3、従者がちょっと怖くなりました
乙女ゲームの攻略対象はほぼ絶対的にチートだけど。でないとプレイヤーのモチベーションが上がる素敵男性にならないからってこったろうけど。
実際目の前にすると絶句ものだ。
アシュレイの学力や魔法の才能は目を疑うほど秀でている。
今までアシュレイの周りに親以外の人がよらなかったために、アシュレイ自身も比較対象がいなくて自分の実力が素晴らしいものだと実感がわかないらしい。
「セシルお嬢様……」
「え!? ええ、なに? アシュレイ」
壁を向いて座り込む私に、遠慮がちに教科書を抱きしめたアシュレイが声をかけてくる。
「へそをまげないでください」
かと思えば呆れたようにふう、とため息をつかれた。
くっ……! 最近生意気になってきた…っ。
アシュレイが我が家に来て一年たつ。初めはあんなに素直で可愛らしかったのに、近頃私を見下しているというか……子供扱いをする。
たしかにアシュレイは性格的には大人びていて若干のツンデレがあるけれど、私、年上なのに……。仮にもアシュレイのご主人様なのに。
「曲げてないわ」
「お嬢様が僕より少し勉強や魔法ができないからって、いじけるのはやめてください」
七歳の発言とは思えない正論を並べるアシュレイに、私は返す言葉もない。どうしてこんなに口が達者なの…!
「私ができないんじゃなくて、アシュレイができすぎなのよ」
「どうもありがとうございます」
「……かわいくない。にこりともしない」
「面白くもないのに笑えと?」
「そんなこと言ってないでしょーお」
ぷくっと頬を膨らますと、またため息をつかれた。
ゲームじゃアシュレイは主人公に、「先輩は静かにすることもできないんですか?」「僕は先輩になんら興味はありません」「先輩は馬鹿なんですか?」等々真顔でツンツンなセリフを連発していた。画面越しなら「きゃーっ! もっと言ってーっ!」と興奮したものの、実際言われると心がささくれる。
「アシュレイはもっと笑ったほうがかわいいと思うの」
「別にかわいいと思われたくはありません。し、あまり愛想よくするとセシルお嬢様は目が獣のようになるので」
「酷い言いよう……」
普通にかわいいものが好きな普通の女の子は、ああいう目になるものなのに。ああいう目にさせるのはアシュレイなのに。
「なにも襲おうと言うわけじゃないのよ。少しぎゅってさせてくれたら満足なの」
スカートの裾を握ってチラチラアシュレイを見ると、アシュレイは「なにをかわいこぶっているんですか、ガラでもないくせに」と眉を下げている。
なんなんだろう。初日の愛らしさはどこに消えてしまったんだろう。
「したら機嫌を直すんですか?」
「え?」
「抱擁で機嫌を直すんですか?」
……。
「直す。すぐに、一瞬で直すわ」
アシュレイは悩む素振りを見せてから、両手を広げて「どうぞ」と言った。
「え! い、いいい、いいの!?」
「どうぞ」
ではお言葉に甘えて。
「きゃーっ! かわいいーっ!」
「……」
「ふふふ……っ、かわいい」
「……」
「ふふふふ……っ。かわいいっ、かわいーっ」
「……っ。もういいでしょう!」
「きゃっ!」
ほんの十数秒抱きついただけで思い切り突き飛ばされた。どうぞって言ったくせに……。
「ひどいわアシュレイ」
「……っ、すみません」
謝りながらそっぽを向くのはどうかと思うの。
「……? アシュレイ? 部屋の温度を下げましょうか?」
「は……」
「顔が赤いわ。暑いの?」
私はちょうどいいくらいだけど、暑いのなら窓を開けておこう。春の陽気が心地いい。
「いえ……、いえ、気にしないでください」
そろそろ目を合わせてくれてもいいと思うの。そりゃ、私もかわいいかわいい言いすぎたかもしれないけど、そんなに怒らなくてもいいじゃない。
「セシルお嬢様は……」
「うん?」
「香水でもつけているんですか?」
「いいえ?お母様もお父様も私にはまだ早いと言うから」
臭かったのかな?ドレスを洗ってくれるメイドの使う洗剤がいい匂いだから、大丈夫だと思ったのだが。高校時代も香水を使うタイプではなくて制汗スプレーを使う程度だから無頓着な方だけど……。
「臭かった?」
「いえ、むしろ……」
「?」
「……なんでもありません。機嫌がなおったなら、今日の授業の復習をしますよ」
学園に入学するまでは、基本的にどの家も家庭教師を雇っている。一般家庭なんかでは、親が教えているとか。
アシュレイは基礎知識しか両親に与えられなかったというけれど、飲み込みが早すぎて今や家庭教師のお気に入りだ。
「ねえ、なんて言おうとしたの?」
「しつこい女性は魅力が半減ですよ」
「そんな目で見ないで……。わかったわ、お勉強しましょう」
ついさっき家庭教師の先生は出て行ったので授業も終えたばかり。だというのにアシュレイは私に勉強を促す。もはやこれは日課になってしまった。曰く、「セシルお嬢様を立派なレディにするため」だそうだ。アシュレイは従者として大義名分を果たそうとしている。
それは感心するけど、私としてはもっと緩く生きていきたいなー、なんて。
身を守るだけの魔法と、生きていくために必要な学力を身につけられれば満足だったりする。こんなこと言ったらアシュレイは「なにを甘えたことを言っているんですか」と冷ややかに返すだろう。絶対に言えない。
「うー……ん……」
「その問題は先日習ったばかりですよ」
私がペンをクルクルしていると、行儀が悪い、とアシュレイはペンを取り上げた。
「一度やって完璧にこなせるなら、誰も苦労はしないわよね」
「言い訳は結構ですから。この問題にはこの公式を当てはめます」
私のノートにさらさらっと解答を書いていくアシュレイの手には迷いがない。
前世で習った科学は魔法の存在するこの世界じゃ通用しないし、英語なんて言語はもちろんないわけで。この世界なりの言語があるけど、日本語とも英語とも違うから、以前の記憶があったってなんの意味もない。
それを差し引いても、私はそれなりに優秀だったのに。一つ年下の従者は桁違いの天才ときた。先生と口論になっても負かすくらい口は達者だし、もはや年下といえどアシュレイに負けることに屈辱など感じない。
「アシュレイは勉強が好きなの?」
「そう……ですね。知識を増やすのは純粋に楽しいですし、なにより」
「なにより?」
「お嬢様の従者として恥じない人間になるためなら、苦にはなりません」
「貴方は本当に、従者の鏡のような子ね」
大人びすぎている気もするけれど。
でもなあ……。私はあまり力をつけないことが懸命にも思われる。目立って学園で取り巻きができたら死亡フラグが立つし、優秀になりすぎて生徒会なんかに入ったらヤンデレキャラとこんにちは。考えすぎかもしれないけど、あらゆる可能性を潰しておかなければ平穏無事な生活は訪れないのだ。
ヒロインのライバルキャラなだけあって、ゲームの中のセシルはなかなか成績優秀者だった。その設定に忠実に成長したら、私の命もストーリーに忠実に危ぶまれるのでは?という考えが頭によぎっている。
決して勉強をサボる口実を作ろうというのではない。決して。
「アシュレイ、次の問題を解き終わったら気分転換に外へ出ましょう?」
「また、お願いですか?」
「ええ。また、お願い」
アシュレイはちらっと窓の外へ目をやった。
「そろそろ花壇の雑草も伸びてきましたね。地道に抜きましょうか」
「それはとてもいい考えね」
この頃はお父様と分担していた庭の手入れも私とアシュレイだけで終わらせてしまうことが増えてきた。それどころか、やるなら徹底的に、とアシュレイは専門的な知識までつけて仕事にあたっている。どこまでチートなんだろうこの子は。
お父様もアシュレイのことをすっかり信用し、私のことはほとんど彼に任せきりになっている。
「せっかく春ですし、新しい花を植えましょうか。奥様も景色が変わっていくほうが楽しいでしょうから」
「アシュレイは女心がよくわかっているのね。その分もっと私に笑いかけてくれていいのよ?」
「だから、愛想よくするとお嬢様は調子に乗るのでお断りです」
アシュレイのツンデレは圧倒的にデレが少ない。9:1くらいの割合でツン:デレだ。
お父様にもお母様にも他の使用人にも、アシュレイは表情が乏しすぎる。このままではあの子の頬の筋肉は完全に固まってしまうのではないか、と相談をするけれど、どの人も、アシュレイは私といるときはよく笑うし表情の変化も多いという。
これでよく笑うというなら私なんて年中笑っているおかしい子じゃないか。
「私はアシュレイの笑った顔が好きだわ」
「僕はお嬢様のどんな表情も好きですよ」
こんなときに真顔でデレるとは。やられた。心臓打ち抜かれた。もちろん物理的な意味ではなくて精神的な意味で。
「でも……泣き顔よりは笑った顔の方が好きです」
「だきし」
「お断りします」
「早い! せめて言わせて欲しかったわ」
どうせ大きくなったらできなくなるのだから、今のうちに思い切り愛でさせて欲しい。きっと思春期だってすぐに来るし、それが過ぎればアシュレイだっていい人が、場合によってはヒロインとそういう関係になるんだろう、とにかくいい人ができて私とはさようならなんだから。
「私たちが一緒にいれる時間なんて、長い人生を考えれば一瞬のことなのよ?もっと仲良くしてくれてもいいじゃない」
「一瞬?」
「そうよ。私たちはおじいさんやおばあさんになるまで生きるけれど、貴方にも私にも、いずれ生涯のパートナーができて、お互いその相手と生きていくでしょう? いつかはお別れをするのだから」
アシュレイが、怯えるように瞳を揺らした。
「従者は主人に忠誠を誓って、生涯傍に仕えるものです」
「そんなこと、気にしなくていいのよ」
隣に座るアシュレイの頬をそっと触った。ああ、これはOKなんだ。すべすべだなあ、男の子のくせに。七歳だから?私もそこそこ綺麗なお肌だけど、アシュレイの方がきめ細かいような……。しかもこの子は、十五になってもヒゲの気配を感じさせない透明感を突き通すと私は知っているからちょっぴりジェラシー。
「私は貴方に自由を与えているの」
よそはよそ、うちはうち、なんて、前の世界じゃよく言った。それとおんなじ。他の人が捉える主従と、私たちの間にある主従関係は違う。
「いつか大切な人ができたなら、私は貴方の幸せを願うから。貴方を無理につなぎ止めようとはしないわ。ただ離れても時々、私に仕えた日々を思い出して、私に仕えてよかったと思ってくれたら私は幸せ」
頬に当てた私の手の上から、アシュレイの手がかさねられた。
「セシルお嬢様は、いつか僕を……捨てるんですか?」
「え?」
「僕でない人との時間を選んで、用無しになった僕はお嬢様に捨てられるんですか?」
そうではなくて、アシュレイにとって一番いい選択を、アシュレイ自身にしてほしいという意味だったんだけど……。
私はそもそもまだ恋愛願望や結婚願望は薄いし、自分に恋人ができることも想像できない。ただ、アシュレイの隣に女の子……ゲーム主人公…がいる姿は画面越しにだけど目の当たりにしているから現実味がある。
「そうではないわ、アシュレイ。貴方が私の従者でいてくれると言うなら、私は是非とも貴方との主従を続けていきたいの。けれど貴方が他の女の子に好意を持つ日だって必ず来るわ」
「なぜ? まだ来ていない未来に、必ずなんてありませんよ」
ぞわっと、背筋に寒気が走った。
私のことをじっと見つめるアシュレイの目は、深い色をしていて、無感情なようでいて、正体のわからない強い感情が見え隠れしていた。
「お嬢様にとったら僕はその程度ということですか? 従者は誰でもよかった?」
「そうじゃないわ、アシュレイ。ごめんなさい、言い方が悪かったわ。私の従者は貴方だけよ。貴方の存在は私の中ではとても大きいし、誰でもいいなんてことないわ。ただ私は、貴方が幸せになるためなら、協力は惜しまないと言いたかったの」
「それなら、僕の幸せはお嬢様の傍にいることだと言ったら、貴女は僕を永遠に傍においてくれますか?」
うん?
「もちろん、貴方がずっと仕えてくれるなら私としては嬉しい話だけど……」
「なら僕は、貴女にずっと仕えます」
アシュレイのまっすぐな目に、私は頷くことしかできなかった。