5-17・謎とその非合理的な解決
ミナセはホワイトボードの左右中央、上下ではやや下に「立って右足を曲げている棒人間」の絵を描いた。
「この人間は動いてないよね」と、ミナセは言った。
「棒人間な」
「棒人間ですね」
「棒人間なのね」
「棒人間」
「こんなくだらないことにつきあっていられるか」
残りの5人は、ひとことしゃべっただけでも誰かわかる口調で答えた。
むっとしながらもミナセは、棒人間の絵の上下にマスをみっつ書き加えた。
上にふたつ、下にひとつ。
そして、歩いている動作の棒人間を素早く描いた。
絵はヘタだけど、言いたいことはわかる。
「時空の連続体仮説は、古代ギリシヤ、レイキッポスの弟子であるデモクリトスによって最初に語られた。再発見および近代理論に組み入れたのは、東欧の量子物理学者であるヴァレーヌィク、その男はきみも知ってるとおり、ハイゼンベルクより数世代後の者で、ニーチェのバーゼル大学時代の数少ない聴講生だったコールジュとの親交によって『寂滅』という概念を宇宙創生・死滅理論に組み入れたんだ。もっとも思想的には近代インド哲学者のコトレータに近いもので……」
「もうウクライナ料理の話はいいから」と、ミロクはずばっと言った。
「そうだね、本気にする人が出てくるとといけないから。つまり、デモクリトスは宇宙を小さなつぶつぶでできているものと考え、それらに「アトム」と名づけたのは知られている。しかしそれと同時に存在しないものを「ケノン」としたんだ。
ミナセは、映画のフィルムに見えなくもない4つのコマの間にある線をより太く塗りつぶした。
「「アトム」はものすごい早さで振動している。振動は時間の流れだけれど、「ケノン」がなければ流れの連続性は生まれない。フィルムは「すこしずつ違う絵」と「それをつなぐ暗黒」によって構成されている。信じられるかい、ミロク。あのミノルの、誰にも気づかれなかった空中浮揚を可能にしたのは、見てみぬふりをみんながしたからじゃない、この暗黒、ケノンを支配する神……創造神に対する言葉を使うなら、邪神の力を借りたからなんだ」
「めんどくせーなーもう、モリワキ団のしわざ、ってことでいいよ」と、おれは言った。
法水麟太郎かよお前は。
なお、法月綸太郎はときどきわかることをいうミステリー作家で、法水麟太郎は『黒死館殺人事件』その他小栗虫太郎のミステリーに出てくる、わからないことしか言わない名探偵である。
*
それから数日後、茶道部の庵に宅配便が届いた。
もっとも、おれたちの庵は知ってる人しか知らない、みたいな感じで隠してあるから、おそらく生徒会の誰かが受け取って回してくれたんだろう。
事件の解決は部活なので、現金以外のお礼なら受け取らないことはない、とミカンちゃんには言っておいたのである。
「なるほど、日向夏か。季節にはまだ早いけど、宮崎産……ミカンちゃんの実家があるところだね」と言ってミナセは器用に段ボール箱をあけた。
するとそこには。
なんと。
なんと。
ああ、恐ろしくてとても言えない。
「逆さまですね。ヘタのほうが下になって詰められてる。あっ、手紙も入ってます」とクルミは言って、すこし膨らんでいる手紙をおれに渡し、ミナセがひとつ日向夏を取る間にふたつ取った。
「……うん、これは酸味と甘味のバランスが非常にうまく取れていて、香りもいいな……どうしたんだよ、ウルフ」と、ミナセは言った。
「お前……なんでヘタのほうから指つっこんで皮むくの?」
「そんなん、常識だよ。箱のミカンはヘタを下にして詰める、皮をむくときはヘタのほうから」
ここは逆さまの世界なのか。
封筒を開くと『これはもう私には不要になりましたので、茶道 探偵部のみなさんに差し上げます』というミカンちゃんの直筆レターと、パチンコ玉の大きさほどの紺色の、表面に複雑な模様がついている玉が入っており、それに手を触れると、おれの心に強い衝撃が走って、数秒ほど意識が飛んだ。
「これは紺の珠と描いて「かんじゅ」と読む、超次元的な秘宝で、触れると記憶がよみがえるのよね。唐の張説という詩人・政治家が持っていたとされるんだけど……ヒトにはまだ早すぎるかなー」と、ミドリが説明してくれた。
クルミは器用にその珠をアルミホイルで包み、これでもう安全です、と、パチンコ玉みたいになった銀色のそれを、首飾りの留め具で固定して首にかけた。
携帯端末に電波が届かなくなるのと同じ仕組みらしい。
ミロクはそんなおれたちに動じることなく、黙々とソファで分厚い本を読んでいたけど、いつもと様子、というか格好がおかしい。
手を上に伸ばして、ではなく、お腹の上に本を置いて、変な形のメガネをかけている。
「あ、これ? 逆さメガネ。読書や映画鑑賞も、体を起こさないでできるんだ。ミドリに聞いたら、そんなもん魔力に頼らなくても現代の技術で作れるのよね、というから、クルミに金出してもらって特注したんだ」
値段を聞くとおれは驚いた。
ほぼ1年分の部費に相当するぐらいの額。
「だけどねえ、これで本を読む場合は上下逆さまに持たないといけないんだよ」




