13、恋愛と死亡フラグに追い詰められました
授業をちゃんと聞いていないと注意された。
前を見て歩けと怒られた。
溜息をついて辛気臭いと苦笑された。
だけど私は悪くない。
「どうしてしまったんです、ミス・オールディントン。模範生の貴女が今日はずっと気が抜けていますね」
担任までも私を呼び出し心配している。だけど私にはどうにもできない。だってどれも無意識なのだから。
「何の用だ」
「かくまっていただきたく……」
グレイ先輩を引っ張って、昼休み、空き教室へと避難する。昼食は決まってアシュレイととるものだから、教室に留まったり食堂へ向かったりすれば確実に捕まる。それだけは回避したかった。
正直気まずい。昨日の帰り道だって、今朝の道だって、アシュレイは普通にしていたのに私だけが挙動不審だった。思い出しても情けない。
「俺は食堂に行きたいんだが」
「大丈夫です。今朝お弁当を作ってきたので」
絶対に昼食を一緒にしたくなかったために、アシュレイに隠れてお弁当を作っておいた。先輩を巻き込む気満々だったので二つ。
「毒か。もしくは殺人的なまずさか」
「家庭科は五でした」
「五段階でか」
「いや、中学も高校も十段階でした」
「普通じゃねーか」
でもできないわけじゃない。今通っている学園はお嬢様しかいないから家庭科なんてもちろんなくて、だからほかの女子に比べればできるほうだろう。
「まずくもうまくもないな」
お弁当をつつきながら来た感想がつまらなくて、否定するために自分も食べてみる。納得。食べられないほどじゃないけどおいしくはない。
他人に言われると腹立つけど。
「で、かくまうって、何から」
「アシュレイ……」
「なんだ。結局危険因子だったってことか?」
「危険なんかじゃ……ない……はずです」
歯切れの悪い私を、先輩はこばかにしたように笑った。ほら見たことかとでも言いたげに。
「あの子は……私を殺したりしません……。でもあの子がなにを考えているかはわからなくなりました」
もともとアシュレイの思考を綺麗に読み取る能力なんてないし、表情からだってわかりにくい。でもアシュレイの行動にはいつも意味があって、私もアシュレイの行動に理解を示すことができた。
だけど昨日にいたっては……アシュレイのことを理解することはできなかった。 だって、どうして……、
「キス……なんて……」
「ぶっ……」
「ちょっと! 食べ物噴き出すなんてお行儀が悪いですよ!」
背中をさすりながら宥める。
「キスって……は? 誰に」
「先輩には関係ありません」
「アシュレイルートが消えて、アレクのルートに入ったら俺には死活問題じゃねーか!」
「今は先輩の命よりも私の悩みです」
この際一端死亡フラグについては保留しよう。ここのところ平和だし、悩みを解決する時間もあるだろう。
「恋愛なんて私史上初のイベントなんです! 女子高じゃ恋愛対象はいなかったし、初恋だって未経験。ゲームを買うために発売日早起きすることはあってもデートのために早起きしたことはなかった! 声優さんにファンレターを書いたことはあってもラブレターなんて書いたこともなかった! お化粧しても『中の中くらいだね』なんて友人に笑われる前世! そして死亡フラグに気を張っている今世!」
正直恋愛をする間もなかった。
「私はこれからどうすればいいんです? というかそもそも、アシュレイはどんなつもりでキ、キキキスなんてしたんですか? そんな、万が一、億が一、私を恋愛対象としてみていたら今後どう接すればいいんですか?」
「俺に聞くな」
そうだった。この人だって恋愛経験は薄そうだ。聞くだけ無駄。
「……しぶりに……いでしょ?」
「……から……んなきはないんだ」
教室の外から声がする。男女の話し声。はっきりとは聞こえなかったけれど。
「誰かいますね」
「濡れ場だ」
「は?」
「『久しぶりにいいでしょ?』『だから俺はそんな気はないんだ』」
うっひゃ。
「気持ち悪い」
「なんでだよ! 俺は外の会話を復唱しただけだ!」
「そういうセリフをばっちり聞き取るところが気持ち悪い。あと鼻息荒いです引きます」
あまつさえそれを私の前で言うなんて引きます。一応女の子なのに。
アシュレイだったら絶対気を使って言わない。
それにしてもかすかに聞こえた男の方の声は聞き覚えがあるような……。
「覗いてみるか」
「あんた本当に下衆ですね」
目がギラギラしてますよ。発情期の犬みたい。間違ってもこの人と恋愛なんてしたくない。
「とか言ってお前も覗くんじゃねーか」
ドアの前まで来た先輩が隙間を開けたので、私も一緒になって覗く。ここまで来たら気になってしまうのが人間のサガだ。仕方ない。
「いいじゃない、キスくらい。えいっ」
エロティックなお姉さまが男子生徒にキスをする。男子生徒はやっぱり見覚えがあった。というか、知っている人だった。
「ああ!」
思わず少ししか開けていないドアをがらっと全開にしてしまった。
「「オズウェル・アークライト!」」
先輩と私の声が完璧にはもった。
名前を呼ばれたオズウェルはぎょっとして私たちを凝視している。女子生徒も、急に教室から出てきた私とグレイ先輩に驚いている。
先輩は生徒会長。ふしだらな行為を校内で行ったことにお咎めをくらうのではと女子生徒はびくついている。いや、この生徒会長様もなかなか不謹慎だったので何も言わないと思います。
「セシル!? どうしてこんなところに……生徒会長も」
こんなところ。たしかに。穴場である空き教室は人通りの少ない角にある。教室の前の廊下となればいちゃつくにはいいかもしれない。
「生徒会のお話を会長にうかがっていて……貴方は?」
とっさにでまかせを言う。
「俺は彼女に呼び出されて……いや、勘違いしないでくれ。俺はもう遊んだりしていないし、誤解しないでほしいんだ! ……離せよ」
首にからめられた女子生徒の腕を、オズウェルがはらった。
別に否定しなくても、オズウェルの女遊びが激しいことは周知のうえだ。
「キスくらい、挨拶じゃない」
つぶやく女子生徒を、オズウェルがギンと睨む。
「キスは、挨拶……?」
彼女はそう言った?
よく、考えてもみろ。この世界の常識と、前の世界の常識が、私の中でごっちゃになっていることは少なくない。昔のけんかで髪を切って、しばらくアシュレイにくどくど言われたりもした。
たしかに、出会い頭にキスをする人なんてそうそういない。でも親しい間柄なら? 家族とキスをするのだって、英国チックなこの世界ではある。家族みたいに近しい存在なら? たとえばずっと寝食を共にしてきた主従だったら?
「そうよ! あれは挨拶だったのよ!」
アシュレイは親愛の意味を持ってキスをしたにすぎないんだわ。
「はあ? いやいや……」
隣に立つグレイ先輩は失笑して否定する。
「なんで今更挨拶のキスだよ。そもそもキスされたとき挨拶をする状況だったのか?」
「それは……きっと不意に思い立っての行動で」
「理屈が通っていない。必死になりすぎてなんの解決もできてないぞ」
もう先輩の声なんて聞こえない。
そう。挨拶。
あれは挨拶。挨拶。
昔から頬や額や手へのキスは家族やアシュレイにしたりされたりしていた。それが唇になっただけだ。地味に、ファーストキスではあるけれど。変な男に奪われるよりはよっぽどいい。
挨拶。
挨拶。
ああ…挨拶をされただけなのに私はあの子にずっと挙動不審だった。なんて恥ずかしい…。アシュレイだって気を悪くしたかもしれない。
「私!アシュレイのところへ行きます!」
「いや、その無理やり必死にこじつけた屁理屈をどうにかしてから行くべきだと思うぞ」
「先輩、お弁当箱は洗って返してください。じゃあ!」
「聞け! おい! セシル・オールディントン!」
***
アシュレイを探して廊下を走っていると、窓から中庭にいるアシュレイの姿が見えて急いでそちらへ向かった。
「アシュレイ!」
「お嬢様……? どちらへ行かれていたんです?」
花の花弁を撫でていたアシュレイはゆっくりと顔をあげて、無表情に首をかしげた。
「あの、あのね、アシュレイ。私ってば、また貴方に酷いことをしてしまったから、謝りたいの」
アシュレイが片膝をつく隣に私もしゃがんだ。
「挨拶代わりのキスなんかで動揺して、ごめんなさい」
「は」
「キスなんて、挨拶よね」
一緒になって花の花弁を弄って、次に顔をあげるとアシュレイは頭を押さえて盛大に溜息をついた。
「正気ですか……」
「え?」
「この……尻軽女…っ」
「ええ!?」
もういいです、と言ってアシュレイはそっぽを向いてしまった。
「誰に言われたんです、キスが挨拶なんて」
「オズウェルの……お友達? かもしくは恋人なのかしら?」
「あの人の周りにはろくな女性がいないということですね」
また大きなため息。
「アシュレイ? 元気を出して?」
「貴女が言わないでください。昼食はどうしたんです?」
「ああ、今朝お弁当を作ったから、グレイ先輩と……」
し……まったあ……。
アシュレイが先輩に敵対心むき出しなのを忘れていた。
「あの、勉強でわからないところがあったから教えていただいたの」
「食べながらですか? マナーがなっていないのでは? 二人でですか? お嬢様が作った粗末な料理をランドルフ公のご子息の口に、なんて恐ろしい真似を?」
粗末なんてそんな……たしかにそうだけど。
「勉強なら僕が教えます」
「下級生でしょう?」
「生徒会長と同じだけなら教えるくらいの知識はあります」
つまり私よりもはるかに賢いと。
「僕は従者です。毒見役には持って来いの人材でしょう。何か作ったならまず僕に持ってきてください」
「だけどあんな料理貴方に食べさせるわけにはいかないわ」
「かまいません」
絶対に不味いと一蹴されるのに。
「わかったわ。次からは、気をつけます」
「そうしてください」
かかってくる圧がすごい。なにかしら怒っているアシュレイをつついても、絶対に私にいいように進まないのはもうわかっている。
「……せっかくさっきまで意識させていたのに」
「なにか言った?」
「なにも。空耳ではないですか?」
目をそらすってことはなにか言ったのだろうけど、しつこくすると怒られる。
「セシルお嬢様は、はっきり言わないとわからないようですね」
「なんの話?」
「またタイミングを見て行動するという話です」
たったった、と、向こうから軽快な足音が近づいてくる。
「アシュレイ」
「ああ、ローナ。どうしました?」
……ローナ? アシュレイの友達だろうか。灰色の髪で、くるくるのくせ毛。グレイ先輩と同じかやや低いくらいの身長。だけど目がきゅるきゅるしていてかわいらしい。愛嬌がある。制服の新しさから見てアシュレイと同い年だろう。もう友達ができたなんて、アシュレイは慕われているに違いない。
「ヴァン先生が君を呼んでいたよ! 委員長に推薦したいって話じゃないかなあ」
やたら元気な子だ。ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「わかりました。お嬢様、よろしいですか?」
「ええ。行ってらっしゃい。さすがねアシュレイ」
「やめてください。まだ決まっていません」
それにしてもローナ……。
アシュレイに手を振りながら考える。
どこかで聞いたことがあるような……。ローナ……ローナ……。
「失礼します、オールディントン先輩」
どうして私の名前を……アシュレイに聞いたのかしら。
私に一礼し、アシュレイに続こうとするローナが一度振り返り、鋭い眼光で私を睨んだ。
「ローナ……」
たしか誰かとの会話で出てきた気がする。
会話って言ったって、話し相手は極めて少ない私。
サラ? 違う。オズウェル? 違う。
順当に考えれば彼の友達らしいアシュレイだけど、アシュレイに友達ができたなんて今知った。あの子は基本的に自分の話をあまりしない。
あとは……先輩くらいだけど……。
グレイ・ランドルフ先輩との話の中で……。ランドルフ……。
ローナ・ランドルフ……。
「あ!」
そうだ。
つい先日聞いたばかりだ。先輩に、義弟さんの名前を教えてほしいと頼んだ。怖くて、見に行こうとは思わなかったけれど。
――義弟の名前は
――ローナ・ランドルフだ。