閑話 オズウェル・アークライトの生い立ち
短いです
弟がいた。
二つ下だった。
俺に似ず、よくできた弟だった。
かわいい奴だった。
俺の宝だった。
弟は、家族を愛していた。
父を。母を。俺を。
俺も弟を愛していた。
貧しい家だった。
毎日食べるのでいっぱいいっぱいだった。
それでも弟は笑顔を絶やさなかった。
だから俺も笑った。
両親も俺たち兄弟を愛してくれている。と、思っていた。
その日は、よく晴れていた。
家に、見知らぬ男が数人やってきた。
母は男たちに食事を振舞った。
父は男たちから金を受け取った。
男たちはまず、弟を麻袋につめた。
両親はそれは笑って見ていた。
俺は馬鹿ではなかった。すべてを悟った。俺たちは、売られたのだ、と。この家で、愛情がなんたるかを知っていたのは、俺と弟だけだった。両親は愛なんて持ち合わせていなかった。
その瞬間、俺は生まれて初めて殺意というものを抱いだのだ。
腰に下げていた短剣を手に取った。
父が俺に与えたものだった。
男たちを殺した。両親を何度も刺した。何度も、何度も。
血は苦手だ。その時の光景が思い出されて。俺の罪を鮮明に思い出させて。
涙が出た。
俺が信じていた世界は、こうも呆気なく崩れていくのかと。
愛していた家族は俺を裏切るのかと。麻袋に入れられた弟は。生まれてから腹いっぱいに食ったことが数えるほどしかなかった弟は、俺が殺した男に潰され死んでしまった。
弟の亡骸を家の傍の丘に埋めた。
その丘にしばらくの間留まった。そこには俺が愛し、俺を愛してくれた弟が眠っていたのだから、俺にとって最も心地のいい場所だった。
飢えものどの渇きも忘れ、時間の流れるのもわからずそこに留まった。
「あの家の子供か」
止まった時間の中で生きていた俺を見つけたのが、フリューゲル・ロディルネッゾだった。
税を納めていなかった両親に警告に来た幼い王子はあの地に汚れた家を見たのだろう。そして調査を調べるうちに俺を知った。
俺を哀れに思ったのか、フリューゲルは俺を保護し、アークライト一家は一家心中をしたとでっち上げの情報を流した。
フリューゲルは有無を言わせず俺を従者にした。
「オズ、お前は罪人だ。忘れるな。お前は人を殺した。忘れるな。人の肉をえぐる感触。血の匂い。苦しみに歪む人間の顔」
自分の罪を忘れるな。フリューゲルが俺に要求するのはただそればかりだった。
「忘れない限りお前は正しく強い人間になる。二度と過ちを繰り返さない人間になれるんだ」
フリューゲルはいつでも正しい。いつも誠実で、実直だ。俺とは違う、人格者だ。フリューゲルになら、本当の自分で接せられた。
俺の中でフリューゲルは、恩人であり、俺の世界を構成する人間になった。
***
セシルとフリューゲルの契約も成立し、一連のことが終わると錠は外された。キズを負った俺を痛ましげな目で見るフリューゲルには、俺に『セシル・オールディントンを殺せ』と命じた時の面影はなかった。
「手当てをしに行くぞ。医務室なら必要な設備は整っているだろう」
「俺はいい。お前こそ、倒れた時に頭を打ったりしていないか?」
首を横に振った主人は、薄く笑んだ。
「悪かったな、巻き込んで」
「まったくだ」
俺の苦悩を返せと言いたいところだが、俺にとってフリューゲルは絶対だ。これ以上の文句を言えるはずもない。
「二人とも、ね。殿下は少し眠ったほうがよろしいですわ。心身を休めなくては。オズウェル、貴方も。私の従者がやりすぎてしまったもの。介抱させていただくわ」
コメカミをぴくぴくさせたセシルは俺に手を差し伸べてくる。怒るのも無理はない。俺は彼女を傷つけようとしたのだから。この手をとってもいいものか迷うところだ。だが彼女の介抱というのもなかなか魅力的な響きがある。
差し出された白い手を、他の手が払い落とした。
「やりすぎ?冗談でしょう。足りないくらいです。お嬢様が付き添う必要もありません」
敵意むき出しのアシュレイ・カーライルは俺を睨みながらセシルを連れて後退していく。
「アシュレイ……、今日のところはお開きにしましょう?貴方も眠たくってイライラしているのよ」
「僕の機嫌が悪いと思うなら、これ以上悪化しないよう他の人間に触れないようにつとめてください」
「もう……」
あきれたように溜息をつくセシルは、困っているようには見えなかった。むしろ最高に幸せそうに見えた。
結局お前は、俺のものにはなってくれなかったな。
自力で立って、主人の手をひっぱり立たす。
フリューゲルは微苦笑を浮かべていた。
「やはりお前に勝算はなかったか」
「お前だって見事に玉砕したじゃねーか」
まあいいさ。
ふりだしに、この学園へ入学する前に戻っただけだ。
「俺は色恋よりも仕事に集中するよ」
次期国王陛下の従者として。