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不審火  作者: 近衛モモ
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夏野菜ローカルストア


 田舎に限った話しじゃないが、農業が盛んな場所へ来ると、無人直売なんてものが設置されている。

完全に人間の良心に任せている店もあれば、今時はカメラがついているところもある。

 野菜よりカメラの方が高いので、そのカメラが盗難に遭わないか心配だ。

 火事のあった家から離れ、無人直売のある畑までやって来た。

 時期によって品揃えが変わるが、今日はキュウリとオクラが並んでいた。しっかりと実の太ったものが、透明のビニール袋にギュウと詰まっている。

 キュウリの方を一袋買った。横に取り付けてある木箱の細い穴に、お金を投入。コトンコトンと良い音で落ちる。

 少年を手招きで呼び、畑の横の石垣に座り込んだ。

「はい。キュウリ。」

 覇気のある「ありがとう!」が来て、少年はヘタの部分をかじり取りプッと吐いて捨てると、パリパリといい音でキュウリを食べ始めた。

 塩が無くても案外いけるんだな。子供だからって、なんでもかんでも世話を焼かなくてもいいようだ。

 大人よりは、しっかりしている。

「ナメクジくんは、シラヌイのことを誰から聞いたの?」

「消防士さんだよ。おじさんが、水をあげていたでしょ?」

「他の人にも、シラヌイのこと話したことある?」

「他の人とは話せない。おじさんは、なんで話せるんだろ? 久しぶりで楽しい。」

 キュウリがみるみる短くなっていくので、袋からもう一本出して、少年の膝の上に乗せる。新鮮なキュウリは齧った時の音が違う。パリッ。パキャッ。という感じ。

 この時期は他にトマトも、ナスも美味い。

「もう一度見えないかなぁ…。」

 そうすれば、あのシラヌイというものが現れた場所に火が出ると、きちんと確認出来ると思った。 

しかし、それだと他所様の家の火事を期待しているようで、不謹慎だと気がつく。

「あぁ、ごめんごめん。あんな大きな狐様が、また見えたら怖いよね。」

 慌てて撤回した。キュウリの袋に落としていた視線を、少年の顔へと向ける。


 燃えていた。


 ゴウッと激しい燃焼の音をたて、少年の体が火に包まれている。真っ赤な炎だ。

 服に火がついた程度の騒ぎじゃない。全身まるごと火に包まれて、お尻のあたりの火は青い。

「うわっ…!?」

 驚いてその場から飛び退いた。

 燃えている本人は微動だにしない。石垣に座ったままの姿で、手に持つキュウリも、膝に乗せたキュウリも、すでに真っ黒な炭になっている。

「……っ!」

 声をかけたいが言葉が出ない。

 口を開くと煙を吸ってしまう。もくもくと煙が出ている。熱気と混乱の渦に取り込まれる。

 どうしたんだ?

 どうしたんだ?

「おじさん。」

 と、少年は落ち着いた様子で顔をこちらに向けた。

「シラヌイを追っちゃいけないよ。」

 少年の座高より遥かに高い火炎の最中からでも、はっきりと聞き取れる声だった。炎に包まれていてもまだ、その中に少年の形が見える。

 頭につけたお面も。青い鬼だ。怒りに顔を歪めた鬼だ。

「シラヌイと目が合ったら、次はそのひとの家が燃えるんだ。本当だよ。」

「ナメクジくん、それじゃあ君は…。」

 前にも一度見たことがある。少年は確かにそう言っていたのだ。

 手を伸ばしたが熱気に触れる。少年の頬に届く前に、指先が引っ込んだ。

 轟々と少年を燃やす炎が唸り続け、頭が割れる程の痛みに襲われる。うるさい。地面が揺れている感じがするが、そうではないのだ。

 少年の顔が焼かれ、爛れていくのが見える。肌が真っ黒になっていく。子供が黒いクレヨンで画用紙に人を描いたらこんな感じ。

 歯と眼球だけが白くて目立つ不格好な姿。石垣に座り、ダランと垂らした足も黒い。キュウリを握りしめた手も。

 そして最後に何か言おうと、少年が口を開いた。真っ赤な火の中の大きな口。

「シラヌイは、大きな音に弱いんだ。だから、夜になると木の板を打ち鳴らすといいんだよ。火の用心って。」

 言葉の後半は口の動きすら無くなって、その口は「お」の形に開いたまま動かなくなる。

 でも音だけ出力が別になっているみたいに、少年の言葉は全て聞き取れた。

「ひのよーうじん」

 古いテープのように、最後は音が少し伸びてねじれて、そして火に包まれた少年は消えた。

 凄まじい勢いで燃え上がっていた炎ごと、スンといなくなる。

「はっ…⁉」

 我に返る。

「はあ、はあっ…。」

 汗をかいている。脂汗。

 だいぶ熱気に当てられたので、頭がクラクラしている。ズンと重いタイプの頭痛。

 シラヌイについて語る少年も、その少年を包む赤い炎も、確かに今までここにあったのだ。白昼夢ではない。

 だが、もういない。

 二歩後退して尻餅をついた。足が震えている。力が入らない。

「なんなんだ、今の…。」

 水が欲しいと差し出された両手を覚えている。それだけが鮮明に脳に焼き付いていて、しかし、たった今まで聴いていたはずの少年の声を思い出せない。顔も服装も、急に記憶が遠いものになってしまう。

 手をついているアスファルト。ザラついた感触。眼の前の石垣。その先の畑の土の匂い。キュウリの袋。

 盆トンボが横切っていく。ヒグラシはまだ鳴かない。何を見ていたのだろう。

 くすんだ空の色。三階建ての入道雲。空と雲の境界がはっきりとしている。自分の心臓の音が聴こえる。

 しばらくの間、地面の真ん中に座り込んでいた。

 それから、少し落ち着いて、足の震えも無くなったら立ち上がる。

「うんとこしょ。」

 と、言わないと立てない。良かった。通常運転だ。

 それから墓地に向かった。

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