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1、従者の煩悩

 白いシーツの上では彼女の白い肌がより儚く見える。細い四肢は僕に抗うには頼りなく、押さえつけると彼女は困ったように俯く。

 その身に何も纏わない彼女は絵画か彫刻のような繊細さがあり、どんな芸術品にも勝る美しさと妖艶さだ。

 やがて覚悟を決めたのか、彼女の瞳は扇情的になり、誘うように腕を、脚を絡めてくる。それに誘われ唇にキスをして、首まではったあたりで決まって気づくのだ。


 夢か。


 そして目覚める。


 二段ベッドの下で、このところ毎日自己嫌悪に陥る。

 なんて夢を見ているのか。不謹慎だ。鬱になる。


「……死にたい」


ぼそっと呟くと、上から同室の友人が顔だけをのぞかせた。公爵家の紳士にはあるまじき行為だが、彼が貴族らしからぬのは今に始まったことではない。


「なに、アシュレイ。ついにご主人様と心中するの?」


どこか楽しそうに訊いてくるのでややイラッとした。


「しませんよ。珍しいですね、ローナ。いつも遅刻ギリギリで起きるじゃないですか」

「そりゃ、君の寝言がうるさいもの」

「……」


どんな寝言を言っているのか訊くのも恐ろしい。一体自分はどんな恥を晒しているのか。ああも不謹慎且つ恥ずかしい夢を見ていることを、無神経なこの友人に知られたくはなかった。


「オールディントン先輩と喧嘩でもしたの?ずっと先輩の名前を呼んでたね。今までは死んだみたいに眠ってたのにいきなり寝言を言うもんだから心配しちゃうな」


名前を呼んでいただけのようだ。それならまあ……いい…のだろうか…。少なくとも夢の内容までは気づかれていないらしい。


「なんだったらさあ、口裏合わせてあげるから、今日くらい夜這いでもかけたらどうかな?大丈夫!僕は君の味方だし、先輩にもお詫びしなきゃだし協力するよ!二人で熱い夜を過ごせばすぐ仲直りだ」


夜這いだの、熱い夜だの、顔に似合わないことを言うのもいつものことだ。ただ今については喧嘩を売られている気分になる。


「従者が主人の許可なく、主人を汚せるわけがないでしょう」

「汚すって大袈裟なー。じゃあ君、することするときはいちいち許可をとってるの?ムードぶち壊しじゃない」


わかっていて言っているのか。


「正式に夫婦になるまではキスが限度ですよ」

「おっと」


ローナは落ちかけた体を、床にぶつかる直前で自身の魔法で浮かせた。器用で容量のいい割に、時々無神経なところが勿体ない。


「冗談でしょ?予行舞踏会の夜は?朝まで一緒にいたんだろ?」

「眠っただけですよ」

「君には生き地獄だね!馬鹿だなー、誘えばあっさりなんでもさせてくれると思うよ?」


これはあくまで予想だが。彼の女性関係はただれていそうな気がする。


「だいたい、お嬢様はその手のことに関して知識さえ薄いんです。何も知らない女性に手を出すほど落ちぶれてはいません」


前世がどうのと言うが、半信半疑だ。トータルで年齢が高かったとしたら、もう少し男がどういうものかわかりそうなものを、危機管理ができていない。あっさり自室に招き入れるくせに、キスをするだけで大慌てしてすごい早さで後ずさる。

 一応、子供がキャベツ畑で生まれるわけでもコウノトリが運んでくるわけでもないことはわかっているだろうが、しっかりはわかっていないと思う。たとえば、自分の従者の理性の儚さ、など。


「なんだあ、意外とヘタレなんだね?」

「君は言葉を選ぶということを知らないんですね」


けらけら笑うローナに手近にあった時計を投げつけたが、何でもないように受け止められてしまった。


「俺を男とわからせてやる、くらいの気持ちでいかないとさー、貴族のお嬢さんは自ら迫る肉食なんて滅多にいないんだから」

「確かにそうですが……」


あちらから迫ってくる状況はそう簡単に想像できない。強いて言うなら一度、件の予行舞踏会の夜に彼女からキスをされたがあの時は雰囲気にのまれてした感じが否めない。彼女から迫ると言っても他はせいぜい手を握る程度だ。

 外出や二人きりになることを誘われても、それに他意はない。

 そもそもあの人に意図的に迫る行為ができるだろうか。気の強そうな外見に反して案外すぐ照れるし度胸もあまりない。女性的な体つきをうまく使うこともできていない。


 彼女が寝台で迫ってきたら?


 暗がりの中でその胸部を僕の腕に押し当て、扇情的な眼差しで見上げてくる。恥じらい頬を染め、わずかに涙をうかべながら――……。



「アシュレイ!?」


壁に頭を打ち付ける僕を、ローナは慌てて抑えにかかる。


「すみません。取り乱しました」

「ううん、いいんだ。君がムッツリなのは公式だもの!」

「今すぐに放してもらえますか」


そんなことをくれぐれもお嬢様の前で言わないでほしい。否定できない自分が嘆かわしい。


「だけどさ、もしかしたら先輩だって君が動いてくれるのを待っているのかもしれないよ?」

「それはないですね」


あの人がそんな計算高いはずがないんだ。彼女を純真無垢であると褒め称えるのではない。長年の付き合いで知っているからだ。僕の主人は頭がいいかもしれない。成績は上々。だが賢くはない。彼女は馬鹿でもない。頭のいい、阿呆だ。

 それが愛嬌と言えなくもないが、おかげで何度迷惑をこうむってきたことか。


「でもさ、でもさ、君も辛くない?言ってしまえば禁欲してるようなものでしょ?」

「今に始まったことでもありません。八つ頃にはもう…今は恋人になれた分マシです」


うへぇっとローナからだらしない声が出された。表情も浮かない。


「八つってマセすぎじゃない?そんな子供嫌だなあ……。ていうか恋人になったら余計に気が緩んでことに及んじゃいそうだけどね」

「つくづく君は失礼ですね」


そうこうしている間にも時間は過ぎる。女子寮までお嬢様を迎えに行く僕はローナ含む他の生徒よりも早く支度をして出なければならない。着替える間、ローナはずっとぶうぶつ僕と彼女の関係に文句を言っている。つまらないとか、面白くないとか。

 楽しみたいなら自分でいい相手を探せばいいだろう。


「先に出ます。鍵はお願いしますね、ランドルフ公のご子息様」

「はいはい!行ってらっしゃい!後でね」




***




 新学期が始まってから、お嬢様がやつれている気がする。

 何でも、毎晩コスグローブ先輩に恋愛事の相談を受け夜更かし気味で、朝はモートン先輩に追い掛け回されるということらしい。


「あの子も一緒に登校したいって言うのだけど、手がやんちゃするからねえ…」


ええ、そうですね。

 (僕の)セシルお嬢様の胸元に手を滑らせたり、(僕の)セシルお嬢様の脚を撫でたりしているので、登校同行拒否をされても彼女に文句を言う権利はないでしょうね。

 僕としても、学年の違うお嬢様との登下校は行動を共にできる貴重な時間なので邪魔はされたくない。

 屋敷では長時間一緒に過ごしていたのも、休みが終われば会える時間はぐっと減った。女々しいので彼女はに言えないが。


「除け者にしているみたいで心が痛むけれど……あの子の手の早さをどうにかしないと、困るのはあの子だものね。お嫁にだって行けるかわからないのに……性別的に……」

「お嬢様が気にすることではありませんよ」

「うーん…でもあの子も、小学生って先入観が消えなくて……しっかり教育した方がいいわよねえ…」


お嬢様は時々聞きなれない単語を口にする。ショウガクセイがなんなのか僕にはわからないが頷くに留まった。知らない単語を尋ねると彼女は丁寧な説明を長々してくれる。前世の世界にあった言葉だと言うが、その説明の間にまた知らない単語が出て来るのでキリがない。


「でもあの子、勉強はできるのよ。素行が悪くなければ誰にでもお勧めできるわ」

「モートン先輩がお気に入りのようですね」

「そうね…、私は一人っ子だから、弟のように思うところがあるのかもね」


皮肉を言ったつもりが頷かれてしまった。正気ですか。あれだけセクハラ(お嬢様に教えてもらった単語だ)を受けて弟のようにだと?

 それ以前に妹の間違いじゃないかと思う。そして更にその前に同い年だろうと。


 それから勿論僕は見逃さない。弟と言う時彼女がちらりと僕を見上げたのを。

 初めの頃こそ喜んでも、一年も経たないうちに“弟”のように思っていると言われれば不愉快しかなかった。僕は貴女の弟ではないと、昔から何度言ったことか。


「僕は従者で、恋人ですよ?」


お嬢様はくすっと笑って僕の腕に自分の腕をからめてきた。


「知っているわ。怒らないで?」


腕を組んでいるせいで……胸があたっていますと言ったら彼女はすぐに離れるだろう。ここで、「当てているのよ」なんて言える人ではない。むしろ胸のことに触れると、「やっぱり貴方も男なのね、がっかり」「私の無垢でかわいいアシュレイはもういないのね」と僕を蔑む。経験済みだ。濡れ衣だ。

 なら迂闊にくっつくな。と言いたいが言えない。胸がそうかはおいても、彼女との距離が物理的な意味で近づくのは勿論嬉しい。惚れた弱みだ。

 そのため当たって意識してしまうに決まっているのだが、口にも出せない。


「セシル………お嬢様、今日は一、二年生は午前で終わりですよね?よければ午後に出かけませんか」

「デートね!」


デート=好きあう男女が二人きりで過ごすことらしい。お嬢様曰く、以前の世界ではデートを重ねることが恋人たちの関係性を高める常套手段だったらしい。


「アシュレイはどこへ行きたいの?」

「貴女とならどこへでも」

「そればかりね。意志のない男性は飽きられてしまうわよ?」

「では貴女は自身の従者に飽きますか?」

「飽きません」


ふんっとそっぽを向いて、お嬢様は唸りだした。おそらく行先を考えているのだろう。


「では食材を買いに行きましょう?貴方に料理を習うの。女子寮への入寮許可を取っておいてね」


またか。

 いっそ誘っているとわかっていれば気が楽だというのに。この人の場合は何も考えていない。なぜなら阿呆だから。

 自分の部屋に恋人を招く気満々だ。阿呆だから。


「……わかりました」


これで理由を言って断れば「そんなことを考えるなんて不潔よ!」とまた濡れ衣を着せられる。不潔どころか貴女を想ってのことじゃないか。貴女を僕自身から守るために断るのに不潔呼ばわりされるのは不服だ。

 よって頷く。決してあわよくばなど考えずに。決してうまく持ち込もうなどと考えていない。断じて。

 放課後を心待ちにして僕はわかりやすく浮かれていたようだ。学園にいる間真顔で鼻歌を歌っているとローナに言われ初めて気づいた。


「今日は遅くなりそうだね」

「ええ。食事は済ませて帰ります」


荷物を手に取る僕に何故かローナは敬礼して見送る仕草をする。

 お嬢様は大人しく教室で待っているだろう。モートン先輩に捕まる前に行ってやらなければならない。

 急ぎ進む時に呼び止められればイラつく。


「待ちなさい!アシュレイ・カーライル!」


まして、主人以外の人間に命令調で言われれば。


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