30、許可をもらいに行ってきました
正直なところ、お父様との会話はまったく頭に入って来なかった。
従者と主人が恋仲になるなんて一般論としてよろしくないのは重々承知している。いい顔をされないというのは予想済みだ。
昨日はおかげでほとんど眠れなかった。
いつ言おう。どのタイミングで?そろそろ?ああ、お父様の話が丁度切りのいいところになった。今?今がその時?
「おとう」
「旦那様」
ドレスを握り勇気を出して声を出したと言うのにしらっとした様子のアシュレイが遮って来た。もう!なに!
「少々お時間をいただいてよろしいでしょうか?」
なんでもないように切り出したアシュレイに、私はさぁっと血の気が引いていく。まさかこんなにさらっと入って貴方は大丈夫なの!?確かにお父様は人格者だしアシュレイのことも可愛がってきたけれど!でも!言いづらくない?反対されたら、とか考えない?
お父様もお父様でにこやかに頷く。
「この子に聞かれたくない話なら、場所を移そう」
「ええ!」
私は立ち合えないの?立ち合っていいでしょう、アシュレイ?と目で訴える。
「はい。そうしていただけると助かります」
「どうして!どうして私が聞いちゃいけないの?」
アシュレイにしがみつくと、父に窘められてしまった。男同士の話もあるのだと。
でも私は当事者じゃない!お父様は何を勘違いしているの?
「大丈夫ですよ」
「なに…が……」
大丈夫なことあるものですか。と反論するより先に額にキスをされて心臓が止まるかと思った。見られたらどうするの!
だけどそこは優秀なアシュレイだ。きちんとお父様が振り返ったのを確認してからのことだったらしい。それにしたって迂闊すぎる!
文句の一つも言いたいけれど、こういうスキンシップにまだまだ不慣れなために言葉もでなくなってしまう。
悪戯っぽく笑って部屋を出ていくアシュレイを、私は睨むしかできなかった。
***
結論から言うと、お父様は認めてくれた。
もうそろそろ行っても大丈夫だろうかと、二人がどこで話し合っているか探し、仕事部屋から声が漏れているのに気付いた。それでまあ、はしたないけれどドアに耳をつけようとしたところで、開いたわけだ。扉が。
ドアに打たれた右頬をおさえる私を見るアシュレイの目の冷たいこと。続いて出て来たお父様も苦笑して私を見下ろしていた。
その苦笑がどこからくるものかわかりかねるけれど、尋ねようとする私をお父様は手で止めた。
そして一層苦笑を濃くして
「お前たちの気持ちは考慮しよう」
と言いながら私の頭を撫でた。
アシュレイは頷くだけで何も説明してくれないし、お父様は以降黙って私の頭を撫でまわすだけ。もうなにがなんだかだ。
「あの…あの!お父様は、その…私と、アシュレイの…」
「関係を認めてくださるそうですよ」
待っていたアシュレイの言葉に、緊張の糸がぷっつり切れた。
***
オールディントン子爵たる、セドリック・オールディントン様は少々欲が薄い。彼が爵位にこだわりを持っていないのは、昔から明らかだった。
だからこそ彼は、僕に、普通なら考え難い提案を数年前からずっと勧めてきていた。お嬢様を置いて仕事場へ行くと、案の定、旦那様はその話を切り出した。
「私の息子になる気になったか?」
ある意味そうなのですが少し状況が違います。
旦那様は僕の父を大層気に入ってくれていたようだ。屋敷に引き取られてから一年ほど経った日、養子になる気はないかと声をかけられた。僕のことも、それなりに気に入ってくれたのだと思っている。
選ぶのは僕の自由だと言われた。
養子になるのなら、オールディントン家の財産は僕に与えるとも。
お嬢様にはいい嫁ぎ先を見つけ、女性としての幸せをと考えていたらしい。
しかしこれを受けるわけにはいかなかった。
その声をかけられた時すでに、この身も、心も、セシル・オールディントン子爵令嬢に捧げていた。姉弟などになったら、彼女を女性として愛する資格を失ってしまう。
選ぶのは僕の自由だと言う割に、旦那様は長らくアピールを続けて来た。お嬢様の縁談話を載せた手紙には大抵、必ず、息子になる気にはならないのかと尋ねられてきた。
ええ。息子になる気はあるのですが、事情があるのです。
「はい。オールディントンの姓をいただきたく」
晴れやかに微笑んだ旦那様には罪悪感を覚える。娘の面影があるのも関係しているだろう。その目で見られるとどうも弱い。
「ですが、旦那様が現在所有する財産よりも欲するものがあります」
「領地を増やしたいと言うなら、お前が後をついでから広げていけばいい」
いえ。領地にはさほど興味はないのです。
けれど旦那様にとってが領地や、へたをすれば命よりも大切なものが欲しいのです。大変、言いにくいことですが。言わないわけにもいきません。
「いいえ。旦那様がお持ちになる一番の宝をいただきたいのです」
「ほう。大きく出たな。なんだってくれてやろうじゃないか」
ああ、おそらく何か物だと思われているのだろう。その目で見ないでくれ。胸が痛い。
「私は娘と生活に必要なものが手元にあればなんら不満は……」
「はい」
強張って笑みで見られ、察していただけたのだとわかった。よかった。
なにもわかっていない人に言えるほどの勇気は持ち合わせていない。
「そうか、息子になるのか……」
「はい」
そういう意味で、息子にしていただければ嬉しく思います。
「あの子は昔から手のかかる子だろう」
「否定はしません」
我儘だし、実は打たれ弱いし、他とツボがずれているし。それでもそれさえ彼女の魅力のように思う。
「だが愛らしいだろう。私とジゼルの子だ」
「はい」
親切な夫婦のそれぞれを受け継いでいる。オールディントン夫妻あっての彼女なことはよく知っている。
「あの子は妻に似て…少しばかり間が抜けている。それが愛嬌と言えばそうだが」
少し……か…?
奥様はしっかりした方だったように思うのだが。ただ僕の主人兼恋人については……少しどころではない気がする。
「逆にお前は、ここで暮らすうちに私に似てしまったかもしれない。気を悪くしたらすまない」
「いえ。身に余る光栄です」
年をとっても衰えることを知らないオールディントン子爵は美丈夫として有名だ。彼に似て来たというなら嬉しい限りである。ついでに言えばお嬢様は父親を理想と語るので、その点でも彼に似て来たなら好都合だ。
「お前は私に似てしまったと思うから、お前はかつての私と同じことまでやってのけそうだと恐怖を覚えるな」
オールディントン夫妻は大恋愛の末結ばれた。
そういう噂話が好きなご令嬢方には、有名な話らしい。僕も風の噂程度で聞いたことがある。くわしくは知らないが(調べようと思えば調べられたが恩人夫妻の情報をコソコソ集めるマネはできなかった)、駆け落ちのような形だったらしい。
「さらわれるよりは見守るほうが私も心の負担が少ない」
それはつまり、旦那様は奥様をさらったということか。
「無論、あの子が泣くようなことがあれば私はお前を許しはしないよ」
「随分と、あっさりしているのですね…?」
「ああ。あの子をさらわれるのでないなら。娘ができた時は恐怖した。いつか私のような阿呆にあの子が奪われやしないかと」
奥様は体が弱かった。二人、三人も生める体ではなかったろう。生まれた時から必然的に、彼女は夫妻の一人娘になった。奥様亡き今、旦那様の守るべきものは彼女のみなのだろう。
「それに私は、お前を愛していないなど言っていない。お前のことも、幼いころから見て来た、息子のようなものだ」
それについては同じ思いだ。自分には父と、母が、二人ずついる。
「あの子とお前の子なら、可愛い孫が生まれるだろう」
ドアのまで足音が近づいてきた。そして、止まる。
盗み聞きなんてはしたないことをする女性になってしまったか。嘆かわしい。
旦那様は苦笑された。
「お待ちかねのようだ。やはりうちの子は手がかかるな。私やお前に構ってほしくてたまらないらしい」
扉を開けると、耳を当てようとしていた彼女の右頬にぶつかってしまった。




