15、ど修羅場になりました
例のテストまで二週間をきった今日、ついにオズウェルに捕まった。
校舎から出ようとアシュレイと歩いていたところだ。私たちの前に立ちはだかったオズウェルは腰に手を当てて笑っている。
「やあ、セシル」
「なにかご用?オズウェル」
つんとすましていると、ペシッとおでこを叩かれた。珍しい。あのオズウェルが攻撃的になるなんて。痛くはないけれど。
「失礼」
一歩後ろを歩いていたアシュレイが言って、オズウェルの胸ぐらを掴んだ。ともすれば、壁にオズウェルを張り付けて密着している。あれは多分、腕をねじられているだろうなあ……。あのオズウェルを簡単に押さえつけるなんて、やはりオールマイティー。家の使用人にはこっそり、アシュレイはお嬢様のいないところで隠れて鍛えていると教えてもらったけれど、半端な鍛錬ではなかったようだ。
華奢なのに長身のオズウェルを……きっとグレイ先輩もとてもじゃないけど敵わないだろう。
「いってぇ……。先輩に対する行為としてはよくないな、カーライル」
苦笑いしながら、でも声を荒げたりしないオズウェル。貴族でもないアシュレイに対して権力を盾にしないあたり、オズウェルがモテるのもわかる気がする。
「僕が重視する肩書はセシルお嬢様の従者のみです。主人を害する者があるなら、他の何を敵にしても構いません。排除します」
わあかっこいい。
けど今はそれよりもアシュレイとオズウェルの顔が近いことが気になる。ヒロインに百合疑惑がかかり、攻略対象のアシュレイはボーイズラブっぽいものを繰り広げている。きっと今、アシュレイとオズウェルはお互い息がかかるくらいの距離だ。
それでもって痛いせいもあってかオズウェルが色っぽい顔で少し汗をかいている。アシュレイは攻め気でオズウェルを冷やかに見据えている。
嫌いじゃないです。むしろ百合同様割と好きです。
「BL……」
ぼそっと呟いた私に、「なんですか、それは」とアシュレイは首をかしげながら私を振り返る。その間オズウェルは放さず。
「害を……と言うがね。今回についてはお前のご主人様に非があるぞ」
「うう……」
「どういうことです?」
オズウェルをゆっくり放しながらアシュレイは私をじとりと睨んだ。
「テストは間際だっていうのに、そこのお嬢さんは何も準備をしていない。打ち合わせをしようとしても、話を出そうとすればすぐ逃げる。魔法が苦手なくせしてだ。ペアを組んだからには協力しなきゃならない」
「だって……」
魔法は苦手だけどだいぶ克服されてきた。人の倍やって人並みくらいだけれど。もちろん努力を怠ろうとしたのではない。テストがあるならよりいい成績を残したい。オズウェルだって成績優秀者。だから彼の足を引っ張ろうとも思っていない。
だけどやる気が出ないのだ。何故かって、どうせ私たちはテストを受けずにAクラスになることが決まっているから。
『ブラッディ・マインド』のゲームが始まるのはここから。ゲームのスタートとなり、主人公を一躍有名人にするある事件とはまさしく今回のテストなのだ。
レイラはテストで、強大すぎる魔力を暴走させる。彼女がペアとするアピールは、火の鳥を出現させようという高度なものだ。レイラが炎を出し、ペアの生徒が風で形を整える。けれどレイラが暴走して、炎の威力が膨れ上がり会場はパニック。そのためテストは中止になる。レイラは魔法の操作がうまくいかず、けれど魔力の異常な大きさ故に学園中の生徒に注目される。成功とは言い難かったけれど、先生方はこれほどの魔力ならばとレイラをBクラスに入れる。
そしてレイラの後に控えていた同学年の生徒たちは、テストが中止になったことにより日頃の成績や生活態度でクラス分けをされる。
ゲームじゃセシルは「Bクラスのくせに!」なんて言って主人公を侮辱したりもする。つまり彼女……私はAクラスになるはず。テストの順番は先日決められたのだが、思わずガッツポーズをした。私たちのペアはレイラよりも後。つまりテストを受けることはない。更に言うと私は学年首席。オズウェルは学年次席。Aクラスは間違いない。
これで確実にレイラと同じクラスは避けられた。
とはいえ、オズウェルはそんなことを知らない。知っているのは私と、事前に知らせておいたグレイ先輩だけだ。先輩には知っておいてもらわないと生徒を避難させるとき失敗されては困るから。
「まだどんなアピールにするかも決まっていないじゃないか。君にしては珍しくやる気がないの?」
ない。
だってがんばっても披露することはできないのだから。
「花弁の色を変えるのはどうかしら」
「そんなの子供でもできる初歩の初歩だろう。去年の生徒会長の如く細工を加えるなら別だが」
お嬢様も七歳のときにはすでにできましたよね、とアシュレイがじと目で見てくる。楽をしようとするなと言いたいのね。
「じゃあ……じゃあ……」
「これから打ち合わせだ。悪いなカーライル。ここからは俺と彼女の時間だ」
「貴方がたの学年はやたらといかがわしげな言葉が好きですね。貴方といいお嬢様といい」
決して好きなのではなく。意図せず変な言い回しになってしまうだけで。私は変態とかではないので。
「今のお二人が使える魔法を組み合わせるなら……そうですね……。土人形などはどうです?」
「土人形?」
はい、とアシュレイが頷く。
「小道具の持ち込みは自由ですよね? 一人一体、用意した土で人形を作るんです。軽いものを浮遊させる魔法は簡単ですが、それをうまく人型になるよう操ればなかなかの高評価でしょう。それで劇なりダンスなりしてはいかがです?」
口元に手を軽くあて、アシュレイはどうですか、と首を横にかしげた。
あ……あざ……
「あざとかわいい! ……あ、いえ、そうじゃなくて、ごめんなさい。とても名案だわ。貴方ってば本当に天才! なんてかしこいの!」
ふふん、と笑ったアシュレイがオズウェルを見た。珍しく得意げだ。なにこれギャップ萌え。こんな顔初めて見た。
「俺もそう思うね。参考にさせてもらうよカーライル。なら時間はない。セシル、さっそく二人で練習を……」
右腕をオズウェルに引っ張られた、と思ったら左腕をアシュレイに掴まれた。なにこれ。
「なんのつもりだ? カーライル」
体がオズウェルの方にぐっと傾く。
「お嬢様の指導は僕がしますので、お構いなく」
今度はアシュレイに傾く。
「彼女は俺とペアを組んだんだ。協力していくさ」
「先輩の手を煩わせるのは気が引けるので」
腕が馬鹿みたいに痛い。引きちぎられそうだ。
「腕をねじあげた奴の言うことか。だいたい土人形でダンスをするなら呼吸を合わせるためにも二人で練習する必要がある」
「では劇にしましょう。段取りを決めたものを後で僕がまとめてお渡ししますので、以降別々に行動で」
「ねえ二人とも痛いのだけど! 放してほしいのだけど!」
「「どっちに?」」
……は?
「放してほしいとはどちらに言ったんです? まさか僕ではないですよね」
「正論を述べている俺を追い返すって言うのか?」
どうしてこんなに責め立てられないといけないんだろうか。アシュレイはそんなにスパルタレッスンで私をしごきたいの? オズウェルはそんなにテストに必死にならなくても……どうせ受けないんだし…。
あ、あんなところに生徒会長が。
こっちを見て、私を見て、笑いをこらえているバ会長が。
た す け ろ よ
一か八か。右足を振り切る。行け。行くんだ私の靴。飛んで行け。あの頼りにならない先輩の頭へ。
「ああ! ごめんなさい会長。靴が……」
私がふっとばした靴を顔面キャッチしたグレイ先輩は青筋を浮かべながら笑顔で私に靴を運んでくれた。
(てめえこのクソ女…っ!)
(え、なんですかこれ。思考干渉されてる)
(テレパシー)
(なにそれ! そんなものが使えるんですか!)
(まあ、俺ほど実力があればな)
どうやら先輩はテレパシー能力を習得済みらしい。なんだかんだ言っても生徒会長になるだけはある。公爵家の英才教育だってレベルは高いんだろうし、地味にすごい人だったんですね先輩。私もそういうヒーローっぽいのいつか使えるようになりたい。
「すみません、会長。ああ、靴もわざわざここまで持ってきてくださって」
「いや、いいんだ。それではわたしは急ぐからこれで……」
「ところで会長!」
逃がすか。
他の生徒が行きかい優等生の仮面をかぶった今の先輩は、私が何をしてもいつもみたくぎゃんぎゃん吠えられない。それをいいことに引き止めてやる。
(巻き込むなよ。ど修羅場じゃねーか!)
(切実に……ヘルプ!)
(知らねえよ! お前の危機なんざ知ったことか!)
「う、腕が、ふ、ふさがっていまして、靴を、履かせていただけませんか」
(自分で履けよ! 手を使わなくても履けるだろ!)
「ああ、構わないよ。……これでいいかな。それじゃあわたしは……」
「そうだ会長!」
(しつこいなお前!)
(助けてください!)
「お嬢様」
「はい!?」
アシュレイが顔に影をつくって私を見下ろしている。この顔も初めて見たかもしれない。なんというか鬼気迫っているような。
「帰りましょう」
「おい、セシルはこの後俺と……」
「僕が指導すると言っているでしょう!お嬢様のことは放っておいてください!」
放っておいてくださいって、自分のことを言うときのセリフじゃないのかな。いや。その前に、それ以前に、アシュレイが。アシュレイが叫んだ! ボイスレコーダーのある世界だったらよかったのに!
「会長にお話があるのなら後日僕が伝言します。今日は帰りましょう。お嬢様、『お願い』です」
俯いたアシュレイの表情は見えないけれど、なんだか今日は情緒不安定のようだ。
「アシュレイ? どうかしたの?」
お願い、なんて、初めて言われた。
「……」
なにも返事が返ってこない。
アシュレイが叫んだことに驚いたようなオズウェルと、びびったグレイ先輩は傍観している。
「オズウェル、きっとテストの日までに練習の日を取るから、今日は帰るわ。ごめんなさい」
(あとバ会長、迷惑かけてすみませんでしたとか言いません)
(言えよ)
誰が言うか。逃げようとしたくせに。裏切り者め。
俯いたままのアシュレイの手をひいて校舎を出る。このままアシュレイを帰していいものか少し迷った。なんだか落ち込んでいるようだし、部屋に戻ってローナとなにかあってはいけない。今なら簡単に精神を崩壊させられそうだ。
かといって女子寮へ入れるには入寮許可を取らなければいけない。
校舎から寮に行くまでには庭園が延々と続いている。どこかで休憩をしようと思い至り、足を止めて、すぐわきのベンチに座った。
「アシュレイ、私の顔を見て?」
「……お願い、ですか」
「そう。お願い」
ゆっくり顔をあげたアシュレイは、初めてうちに来た日、一緒に泣いたときの直前のように顔を歪めていた。子供みたいな顔をしている。
「アシュレイ?」
「嫌だ」
気づいたときにはアシュレイにきつく抱きしめられていて、アシュレイは私の首に顔を埋めていた。
「僕には、セシルお嬢様だけなんです。……それなのに、貴女は僕から離れようとする」
腕の力が強すぎて痛い。骨が折れてしまうのではないかというくらいに締め付けられていく。
アシュレイはまた、嫌だと呟いた。
「いらない。いらないんですよ、貴女以外」
「い……っ、少し腕を……緩めて?」
言っても、アシュレイの力は強められていく。
「どうして? 貴女のために鍛錬にはげみ、勉学に励み、魔法の腕もみがいた。それでも貴女の周りには僕でない男がむらがって、奪っていこうとする」
もう声が出ないほどきつく抱きしめられて、気を失いそうになる。
「貴女も満更ではないように会長会長、先輩先輩……。他にもよくない虫はいる…。やっぱり貴女は僕を捨てるんですか? ……僕を狂わせるんですか?」
「アシュレイ……いた……い……」
「僕はもっと痛い」
骨がみしみしいっている。こんなに華奢なのに、アシュレイの力は人外レベルで私を襲う。
「貴女が奪われることを考えたら、心が痛みます」
「奪われたり……しないから、本当に、そろそろ放して……」
はっとしたらしいアシュレイは私をぱっと放して「すみません…」と小さい声で言った。
「なにか不安になるようなことがあったの?」
「定期的に、こういう気分になります」
きまり悪そうにそっぽを向いたアシュレイは、小さく溜息をついた。
「夢を見るんです。セシルお嬢様に捨てられる夢です。現実に貴女を奪おうとする人間が現れると、正夢になるのではないかと……」
「私から貴方を手放すことはないと、昔にも言ったじゃない」
まだ体が痛い。
腕を持ち上げるのも大変だったけれどなんとかしてアシュレイを抱きしめた。
「約束。貴方が私から離れない限り、私は貴方と一緒にいるわ」
「……僕のものになってください」
「……?」
「僕が貴女のものでいる間、貴女も僕のものでいてください。どうか……僕を誰よりも傍においてください」
少なくとも私は学園卒業までは恋愛をできるか危ういし、アシュレイもその頃にはいい人を見つけているだろう。それまでなら、
「もちろん、かまわないわ」
「……忘れないでくださいね」
後々自分の言葉に後悔することを、このときは思ってもみなかった。