軋轢――リアンティ
木材と石材で構成された柵は、全てと言って過言ではない程に薙ぎ倒され、物見櫓なども全てが引き倒されていた。
大勢の足跡と、少数の死体を残した戦場跡で、二人一組の兵が物を漁っている。
「外道めが……外道めが……」
草薮の中に男の姿を発見したのは偶然だった。彼らの任務は補給用の道の整備と、補給物資の現地調達にある――索敵ではないのだから。
男は上半身を金属鎧、下半身を皮のズボンで覆った兵士だった。腕は折れ曲がり、足は木材に挟まれ、動けなくなっている。
二人の兵士の片割れが腰に差した剣を引き抜く。その表情に愉悦は無い。あるのは冷徹なまでの鉄面皮。
「あぁ……リル……すまない」
僅かに剣先がぶれたのに気付いたのは、それを振り上げた兵士のみだった。傍目には動揺など微塵も感じさせず、鮮血を拭い、顔を上げる。
「向こうに樽がある。行くぞ」
「ああ」
見れば分かるような事を殊更に言ったのは、人を殺めた罪悪感を生じての事か。それに応じた兵もまた、無感情に平然と答えた。
空高く飛ぶ鳥が戦場跡の砦の上を周回していた。食べ物の匂いを嗅ぎ付けたのである。
その瞳が、まるで蟻のように移動する兵隊の列を見た。先には山がある。その山の手前で兵隊の群れは止まっている。それはさほど鳥の興味をそそらなかったのか、眼下に望む荒れ果てた戦場跡へと降り立って行く。そこには彼の望む餌が多く倒れ伏せているからだ。
山の上には複数の拠点からなる要塞が存在していた。兵隊の群れはこの要塞の前で足止めを食らっていたのだった。要塞の名を『トレイル』と言う。
山に聳え立つように築かれた石の要塞。その内部、下方を一望できる小窓のある部屋の中に、数人の男達が集まっていた。
「…………すまない、な」
「……キペタ様?」
キペタと呼ばれた男の姿は、人とは異なるモノだった。全身を覆う硬質な見た目の毛。獣のような耳に、ズボンに開いた穴から覗く尻尾。しかしまるで人のような髪や眉を持ち、二足で立ち、喋っている。
対して声を掛けられた者達は人のように体毛は少なかったが、耳や尻尾などを備えており、やはり普通の人間では無かった。
この場には一人も『普通の人間』は居ない。
「すまないが……退却は、できない。私も、お前達も。ここを守り切らねば……この数は、他では防げない。例え最後の一人になろうと、奴等に占領される事は……避けなければならない。戦い続けなければならない」
キペタと呼ばれた獣人は、どこか纏まりの欠いた言葉を口にしていたが、それはゆらゆらと揺らいだ末に力強い言葉で締められた。
「今更何を言ってるんです! 俺らにここ以外行く場所なんてありません!」
「そうです! 皆そう思ってますよ! 俺達の生きていける場所を、絶対に守ってやるって!」
「ワシの娘も『傷持ち』でしてな。ここで無かったらあの子共々奴隷落ちしとったかも知れません。ワシらはディエードリンキス様にも、キペタ様にも感謝しとるんで。今もこうして、ワシらを対等に扱ってくださる。命を懸ける甲斐もあるってもんで」
「ぼ、僕も、キペタ様を尊敬しています!」
「馬鹿。命懸けられるかって話だろ! 尊敬してるなんて当たり前なんだよ」
どっと笑いが起きた。しかしそう言われた彼は怒りを露にして立ち上がる。
「そ、それこそ当たり前だろ! ……リアンティ以外に『僕ら』の行き場は無いんだ。ぼ、僕らは『僕ら』全員の未来を背負ってるんだ。っ……逃げられない。に、逃げる訳にはいかない」
最初こそ、彼のおどおどした態度や突然に怒り出した奇行を面白がっていたが『僕ら』の一言以降、彼らの表情は一変していく。
僕ら――彼がそう示すのは、自分を含む肌を毛で覆われていない者達の事だ。彼らは被差別対象であり、同時に労働力の主軸を担っている。その在り方は極端に言ってしまえば奴隷のようなものだった。
そんな彼ら『混血種』の安寧は、このリアンティ以外には存在しない。彼らはそう思っていた。
「そうだな」
そんな彼の肩にキペタは手を当てて、そう言った。
「私が言うのもなんだが、君達がイタズラに傷付けられず、お互いをいがみ合うだけでないこの場所が、私は好きだ。対等である――なんて言えないかも知れないが、それでも立場がそう違わないからこそ、このような関係が築けるのだと思う」
周囲を見回すキペタ。一人一人と視線が交わされていく。
「私は、守りたい。フォーリミンも、君達も、君達の在り処も。そして、そこが私の在り処になる。例え死したとしても、この道が続くのなら、私はそこに在る」
そう言ってキペタは笑みを浮かべた。
「すまなかったな」
先程のような悲壮な表情はしていない。だがばつが悪そうにしていた。
「私の迷いが無駄な時間を取らせた。さぁ、軍議だ! 援軍が来るまでの時間――奴等からもぎ取ってやるぞ!」
キペタの言葉に、それぞれが思い思いに返礼する。
余裕を持った広い間取りの室内。高級品だと分かる品が並べられてはいたが、品数が少ない事もあり、どこか清貧を思わせる。そこに置かれた頑丈さが売りのような執務机に、小太りな犬が居た。
犬は色鮮やかな刺繍の施されたゆったりとした上着を着ている。違いは頭頂部に存在する髪だ。癖のあるうねった髪を持ち、長い毛の眉もある。眉は彼の瞳を半ば隠していたが、それを全く苦にもせず、机に広げた二枚の紙を読んでいる。
彼はトレイル砦を含むこの周辺を法王国より預かっている領主であった。領の名をリアンティ。領主の名をディエードリンキス・リアンティと言う。
手元の紙の内容は援軍要請であった。慎重かつ大胆に、自身の立場とその覚悟を記したものだ。
一枚は彼の妻の故郷である西のランダへ。もう一枚は混血種に人権を認める同胞、東のアージュファミアへ。
その内容に問題の無い事を確認すると、素早く同じ内容を書き写していく。
二人の指揮役を呼び、筒に入れた『大量』の書簡を彼らに持たせる。
「ランダとアージュファミアへ向かってもらう。恐らくはアンディベルグによる妨害を受ける。護衛として近衛隊をそれぞれに半数預ける。それと、この書簡の分の伝令兵を指揮してもらう。特装備を使い、襲撃の際は突破。緊急時は書簡を抹消しろ」
書簡抹消は、多くの場合伝令兵の死を意味する。伝令兵は例外無く体内に書簡を隠す為、それを消すという事はそれなりの手段を用いなければならない為だ。だが、指揮役はそれに驚く事無く――しかし驚きながら、問う。
「あ、あの、特装備を? 部隊全てに、でしょうか?」
ディエードリンキスはその問いにかぶりを振った。
「伝令兵のみに、だ。道中は馬車で良いだろう。襲撃は必ず受ける。後は特装備と近衛隊で突破するのだ。戦う為に持たせる訳ではない。より早く走る為だ。走るだけであればすぐにできると聞いている。最低限練習させれば問題は無い」
戸惑っていた指揮役だったが、走る為だけと聞いて納得し、深く頷いた。
「仔細承知致しました」
全てを悟った二人の指揮役は、これが壮絶な作戦になる事を確信した。しかし表情は崩さず、一言残すと同時に早歩きで退出する。その後姿を眺めていたディエードリンキスの瞳に、二人が駆け出す姿が映った。