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25、主人ののどが掻っ切られかけました

「やあ! 元気がないな、ミス・オールディントン」

 予行舞踏会以来、セシル・オールディントンの元気がない。大好きな従者と一緒にいる姿を見ることもない。

 入学してからというもの、授業中を除けばセシルの従僕は常にセシルに付きまとっていたというのに。いや。授業中でさえ、向かいの教室から窓越しに見ていることがあったくらいだ。それが、ここ十日ほどは登下校も共にしていない様子だ。

 俺としては気分がいい。目障りな存在がいなくなったのだから。

「なんて感じの悪い人なのかしらね。元気がないとわかっているなら嬉しそうにしないでいただける?」

よほど機嫌が悪いのか、行儀が悪いのも気にせずセシルは舌をべっと出した。

「俺まで辛気臭い顔してちゃ、空気が重くなるだろ。麗しのオールディントン嬢を元気づけようとしてるんだぜ?」

もう全授業が終了したというのに、セシルは席から立とうとしない。動くのも億劫と言っているようだ。従者との間にトラブルがあって精神的な面で疲労がたまっているのか。

 はたまた、肉体的疲労がたまっているせいで従者と喧嘩でもしたのか。

どの道従者がらみなら願ったりだ。

 従者のことを心残りにせずに、お前は安心して死ねるだろう? セシル・オールディントン。

「にこにこしながら言っても説得力はないのよ? ミスター・アークライト」

荷物をまとめながら、セシルは大げさに溜息をついた。

「ただまあ……。大目に見てあげる。それも貴方なりの優しさなんでしょう。イラつくけど」

「なんだ。俺のことわかってるみたいに言うなあ」

困ったように笑って見せながら、ほくそ笑む。

 お前はなにもわかっていない。

 俺がどんな人間かも、お前にとって脅威になる存在であることも。優しいって? とんだ笑い話だな。俺はただの道化師だ。へらへら笑って、欺いて、ただ、人の皮を被って人に紛れているだけだ。

 俺は道化師だけど、でも、セシル・オールディントン。お前のことは、演技ではなくて本心から恋しく思っている。それさえも、お前は知らない。

「わかっているかは曖昧だわ。だけど知っているのよ。たった一年間でも、貴方とはそれなりに、親しくなれていたのかもね」

「熱でもあるんじゃないか? 君、俺と親しくなりたくなかったんじゃないのか?」

まぶたをふせながら、セシルは遠慮がちに笑った。

「結局、絆されてしまったのかもね。貴方がしつこいから」

「へえ。ついに惚れてくれた?」

「それとこれでは別だけれどね」

 なら……。

 いっそ死んで、俺だけのものになってくれ。

俺を好きにならなくてもいい。お前が俺に殺されたという事実が欲しい。俺はお前の生涯に置いて、重要な人物になりたい。お前の中で、その他大勢で終わるくらいなら、お前の人生を左右する存在になりたい。

「なにを呆けているの?」

「いいや? 君に見入っていたんだよ」

お前が俺に殺される姿を想像したんだ。

 首を絞められて苦しむ姿。血をふく姿。毒を飲んで苦しむ姿。どれでもいいな。けど、俺の我儘に付き合ってもらうんだ。苦しまないよう一瞬で終わらせてやるべきだろう。

 すぐに後を追おう。

 俺が死ぬときは傍らにお前の亡骸を置くんだ。お前を抱きしめながら、毒を飲もう。苦しい中でだって、お前を抱きしめて死ねるのなら、それほどの幸福はない。

「貴方は軽口ばかりね」

「これでも、この頃は自重してるぜ? ほら、君っていう本命ができたからさ」

セシルが動きを止め、ゆっくり俺と目を合わせる。つっていて知的な目が、俺を探るように見つめる。すべてを見透かすような視線に、俺は若干のうしろめたさを感じずにはいられない。

「もし、それがからかいでないのだとしても」

セシルの瞳が揺れた。罪悪感を抱く人間の目をしている。俺にとってよくないことを言おうとしているのがわかった。衝動的に、耳を塞ぎたくなったが間に合わない。

「私は応えられないわ。……貴方は、数少ない私のお友達だもの」

本当に、お前って友達が少ないよな。俺もその枠に入れてくれなかった。

 なのに今更、そんなことを言うのか。

 友達で満足できなくなってしまった俺に、言うのか。

 もっと早く……俺がお前に友愛以上を求める前にそう言ってくれたら、お前なんかに惚れたりしなかったのに。今更もう遅い。

「ついに友達認定か。俺も出世したよな」

もう、友達という言葉は俺を喜ばせてはくれない。

「じゃあそれ以上に到達するのもそう遠くない未来だな」

お前にも俺にも、もう未来なんてないけどな。

「貴方はもう少し誠実さを身に着けるべきよ。……また明日ね」

苦笑したセシルは今日もまた、従者を連れず一人で寮へ帰って行った。



***



 夜というのは、どんな施設も警備が手薄になる。

 たとえば王宮。貴族の屋敷。それに、学園の寮。

 忍び込むのに慣れていれば簡単に侵入できる。

 まったくもって、

「俺に都合のいい話だと思わないか?」

返事はない。

 ベッドに横たえるセシル・オールディントンは規則正しい寝息を立てている。暗闇の中で、セシルの白い肌はよく見えた。

 真夜中の女子寮に許可なく潜り込むなんて、ばれたら大問題だな。もっとも、やっている奴は少なくない。夜中に逢瀬を繰り広げる良家の子供たち。親が知ったら泣くな。不純異性交遊なんて感心しない。

なんてこと、俺が言えたことではない。しかも今日については、それ以上に罪深い行いをするわけだ。

「愛してるんだ。セシル・オールディントン」

月明かりがセシルの頬を照らす。

 お前は性悪だし、無神経だし。けど苦しくなるくらい美しくて、愛おしいと、少なくとも俺は思う。

 今夜、お前はこの部屋で死んで、俺も後を追う。

 今日お前は言った。俺は友達だと。殺されてもなお、俺を友達なんていう薄い関係性だけで繋がる存在に留めるのか? そんなはずはないよな。俺はお前の生涯の中で、大きな役割を担うんだ。お前をどん底に突き落とす存在だ。

 お前がかわいがっていた従者も、哀れなものだ。

 自分の知らないところで主人は殺される。しかも、仲たがいをしたままで、主人とは二度と会えなくなる。

 懐から取り出した短剣は、俺が唯一所持する自分の物だ。俺の持ち物は、与えられたものはこれだけだ。銀の、なんの装飾もないこじんまりした凶器。これで俺は、何度も人を傷つけた。

「愛してる。愛してる。……っだから一緒に……」

白い首に突き付けてから手を動かせなくなったのは、まだ俺が、人間である証なのかもしれない。

 笑っている顔が好きだったよ。たとえ他の男の話をしている間でも、笑っている顔が好きだった。

 声が好きだったよ。どんなに俺を突き放す言葉でも、その口から発せられる言葉すべてを拾いつくした。


 叶うなら、本当は、生きて、愛し合って、幸せになりたかった。


 死んで、手に入れるなんて、屁理屈でしかないことくらい、頭ではわかっている。それでも心は欲している。

 それに俺には、こうするしか道はない。

 俺は、セシル・オールディントンを生かしてやれない。

 なぜなら決まったからだ。

 セシル・オールディントンは犠牲者に決まった。

 俺に決定権はない。

 だから言い訳をする。

 俺は死をもって、セシル・オールディントンを手に入れる。

「くそ……っ!」

 手が、いうことをきいてくれない。

 早くこの女ののどを掻っ切ってしまえ。剣を下ろせ。この女を早く、手に入れろ。

 動けよ。

 冷静な俺が、すべてを悟って役目から逃げ出す前に。セシルを殺すことへの恐怖がこれ以上膨らむ前に。

「……皆泣くわ。皆優しいから」

驚いて手が震えた。そのせいで、セシルののど元の皮を薄く切ってしまった。

 短剣を握った震える自分の手に白くてほっそりした手が重ねられた。それに激しく動揺する。

「私を殺そうとしてね、泣く人ばかり。私の周りの人は皆優しいから。オズウェル、貴方も。優しいから迷っているんでしょう?」

寝言ではない。セシルはうっすらと目を開け、俺を見ていた。

「驚くそぶりも見せないな。俺が君を殺そうとしているって、気づいてたのか?」

視界が歪んでいるのは、セシルの言う通り、気づかないうちに涙が出ていたからだった。言われて初めて気づいた。ああ、俺はここまで悩んでいたのか。

「どうかしら。知ってはいたけれど、信じてはいなかったわ」

「誰かに何か言われたってことか?」

「そうかもね」

今にも殺されそうというときに、セシルはあくまで静かな声だった。

「殺せないわよ。あの子も結局、私を殺せなかった」

「そうか。俺以外にも君を殺そうとした奴がいたの? それは腹立たしいな」

普段の道化の調子でおちゃらけてみせる。涙を流しながらではかっこうもつかないか。

「けど俺は殺せるよ」

俺は、半端な気持ちでここへ来たわけではない。俺は殺さなければいけない。セシル・オールディントンは殺される定めにある。

「できないわ。理由は三つほど、ね」

少し得意げに笑ったセシルは、一つ一つ理由をあげていく。

「一つ目。貴方は人を殺せる人じゃない。そうやって涙を流せる素敵な人よ」

「くだらないな」

殺せると、言っているじゃないか。

「二つ目。……気づいているはずだわ。貴方の大切な人が間違っていることを。貴方は、“彼”に従うことに疑念を抱き始めている。だって、貴方は正常で、“彼”は異常だから。正常な貴方はもう“彼”を心から信じられない」

頭が熱くなった。

「セシル……オールディントン……お前は何を……」

「何を知っているかって?」

“彼”だと?

 全てを知ったような口ぶりで言うお前は、一体どこまで知っているんだ。

「知っているわ。貴方が誰なのかも。貴方が何によって生かされてきたかも」

「どうして……」

哀れむような目で俺を見るな。

 どうしてお前は、俺を否定するような目で見るんだ。

 どうしてあいつを、

「オズウェル、貴方は、“彼”の異常さがわかっているでしょう?」

「あいつを侮辱するな……!」

あいつを貶めるな。

 あいつは、俺を、ここまで生かしてくれた俺の世界そのものだ。

「フリューゲルを侮辱するな!」

手に力が入る。

 このまま勢いにまかせて、俺は初めて愛しいと思った相手を殺すのか? もう自分でも、腕が動くのを止められない。

「それから、三つ目」

 短剣が、いや、俺ごと、ふっ飛ばされた。

 後ろから回し蹴りをくらったと理解するのに大分時間を必要とした。

 セシル・オールディントンの得意げな笑みが妙に納得できた。

「私の従者はとてもとても優秀だから、貴方に私は殺せないわ、オズウェル」

「おっしゃる通りです、親愛なるお嬢様」

ああ、やっぱり俺は、お前の従者が邪魔でしかたない。


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