優等種の憂鬱
「誇り高きアージュファミア騎士団の皆様、ご紹介を賜りましたクライスと申します。卑しい身分の下拙の陳情に、どうか耳を傾けてくださいますようお願い申し上げます」
情けない表情の一つもしていればその言葉も多少は形になったのだろう。しかし、そう言って顔を上げた彼は尚も変わらず自信に満ちた表情をしており、その瞳は鋭く周囲を見回している。
一人が野次を飛ばす。それを追うように野次が飛ぶ。止めたのは机を打つリトラ――正確には、それを見た近衛達の槍が立てる音だった。
「彼が気に食わないという事は、取りも直さず私の決定に不服があるという事。文句があるのなら私に直接おっしゃい」
恐怖政治を敷いている訳ではなかったが、部隊長達は口を閉ざした。
リトラという存在に敬服している者は軍部にも多い。市井の次元で言えば『よく分からないので怖い』と思っている者も居たが、大部分では崇められている。当然、よりリトラに近い軍上層部の彼らは、リトラに篤い忠誠を誓っている。それでも、あるいはそれ故に、彼らはリトラの一挙手一投足にびくりと怯えてしまう。主人であるリトラに嫌われたく無いが為に。
しかし、一人、歩み出る者が居た。アイレル――アージュファミア騎士団長である。
「団員の野卑な振る舞いは、私から謝罪致しましょう」
アイレルは頭を深く下げる。それはリトラだけにでなく、奴隷種であるクライスにも。
「団員の躾が成っておらず、誠に申し訳無い」
「私如きに勿体無いお言葉です」
どこか気品を漂わせながら、リトラへと向き直る。
「しかし、これはどういう事でしょう? 戦いを経験した事も無い者に、作戦立案を任せるという事でしょうか?」
「彼は、史実上に存在した戦いなら、その戦端から終戦までの経緯が全て頭に入っているわ。不満だと言うのなら、あなたに決定権を預ける事にするから、とりあえず話を聞いてみない? どの道私も、実戦経験のある者によるプラン修正は必要だと思っていたわ」
その物言いに、リトラが何かを試していた事に勘付き、アイレルは笑みを浮かべた。
「なるほど……何を試そうと為さったのか分かりませんが、お人が悪い。エミューラ様の膝の上に居た頃とお変わりないですな」
「あら? あの頃はまだ可愛げがあったわ」
取りようによっては――というよりあからさまに――失礼な発言だったが、リトラは気分を害す事も無く笑顔で返す。
そうして会議は始まった。
自軍の情報の精査、配置、装備。そして常に流動的である戦況、おおまかにはお互いの休憩時間や疲労具合、補給物資の動きなどの把握。それだけの事に膨大な時間を費やす。とはいえ、一言もクライスは無駄な言葉を喋っていない。全てはこの後に導かれる結論に強い裏付けを与える為のものだった。
最後に作戦概要を伝える。
「という作戦になります。ただしこれにはリトラ様の許可を要する、ある装備が必要となります。それが無い場合の成功確率は、状況が上手く運んで三割程、上手く運ばない場合に強行して一割未満……そうですね、上手く陽動できれば……一割と半、程度にはなります。敵兵の動き次第です」
静かに聞いていた一同だったが、団長は小さく挙手する。
「上手く行けば損害は少なくなる。それが三割。しかし、その確率が確かであるなら、もっと堅実な手段を私は求めたい。済まないが、その『ある装備』というのはそれほどの物なのだろうか? そして、それを用いた場合の成功確率は概算でいか程になるのだろうか?」
クライスは目を瞑って小さく首を振る。そしてその視線をリトラへと移した。
「それを口にするには、リトラ様の許可が必要となります」
「許可するわ」
間髪無い応えだった。既に話題が出た時にどう返すか決めていたのだ。それを受け、クライスは団長へと視線を戻す。
「上手く行けば、成功確率は十割です」
「馬鹿な! 十割など有り得ん!」
声を荒げたのは騎士団長ではなく、ずっと黙っていた大隊長だった。
「やはり野蛮人に数字など理解できん!」
「このような者に策を任せるなど、到底不可の――う……」
先程までと同様に野次が飛び交おうとした刹那、地面を揺るがす大きな振動と、ただ一度だけ、重い何かがぶつかりあう音が響いた。それは部屋中に響き渡り強く反響する。
「おい、お前ら。私にこれ以上恥をかかせるつもりか」
音は団長の靴が鳴らしたものだった。要所に鉄を配した革ブーツは、光沢のある厚い石で出来た地面を容易く砕いている。
誰も謝罪の言葉を口にしない。それは『自分は言っていない』と逃れようとしているのではなく、団長の発する気迫に怯えての事だ。
「お前らは何を聞いていた? この者は確かに多くの知識を有している。対してお前らは一歩も歩いてないうちに全部忘れちまったみたいだなぁ!?」
当り散らすように再びブーツを地面にぶち当てながら、その勢いのまま団長は立ち上がる。そして隣に居た大隊長の胸元を掴み、そのまま持ち上げる。
「『この者への不満』は『誰へのなんだ』!? 言ってみろ!」
「リ、リトラ様への不満、です」
その答えを聞き団長は、逆の手で平手をし、地面へと投げ出す。
「リトラ様への『不服』だ……馬鹿野郎!」
団長は一歩、二歩と歩み、壇上に立つ。クライスは近付かれた事に警戒こそしていないが、倒れた者へ視線をやっていた。その隣で団長は全体を見渡した。
「リトラ様のお言葉は一言一句違えるな。お前らが今した事は反逆罪であると思え。私は異議を申し立てる権限を特別に頂いていたが、お前らに口を開く権利は与えられていない。分かったな?」
騎士達は一斉に応答を返す。訓練などでも慣れているのだろう、そこによどみは無い。
「見苦しいところをお見せしまして、申し訳ありません」
リトラへ向かって深く、深く、頭を下げる。唖然とそれを見ていたリトラだったが、我に返ると立ち上がり、深く頭を下げる団長の肩に手を当て、体を起こさせる。そして、殴られた大隊長の前でしゃがむと、彼に手を貸した。
「この程度は気にしないわ」
「いえ、私の監督不行き届きです」
リトラがそのまま回復魔法を使おうとすると、団長は慌てた。
「リトラ様! いけません! お体に障ります!」
「リ、リトラ様。自分は大丈夫です。お心遣いだけで」
そう言って大隊長自身から離れる。
「……もう少し威厳があったら良かったのだけれどね」
「そのような事はありません。全てこいつらが愚昧なだけです」
そこへクライスが一歩近付いた。
「私の物言いも極端に過ぎました。せめて九分九厘と伝えれば、ここまでにはならなかったかも知れません」
団長は小さく顔を振り、クライスへと向き直った。
「申し訳ない。もう一度名を教えて頂けませんか」
「クライスと申します」
「こいつらはクライス殿を奴隷種というだけで侮っていただけです。その知識の片鱗に触れて尚、考えを変えられぬ愚か者なのです。どのように言ったところで先程のように騒ぎ出していた事でしょう。私の教育が足りなかったばかりに不快な思いをさせてしまい、クライス殿、申し訳ないっ」
今度はクライスへ頭を下げる。それをリトラがそうしたように、そっと肩に手を当て、頭を上げるよう促す。
「それが奴隷種というものです。私も弁えております故、そのお気持ちだけで十分です」
その後、騎士団長による多少の薫陶を交え、見た目の状況は落ち着いた。変化があるのはパンパンに腫れた大隊長の頬と、騎士団長の足元のみである。
「それで、リトラ様、その『ある装備』とはなんなのか、聞いても宜しいでしょうか?」
騎士団長直々の質問である。実のところこの中で一番気になっていたのが彼だった。何故なら、彼はアージュファミアの軍事面を全面的に支える騎士団の長なのだから。その彼が知らない装備は存在しない。増してや三割を十割に変える装備など、聞いたことも無い。
「これは今のところ、ここだけの機密にする事。聞かれても答えない事。自分から口にしない事。守れない者には、罰を与えるわ」
普段は罰をチラつかせる事の無いリトラの言葉に一同は身を引き締めた。
「クライス、資料を」
クライスに指示を出し、立ち上がる。そして板に貼り付けられた資料の前に立った。
「魔力によって筋肉を強化する機能、および関節に動力を有する外骨格兵器。アージュファミア一号仮よ」
どこか間抜けな兵器の名を出し、その性能を評価し、作戦は決まる。
作戦自体は数多の策が発表された中で中隊長が出していたものだったので、形式上は中隊長の手柄という事になる。実際はアージュファミア一号仮が無ければ危険性の高い策なので、彼を褒めるのは何も知らない者だけだ。
作戦の注意事項なども聞き、幾つかの条件で成功確率が下がる事も説明される。とんとん拍子で情報が整理され、後はそれを行う部隊を決め、戦場で連携を取るだけとなった。
だが、それを務める部隊を決められなかった。アージュファミア一号仮が如何なるものであるか、現実に見た訳ではない上に、成功しても取り囲まれて殺される危険性の作戦だ。言うなれば死地へ向かえと命令するも同然だ。適任部隊の分かっている騎士団長も簡単には決断できないようだった。そこにリーディアが手を上げる。
「私がやります」
リーディアに死ぬ気など毛頭無い。ただ、十割の勝率を捨てるのが惜しかった。勝利と死の危険というリスクを天秤にかけた末の判断だった。
「ただ、部隊の再編成をお願いしたい。それと、士気発揚の為の報酬も頂きたい。残された遺族が生活できるくらいの額を」
「そんな事言って、お前、逃げ出すつもりじゃないのか!? 見知った仲間と金だけ受け取って、最悪アンディベルグに寝返るとか!」
「……金は死んだ後で構いません。私は、アージュファミアの為に戦うと決意しています。私の命は、リトラ様の生み出す未来の為に」
想いを口にし、貴族式の礼を取る。
「貴女の覚悟は分かったわ」
リトラの声が響くと、波が引いたように隣の者と会話していた者達は黙る。
「けれど、貴女を使う理由は無いわ。能力に落差のある混血種。それも、新設されたばかりの部隊に任せるには、荷が重いと思わない?」
混血種の能力は幅広い。それは教育などの問題も含まれていたが、おおむね生来の物である。『傷』による物を含めるなら、その幅は更に広がる。更に彼女の部隊は新設されたばかりでふるいにかけられておらず、訓練も殆どされていない。問題は山積みであった。
リーディアは立ち上がり、リトラと視線を交わす。
「その為の再編成です。前線に居る者達から優秀な者を選び抜きます。それに、アージュファミア一号仮の使用者はこの中に居ない筈です。誰がそれを使っても同じ――であるなら、より一致団結できる者が使用すべきです」
自身の胸にこぶしを当て瞑目する。その胸に去来する想いはトレイル砦で喚いた時とは、少し違ってきている。あの時は気付いたばかりの不平に吼えていただけだった。今は、不平に気付ける程にアージュファミアが自由なのだと分かっている。そして、これから更に、その自由は広がっていくのだと信じている。
「私はアージュファミアの為に命を投げ出せる。私と立場を同じくする者達も。何故なら、この場所にしか混血種の未来は無いからです。そして、この戦いはアージュファミアを救い、その未来を広げるものであるからです。私達は、命を投げ打って結束し、この作戦を成し遂げる理由があるのです」
妄言を。と、この場に座する多くの純血種は思う。が、口を開かない。開けない。口にした『妄言』という言葉が、自身に返ってくるのを理解しているからだ。
アージュファミアで生活した混血種が他へと行けないのは、実のところ純血種が一番理解している。この領はあまりにも『純血種を冷遇』している。その分の糧が混血種に注がれている。純血種なら誰もが知っている事だ。得るよりも失う方が、人の心には波紋を広げるものだから。故に『混血種は居場所を求めて必死になる』というその理屈を一番理解できるのは、優位を失った純血種だったのだ。
事実に裏打ちされた覚悟。心底から滲み出るその言葉を前に、誰も口を開かなかった。やがて、地面と椅子が擦れ合う音が鳴る。リトラが自身の席へと座り込んだ音だった。その表情はどこか冷たく、影を感じるものだった。
「…………貴女の覚悟、理解したわ」
リトラは立ち上がりリーディアと視線を交す。そのままゆっくりと一人一人と視線を交し目を閉じる。再び目蓋を開いた時には影を帯びた表情は消え去り、勝気な無表情が浮かんでいた。
「リーディア・レストビアンテにこの件を一任するわ」
壇上のリトラの声は、一番離れた位置に居るリーディアへ届き、通り越し、部屋中に響く。
「アイレル、リーディアを支えてあげて頂戴」