22、不吉な物語が始まりました
後悔しても遅い。全ては俺の罪だ。俺はどこで道を過った?
セシル・オールディントンに出会った時からか。レイラ・モートンに出会った時からか。
いいや、きっともっと昔だ。善悪の違いもわからないガキの頃に、すでに間違った道へと進んでいた。だからこれは、当然の報いなのかもしれない。
『お前は罪人だ』
俺の引き取り手が言った。
まったくもって、その通りだ。俺は親殺しの罪を背負い、周りから得たわずかな情けで今まで生きて来れた。
窮屈な日々だ。負い目しかない。
しかしそれに不満を言う権利は俺にはなかった。
へらへら笑い、周りのご機嫌をとることに必死だった。自分の弱さに気づかれないように軽薄な道化を演じて生きてきた。誰も俺の芝居に気づくことはなかった。あるいは俺の引き取り手は俺の本性を見抜いた上でもにこやかに接してくれているのかもしれない。
学園でもこれまで通り愛想の良い道化師になった。引き取り手に迷惑をかけるわけにもいかない。
誰もが俺の芝居にかかる。見抜ける人間はいないし、見抜こうなんて人間もいない。それは今まで通りだった。
けれど異分子がいた。
セシル・オールディントンは俺の芝居を見抜く様子など微塵も見せない。俺が本当はどんな人間であるかなんてことを知りもしない。ただあの女は、お愛想笑いの上手な俺に軽蔑や侮蔑の目を向けてきたのだ。へらへら笑いいい人ぶる俺に、あの女は嘲笑を浮かべるのだ。
あの女は性格が悪い。友達も少ない。あの女一人に侮られ、蔑ろにされても、周りから信頼を集める俺とあの女が並べばほとんどが俺に味方する。例外はいても一人や二人。ああ、あの従者とか。
要するに俺は、あんな性悪女に嫌われようが痛くも痒くもない。
それでも妙に胸がざわついた。
あの女の刺すような目が、俺はどうしようもなく怖かった。
いつかこの女は俺の本性に気づくかもしれない。そうすれば俺は……
……俺は?
どうなるっていうんだ?
あの女が俺の本性に気づいたからといって何が変わる? せいぜいあの女の俺を見る目が、今と比べ物にならないほどに荒むくらいだ。俺の顔など見たくないと言うだろう。今はかろうじてもらえる、俺が一方的に話す会話の中の相づちさえなくなるだろう。俺への嫌悪感を露わにし、目を合わすことさえできなくなる。
俺はどうも、あの女に今以上に嫌われることを恐れているらしい。
嫌われたくない。必死に話しかけた。何故そう思うのかもわからず鬱陶しがるセシル・オールディントンへ話しかけ続けた。
そのうち、どうすれば笑うのかわかるようになった。
「君の従者はどんな奴?」
そう言えば、セシル・オールディントンは嬉しそうに頬を染めて自慢の従者の話をする。幸せそうに笑う。
俺はその笑顔を見て安堵に似た心地よさを感じながら、思った。
――ああ、殺してしまいたい。
従者だって? くだらない。それはただの道具じゃないか。それはただの主人の所有物。人としての扱いを受けるのがどうかしている。主人なら、セシル・オールディントンは従者を蔑み、虐げ、うっぷんを思う存分にぶつければいい。
それなのに、まるで恋人について語るようにあの女は従者のことを語る。
ああ、ああ、お前の従者なんて。俺が必死に嫌われまいと付いてまわる女にこうまで気に入られている従者なんて消えてしまえ。消してしまいたい。
「アシュレイは、とても大切な従者なの」
頬を染めはにかむあの女を見た瞬間、一瞬呼吸を忘れた。
やめろ。やめろ。やめろよ。やめてくれ。
どうして俺と話しているのに、違う誰かを思って、大切と言って笑うんだ。
なんて悔しいことだろう。俺はこんな世間知らずで性格の悪い女に惚れてしまった。ただへらへら笑っている俺に靡かず、貴族であればしがちな差別をすることもない、従者の話ばかりする頭の悪い女だ。
最悪だ。
誰かを好きになる権利など、とっくに失っていたのに。
それでも、今だけ。卒業まで。今だけは、とセシル・オールディントンに付きまとった。
俺は君が好きだよ。
何度も言った。いつもの軽い調子で。何度もあしらわれた。いつものあの女の調子で。
今だけだ。今だけ。
俺が不本意ながら惚れてしまったこの女と過ごす時間はこの一瞬だけなのだから。夢をみるくらいならきっと許してもらえる。誰に許しを請えばいいのかもわからないが。
心から笑っていた、かもしれない。幸福感に満たされて、この夢のような時間が終わらなければいいと願った。
けれどそれがいけなかった。身の程知らずだった。
俺は、関わってはいけなかった。誰かの記憶に残ろうとすることさえ、俺には罪深いことだ。だから歯車が狂った。
俺の世界は歪んでしまった。歪みを直すには、そう。尊い犠牲をださなくては。
世界が歪んだせいで何も考えられなくなっていた俺を、ガラにもなく、セシル・オールディントンが心配してきた。
「……相談くらいなら乗るけど」
口を尖らせて言うセシル・オールディントンは照れているのか赤くなっていた。
ああ、不覚だ。お前みたいな女に惚れたせいで俺の世界は歪んでしまったよ。そう言うのは、あまりに理不尽か。
「俺さあ……」
「なによ」
「君が……。……いや。なんでもない」
君が本当に好きなんだ。
「あまり抱え込むのはよくないわよ」
「いつになく優しいな。君が冷たいときは弱っているふりをしよう」
なんだってお前みたいな女に惚れてしまったんだろう。もっとずる賢くて打算的な女だったら、利用し合い共に生きていく道だってあったかもしれない。
だけど現実に俺が惚れた女はとんだ阿呆だ。俺と生きていくこともできない、性悪のくせに綺麗なものしか見たことがないお嬢さんだ。こんなことを考えても仕方ない。もうなにもかも手遅れだ。
歯車は狂った。俺の世界は歪んでしまった。歪みを直すには、そう。尊い犠牲をださなくては。
ごめん。決まってしまったんだ。セシル・オールディントン。お前がその犠牲者になるんだ。
後悔しても遅い。全ては俺の罪だ。だからせめて、俺も後を追おう。俺がお前を殺して、俺はお前の後を追うんだ。
笑ってしまう。罪悪感がある。けれどそれ以上に高揚感を覚える。
ごめん。セシル・オールディントン。お前は俺に殺されるんだ。俺はお前に謝りながら、だけど喜んでるんだよ。生きていても、お前と一緒になることはできない。お互い生き残っても、俺は牢獄の中で生き、お前は俺の知らないところで男と幸せを築いていくだろう。
けれど死んだら? 俺の手の届かない場所へ行くことはないだろう。
ごめん。ごめん。俺の罪に巻き込んでしまって。
「言いたいことがあるならはっきり言っていただける? ミスター・アークライト」
「ええ? 見とれていただけだよ」
シンプルなドレスは彼女の魅力を引き立たせていた。壁の花になっていたセシルをじっと眺めていると、怪訝そうに眉をよせられた。
「ずいぶん調子が戻ってきたみたいね」
「なんだ君、心配してくれてたのか? 優しいね。俺に気があるの?」
「いいえ」
おそらく、従者を待っているんだろう。予行舞踏会はアシュレイと行くと言っていた。俺が適当にペアを組んだ女子生徒は先ほど、疲れたからと休憩室へ行ってしまった。今なら俺がセシル・オールディントンの手を引くこともできる。彼女は拒むだろうが。
「はっきり言うなあ。まあ、おかげさまでふっきれたよ。やっぱり何事もポジティブに考えるべきだよな」
セシル・オールディントンを守るにはどうすればいいか。セシル・オールディントンを殺すことへの罪悪感も、もう考える必要はない。
そうだ。俺は死をもって彼女を手に入れる。むしろ喜ぶべきことじゃないか。
そういう意味で言えば、
「レイラ・モートンに感謝だな」
これは俺とレイラ・モートンによって引き起こされた悲劇だ。




