2、従者の苦手
僕の主人は顔に出やすい。
笑みを作ろうとしては口元を歪ませ唇をかたく結び、涙をこらえている。けれど泣くまいと眉間にしわを寄せてはまた笑おうとする。いじらしい。すごくかわいい。今僕が一番にすべきことは弁解なのだが、それを忘れてしまうほど抱きしめたくなる。
教室の入り口で僕を出迎えたお嬢様は、僕と僕の腕にしがみつく人物を交互に見た。
「彼女…は…どちらさま…?」
ついにお嬢様の目から涙がこぼれた。いけないとわかっているが加虐心をくすぐられる。
「アシュレイ…の…お友達…?」
「いいえ。名前も知らない変質者です」
きっぱり言い切ると、お嬢様は少し元気になった。僕の言動一つ一つが彼女の心を動かすと思うとかなり気分がいい。
違う状況であれば僕は抑えようもなくこの感情を彼女へぶつけるところだろう。
が、腕に絡みつく見知らぬ人物のおかげで不機嫌もあるため、プラスマイナスゼロで興奮を抑えている。
そしてその人物が僕の不機嫌を増幅させる。
「あんたがオールディントン子爵令嬢?思ったよりブスなのね」
勝ち誇ったような顔で、僕の腕にしがみつく、名前も知らない女子生徒が言った。
ブス?誰に言っているんだ?
僕の主人にか?阿呆で世界一愛らしく尊く美しい女神のような主人、いや、ここはあえて恋人と言おう。神々しく後光さえ見えそうなほど可愛らしい僕の恋人に言っているのだろうか?
「ブスはお前だ黙れブス」
「アシュレイ!?女の子にそんなことを言ってはいけないわ」
ぎょっとしたお嬢様が僕を咎める。そういえばここまで汚い言葉を彼女の前で使ったのは初めてかもしれない。
しかしくだらない。事実を言って何がいけないんだ。
「セシル……お嬢様を前にすればどんな女性も霞みます」
「貴方は恥かしい発言を控えて!真顔で言わないで!それよりもそちらのお嬢さんにあんまり失礼でしょう?」
貴女だって言われたじゃないか。このブスにブスと。
僕の腕に抱き付いた女子生徒は、特に気を悪くした風もなく僕にすり寄ってくる。お嬢様など見えないと言うように何も聞こえていないふりをしている。
お嬢様もそんな女子生徒に気を使う必要がないとわかったのか、割とすぐに切り替えた。この人は時々ドライなところがある。あまり他人へ同情しないというか、気分屋というか。
「それで、その子は何故貴方にベッタリなの?」
「はあ…先ほど廊下で呼び止められたのですが……」
名前を呼ばれたと思えば僕にベッタリくっついて離れない。「あんたを私のものにしてあげる!感謝なさい!」とわけのわからないことをほざく始末。急いでいるのだと言っても離れない。一体誰なのかわからない人間のために、お嬢様の元へ行く時間が遅れるのは嫌だった。
ので、腕についているこれはないものとしてここまで移動してきた。目的は一刻も早くお嬢様に会うことだったので、腕を自由にするのはお嬢様の顔を一目見てからにしよう、と思い、現在に至る。
「というわけで一切まったく知らない人です」
「あらぁ……」
「はがすのを手伝っていただきたいのですが」
「でもなんだか、噛まれそうだわ」
たしかに女子生徒はお嬢様を噛み殺さんばかりに睨んでいる。そんなことをしたら僕がこの女をバラすだけだが。
「あら?でもどこかで見たような……。ああ、そうだわ。彼女、キャンベル伯爵令嬢よ」
ああ……そういえば同じ学年に、キャンベル伯爵のご令嬢がいると聞いたことがある。お嬢様に直接関係のない人間はあまり興味がないので調べも薄いが。
ローナも言っていた気がする。隣のクラスのキャンベル伯爵令嬢は人形のように愛らしいと。
……言うほどでもないのでは……。
一人を除いてあまり興味がないので、女性はほとんど皆同じに見える。
「私の従者に何かご用?ミス・キャンベル」
丁寧に尋ねるお嬢様に、キャンベル伯爵令嬢は無礼にも睨みながら返事をした。
「は?たかが子爵家の娘のあんたが、あたしと対等みたいな口きかないでくれる?」
突然だが、武器は常備している。扱いやすいナイフや小型拳銃はお嬢様を守るために持っていて役立つことがある。基本的に懐に入れてある。
「アシュレイ、ナイフをしまって」
「しかしお嬢様」
「しまって」
「……はい」
馬鹿な女性は嫌いだ。礼儀のなっていない女性も。言葉が通じない女性も。僕の主人や主人の家族並びに主人の家を侮辱する人間は痛い目を見ればいいと思う。
「オールディントン子爵令嬢!あんたに命令よ!今すぐアシュレイをあたしによこしなさい!!」
「僕の主人を指ささないでくれますか。不愉快です」
その指を折ってやろうか。
正直今日の気分は最悪だ。この伯爵令嬢のおかげで。
「それは駄目よ。その子は私のものですもの」
にこりと笑ったお嬢様は、珍しく目で脅しをかけている。
そうよね?と同意を求められるので力強く頷いた。この頃彼女が発揮する独占欲が心地いい。
「子爵令嬢のあんたが、伯爵家の人間であるあたしに逆らうっての!?」
「貴女は一年生。私は二年生。年功序列という言葉はご存じないの?失礼ながらミス・キャンベルは最低限の礼儀もなっていないのね」
伯爵令嬢は屈辱に顔を歪ませ、ぶるぶる震えている。
それにしても、ミス・キャンベルは知らないようだ。オールディントン子爵家が我が国で大きな役割を担っていることを。
現当主であるセドリック・オールディントン様が務めているのは主に外交問題の解決。異国、と言っても国家はこの世に二つしか存在しないが、そのため国内での勢力分裂があり街それぞれで異なる思想を持っている。旦那様はあらゆる勢力、また、国境を越えた戦力や貴族、果ては義勇軍とまで交流がある。
相手の懐に入るのがうまい旦那様は、その気になれば反乱もたやすく起こせる政府をも脅かす存在だ。
加えてその娘がランドルフ公爵家、ウッド伯爵家、モートン男爵家、成金とはいえ最近著しい成長をとげたコスグローブ家の未来の当主と交流があることは有名になりつつある。
オールディントンが子爵家で落ち着いているのは、旦那様たっての希望だ。大きすぎる力は身に余るし、あまり忙しいと娘との時間を割くことになる。そもそも爵位にそこまで執着もなく、好きな仕事ができる今が一番気楽でいい、ということらしい。
これには政府も大喜びだ。要注意人物が権力はいらないというのだから、むしろ好感さえ持たれる。
しかも大きな声では言えないが、弱みを握られたばかりに次期国王はセシル・オールディントンに逆らえない。
つまり、現段階で力関係は伯爵令嬢より子爵令嬢が上ということだ。
このご令嬢はあまり賢くない世間知らずと見た。
権力で何でも手に入れて来た高慢で面倒くさいタイプのご令嬢だ。
面倒くさいと言えばうちの主人も負けず劣らずだが。少なくともこの人の場合面倒くささは、鈍感なことと、ケチくさいところなので僕は嫌いではない。
「アシュレイ、いつまで腕にくっつけているの?」
「振り払ってほしいですか?ではお得意のお願いをされてみては」
「言わせたいだけでしょう……。嫉妬してしまうから、彼女から離れて。お願いよ」
思惑を見抜いたうえで言うのだからこの人も大概僕が好きだろうと最近自惚れ気味である。
お嬢様の『お願い』となれば、遠慮していたが腕をはらう。やっと解放された腕を軽く回し、主人の手を取った。
「行きましょう。入寮許可は取っておきました。買い物をしてそのままお嬢様の部屋でよろしいですか?」
「ええ、そうしましょう」
「ちょっとお!待ちなさいよ!このあたしが直々に頼みに来てやったのよ!さっさとあんたの従者をあたしによこしなさいよ!」
上から目線がいちいち癇に障る……。お嬢様も指摘した通りお嬢様とミス・キャンベルは先輩と後輩だ。あのローナでさえ、爵位以前に先輩に対する敬意を持っているというのに。
眉間に皺を寄せたお嬢様は、パンパンと二回手を叩いた。
「レイラ、いらっしゃい」
「なに?おお!上玉!」
……。
「何故ここにモートン先輩が?」
「ヒューとオズウェルにちょっかいを出しに来たのよ」
なるほど。それでわざわざ他クラスまで来ていたのか。王子殿下につっかかるモートン先輩もそれを野放しにするお嬢様もなかなかツワモノである。無類の女好きなわけだから、お嬢様にもつっかかっていたのだろうが。
「お嬢様から離れていただけますか、モートン先輩」
「なんだよ後輩。女同士なんだからいいだろ」
「疚しい気持ちがあるなら関係ありません」
お嬢様に後ろからだきついた状態で顔を出すモートン先輩はすでにミス・キャンベルに注目している。さすが、女好き。
「彼女がレイラとお話したいんですって。ファーストネームはたしか…アリシア嬢。アリシア・キャンベル伯爵令嬢よ。年下ツンデレ属性だから。ちょっと態度が悪くても照れてるだけだからね。放しちゃ駄目よ」
「年下!いいね!女はやっぱ年下だよな!あ、セシルも愛してるよ?」
最後だけ聞き捨てならない。
「はいはい。それじゃあ仲良くね。また明日、ミス・モートン」
***
シチューを作りたいというお嬢様の要望通り、説明しながら二人で作業を進めた。庭の手入れをしているときと似たような幸福感がある。
「美味しい…さすがアシュレイね」
「今日はほとんどお嬢様が作ったでしょう。お嬢様の力ですよ」
これが彼女が他人にふるまう初めての料理でないことは不服だが。
皿を空にしたお嬢様は立って、何かを持ってすぐに戻って来た。そういえば街で、何かをこそこそ買っていた気がする。
「食後のお楽しみに買ってきたの。貴方の分もあるのよ。当然食べるわよね?貴方と食べるために買ったのよ。拒否なんてしないわよね」
これだけ付き合いが長いとお互いの好みもわかってくる。お互いの好きな食べ物も嫌いな食べ物も当然。だからシチューを作りたいとお嬢様が言ったのも僕が好きだからかと納得できた。
「マカロン…ですか…」
当然、彼女は僕の嫌いなものをよく知っている。
カボチャや栗や、果物のような自然な甘さなら問題ないが…。どうも、女性が好むような砂糖をしっかり使った体に悪そうなものは苦手だ。あの喉につまるような甘さが好きになれない。
いつだったか、「女顔のくせに甘いものが苦手なのね」とお嬢様が言ったために大喧嘩になったので、忘れているとは思えない。ちなみに「お嬢様も大人ぶっているくせにピーマンが駄目なんて恥ずかしい人ですね」と言い返し喧嘩はエスカレート。見かねた旦那様に二人ともちゃんと食べなさい、と言いつけられ苦い思い出となっている。
「まさか食べないなんて言わないわよね。貴方のために買ったんですもの」
これは食べないとしばらくへそを曲げそうだ。
「……怒っているんですか」
「何を?貴方が女の子に気に入られてデレデレしていたこと?気にしていないわ」
怒っているじゃないですか。
「どこをどう見たらそうなるんですか」
「鼻の下を伸ばしていたわ」
「伸ばしていません」
「最低。不潔」
「僕に疚しいことはありません。…やっぱり怒っているんですね」
いつ誰が誰に鼻の下を伸ばしたって言うんだ。お嬢様はあまり目がよくないらしい。
「はい、あーん」
「なんですか。その恥ずかしい行為を強要するのみならず色がおかしい砂糖菓子を食べろと言うんですか」
もう少し食べ物らしい色の食べ物を選択してくれれば悩んで(その末食べないだろうが)いそうなものだが、どうして青や紫なんて食欲のわかない色を選んだんだ。嫌がらせか。
「食べてくれないの?アシュレイは私の厚意を、いいえ好意を拒絶するのね」
「それはどんな理屈なんですか…」
愛さえあれば乗り越えられない壁はない、などということはありませんよ?それは妄想です。
「申し訳ありませんが甘い物は本当に無理です」
「じゃあこうしましょう。口移しとか?」
「なにが『じゃあ』なのかわかりません」
普段は、そんな恥ずかしいことできないわ!と言うようなことを自らするとは……。人間、怒ると冷静さを失うものだ。これは後で思い返したとき、彼女の方が恥ずかしさのあまり発狂することになるだろう。
マカロンを口にくわえこちらに顔を出してくるお嬢様を数秒ばかり眺めた。
眺めとしては眼福と言えるが、僕がそれを食べると思うとなんとも…。砂糖の甘さが口いっぱいに広がるのを想像すると吐き気が押し寄せてくる。
……背に腹は代えられない。
「う……っ、おぇ……っ」
気持ち悪い。
「飲み込まなきゃ駄目よ?」
僕が一口かじったマカロンを、お嬢様も一口食べて皿に戻す。
「……っ」
甘い。気持ち悪い。
「きちんと味わわないと駄目よ?」
砂糖のザラザラした舌触りが不快だ。最悪だ。マズい。気持ち悪い。
「……っ、はぁ…」
「……飲み込んだ?」
目を輝かせるお嬢様を、今日ばかりは憎らしく思う。
口を開いて舌を出し確認させる。
「これで満足ですか」
「顔色が悪いわアシュレイ…大丈夫…?」
どの口がほざいているんだ。
「ああ、だけどスッキリした。もう他の女の子に現をぬかしちゃ駄目よ?」
誰がいつ現をぬかしたと。まったく一切そんな事実はない。どんな目をしているんだ。
ただ、僕自身、根拠もなく嫉妬するな、とは言えない。自分自身が身に覚えがありすぎる。
かと言って、ただ黙っているつもりもないが。
「お嬢様、明日の昼食は僕が作ります。よろしいですか?」
「まあ!本当に?楽しみだわ」
嬉々として残りのマカロンを咀嚼するお嬢様。太りますよ。栄養が偏りますよ。明日の昼食は野菜を中心にしましょう。
「そういえば学園の庭師の方に、おすそ分けをいただいたんです」
「そうなの?なにを?」
「ピーマンを」
最近、気づいたのですが。
「僕はお嬢様の絶望に歪む顔を見るととても満たされます」




