忘れモノ――フォーリミン
怨嗟の声。苦痛の声。嘆きの声。そこは呪いの声で満たされていた。
前線の医療品の補給を減らす為、軽度な怪我を負った物は簡易措置を施され、衛星都市フォーリミンへと運ばれた。この場合の軽度とは、動かしてもすぐに死ぬ事は無い、という事とほぼイコールである。
リーディアは既に運ばれていたマイカを追ってフォーリミンへとやってきていた。リーディア自身も何本もの矢を体に受けており、通常であれば戦闘行為などできないような状態であった事も、前線を退くのを後押ししていた。
とはいえ、アージュファミアを治めるリトラに認められた使者が居れば、反対意見がどれだけ集まろうと無意味だ。そういう意味では、リーディア自身が撤退を望まなくとも、ある人と会わせる為にリーディアは強制送還されていただろう。今も、たまたま『さる方』というのがフォーリミンの方角に居るから、そのついでとして医療施設に寄る事を許されている。これが真逆の方角であったなら、いくらリーディアを優先すると言っても無視され、強制的に連れて行かれていただろう。
「マイカ……無事で良かったよ」
簡易ベッドに横たわるマイカ。その瞳は薄く開かれていた。しかしリーディアの方を見る事は無い。リーディアもそれを気にしていない。
「先ほどまで暴れて大変だったんすよ~? お姉さん、関係者?」
白衣を着た男が不躾に問う。
この男が先程、麻痺性のある薬物でマイカを眠らせたと言っていたのだ。それ故に話はできない、と。
「いや……だが、大切な、妹のような存在だとは思っている。本人がどう思っているかは分からんがな」
「妹さんなら躾けておいてくれないと。他にも怪我人はいっぱい居るんだし……」
「……躾けられるほど関係が長ければ良かったのだがな。暴れていた時に、なんて言っていた?」
「嫌われるって言ってましたねぇ。まぁ、傷は残るだろうし、耳も根元からズバッだから無理も無いっすよ」
リーディアは息を飲んだ。男の言葉が意外だったのではない。リーディア自身もそう思っていた。
混血種は虐げられている。そのダメージは見た目に反映される事もあれば、そうでない事もある。そうしたダメージは子供に受け継がれ、産まれながらの『傷持ち』になるのだという考えが主流なのだ。故に、これほどの怪我をすれば貰い手などまともに望めない。
そう。分かっていた。それなのに言葉を失ったのは、変わらずに虚空を見詰めたまま流されるマイカの涙を見たからだ。
「話は、できないんじゃ無かったのか?」
「あぁ……こりゃすんません。ただ、薬の効いてる間の事は全部忘れてると思うっすよ。かなり強烈なんで」
男は白衣についた多くのボタンの一つを外し、そのポケットから綺麗な布を取り出す。
「気にしなくて大丈夫っすよ。みーんな、錯乱状態だった事すら忘れちゃうんっすよ。綺麗さっぱり。こっちは苦労したって言うのに」
そう言って布を差し出し、男は軽く笑った。その布で涙を拭えというのだろう、リーディアは正しく理解し、広げた布でマイカの涙を拭う。
「……いや、お姉さん…………」
男はバツが悪そうに頬を掻き、別のポケットからまた布を取り出すと、リーディアの頬へと当てた。
「美人さんが泣いてちゃ、勿体無いっすよ」
「あんたは、混血種をどう思う?」
内外問わず華美な装飾が掘り込まれた箱馬車。誰が見ても権力者が乗っていると感じるだろうその馬車の中で、リーディアは尋ねる。
「聞いても何も良い事は無い。少なくともお前の望む答えは得られないだろう」
『さる方』の使者は、落ち着いた声色でそう返す。
「良い。率直に言ってくれ」
使者は軽く溜め息をつく。それが呆れであり、リーディアの事を見下した末の行動だと理解したのは、この後の発言を聞いたすぐ後だった。
「滅びるべきだと思っている。奴隷種も同様だ。純血種の血が広がらないのは、それぞれの立場に寄るものが大きいと私は考えている。一人育てるのに必要なコストが大き過ぎると言っても良いか。だがそれも、純血種足る者かくあるべし、という考えに縛られた結果だ。混血種と奴隷種が滅び、純血種がその代わりとなれば、純血種は今以上に増える」
リーディアはその考えに呆然とした。このような考え方自体が、リーディアにとって驚きであった。滅びろ、と言われた事以上に、その男の考察に感心してしまったのだ。
「尤も、腐敗しきった貴族の多いこの国でそれを望む事は、馬鹿げているのかも知れん」
「あんたは、変えようとしないのかい?」
「私に純血種を束ね、混血種を駆逐しろと? 馬鹿げた事だ。混血種無しで回るように、この世界は出来ていない。変えようにも、手の付けようが無い程に絡み合ってしまっている。そしてその流れは、法王領が混血種の人権を認めた時に最大化されてしまった……」
再び使者は鼻を鳴らす。
「もう良いか? 分かっているとは思うが、私はお前と口を利きたくは無い」
「ああ、すまなかったね」
使者は、リーディアの目から見ても才能に満ち溢れていた。彼がこのような思想に傾倒するのもなんら不自然ではない。だが、それを認める訳にもいかない。
リーディアは生きていたかった。認められたかった。それは誰だって同じ事だろう。
貢献に見合った評価を得たかった。評価に伴う自由が得たかった。リーディアはそれを得たかったのである。そして、それは自由を失い迫害を受ける全ての混血種が抱えている想いであった筈だ。
忘れているだけなのだ。手の届かない高嶺の花が、いつのまにか見る事すら適わなくなっているだけなのだ。
そのようにリーディアは思った。
――なら、せめて、その願いが存在するのだという事くらいは思い出させてやる。
轍に乗り上げ大きく揺れた馬車の中で、揺れない決意をリーディアは抱いた。