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傷だらけの自由  作者: 青背康庚
一章
5/23

既成秩序

 引き際を見誤れば死に、死者の多い戦線は崩壊する。至極当たり前なその事実をリーディアは体で知っていた。

 よって、引き際を知る自分が仲間達の死角をカバーしなくてはならない。

 敵はまだこちらの動きに気付いていない。また距離も遠く、こちらに向けて矢が放たれる頻度も少ない。

 この段階で敵に危険な場所を示す。つまり、敵を誘導する。本来なら安全である端へと。

 端へ近付けば屋上に居るリーディアの射線から逃れるのは事実だが、端を通って砦に近付けば今度は砦内の仲間から狙い撃ちできる。更にそこは崖のようになった山が壁となり、攻城兵器の射線を遮っており、味方は安心して敵に攻撃できる。


 敵の配置が整い、矢による応射が見られるようになってきた。元から存在する凹凸や、素早く地面を掘って作った塹壕からの射撃だ。石のように硬い地面を苦も無く掘る技術があるのには、リーディアも驚嘆した。

「おねえさんっ!」

 背後から聞こえる声に呼応し、リーディアは攻城兵器の射線から外れるべく移動した。ジェスチャーで声の主であるマイカにも斜線から外れるように伝える。

「ここは危険だ」

 攻城兵器の射線から逃れようとも、敵兵の矢は彼女の頭上を飛ぶ。今ではこの場に近付く事自体が危険な状況だった。だが、意外にも、マイカは器用で素早い動きを見せ、矢を避けながら伏せているリーディアへと近付く。


「危険なのに、なんで?」

 指示の飛び交う戦場で僅かに声を張り、マイカが問う。

 言う事を聞かずに近付いてくるマイカを若干苦々しく思いながら、リーディアは努めて冷静に返答する。戦いの最中は気が荒くなるという事を何度も経験したが故の自制であった。

「砦の右側を叩かなくてはまっすぐに突破される。かといって、誰かに任せるには荷が重過ぎる」

 リーディアは話しながらも矢を番え、話し終えると同時に走り、しかしすぐに立ち止まった。

 そこへ腕よりも太い攻城兵器の矢が飛び込み、砦が削られる。それを見送ってから再び走り、矢を放つ。そうしてまたマイカの元へと戻った。

「なら、私も手伝うよ!」

「見てなかったのかい? 敵の矢も、攻城兵器の矢も避けなければならないんだよ」

「私、耳が良いんだよ。あの太い矢が飛ぶ音はすごく目立つし、普通の矢は伏せてれば当たらないでしょ?」

 喋っている間にも別の砦に攻城兵器の矢が突き刺さる。そんな敵の兵器を目掛けて、リアンティから鹵獲した投石器の岩が飛んでいくが、てんで狙いが甘く、よくて敵の歩兵を巻き込む程度であった。

「おねえさん! ――突破されたらここも危ないんでしょ?」

「後ろの砦からの射撃がある。突破されてすぐに突入される事はないよ」

「後ろに居るのは、多分、私達よりも戦いの経験の無い人達だよ」

 マイカはそう言いながら下がる。諦めてくれたのかとホッとしたリーディアだったが、マイカは大量の矢と自分の弓を抱えて現れた。

「おねえさんの矢も持ってきたから」

「……接近されればここも危ない。そうなる前に右側を叩く。危険になる前に下がるように指示を出すから、その時は絶対に言うことを聞くんだよ」

「うん!」






 その時はリーディアの予想よりも早く訪れた。砦の壁面が崩落し、斜め下からも狙えるような大穴が開き、屋上が敵の射線に入る。

「マイカ! 下がるよ!」

 自分用の短矢と通常の矢を拾い上げ、立ち上がる前に横を見る。

 短期間とはいえ、激戦によって注意力が落ちていたと言えばそれまでであるし、ただただ不運であったのかも知れない。マイカは空を劈く攻城兵器の音を聞き逃し、リーディアは敵の射撃頻度を忘れて指示を出してしまった。

「戻れ! マイカ!」

 マイカは戻らなかった。正確には戻れなかった。

 リーディアの瞳に弾け飛んだ残骸に巻き込まれるマイカの姿が映る。体勢も状況も位置も違うのに、リーディアにはその姿が死んだ正規兵とだぶって見えた。

「マイカァ!」

 更に大きく崩れた砦。ここぞとばかりに敵兵の矢の勢いが増した。近付こうにも近付けず、リーディアは矢を手放すと大きく手を伸ばし、地面を這う。

「マイカ!」

 応えるようにぴくりと足が動く。体を丸め、すぐに体を起こした。

「伏せろ、マイカ! 逃げるんだ!」

 瓦礫に巻き込まれた際に吹き飛ばされ、幸いにも敵兵から直視はできない位置だった。しかし、矢の雨は止む気配を見せない。それどころか、中を狙っているのか、低い軌道を描く矢が増え、今すぐにもマイカに矢が届きそうになっていた。

 地面を強く叩きながら、リーディアは体を起こす。そのまま低い姿勢で駆ける。その姿を確認した敵兵が射掛ける。しかしそれを気にもせず、血の流れる顔を抑えるマイカへと駆け寄った。

 そんな一連の出来事を全く気にもせず、マイカは慌てたように周りを見る。その瞳はリーディアを無視し、空を彩る木矢にも留まらない――何かを探していた。

「マイカ! 逃げるんだ!」

 腋下に腕を挿し込み、マイカを持ち上げる。力を入れる際に焼けるような痛みがリーディアの肩を襲うが、瑣末事だと言わんばかりに、マイカの体は楽々と持ち上がった。

「あ……待って! 耳、私の耳ぃ!」

 瓦礫へと手を伸ばすマイカ。リーディアは彼女の傷あとを確認こそしたが、その言葉には取り合わず、そのまま走り出す。

 矢が背中に刺さる。僅かに体を仰け反らせるが、リーディアの足は止まらない。

「耳がぁ! やだぁ!」

 腕の中から逃れようと暴れるマイカが、力強く抱き締められる。

「マイカは可愛いじゃないか」

 場違いな言葉がリーディアから漏れる。場違いな音を伴って。それはまるで睦言のように。

「耳がなくったって、顔が傷付いていたって、こんなにも可愛いじゃないか。ほら」

 抵抗が無くなるのを良い事に、リーディアは言葉を連ねていく。

 安全な砦裏にマイカを降ろすと、無事だった方の頬を撫で、微笑んでみせる。

「……でも、嫌われちゃうよぉ」

「大丈夫。大丈夫だよ。ちゃんと傷を治せば、きっと大丈夫だ」

 最後にもう一度抱き締め、すぐに砦内から人を呼ぶ。

 一番役立たずになるだろうと予測していた青年がやってきてマイカを担ぎ上げた。

「向こうの砦で応急処置、更に下がって本隊で治療を。部隊長に指示されたと言いな。それと、戦える者を寄越してくれ、と」

「わ、分かりました」

 青年が歩き始めるのとほぼ同時に、携帯していた短矢を番える。再び屋上へと上がり、咆哮をあげた。敵の注意を引く為の行動だった。

 しかし、それだけでも無かった。いつのまにか、リーディアはマイカという少女の事を気に入っていたのだった。それはまさしく、怒り心頭に発した末の行動だった。




 確実に振られる事だろうと、リーディアは予想していた。マイカにもそれは分かっていた。左右均一の耳、整った顔は、それほどに混血種にとって魅力的なものなのだ。

「『傷』がなんだってんだ! 傷が無けりゃあ、純血と変わらないだろ! なんで私達ばかりが虐げられる!」

 その『傷』が、先天性の障害を指すのか、それともマイカの怪我を指すのか、リーディア自身にも分からなかった。ただただ、我武者羅に叫ぶ。

 戦場から声が消える。戦う音は未だに響いている。瓦礫は崩れ、矢は空を切り、人々の荒い呼吸は場を満たしている。しかし、声は一つも聞こえない。否、一つだけしか聞こえない。

「危険なところに向かうのも混血! 厄介な仕事をこなすのも混血! 立派な純血様の陰で怠惰に過ごす純血ヤロウを養うのも混血様だぁ! ふざけんな!」

 叫びながらもリーディアは攻撃を続けている。僅かに敵の攻撃に勢いが無くなるが、しかしそれも少しの事で、また元通りの勢いへと戻る。

「なんで私達は正常に評価されない! なんでろくに戦えない者が戦場に立たなければならない! 全部! 全部! 選択の自由が無いからだ! なんでもできるなんて思わせておいて、実際には嫌な事でも、やらなきゃ生きられないからだ!」

 いつのまにか、リーディアの言葉に、合いの手のような掛け声がかぶせられるようになっていた。


 当初、敵も含めて、混血種達は彼女の叫ぶ言葉の意味が分からなかった。

 混血種に「傷持ち」が発生するのは当然の事で、それだけでも純血種に劣るのである。『傷』が仮に無くとも、総合的に比較すれば純血種に劣るのだから、多忙な純血種に代わって雑事を務めるのは当然だ。それが適材適所というものだ。と、誰もがそう思っていた。

 その『当然』にヒビを入れたのは、怠惰に過ごす、富を吸う純血種がいるという事実からだ。誰もが疑問に思っていて、しかし誰もがそれを意識しないように生きてきていた。疑問に思えば、生きているのが苦しくなってしまうから。

 その後の発言から、掛け声がかぶせられるようになった。そうだ、そうだ、と。






 叫び。叫び。ひたすらに矢を放ち。敵の突撃を凌ぐ。

 終わった頃には、多くの死傷者と、多くの敵兵の死骸が積み重なる地獄絵図のような光景が広がっていた。

「こっちへ来い! 反逆者共が!」

「私だけだ」

 嗄れた喉を無理矢理に働かせて、純血種の正規兵へと訴えかける。

「賛同していた者達が居ただろう!」

「私だけだ」

 リーディアが睨み付ける。ただそれだけで正規兵は恐怖を感じた。

「ふざけるな! 反抗的な奴め! 今この場で切り殺してやっても良いのだぞ!」

 剣を引き抜き、構える。対してリーディアは身動ぎ一つせず、じっと正規兵を睨んでいる。

 そのまま――僅かな時間が過ぎた。混血種をその場で裁く権限を正規兵は得ていない。その為、正規兵は剣を振り下ろす事ができない。振り下ろせば、自身が罪に問われるからだ。

 一部の高位な人物には特別権限が与えられているが、それも濫用すれば罪に問われる。純血種にとって、アージュファミアという領は、非常に『不利』な条件の多い領なのであった。その『不利』を『公平』という言葉に置き換えられる事を、彼らはまだ知らない。


 その時の事だ。小走りで駆け寄る男が現れた。戦場には場違いな高級なローブに身を包んでいる。パッと見は商人か、あるいは貴族か。しかし斜面を駆け下りるその動きは、歴戦の兵士に勝るとも劣らないものだった。

 その動きから只者では無いと見抜いた一堂は、誰何する事無く彼に向き直り、彼の言葉を待つ。

「待て。さる方からその者を連れてくるように言われた。この度の件も全て不問にせよとの事だ」

 息も荒らさず落ち着いた口調で話すソレは、貴族か何かのようにも思えた。だが正規兵は物怖じせず、剣を地面に突き刺した。

「なんだと!? 誰だ!?」

 男は耳打ちするが、正規兵は耳を振り、その動作の続きのように頭を振った。

「ありえん! どれだけの距――」

「黙れ」

 男は素早い動きで正規兵の口元を塞ぎ、抱きすくめるように片手で首を絞め上げた。周りがざわざわと騒ぎ出す。が、誰も手を出せなかった。手を出せるような隙が無かったのだ。

「なんの為の耳打ちだと思っている」

 涼しげに呆れ返る男の腕の中で、正規兵は苦しそうにもがいていた。

「今ここであった事は全て忘れてもらう。安心せよ。私はリトラ様に認められている」

 正規兵を地面へ投げ出し、胸元から勲章を差し出す。正規兵も息を切らしながらその勲章を見上げている。

「此度の件は、全て不問にせよ。そして、今ここであった事も決して口外するな。良いな?」

 勲章を目にした正規兵は全てが膝を突いた。傭兵達も訳が分からないなりに膝を突く。リーディアもそれに倣おうかと膝を突きかけるが、それより先に男の手がリーディアの手を掴んだ。

「さぁ、行こうか」

「あ、あぁ……」

 男の力量はリーディアのソレを遥かに越えるものだった。ただそれだけの事で、リーディアは余計な口を挟む気すら起こらなくなってしまう。

 しかし、どうしても看過できない心残りが、リーディアにはあった。

「……済まない。傷付いた友が居るんだ」

「リーディア・レストビアンテの意思を優先するように言われている。少しの時間なら良いだろう」

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