24、先輩のなかで辻褄が合いました
「やめておけ」
肩を掴むと、ローナがびくりと震えた。
「わたしは……俺はお前を、悪人にはしたくない」
誰かを傷つければ、その瞬間に悪人になる。
振り返ったローナは俺を見て明るく笑った。
「え? 兄さん、なんの話?」
屈託のない笑みを浮かべていても、何をしようとしていたかくらいはわかる。俺が声をかけるまで、ローナの視線はまっすぐ向けられていた。セシル・オールディントンと、あいつを抱きかかえるアシュレイ・カーライルへと。
神経を研ぎ澄ませ、瞬きひとつせずに。
二人が出ていったことを確認してから、ローナの手をひねりあげた。
「ローナ・ランドルフ。お前は一体なんだ?」
今確実に、ローナはセシルかアシュレイ、どちらかに魔法を使おうとしていた。表情からして、それが悪行と言える魔法であることは確かに思えた。
俺はローナを、それでも隠しキャラとは思えない。そもそもつかめないのだ。ローナ・ランドルフという存在がなんなのか。理屈が成り立たない。セシルを狙うことに対して、一体ローナにどんなメリットがある?
レイラとローナに接点があればまだ考えようがあった。完全にレイラが加害者であるが、セシルとレイラがくっついている場面では大抵セシルがレイラを追い払おうと奮闘している。その姿を見てセシルがレイラを苛めているように見る人間も、中にはいるかもしれない。この場合完全にレイラが悪いのだが。
隠しキャラだったとして、セシルを狙うのに明確な理由がないのはおかしい。セシル自身は心当たりがないと言っていた。
「なんだって……僕は兄さんの義弟の、ローナ・ランドルフじゃないか」
「お前は昔から、何かを誤魔化すときは左手の中指を右手で握る癖があるな」
ほとんど賭けだった。
俺の思い過ごしかもしれないし、ローナがわかりやすく顔に出してくれるとも限らなかった。だが、成功したようだ。
ローナは大きく目を見開き、小さくカタカタと震えだした。それでも誤魔化そうとしているのか、ローナは震える体をおさえながら、口角をあげた。
「ええ? よく見てるね、兄さん。僕のその癖に気づいた人なんて」
「今までに一人しかいなかったろう? 当たり前だ。俺はお前の兄貴なんだからな。他の誰より、お前のことをよく見て来た」
***
セシルのように、思い出した記憶が曖昧ということでもない。前世での自分のことも、自分の家族のことも、友達も、恩師も、はっきりと覚えている。かといって、レイラのように生まれたときから自覚があったかと言えばそんなこともない。
おそらく転生した人間にもそれぞれの事情が違っている。
俺が思い出したのは十五の時だった。学園に入学するまであと数か月。寮生活への準備に追われながら、ふと、思ったのだ。
―――今度こそ卒業したい。
と。
そこで、不自然に思ったのだ。
今度こそ、とは?
この世界では学生生活を送る時間は三年間だけと決まっている。故に俺はまだ学生生活を送ったことはなく、家庭教師の指導だけを受けて来た。だというのに、こう思ったのは何故なのか。
そして更に考える。
何故俺は、卒業に執着を抱くのか。
俺は守りたかった。地位とか世間体ではなくて、大切な何かを。卒業したら就職をして、守っていきたかった。
なにを?
俺は、何を守りたかった?
そこで思い出したのだ。
俺が大切にしていたものを。
両親は共働きだった。二人で自営業の和食屋を営んでいた。経済状況は苦しかった。一つ下の妹は利口で、小さいころから、一緒の時間を過ごせない両親のことを理解していた。俺と二人で食べる飯はさぞあいつにとって味気ないものだっただろう。甘えたい盛りの妹は、それでも両親にわがままを言わなかった。
しかしある時不満と不安とが爆発したのだ。小学二年生か三年生かほどだった。妹は俺に、もっと普通の家に生まれたかったと大泣きした。とうとう、学校行事にも両親が参加できなくなったことのせいだった。
やしなってもらっている以上、両親に文句も言えない。
だから誓った。
高校を出たら就職しよう。
大学に入ったら学費を稼ぐために両親が余計忙しくなり妹と過ごせない。公務員がいい。叔父は高校を出てすぐ公務員になったと聞いた。試験を受ければ市役所公務員になれる。そうすれば家計の足しになる。俺だって、公務員なら妹と過ごす時間を削らなくて済む。悲しい思いはさせない。
よく考えれば、たった一つしか違わない妹は、俺が就職するような年になればもう悲しい寂しい言う子供ではなくなっていた。それでも、あいつが寂しい思いをした分だけの時間を返上できるように、目標はぶれなかった。
中学に上がるころにはすっかり生意気になって、『お兄ちゃん』から『兄貴』なんて呼び出すし、ゲーム三昧だし、恥ずかしげもなく俺の前で乙女ゲームをプレイするしで可愛げが極端に薄くなったが、それでも俺には大切な妹だった。
あと、少しで卒業だった。
あと、少しで。
「寝不足か?」
「んー、遅くまでゲームやってたから」
登校の最中だった。高校生にもなって兄妹で登校なんてどうかとも思っていたが、長年続けて来たスタイルを変えるのも面倒だった。その不精のおかげで、俺はあいつを守れたのだから結果オーライか。
「おい、馬鹿!信号まだ……っ!」
「え……」
赤になったら止まれって、教えたはずだぞ。鈍くせーんだよ。そもそも、前に注意できなくなるまでゲームばっかしてんな。
お前のために……とか言ったら恩着せがましいかもしんねーけど、俺は公務員試験の勉強までして、彼女もできなかったんだぞ。
本音言うと彼女欲しかったし、非現実的な夢に憧れることもあった。公の場でキャーキャー言ってもらえるほどの顔でもなかったが、馬鹿みたいなことに馬鹿みたいに一生懸命になりたいこともあった。
けど、まあ。
悪い人生じゃなかった。妹を守れたのだから。
大型車にはねられながら、今までを振り返ってそんなことを思った。
一発で死んでたら、あいつの泣き顔も見ずにすんだというのに。
「お兄ちゃ……っ!よかった……起きた……!」
目を覚ましたのは病院だった。
俺のベッドの横では両親と妹が大泣きしていた。安心させようと起き上がろうとしたが、体がいうことをきかなかった。
「なんだよ、お兄ちゃんて。いつ以来だ、そんな呼び方」
普通に出したつもりの声もかすれる。自分はもう駄目だと、なんとなくわかった。
俺が馬鹿にしたようにへっと笑うと、涙を流しっぱなしのまま妹が笑った。
「可愛い妹っぽいでしょ」
馬鹿だな。
「いつでも可愛いっての」
「なに恥ずかしいこと言ってんの、馬鹿兄貴」
ああ、もう、笑っている顔も見られないのか。
「自分のせいだとか、思ってんなよ」
「は……、思ってないし」
嘘つけよ。
「お前は何かを誤魔化すときに左手の中指を右手で握る癖あるな」
俺が好きでやったんだ。勝手に責任感じて、後追い自殺なんて勘弁しろよ。
「お前知らないだろ。自殺したら天国に行けないんだぞ? 生きられるだけ生きて、老衰で死んだら真っ先に俺に会いに来いよ」
そしたらまた、お前の笑ってる顔を拝める。
***
思い出してすぐは動揺した。その瞬間、この世界に生まれてから確立してきたグレイ・ランドルフの人格は一切消えた。俺は俺でしかなく、シナリオ通りに生きられる自信もなかった。こうして今の俺がいるわけだが……。
「ローナ・ランドルフ。お前は他にも癖がある。嬉しい報告がある時は左足のつまさきを床に打つ。考え事をしているときは耳たぶを触る。疲れているときは腰に手を当てる」
どれもこれも、
「俺の愚妹と同じだ」
すぐ顔に出るところも、数字に弱いところも。
「ぅ……ぁ……」
俯いて唸るローナは、ゆっくり俺に寄ってきた。最終的には俺の肩に顔を埋めた。
「お……にいちゃ……?」
「ああ……」
うっすらと疑っていた。癖もそうだし、時折の言動も、向けている視線の先に大抵ゲームの主要人物がいることも疑う理由だ。ただ確信はない。だからかまをかけた。案の定でこちらは一安心だ。でなければ、なんだこいつはと思われていたに違いない。
我ながら突拍子もない発想だったが、まさかここまでの偶然があるものか。
「自殺なんてしなかったろうな」
「してない……し……。事故ったけど……」
頭痛がする。
「お前……」
「おにい……兄貴だって! 勝手に死んだくせに!」
鼻水まで垂らして泣く我が愚妹は、俺の頭を思い切り叩いた。幸いなのは、近くに人がいないおかげで会話は聞かれず、俺たちはじゃれあっている兄弟に見えているだろうということだ。
「あたし、死ぬほど後悔した! あたしのせいで、死んじゃっ……、ごめ……なさ……」
この顔であたしとか言うと……
「キモ……」
「っさいな馬鹿兄貴! 他に言うことあるでしょ!?」
感動の再会も続けたいが、今はやらなければならないことがある。物語は進み続けている。まずは確認からしなくてはならない。
役に立たないライバルキャラと違い、俺の目の前にいるローナ・ランドルフは乙女ゲームを完全クリアしている。
「初めに訊く。お前は隠しキャラか? ローナ・ランドルフ」
目元をごしごしこすりながら、「はあ?」とローナは馬鹿にするような声を出した。
「なんでそんなこと訊くわけ。隠しキャラじゃないけど」
なら、やはり
「オズウェル・アークライトか……!」




