21、余裕が一切なくなりました
「来週ですね、予行舞踏会」
基本的に、学園に休日はない。長期休みや、開校記念日や建国記念日などの祝日はあるけれど、日本みたく土曜日曜のお休みはない。
そして今日はその年に数回の祝日。我が校の開校記念日である。
久しぶりに制服でない格好でアシュレイと街に出て来ると、装飾店の前でアシュレイが足を止めた。
そして冒頭の言葉。私にとっては実感したくない近づいてくる舞踏会。
「そうね……」
まだ何もできていない。
はっきり言って、全員の出会いが終わってしまった今、一番最初の大きなイベントである予行舞踏会はすぐにやってくる。
地味に、静かに、花を眺めるアシュレイと庭で出会うシーンは終わっていたそうだ。アシュレイ曰く、押し花に使う花を拾っていたところを邪魔されたので追い返したとのこと。
押し花なんて少女趣味ねーと思ったら、後日その押し花は私が栞をほしいと言っていたからそれに使うためだったと判明した。ちょっと申し訳なくて貯めたおこずかいで新しい万年筆をプレゼントしたら、不審がられて今度はなにをやらかした、と失礼な尋問をうけた。
「予行舞踏会は全校生徒参加ですね」
「そうね」
「男女でペアを組むと聞きました」
「ええ」
「今回はテストと違ってどの学年同士でも組めます」
装飾店に入っていくアシュレイについていく。店内は女性ものの宝石やアクセサリーばかりおいてある清潔感ある雰囲気だった。
端の棚に並んでいた黄色いガラスの髪飾りを手に取ったアシュレイはぼぅっとそれを眺めている。
「もう相手は決まっていますか?」
「いいえ。残念ながら」
「そうですか」
「ええ」
「僕もです」
店主と思われる初老の女性に声をかけたアシュレイは、お金を払ってそれを受け取っている。
「エスコートを任せていただけますか?」
「私でよければ」
買ったばかりの髪飾りを私につけて、アシュレイは満足そうに笑った。
「だけどこれはもらえないわ」
「なぜ?」
「貴方の大切なお給金で買ったものだもの。私なんかがもらえないわ」
「貴女のために買ったのにですか? それは僕に対して失礼ではありませんか?」
「けど……」
「万年筆のお礼です」
もらった髪飾りを取ろうとする私の手を、アシュレイは掴んで止めた。そう言ってくれるなら、ありがたくもらおう。
「さすが。私の好みをよく知っているのね」
「お嬢様だけを見ていますから」
今度の予行舞踏会にさっそく使わせてもらおう。
きっとアシュレイもそのつもりでくれたのだろうし。
「ドキッとする台詞ね。それでアシュレイ、どこへ行きたいの?」
「はい?」
「え?」
今日街へ出てきたのは、アシュレイから誘いがあったからだ。
どこかへ付き合ってほしいということだと思ったのだけれど、さっきからずっと、適当なお店に入って観光のようなことをしているばかり。靴を見たり、本屋さんへ行ったり、こうして装飾店に入ったり。
それも、アシュレイの目当てのものを探すのかと思えば、見る靴は女性用。本もアシュレイの好きな堅苦しい(というとお嬢様の理解力が乏しいからそう思うのだと言われてしまう)本ではなく私が好きな小説を探した。装飾品については今の通り。
「目的地は特にありません」
「そうなの?」
「強いて言うなら……二人で出かけることが目的、でしょうか」
それはそれは……。
「私に何か買ってほしい物でもあるの?」
「いえ。意味は察してください」
店を出てから、アシュレイが空を見上げた。私もつられて上を向く。
雲が厚くなってきている。
「降りそうですね」
「そうね」
「あえてというところもありますが傘を忘れました」
「あえてなの?」
ちょっと貴方のご主人様には貴方の言っていることが理解できないんだけど。
「雨宿りをしている間に外出許可時間が過ぎてもお咎めはありませんね。天気は人にはどうしようもできませんから」
祝日に寮の外へ出るには、外出許可を寮母さんに認めてもらわなければいけない。その際書類も書かされる。良家のお嬢さんやお坊ちゃんばかりの学校だから生徒になにかあってはいけないとその辺りはしっかりしている。
書類には何時まで出るかまで書かされ、それを破ったら罰則が与えられる。掃除当番だったり、雑用を一週間させられたり。貴族の子供だったらそんなことも屈辱なのかもしれない。私はそうでもないけど、やらなくて済むものならやりたくはない。アシュレイもそうだと思う。
「そうね。雨の中濡れて帰るほうが、怒られてしまうでしょうねえ」
いい家の子には風邪もひかせたくない学校である。
「つまりは、そういうことです」
寮に戻るまでの時間を伸ばしたくて、あえて忘れたってこと。
たしかにアシュレイは晴れの日だって曇りの日だって完璧なそなえをしているのに傘を忘れたというのは珍しい。あえて、なら納得できる
「寮に帰りたくないの?」
「はい」
即答……。
「何かあったの? 嫌なことがあった? 誰かに何かされた?」
「寮が嫌というわけではなく。少しでも長くお嬢様といたいというのでは、いけませんか」
急に、アシュレイが私の顔の前に顔を出してきた。へたをすれば、唇が触れそうな距離。レイラにおかしなことを言われたせいで過剰に反応した私を、アシュレイは呆けた顔で見下ろした。
顔が熱いせいで、きっと色も変わっているだろう。
「お嬢様? どうしました?」
「何が?」
アシュレイが私に気があるとは思えない。根拠なんてなくて、ただ、想像できない。
ゲームで見てしまったせいかもしれない。アシュレイの隣には、あの可愛らしいヒロインが立っていて、アシュレイは彼女に愛を囁く。それとは逆に、本来私は死んでアシュレイに喜ばれる存在だから。
アシュレイをレイラと良い仲にする気はないけれど、ゲームの中の愛らしいレイラのような女の子こそ、アシュレイに相応しいと思う。
アシュレイが私に好意を寄せているという可能性を、私が根拠なく否定しようとしているというレイラの指摘はあながち間違いではないかもしれない。
私はそもそも、アシュレイに好意をよせてもらう可能性を見出せていない。
「耳まで赤く染まっていますよ?」
驚いた様子で、だけどどこか嬉しそうに、アシュレイは私の耳に手をあてた。冷たい手が心地よくて目をつむろうとして、我に返った。
――満更じゃなさそうだったけど。
レイラの言うことは確信をついていたかもしれない。
私だってアシュレイのことは嫌いではないし、こんなに理想的な男の子はあまりいないと思う。そう。アシュレイは理想的すぎる。完璧すぎる。だから私は彼に抱いてしまったのだろう。好意ではなくて、“憧れ”を。
私に尽くしてくれる従者は従者にしかすぎないのに、憧れるせいで期待している。
そもそもアシュレイが私を喜ばせるために甘い言葉を使うのはおかしなことではない。私を喜ばせようとするのは、アシュレイが私の従者だから。
わざと気づかないふりをしていた? そうかもしれない。どこかでズレは感じていたかもしれない。思わせぶりなことばかり言っているアシュレイに、私は一瞬期待することもあったかもしれない。だけどすぐに冷静な自分が、自分はアシュレイに相応しい人間でないことを気づかせて、何も知らないふりをしていた。
すっと熱が引いていく。
「大丈夫。大丈夫よ、何でもないの」
アシュレイにというよりは、自分に言い聞かせるつもりで呟いた。
「そうですか? 次はあの店へ行きましょう。奥にお茶をする場所もあるようですよ」
アシュレイが示したのは花屋さんだった。休憩所のあるお花屋さんなんて珍しいけれど素敵かもしれない。
歩きながら、アシュレイの顔を覗き見た。
整った中性的な顔立ちと、凛とした立ち居振る舞い。
「住む世界が、違うのね……」
方や努力に努める優秀で優しい非の打ちどころのない従者。
方や家の名前に守られているだけの無力な主人。そのうえいつ死ぬかわからないという欠点付きだ。
「……」
アシュレイに聞こえないように呟いたつもりなのに、アシュレイの瞳が揺れた気がした。
***
「さてと。やってくれたわね、ミス・モートン?」
「もうこいつを利用しても利益はないんじゃないか?」
縛り上げたレイラを空き教室に転がした。
「放せよーっ!」
駄々っ子みたいにゴロゴロ転がりまわるレイラを、先輩と二人で冷やかに見下ろす。
このトンデモ娘は数々のチャンスを無駄にしたのだ。
まずグレイ先輩とアレクの好感度を上げるために生徒会室に書類を持っていくチャンスがあった。ここでクラス発表のことに詫びを入れ、作ったお菓子の差し入れでもすればよかったのに。聞いた話では、グレイ先輩のフォローもむなしく、レイラはイケメンな先輩方に妬みから罵詈雑言、言ったら十八禁になること間違いなしの言葉を吐いて出ていったという。ちなみにその様子を見たせいで「もう女の子に希望を持てない。信じられない」というアレクを励ましたせいでグレイ先輩はよけい懐かれたとのこと。
次に、魔法の授業だ。
AクラスとBクラスの合同授業だったので私が目撃した。一年生で習った魔法は初歩の初歩。火を出す、水を出す、風を起こす、物体を浮遊させる。せいぜいこの程度だ。二年生ではこれをより繊細に且つ発展させた魔法を習う。今回の授業は、手を使わずにペンと紙を使って論文を書くこと。テーマは自由。
そこでやらかしたこの大馬鹿者。ここではルフレとルドルフの好感度を上げるチャンスだった。真面目なところを見せればそれでよかったのに。
授業監督をしていたルドルフ・マクラクラン教諭とルフレ・ウッド伯爵令息に対し、こともあろうに『童貞上等』と書いた紙を魔法を使ってこっそり二人の背中にはり付けたのだ。発想が幼稚すぎて逆にすごい。
二人は授業が終わるまで気づかず、おずおず指摘した男子生徒によってとんだ辱めを受けたことを知りレイラに制裁を下した。職員室から戻ってきたレイラの頭にはコブができていた。当たり前である。
アシュレイの好感度を上げるチャンスについては、恐ろしい早さで終了した。図書室にてまた堅苦しい哲学書を読んでいたアシュレイに対し、「なに気取ってんだよ。お前の頭の固さを露わしたような本だな」と言って思い切り睨まれていた。私はこっそり本棚の間から覗いていたのだが、あのアシュレイの目は本気で嫌悪感を持っているものだったと確信して言おう。
「もう! なんなんですか貴方たちは!」
「俺もか!?」
グレイ先輩が、ええっと声をあげる。
「先輩、アレクのルートが消えたことに喜んでるのバレバレです。ワンフォーオール、オールフォーワン! 一人は皆のために、皆は一人のためにですよ」
「発音悪いな」
「自分だけ助かればいいなんて発想はいけません! むしろ皆のために自分が犠牲になるつもりで!」
「お前だってアシュレイルートが潰れたことに喜んでるのバレバレじゃねーか」
そりゃだって、こんな偽物ヒロインにうちの従者はあげられません。
「それにどこかで好感度をあげないと隠しキャラが出てきちゃうのに、もう明日じゃないですか! 予行舞踏会!」
そしてもう放課後ではないですか。
「詰んだな……」
「ええ。詰みました」
芋虫状態のレイラは気だるげに間延びした声でもういいじゃないかと言う。
「この際隠しキャラルートでノーマルエンド目指そうぜ」
「これだから素人は!」
ノーマルエンドというのは考え方によっては一種のバッドエンドだ。何故かと言えば、需要がない。バッドエンドで萌えることはあるでしょう。ハッピーエンドで満たされることもあるでしょう。けれどノーマルエンドはぶっちゃけ微妙なのだ。萌えはない。悶えもない。幸福感もない。
「微妙なノーマルエンドでは犠牲が出ることもあるのよ!」
「ノーマルエンドなら誰も死なないんじゃねーの?」
レイラをふんと鼻で笑う。
「これだから素人は」
「もったいぶってないで教えろよー」
「某現代ものヤンデレ乙女ゲーム……『ブラッディ・マインド』とは別のものよ? これにおいては、ノーマルエンドでだけヒロインが死ぬの」
バッドエンドでは死なない。
「先生ルートのバッドエンドでは、『あれ? 私、先生に殺されちゃった……?』とヒロインは困惑するの。『ここはどこ? 天国?』そうふわふわした頭で、けれど暗闇の中に先生を見つける。『先生? ここは天国なの?』と尋ねるヒロインに先生は肯定して、君はここからもう出られないんだよと言う。けど実際そこは先生の部屋で、主人公監禁。とても萌えましたとも」
「話が長げーよ。つまり?」
「つまりバッドエンドでは生き残る。でもノーマルエンドだと死んで終わり」
生き残るって言っても、リアルに監禁されたら、ましてレイラみたいに中身が男だったら生き地獄かもしれないけど。
「隠しキャラルートについては私は知らないわ。ノーマルエンドで殺されるかもしれない。場合によってはノーマルエンドなのに私やグレイ先輩まで巻き添えをくらって死んでしまうかもしれない」
「クソゲーじゃねーか」
女の子はこれに萌える子もいるんだからそういうことを言ってはいけない。萌えていた私を前にしてそういうことを言わないでレイラ。
「どうするの。明日よ? もう貴方は誰の好感度を上げられるっていうの?」
「どうしようもできなくね? それよりさー、セシルは明日どんなドレス着んの? 際どいの? 胸ががっぽり開いてるのが俺的にはお勧めだけど」
このっ、馬鹿女……っ!
「ボディラインがばっちり見えるものが一番だろ」
「どうして先輩までぶっこんできたんですか? あ、先輩の希望に沿ったドレスを着て参加しろってことなら構いませんよ? 先輩も私のリクエスト飲んでくださいね。ふんどし一枚で参加してくださいね」
「ぴりぴりしてるなあ」
するに決まっている。
最悪の事態が起きてしまったんだから。
私の気も知らずセクハラしてくる先輩にあげる情けはない。
「焦っても仕方ないだろ。俺も俺なりにできることはする。それに言ったろう。俺が生き残るついでにお前も守ってやる。お前には従者もいる。回避する方法はどこかにあるはずだ」
「どうして不意打ちでかっこいいことを言うんですか……」
その無駄に綺麗なお顔でそんなかっこいいことを言われたら誰だってくらっと来ますとも。
「まあ、守られてあげないこともありません。でもリクエストのドレスは着ません。先輩がふんどしで参加するなら着ますよ」
「それをしたら失うものの方が多いな」
少なくとも一切の人望を失うでしょうね。学生の間は恋人はできなくなるでしょうね。
「なあ! お前もじゃなくてお前らも守ってやるだろ! 俺も枠に入れろよ先輩!」