小さな領主――アージュファミア
リアンティが救援を求めた二領の内の一つ、東のアージュファミア。真っ赤な日の出が照らす巨大な半島は、中央に至るに連れて盛り上がり、自生する植物も増えていく。だが、その丘の頂点は丸く切り取られ、町が広がり、中心には砦が建っている。
砦付近では、真っ赤な光を浴びて多くの兵が慌しく蠢いていた。
砦の壁から伸びる支えが一本の塔を支えている。その塔の上部、小さく開いた窓には高価なガラスが用いられており、中に居る少女を赤く照らす。
「全軍を差し向けましょう」
小さな少女が握った自分の手に覆い被せるようにもう片方の手を乗せた。艶やかな毛並みに当てられた柔らかい肉球がぽふっと音をさせそうではあったが、実際には肉球としての仕事を果たし、なんの音も立てない。
少女の外見は平民の物とは一線を画す。体のラインを隠す膨らみを帯びた服を着ており、袖口などには華美にならない程度のフリルが添えられ、柔らかい印象を与えている。しかし実務を無視している訳でもなく、袖口には作業時の為に手首で纏める為の紐が垂らされており、下穿きもスカートなどではなくズボンであった。
全身を覆う紺色の艶やかな毛は純血種である事を示している。
「お言葉ですが、また厄介事を拾う事になるのでは?」
傍らに立つ妙齢の女が憂慮を口にした。
臙脂色のワンピースに、ところどころに琥珀色のワンポイントの入ったメイド服、それを殆ど隠してしまう大きな白いエプロンを纏っている。こちらは装飾などは殆ど無く、上半身だけを見るなら実務以外はあまり考慮されてなさそうではあったが、膝下まで伸びるフレアスカートは綺麗に広がっており、上品な魅力を引き出していた。
手の形は純血種と異なり、顔にも毛は生えておらず、生えている動物の耳は混血種である事を示していた。
その姿は混血種の中でも奴隷種と呼ばれる卑賎な存在に近い。だが、聡明そうなその表情からは身分差別などによる無教養は感じられなかった。
「クルポリの異常から、すぐにリアンティの国境に変化が出たわ。この時点で介入したかったのよ。ぶっちゃけ、よく我慢した方だと思うわ」
「はぁ……先代はもう少し落ち着いていたと聞きますよ?」
「状況が違うのよ、状況が」
年端もいかない少女と、そのお目付け役かのような妙齢の女。見た目にはどこぞのお嬢様と新しく宛がわれたお付きにしか見えないが、一端の貴族とただのメイドという関係ではない。メイドは形だけではあるが領主に次ぐ権力を持ち、少女はそのメイドの主だ。
少女の名をリトラ・アージュファミアと言う。大陸の最北端であり、同時に最東端でもある半島の地アージュファミアと同じ名を持つ。
そもそも、土地名を名前に用いて良いのはその土地を治める者だけであり、先代ですら現役を退いた今では別の家名を名乗っている。即ち、彼女はアージュファミアの現領主なのである。
ちなみに見た目は幼い少女のようであるが、既に二十を超えており、近いうちに二十後半に突入する。
対し、見た目だけは年上である妙齢の女の名をエスピンセルティア・シーゼンベルジュ・アルファミア――リトラは彼女をティアと呼ぶ。
混血種には珍しい名家出身であり、先々代が現役である頃にアージュファミアへ移ってから、ずっとアージュファミアの家系に仕えている。
ちなみに齢は十九で、翌年には二十を迎える。
背だけを見ても、頭二つ分はリトラの方が小さかった。二人とも幼げな印象を残しているが、ティアのそれと比べればリトラのソレは残しているという次元ではなく、幼げな印象モロダシというレベルだ。更に言えば胸に関してもまっ平らなリトラに対して、ティアのそれは数十倍の体積を誇っている。異常な程でかい訳ではなく、乗算元のリトラの胸が小さ過ぎるだけであったが。
そんなあべこべな二人が、ぽつりぽつりと会話を交わす。その内容は歳相応という訳でもなかったが、少なくとも見た目とはそぐわないものだった。
「国境沿いに集めておいて良かったわね。今日の夕方にでも出撃よ」
「……楽しそうにしていますが、下手をすれば争いになりますよ? リアンティだけならなんとでもなるでしょうけど」
それまで僅かに声を弾ませ、興味津々な子猫のように瞳を輝かせていたリトラだったが、ティアのその言葉で目を鋭くさせた。
「戦う事は確定ではないわ。形だけでも派兵するという事が大事なのよ。それに、食料を止められた時点で普通は戦争よ。遅すぎたくらい……。どうせ良いように解釈されるんでしょうけど、それでも今出さなかったら全部終わってしまうわ!」
どこか悲痛なその叫びは、怒りでは無い。その矛先もまた、ティアではない。ただ彼女は、怒りという体を取った嘆きをあげただけだ。ティアは唇を真一文字に結び、それを眺める。
「ティア」
「はい」
「私はね、これを機にロンボスト地方を統べるわ」
大陸の北東に位置するロンボスト地方。大陸全土を治める法王国から最も離れ、その影響を逃れる、ある意味での無法の地。そこに新たな秩序を打ち立てようと言うのだ。
「今回の事は、その足掛かりになる、という事でしょうか?」
「そのつもり、ってとこね。ただ、警戒されては成るものも成らないわ。他言無用よ」
「はい」
どちらともなく二人が窓から外を見ると、太陽は白く輝いていた。窓辺に居るリトラだけがそれを確認でき、ティアからはその太陽が照らすリトラと、その外の世界だけが見えた。
本来であるならそのまま日常の業務へと移っていくのだろう。だが、思わぬ珍客が二人の元へ現れる。
ドタドタと響く足音。そしてその足音の主は部屋へと飛び込んで来た。その背後には兵が長蛇の列を築いている。
「リトラ様! 私は山屋のものでして!」
足音の主――少年は、飛び込んで来た姿勢のまま止まっていた。兵達は取り押さえようかどうか悩みながら、少年とリトラ、そして少年の前に立ち塞がる少女へそれぞれ視線をやっている。
リトラは兵へと視線をやり、手を上げながら首を振っている。上げた手を軽く払い、下がって良いと指示を出す。しかし、勝手に領主の土地に侵入し、あまつさえ領主の居る場所まで乗り込んできた不埒者だ。本来であれば牢屋にぶち込むべき存在である。それをこのまま放ってはおけないと、兵達は顔を見合わせながら戸惑っている。
兵が戸惑うばかりで少年を捕獲しないのは、少年が目の前に立ちはだかる少女によって動けなくなっていた為だ。長い棒を喉元に突き付ける少女。少年は逃げるべき兵に体を預けるように、上半身だけ後退させていた。
「この子は大丈夫だわ。下がりなさい。あと、日頃の訓練を欠かさないように。はいはい、下がって」
兵達は釈然としない様子でそれぞれ敬礼をして下がっていく。そうして全員出て行くと、リトラは小さく溜め息をついた。それは子供を通り抜けさせてしまう兵士に対する呆れでもあったが、子供の行動に向けたものでもある。
「あ、あの……棒をどけてもらっても……?」
兵士に引っ張られていた時に似た姿勢で、少年は壁に押し付けられていた。
「……そのまま少し反省してもらいたいところではあるけれど――フューチェ」
「ん」
少女の名と思しき名称をリトラが口にすると、少女は眠そうな瞳のまま小さく頷き、下がって行く。足元の毛布を拾い、羽織ると、机の裏に隠れるように寝っ転がった。
「あなたのような新人が来るというのは何か事情があるんでしょうね。また再編成の必要が出てきたようだけれど……まぁ、その前に話を聞かせてもらおうかしら」
少年は頷き、リトラに一歩近付く。
「……聞いてないのね。この部屋からは音は漏れないわ。不安なら小さく話せば良いけれど、別に普通に話して良いわよ」
「さすがリトラ様……」
少年は目を丸くさせたが、すぐに表情を厳しくさせた。
「ええっと……実は、リアンティ領内にて、正体不明の爆発が発生しました。木よりも高い位置で三回、地上では数え切れないくらい。魔力を伴った爆発だそうで、威力は平均的に高め。なんか、伝令兵のソレトコクジだって言ってました。俺……大人衆は皆その偵察で国境を越えていて、こっちには俺みたいなのしか……俺、兎に角爆発を伝えて来いって言われて、でも、なんか、焦ってごちゃごちゃしちゃって、暗号が……」
要するに、諜報員同士の暗号を忘れて強行突破したという事だった。
「もう良いわ。あなたも鍛錬に励みなさい」
リトラは魔力を用いた一日限りの臨時証明書を渡すと、少年に下がるよう伝える。
「これはアンディベルグね」
「はい。クルポリには不可能です」
二人は爆発というキーワードと、伝令兵のソレトコクジから大体を察した。
同一の水準で統一するのは、良くも悪くも大部隊を持つが故だ。伝令兵の爆発魔法と酷似しているという事は、リアンティの伝令兵であるという事とイコールに等しい。そして、優秀と知られるリアンティの伝令兵が束になって突破できないのは、近辺ではアンディベルグくらいなものだった。クルポリの全兵力が束になれば可能かも知れないが、クルポリの領主グランポス・ウェンハ・クルポリにその用兵術は無い。ついでに度胸も無い。行動力も無い。消去法で、二人は伝令兵を妨害しているのがアンディベルグであると確信する。
「状況はいまいち分からないけれど、少なくとも戦う必要は無くなったようね――ティア」
呼びかけにティアは深く頷き、姿勢を低くする。胸元に手を当て、膝を折り曲げ、そっと瞳を閉じる。その姿勢は上の身分からの命令を授かる時に取る法王国式の礼だった。
「リアンティに無血開城を迫るわ。ディエードリンキスにはこちらから書状を送るとしましょう」