をされていたと。
どうりで。
「ここのところ貴女が哀れむように僕を見ていた気がしました」
「気のせいじゃないわね」
模範生…もどき…のお嬢様のことだ。先生ともそれなりに良好な関係を築いているのだろう。向こう側も子爵家かつ優等生…もどき…のお嬢様には気を使うだろう。ましてレイラ・モートンと親しいお嬢様はマクラクラン先生に警戒されているだろう。
うかつだった。
「幼稚な恋人は意地悪をして私を嫉妬させたかったのね。随分と可愛らしいことをしてくれるじゃない」
「かわ……」
「今の貴方に怒る権利なんてある?仮にも従者のくせに、逆転を夢見たの?私の、従者のくせに?」
寒気を覚えた。
これは初めてだ。この笑い方は、こんなに長く傍にいたのに初めて見る。初めて見るのに、身の危険を本能的に感じる。
まずい。よくない。ただ嫉妬している目ではない。怒りながら楽しんでいるような、言葉では表せない笑み。不気味で、見とれるような……。
「アシュレイ?どうして後ろへさがるの?」
「鏡を見ればわかると思いますよ」
今の貴女に近づいてはいけないと本能が言っている。
「私の方へ来て、アシュレイ」
「お願いなら拒否権はあります」
「拒否権なんてないわ。命令よ、アシュレイ」
嘘だろう……。
どれだけ身の危険を感じても、彼女からの初めての命令だ。僕が逆らえるわけがない。ゆっくり近づくと、しびれを切らしたのか僕の腕にお嬢様がしがみついてきた。見上げてくる彼女はまだ不気味に笑っている。
「場所を変えましょう。ミス・キャンベル、先生、ごきげんよう。ですがもう二度と今回のようなことがないようお願いいたします。私は心の狭い人間なのですもの」
やはり誰もが本能的に感じるのだろうか。今の彼女に極力関わるべきではないと。問題の二人は何度もうなずき、ランドルフ家の兄弟含む周囲の生徒は僕たちから距離を取って行った。
***
連れて来られたのは中庭で、ひとまずは安心できた。人気がないとはいえ、密室よりはマシだ。殺されるのではないかというほど、今の主人は恐ろしかった。
花壇の傍のベンチに座ったお嬢様は、自分の正面に立つように僕に言いつけた。
「おかしいわ。私よりずっと賢いはずなのに、アシュレイはもう忘れてしまったの?」
手を伸ばすので、それに従うようにかがむと、彼女の細い指が僕の喉を撫でた。
「私を裏切ったら、貴方のここを切り裂いてしまうかもしれないと言ったでしょう?」
「裏切ったわけでは……」
「そうね。結果的には貴方の幼稚な悪戯ね。だけど命は大切に、とも何度も言ったわ。ねえ、もし、私がまんまと騙されて貴方を殺してしまったらどうするつもりだったの?命をかけての悪戯はよくないわね」
今日まで生きてきてこの人をこんなに恐ろしいと思ったことはない。怒ってもせいぜい猿が騒いでいる程度のものだった。
「ああ、それとも」
目が急に鋭くなる。
「嫉妬で狂って貴方を殺してしまうなんて、冗談だとでも思っていたの?」
「……」
少しは思っていた。自分の願望で記憶を捻じ曲げて、本当はあの時、彼女は冗談のように言ったのではないかと疑うこともあった。
今となっては疑うまでもない。
「曲がりなりにも私は悪役だから。いじめられるのはあまり好きじゃないのよ?いじめることが本来の私の仕事だわ」
「以前言っていた…この世界が作られた世界であり本来のシナリオがなされていたならの、話ですか?」
本来なら僕はモートン先輩と良い仲になり、お嬢様は僕とモートン先輩の障害になるべく虐待やいじめをする立場だった、というあれか。
死んでもあの痴女と恋仲にはなりたくないし、自分の主人以外に興味を持てないので、まったく別の世界として解釈しているが。
「そうよ。だから少し、意地悪をしたくなってしまったの」
「……お手柔らかに…」
自重しよう。今後は自重しよう。
「忠誠心を、見せて。ね?」
「髪を剃ればいいですか」
「そんなことをしたら一年口をきかないから。それは誠意を示すものだしね」
おもむろに靴を脱いだお嬢様は、紺のソックスを脱ぐ。ここのところ暖かくなってきたからと今日からタイツはやめていた。
「跪いて、足をなめて?」
「お願いですか?」
「命令よ」
まさかと思うが、このためにタイツをやめたのか。考えすぎか。それにしても背徳感がすごい。妄……想像することはあったが、本当にこんな命令を与えられる日が来るとは思わなかった。
どちらかと言えば僕も彼女同様虐げられるより虐げる方が好きな方だと思っていたが、これはこれで悪くないと言ったら確実にこの人は明日から僕に軽蔑の目を向けてくる。
「わかりました」
「え」
断るほど苦痛な仕打ちでもない。むしろ命令をもらえたのなら本望。キスでも、舐めることもなんでもない。
片膝をついて彼女の白い足を持ち上げる。こんなことは言うまでもなく初めてなのでどうすればいいかわからないが、ひとまず軽くキスをする。
キスをしたところで
顔を蹴飛ばされた。
「きゃぁぁぁああああっ!!」
「なんですか!」
「変態!!」
「貴女が強制したんでしょう!」
意味が分からない。
ついさっきまでの自身に満ちた笑みはどこへやら、今は赤面しながら、両足をベンチにのせ、そこで縮こまっている。泣きながら。
まったくもって、意味が分からない。
「だって普通断るじゃない!」
「貴女は僕に何を求めているんですか?」
断られるために要求をする意図が理解不能だ。
「だって…!早く謝ってくれれば私だって引くのに…っ。アシュレイはいつまでも謝らないんだもの。やめ時がわからなくなってしまったわ!」
「普段言いたかったことを言っただけなのでは?」
「そんなに悪趣味じゃないわ!ただ折角だから悪役っぽい台詞もいつか言ってみたいなあと思ったことはあるけれど…」
やっぱり自分も少し乗り気だったんじゃないですか。
「……私に何か言うことはないの?」
「思い当たりません」
「アシュレイ」
「……反省しています。すみませんでした」
早口に言うとお嬢様は苦笑して、ベンチから降りるとしゃがみこんだ。
「ごめんなさい。痛かった?」
頬を触りいたわっているくせに笑っている。
「何か面白いですか?」
「いいえ、私も反省しているわ。ただ……もし貴方の顔に傷ができたら、女の子からの人気は落ちるのかしらと思って」
「怖いですよ」
「冗談よ」
どうだか。少なくとも僕は、それを考えることがある。お嬢様の顔が傷つけば他の男がよってくることもないだろうと。ただこの人の場合、人柄で寄せ付ける可能性もあるし、顔含め好きなので傷つけるのは僕にはできない。
「腫れたらどうしましょう」
「腫れませんよ。お嬢様程度の攻撃じゃ」
「確かに貴方よりは弱いかもしれないけれど、うっかり思い切り蹴ってしまったから…」
「逆にあれで全力なら心配ですが…」
非力にもほどがある。
「女の子に怪力なんていらないもの。放っておいて」
「アリシアはそれなりにありましたよ」
おかげで捕まると簡単に逃げられなかった。
「他の女の子と比べるなんて一番してはいけないことよ。それにとても気分が悪いわ。私はお嬢様で、彼女のことは呼び捨てだなんて」
それは同級生だし、今回の場合はやむを得ずだ。
「セシ…ル……」
「そんなぎこちないの嫌よ」
「…セシル…」
「なに?」
「今、もしかわいいなどと思ったなら明日の昼食は僕が作ります。先日旦那様から送られてきたので」
お嬢様は食べないだろうからと、多分、僕だけに。
「……何が?」
「ヤギの肉が」
「どうして貴方が悪いのに私が報復をうけるの…?」
ヤギの肉が食事に出ると、彼女は毎回僕の皿に押し付けていた。お互いの好き嫌いはよく知っている。
余談だが。
マクラクラン先生に相談されたお嬢様曰わく、あの様子では彼はもうとうにアリシアを女性として意識しているようだった。だそうだ。
そしてその後のローナの調査の結果、二人のお付き合いは順調なようである。




