Hand Made
超・短編です。
酔っぱらった頭で僕はそれを眺めていた。
ひらり、ひらりと舞うそれを眺めていた。
[ Hand Made ]
頭を預けている手すりからは電車がレールを踏む振動が伝わってきている。それが酔った僕のなかで小さくしかし確かなさざ波を引き起こしているようだった。
金曜日の夜遅い電車には喧噪が溢れている。酒の匂い、たばこの匂い。酔った勢いでボリュームの調整が利かなくなってしまったのか大声でしゃべる大学生たち。
それらが同じように酔った僕の頭の中で反響して頭痛を引き起こし不快だった。
新宿で大半の人がおりてしまうと、中野行きの総武線はだいぶ人が減ったように思えた。そうして人が減った車内のドア付近に僕はそれを見つけた。
ひらり
しゅぴっ
ひらり
そういう擬音が似合いそうな動作だった。
手のひらが踊り、不思議な形を連続して創り出していく。
手話だ。
そう気づくまでにしばらく時間がかかった。
若いカップルの間で手が踊っていた。人は減っても未だにざわついている車内で繰り出される手話の会話だけが、静謐を保っていた。
綺麗だな、と思った。
彼らにしか分からない言語で語り合い、時々二人同時に肩をふるわせて笑っている。その光景がたまらなく綺麗だと思った。
それはすごく神秘的で、自分には手を伸ばしてもとどかない領域のようだった。
気がつけば頭痛が消えていた。
手話の会話に集中しているうちに周囲の喧噪はフェードアウトしてしまったようで、彼らが大久保で降りてしまったあとも頭痛は復活せずに、僕の中のさざ波も収まっていた。
******
そのカップルと再会したのは数日後だった。
場所はライブハウス。
秋葉原の一角にあるライブハウスではその日も爆音でライブが始まっていた。入場料はなくカンパ制のライブだったため入りやすかったのだろうか、男の方が女の手を引っ張って中に入ってきた。
音のない世界にいるはずの彼らがどうしてライブハウスにやってくるのか、僕にはわからず自然と目で追いかけてしまう。
彼らは人をかき分けて前の方にいくとスピーカーの目の前に立った。そして目の前に手を伸ばしたりお腹をさすったりしている。
不思議に思って彼らのところに近づいてみる。すると疑問はたちまち氷解した。
振動だ。
巨大なスピーカーから繰り出される低音は揺れ幅が大きいため床をふるわせ内臓を揺さぶってくる。
音は――振動だったのだ。
彼らは音楽を楽しんでいた。
女の方が男の肩をたたいて、それから自分の耳を指さして何かを表現している。それをみた男は、親指と人差し指を摘むようにして、おでこにつけ、離すと同時に手を開いて着るような仕草をした。
手話を知らない僕でもその意味はわかった。
「ごめん」だ。
二人は連れ添ってライブハウスを出ていく。爆音で耳をやられそうになった女は頭を振りながら、内臓で音楽を感じた耳の聞こえない男は笑いながら。
いいカップルだな、と耳鳴りがしそうなヘビメタのなかで僕はそう思った。
どうも、紅茶大全です。
前にバベルという映画をみました。
言葉が通じずわかりあえない、いや言葉が通じていても分かりあえない人々を描いた映画だったけれども、その中で、菊地凛子が演じる聾唖の少女が、いきなり全裸になって相手を求めるというシーンで驚嘆した覚えがあります。
言葉という形而上のコミュニケーションではなく肉体をさらけだして肉体的コミュニケーションを求める。考えれば当たり前のことだけれども、その映画の中では彼女の全裸だけが凄い異質でした。
あの映画をみてからしばらく経ちますが、この前久しぶりに手話を目の当たりにしたときに、言語を肉体化しているという事実に尊敬の念を抱きました。大胆に奇想天外すぎて。
思えば、あの映画の中でもまともなコミュニケーションをとっていたのは聾唖の少女たちではなかったか、言いたいことを言い合って笑いあっていたのは彼女たちだけかもしれない、とも思いました。
その後、手話が各国で違うという事実をしって落胆したりしましたが、それでも私の手話への尊敬は変わりません。
時々、手話で会話している人たちに町中ですれ違うと、彼らの周りには僕らの周りにはない静かさと暖かさがあると感じます。私はそれがとても羨ましいです。