(五)
「まあ、なんて可愛らしい」
揺り籠に眠る赤ん坊を目にしてヘレは目を輝かせた。
「この子がわたしの弟なのですね」
ヘレの反応にイノは微笑む。
「自分より小さい兄弟を持ってどのような気持ちですか」
「なんだか不思議な感覚です。わたしにはずっと兄上が居らっしゃったから、弟を持つというのは初めてで。生まれたばかりの子というのはこんなにも小さくて、柔らかくて。誰かが守ってあげなくては生きていけないのでしょうね」
「きっとあなたが生まれたときもそうだったことでしょう」
ヘレはきょとんとした顔をする。イノはくすくすと笑った。
「あなたも生まれたばかりの頃はこんなに小さかったのですよ。だからそのときにはプリクソスも今のあなたと同じように感じたことでしょう」
ヘレは何かに気付いたような神妙な面持ちになると急にふわりと満面の笑みを浮かべた。
「兄上はずっとわたしを守ってくれました。わたしは母上と少ししか一緒にいなかったから、母上の分もわたしを守ってくれたのだと思います」
「そうでしょうとも。あの子は人一倍あなたのことを気にかけていますよ。もしかしたらアタマス陛下よりも」
「兄上は心配性なのです。昔から難しいことばかりお考えになって」
「難しいこと?」
「何か事が起きると必ず一番悪いことを考えるのです。希望というものをご存じないみたい。新しい母上がいらっしゃったときも、気をつけろと仰ってました。今となってはおかしいでしょう? 母上とこんなに仲良く過ごしているのに」
「そう。でもそれは仕方ないことかもしれませんわね」
実母ネフェレと過ごした日々が長かったプリクソスが、イノのことを突然現れて母親の地位を奪い取ったように感じても詮無いことだ。
「でも最近はわたしのことよりも国のことを考えていらっしゃいます。だから、兄上の代わりに今度はわたしがこの子を見守る番です」
「愛してくれますか? この子を」
「はい! 善き姉となれるよう頑張ります」
ヘレが快活に答えると、イノは赤ん坊の頬を撫でながら訊いた。
「では、プリクソスもこの子を愛してくれるでしょうか」
「きっとお優しい兄上ならば、ボイオティアを支える一員として迎え入れて下さいますよ」
「そう。それは頼もしいですね」
イノの眼差しは我が子への慈しみの感情で満ち溢れていた。そのときヘレはイノの目の内に初めて母性を感じた。