月明かりと序章
前の投稿からかなり空きましたが再開します。
「すみませーん、梨菜……さんのクラスメイトの七鳥です。プリントを届けに来ました」
「……はい。少々お待ちくださいませ」
インターホン越しに少しくぐもった年配の声が聞こえ、風夏はやっと緊張が解けた。今は放課後。梨菜と付き合いたての頃に交換した、住所のメモを頼りに梨菜の家まで来ていた。
「噂には聞いてたけどその倍以上の豪邸じゃん……。あたしみたいな庶民にはインターホン押すのもやっとだっての」
頑丈な門だけでもわかる、金銭的差。その奥に見えるのは小さな城かというようなそれはもう立派な豪邸だった。パッと見、庭だけでも学校のグラウンドと互角か、それ以上の広さだ。風夏は見た目に圧倒され、到着後、十五分ほど門の前で右往左往していたものだ。
「到着が遅れて申し訳ございません。お嬢様にお渡しするものがあるとのことでしたね。そちらは私がお預かりさせてもらいますのでご安心ください。」
「あっ、えっどうもです。……え、お嬢様ってことは執事?」
「お嬢様にお伝えすることはありますでしょうか」
「あのっ! 梨菜、さんは大丈夫なんでしょうか?風邪とかならお見舞いしたいんですけど」
マニュアル通りの話し方をする灰色髪の執事にペースを乱されながらも、風夏はなんとか持ちこたえる。
「……お聞きしたいのですが、本日お嬢様は学校をお休みになっているのでしょうか」
「え……それって」
ようやく合点がいった。つまり、今日梨菜はいつものように家を出ているが何故か学校に来ていない。そこで浮き彫りになる一つの問題は
「梨菜は……」
「お嬢様の身に何が!直ちに捜索を」
と、風夏が驚きの声をあげようとすると、すぐそばの誰かがそれに重ねるように叫びに近い声をあげていた。
「え、執事さん」
「七鳥様、私は緊急の用事ができました。ですので……」
「あたし! 梨菜を探しに行きます」
「人手が増えるのは結構!」
「じゃあ行ってきます……あ! 梨菜が行きそうな場所で心当たりって」
駆け出そうとしたところで、風夏は足を止めた。
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「梨菜! いる!?」
「───」
あの執事と別れて二時間ほどが経過していた。五月と言ってもまだ辺りが暗くなるのは早い。梨菜が一人で外にいるのかと思うと不安で気が気ではなかった。
「執事さんに教えてもらった場所にも居ないなんてもうどうしたら……梨菜! あたしが何かしちゃったんならあやまるよ、あたしっ梨菜がいないと……!」
半泣きになって、草むらの中でそう叫ぶ風夏の足や腕は、野草でかなりの切り傷ができていた。走り回っていたせいか風夏は激しく息切れしている。もう、体力的にも精神的にも限界がきている。
「──あ」
視界が急速にぼやけ、四隅からじわじわと闇が迫る。ふらついた風夏は誰かに抱きとめられていた。振り返ろうとしたが、体が言うことを聞かない。
「やっぱり来てくれたんだね。一人で寂しかったし怖かったよ」
「……梨奈っ! よかったよお、あたし梨奈に避けられてるんじゃないかって、でも梨奈が嫌なら離れなきゃって、そう思って……っ」
堪えていた涙が止めどなく溢れ出す。探しに来た側がこれでは情けなくて今はまともに梨奈の顔を見れそうにない。子供のように泣きじゃくる風夏の頭を優しく梨奈が何度も撫でてくれた。
「風夏。お願いがあるの」
「な、なんでしょう」
「これからはずっと、ずっと私の隣にいて欲しいの。もう、離れたくない。私だけを見て。ね?」
小首を傾げて『お願い』してくる梨奈は破壊的に愛らしい。でもその瞳はどこか濁っているように感じて。
「梨奈、あたしは……」
「ふふっ。冗談だよ、風夏を困らせたくはないものもう帰ろう。」
たくさん梨奈に聞きたいことはあったけれど、今は彼女の気持ちを尊重しようと、風夏は思う。きっといつか、意思疎通が出来るようになるから。
「……ここまではエピローグだから」
「梨奈? 何か言った?」
「ううん、なんでもないよ。」
恋人繋ぎをして歩く二人の少女を月明かりが照らす、幻想的な夜だった。