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「そこで止まりなオチビちゃん」(かのさん宅とコラボ)

「ヴァーレンタインくーん! あーそぼー!」


 前世紀のおかっぱ頭よろしく、借家の前で能天気に声をあげるものがあった。金糸の髪に、磁器のような白い肌。大粒のエメラルドを思わせる瞳は金色の睫毛に覆われ、まるで装飾品のように輝いている。Uネックの黒いカットソーとフレアシルエットのミニスカートに包まれた身体は服のデザインが洗練されているのか女のスタイルが規格外に良いのか、なだらかな曲線を描いている。それら全ての外見的要素には緊張感も高貴さもない先程の言葉が驚くほど似合わない。彼女が誰もいない家の玄関に向って、なんの意味があるのかパタパタと腕を振る度に推定100cm以上の胸が大儀そう揺れた。

 やがて玄関の扉が開き、サラサラとした茶髪を腰まで伸ばした、中性的な人物が顔を出す。

 

「は、はい……あの、おはようございます。リリアンさん……」


 どちらかと言えば少年よりの顔だが、長い髪をハーフアップにして右のサイドを三つ編みにしているから女なのだろうとリリアンは思っていた。そもそも大学生なのだから、男だったらもう少しガタイがいいはずである――と、リリアンは一緒に暮らしている男を思い浮かべて思う。

 赤いマフラーを巻いて黒い上着をきたヴァレンタインが遠慮がちにリリアンを見る。リリアンはヘラリと笑ってヴァレンタインの手を掴む。ヴァレンタインはひどく戸惑ったようで、目線を左右にさ迷わせると俯いてしまった。リリアンは酷く戸惑うヴァレンタインに気づかないふりをして、さらに腕を強く引く。

 

「今度ブーツ買いに行こうって約束したもんね! コーンマーケットだよ! いこういこう!」


 ◇

 

『ヴァレンタインくんとお買い物いくからついてこないで!』


 と、けんもほろろに言い渡された隆弘は、くわえ煙草24本というハタから見ればギャグとしか思えない出で立ちで不機嫌そうに町を歩いていた。目があっただけで人を殺せそうな凶悪な面構えで煙草の煙をふかす首から上はどう見てもマフィアであり、学問の町オックスフォードにはまったく似合わない。ただし逆三角形を描き人に威圧感を与える彼の見事な体躯を包むのは二息歩行のデフォルメされたカエルが仲良く手を繋いでいるシャツなので、町にも凶悪な面構えにも恐ろしいくらい似合っていなかった。ジーンズにニヤリと笑うトラ猫さえ印刷されていなければ、古代ギリシャの彫刻がそのまま動き出したような男だ。

 別にリリアンと四六時中一緒にいるわけではないからいいのだが、面と向ってついてこないでと言われるとそれはそれで面白くないものがある。というか買い物の時はいつも荷物持ちをさせるクセに今回にかぎってどういう風の吹き回しだろうか。

 

「チッ、あのクソアマ」


 ヴァレンタインに害はないので問題はない。正直リリアンがなぜそこまで関わろうとするのかはだはだ疑問だし、別に普通に対応はするが大学生にもなって、しかも天下のオックスフォードで、周りになじめない奴がいるから声をかけてあげようなどとおせっかいもいい所だ。(隆弘はどちらにもお目にかかったことがないが)勉強だけしたい奴だっているかもしれないし、他人との関わり合いが嫌な奴もいるかもしれない。

 なんにしても自分の面倒は自分で見られる年齢だ。いつまでも下を向いてキョロキョロしているようならそれは拒絶と受け取っていい。その拒絶を無視して腕を掴めばお互いに傷が付くことは目に見えている。すぐ横に、笑って平然と話ができる相手がいるなら尚更だ。もしかしたらそいつ以外必要ないのかもしれないではないか――そこまで考えて、ヴァレンタインのすぐ横に立っている無愛想な東洋人を思い出し、隆弘はますます眉をひそめた。

 そう。ヴァレンタインに害はない。だから正直リリアンが仲良くなりたかろうが世話をやこうが、時間の無駄だとは思うが隆弘には正直『どうだっていい』のだ。逐一女の行動に干渉するほど女々しくもなければ、同じ行動をしていなければ気が済まないほど病的でもない。

 問題はあの中国人のほうだ。あきらかに敵意のこもった目で見られて平気な顔をしていられるほど隆弘は心の広い人間ではない。あの男が今回も保護者よろしくヴァレンタインについてまわっているのなら、それはもうリリアンが敵意の眼差しをむけられているということで、それは恋人が自分をないがしろにして周囲に溶け込めない人間をかまい倒しているという事実よりはるかに不快ではるかに業腹な絵面だった。

 

「……チッ」


 もう一度盛大に舌打ちをした隆弘は、煙草の灰を携帯灰皿に落すと、ニコチンをできるかぎり吸い込んでからコーンマーケット通りへと向って言った。

 

 ◇

 

 ヴァレンタインが金髪の女に連れ去られてしまったので、状況を把握したツァオは素早く女の後を追った。ヴァレンタインが周囲に嫌われる率は異常なもので、彼としては気が気でない。

 女は今の所笑顔でヴァレンタインに話し掛け、しきりにウインドウに飾られたブーツを指差しているだけだ。

 

「あのリボンついてるやつね! あったかそうだし、赤いリボンだったらマフラーと合うじゃん? 最近ムートン流行ってるしさー、あれ2WAYなんだよ! 上のとこまくってモコモコにできんの! かわいいー!」


 パタパタと意味もなく両腕を振ってヴァレンタインに話し掛けている様に敵意は感じられないが、どうにも面白くないツァオは眉をひそめる。敵意もなく相手を困惑させ追い詰める人間も一定数以上存在することに気づいているから尚更である。

 

「本当ですね……えっと、リリアンさんは、買いたいものとか、ないんですか……?」


「んー、私ねーどうしよっかなー20cmくらいヒールあるやつがいいんだよねー」


「それは……めったに売ってないですね」


「そうなんだよー! コスプレサイトで通販しなくちゃいけないけど高いしー! 次黒バスのむっくんやりたいからできるだけ身長盛りたいんだよねーっ!」


「コス……?」


「んー! なんでもないよー!」


 女がまた無意味にパタパタと腕を振った。そうしてヴァレンタインに店へ入るよう促し、店員にディスプレイのブーツと同じモノをヴァレンタインに持ってくる。

 ツァオが店の中をうかがおうと身を乗り出す。ガツン、と派手な音と共に革靴を履いた足がツァオの通行を妨げていた。

 先日女と一緒に行動していた、やたらと背の高い男だ。

 彼はツァオを見るなりピクリと片眉を跳ね上げ、口の片端だけを歪めて低い声を出した。

 

「そこで止まりな、オチビちゃん」


 ツァオも行動を妨害された不快感をあらわにして男を睨みつける。随分とタイミングが良いが、女とグルでヴァレンタインを孤立させる考えでもあるのだろうか。あきらかに殺気を含む怒気を感知したツァオが手を袖の中にしまうと、男が口の端を歪めたままツァオの右腕を掴む。

 ガタイがいいだけに、なかなか強い力だ。

 

「おっと、夢見る尖塔の都市に物騒なモンは似合わねぇぜ、チャイニーズ。それに市警本部が目と鼻の先だ。キドリントンにはテムズ・バレー警察本部もあるしな。モース警部のお世話にゃなりたくねぇだろ? それともコリン・デクスターは知らねぇか?」


 バチバチと無言の間に火花が散る。ツァオが右足を少し引くと、それに気づいて男も身がまえた。ピリピリと緊張感が肌を焼く。ツァオが右足を男の首筋に叩き込むと、男が左手でそれを受け止めた。掴まれたままの右腕を引っ張られ、放り投げられるも体勢を立て直して着地する。ガタイがいい分間合いは向こうに有利だが、勝てない相手ではないとツァオは思った。そもそも素人に負けるなどあり得ない。

 

「へっ、負けるわけがねぇって顔してやがるな。奇遇だが俺も負ける気がしねぇよ」


 バチバチとまた見えない火花が散る。お互いに姿勢を低くしたところでざわざわと周囲が騒がしくなり、野次馬が集まってきた。カツカツと、ハイヒールが石を叩く音が聞こえる。

 

「かかってきな、オチビちゃん。自信のほどを見せてもらおうか」


「言ってろ木偶の棒」


 カツカツとハイヒールが石を叩く音が聞こえる。直後――ツァオに聞き覚えのある声が聞こえて、彼は動きを止めた。

 

「り、リリアンさん!」


 ヴァレンタインの声だ。何事かと声のするほうを向いたツァオの顔に――バツン、と大きな音を立てて、買い物袋がぶち当たる。堅さからして靴が入っているらしかった。

 またヴァレンタインの声が聞こえる。

 

「ツ、ツァオくん!」


 対峙していた男の顔には紙袋ではなく、金髪女の拳が叩き込まれていた。見事な右ストレート。攻撃をモロにくらった男の身体がグラリと揺れて、たたらを踏む。

 ツァオは軽く頭を振って紙袋を拾うと、おそらく攻撃をしかけてきた張本人であろう女を睨みつけた。

 先に抗議したのは殴られた男だ。

 

「て、めぇっ……なにしやがる!」


 まだダメージが残っているらしく、すこし声が擦れていた。女はツァオと男のちょうどあいだに陣取って、仁王立ちをしてみせる。怒っていることが一目で分かる氷のような無表情がそこにあった。

 

「――黙れ、バカども。ここでなにしてる」


 ども、ということはツァオも入っているのだろう。発言に眉をひそめたが、女は無視して男のほうに詰め寄った。

 

「ついてこないでって言ったじゃん! なんでここで喧嘩してんの!? 隆弘クンは人語を理解できない生き物だったワケ!? 私がなんでついてこないでって言ったか分かってる!? ついてきたら喧嘩するかもしれないからだよ! なんなの! 喧嘩しなきゃ生きていけない身体なの!? サメなの!? 止まったら死ぬの!? バカなの!? バカなの死ぬの!?」


「い、いや、リリアン……」


「死ぬの!?」


「すいませんでした」


 先程まで素人とは思えない殺気を発していた男がすんなりと女に土下座した。女はピンヒールで男の足を踏みつけ

 

「今日ご飯抜きだからね!」


 と、今時滅多に聞けない言葉を放った後にくるりとツァオに向き直った。氷のような無表情から怒気が発せられている。男のものとはまた違った冷たい気配だ。女はその表情を保ったままツァオに歩み寄り、胸ぐらを掴む。ハイヒール分なのかなんなのか、女のほうが少々背が高いため必然持ち上げられるような形になった。

 

「あんたも! 私だってバカじゃないんだから警戒されてるくらいわかるよ! なんなの!? そんなにヴァレンタインくんが心配なら首輪つけて部屋に監禁でもしとけば!? 本気でそれ考えてるなら病気だから特別な病院いったほうがいいよ! なんで人と仲良くなりたいって思ってるだけなのにそんな目で見られなきゃいけないの!? 情けなくて泣きそうだよ! 私そんなに信用ない顔してるの!? それとも周りがみんな敵なの!? そんな人生楽しい!? 生きてて楽しい!? なんなの!? ばかなの!? あんたもばかなの!? ばかなの死ぬの!?」


 ヴァレンタインが人混みをかきわけて、あわてた様子でリリアンに駆け寄った。

 

「あっ、あのっ、ごめんなさいリリアンさん!」


 するとリリアンと呼ばれた金髪女がキッとヴァレンタインを睨む。


「なんでヴァレンタインくんが謝るの!?」


「えっ、あのっ、とにかく……あの、ごめんなさい……」


「ヴァレンタインくんがこんなことしてって頼んだの!?」


「ちっ、違いますけど」


「じゃあなんで謝るの!?」


「とっ、とにかく……ごめんなさい! やめてください!」


 ヴァレンタインの手が、ツァオの胸ぐらを掴んでいたリリアンの手に触れる。思いの外強い力だったらしく、女は諦めてツァオから手を離した。それから女は深いため息をついて、自分が投げたであろう紙袋をつかみなおし、ツァオの乱れた襟首を直そうとしてツァオに手を叩かれた。

 ヴァレンタインが声をあげる。

  

「ツァオくん!」


 それから男が立ち上がり

 

「おいっ!」


 と低い怒鳴り声をあげたが、女に睨みつけられ

 

「お黙りっ!」


 と一喝されてしまい、すぐにグッと黙り込んだ。

 女は叩かれた手をすぐにしまい、居住まいを正してニコリと笑う。

 

「じゃあ怒鳴ってごめんね。じゃあねヴァレンタインくん」


「あ」


 ヴァレンタインが口を開くも、その口が言葉を見つけるまえにリリアンは男へ歩み寄り、乱暴に耳を掴む。

 

「いっ、ででででで」


「次こんなことしたらそのピアスひきちぎってやるから」


「やめろ痛ぇ! あっ、いや……や、やめてくださいリリアンさん、すいません、リリー……リリーちゃん? 今日も可愛いですね? いや、悪かった! すいません! リリアン! 痛ぇ! あっ、今日、夕飯奢ります。俺は抜きで結構ですから。ほら、行きたがってたレストラン、今から予約すればディナーに入れるぜ……? すいません!! 今から電話しますっ!! やめろ! 本当にちぎれる!」


 もはやツァオを挑発した面影がどこにもない情けない声を響かせながら、男とリリアンが遠ざかっていく。それをしばらく見送っていたヴァレンタインが、唐突にツァオを振り返った。

 その顔があきらかに怒っている様子だったので、ツァオは思わず仰け反る。

 もはや涙目でツァオを睨んだヴァレンタインが、珍しく声を荒げた。

 

「ツァオくん! おすわりっ!」

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