2話
オシプは高くも無い己の身を屈めながら、若い宿り木に手を添える。
そして、体内から大切なものが洩れ出す感覚を不快に思いながら、静かに目を閉じた。
草花のようにか弱く謙虚だった芽が太陽に向けて強く自己主張をするために、その幹を突き上げ、緑葉を纏う。
抱えることすらできた、苗木でしかなかったそれは僅か数分で隣接する木々へと並ぶまでに成長した。
「ふぅ・・・・・・」
「オシプ様・・・・・・見事です」
なにが見事なものか、とオシプは思わずにはいられない。
こんな能力など消えて無くなってしまえば良いとそれがオシプの考えだからだ。
というのも、長老が『能力とはいくら使おうとも、寿命の変化は訪れないのだ』などと高々と教えを説いてるのだが、まったくの嘘っぱちだというのがオシプの長年の経験から知りえた事実なのだから。
まったくもって忌々しい事に、この義務として押しつけられた儀式のおかげで、貴重な時の流れる速さが日々の感覚からして奪われている事は確実だ。
儀式をはじめてからと言うもの、この体が成長と言う活動を放棄しているとしか考えられないほどに変化が無い。
実際、最近やっと視界の邪魔になりつつあるオシプの髪も80年ほど前に切ったきりなのだ。
オシプはふと思う。『長老』は信用できない。そして、この能力について教わった知識も信用できないばかりか、何か違う本質が隠されているのではないかと。
前者については、ここ最近特に儀式の前後には良く思う事柄だったが、能力の本質においては何時か熟考するべきだという結論をだした。
そもそも、この力が、木々に速さを与える力であり副作用が己の緩やかな時だというのなら、与えた分が己から失っていると考えが自然である。
すべての事柄は循環するからこそ成り立っているからだ。
日々うつり変わる人と作物や木々を眺めておきながら、それに気がつかないほどオシプは無駄に時を過ごしてはいなかった。
おそらく、ほぼ制限なく既述以外の副作用(どうやら他の者は重度の疲労を感じる)がでないであろうオシプに力を使わせ、生という牢獄に捕え、都合良く使いつぶすつもりなのだ。
長老と言う名の、偉ぶった皺くちゃ坊やが朽ち果てるまでの間で済むならば、さして問題ではなかったが、こうも公に捻じ曲げられた知識を植えつけられてはたまったものではないし、気持ちのいいものでもない。
家族やユリアナ以外で唯一信用できた『前長老』も良くない習慣に限って継続する物だと言っていたし、今後も後任の長老がオシプに要求するのは明らかだからだ。
しかし、オシプはふと笑みを漏らす。
確かに喜ばしくない。
だが、数日前までは絶望し、忌わしく思っていた習慣であるが、もう続ける事はないのだから。
思いついてみると、今まで思いつかなかったことが不思議で仕方がなかった。そして、それは考えれば考えるほど魅力的で、オシプの冷えた心を熱く昂ぶらせた。
その思いつきというのは、実際言葉に表すと酷く短く、単純なものでもある。
そう、逃げるのだ。いや、これでは響きが悪く、美しくない。そう、これは旅立ちであり、冒険の始まり。そして、一向に歩みこってこない成長を自身の手で掴み取りその素晴らしさを再確認するためのものだ。
ユリアナには悪いが、彼女は十分にしっかりとしているし、能力も強い。さらに、オシプ同様にこれと言って大変な副作用も無い。もっとも、軽く疲労はしていたようだが、共に運動をしたときほど疲労していない様だったから問題はないはずだ。
それに、一生の内からしたらほんの僅かの間、ちょっとした役割をお願いするだけだ。ユリアナにも良い経験になるに違いないし、そもそも僕がこの経験を独占するのは少しばかり不公平だろう。
なにより、オシプもそう長く彷徨うつもりもないのだから。
オシプは多少の後ろめたさを感じながらも、自身の正当性を重ねがけして言い聞かせるのだった。
昼夜問わずざわめく木々の中でオシプは己の計画を実行するために息を殺していた。
可能な限り静かに歩く。時折無造作に散らばる小枝を踏むたびに起こる乾いた音に驚きそのたびになんてことのないつまらぬ棒きれを忌々しく思わずにはいられなかった。
オシプは逸る足並みを抑えるのに必死だった。オシプは自身を待ち受けるであろう素晴らしき世界を夢見ていた。
その思いは、駆けださないことが不思議なほどであり森を抜け出したらすぐにでも己の理性を心から褒め称えようと思い、思われることに疑いを持たないほどだ。
「ふぅ」
どれほど歩いたかわからない。
しばらく歩き、刺すような風の冷たさも気にならなくほど体が温まったころまでは足取り軽くかった。
しかし、単調な景色ばかりが続けば気も落ち、僅かな背徳感と共に感じていた気の高ぶりもなりをひそめ始める。
月星が天を彩る頃に集落を出たオシプだったが、すでに日は昇り、眩い光が僅かな樹木の隙間を縫って地に突き刺さっているのが見て取れるほどだった。
延々と続くと思えるほどに代わり映えのない樹木が並ぶだけの景色。
そんな深緑と焦げ茶で彩られていたその景色にもついに変化が訪れ始めた。
遠い彼方、木々を包み込むような眩い壁が聳えているのが見えたのだ。
あぁ、ついに。
あの先に新しき世界が。
僅かに、しかし、確かに近づく境界線。その光り輝く景色は、見え隠れしだした疲労によって、幾ばくか衰えだした足取りを、速めさせる。
まるで、今旅を始めたかのように。
疲れなど無いと言わんばかりに。
「広い。眩しい」
オシプは手をかざし、視線の果てに広がる凹凸を図るが、その全貌を全くいっていいほどにつかめなかった。
多少離れ、小さく見える木々の位置。そんなまやかしのような誤差など問題としないほどに物と物との間を正確に把握できたオシプであったが、そんなものがまったくの無意味であると言わんばかりに広々としたその景色に圧倒されていた。
陽の光を遮るものも無い。辺り一面が薄い膜を被ったかのように輝く様も彼を魅了するに十分なものだった。
「あぁ、これは……すばらしい」
後ろに控える、檻のような木々とは違う、牧草、禿げた土肌、岩肌、舗装された道、地平線へ向けて伸びる河。
雑多に果てしなく伸び広がるその光景はこれからの生活を表わしているようだった。
オシプは、その景色を眩しそうにじっくりと眺め続けた。
「しまった」
南の空に陽が高く昇る頃、オシプは気を取り戻す。
このままこの景色を眺めるのは実に魅力的だ。だが、建設的な考えではないと思いなおした。
寝床や食料を確保しなければならない。
そのためにも、集落を目指す必要があるだろう。
行商人が言っていた。町にたどり着けない日々は堪えるものだと。
つまり、町、人がいるところを探し、向かうことが快適の近道であるわけだ。
陽が沈めば視界は鈍り、見るべきものも見逃すだろう。
ならば、より良いうちにやれることをするべきだろうから。
それに、この景色は逃げはしない。
いつかは戻るつもりなのだ。恋しがらなくとも、もう一度見るだろう。
オシプは、そう自分に納得させると、ひとまず舗装された道を目指し歩きだすのだった。
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