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第四十三話/霧義理巣

 アメミヤ・アマツユは大森林内部でも指折りの秀才として名を上げていた。如何なる師の元に預けられようと直ぐにその師匠の技を吸収しては超えてしまうものだから、大森林内でも比類無き天才である私の元に弟子として預けられる運びとなったのだ。


 丁度私もその頃教えていた弟子に逃げられて親同伴の下で頭を下げて辞めたいと懇願されたので手が空いており、これを承諾。剣術・体術共に日々粉骨砕身磨けるだけ磨き鍛え上げた。


「ほら、どうしたんですか? 私に一本入れるまで終わりませんよ。それともアレですか? 秀才ってだけじゃ天才たる私には一本も入れられないので?」


「は、はい。すみません」


 私の剣は無形の剣であり、形も無ければ型も無い自由の剣。流水や風雲と変わらぬため、教えるには打ち合うしかなく、私に負けて劣りはするものの私の打ち込みにそれなりに着いて来れる者は過去一人たりともいなかったものだから、愉しさに心揺れて修行も少々過酷に過ぎたところもあったかもしれないが、耐えられる範囲であった筈である。


 才能を十全に発揮させるのは常に生きるか死ぬかの瀬戸際で、凡才であれ追い詰めた時には私に追い付かんとも追い越しもしないが、それに限りなく近いところまで一時的な急成長を見せることも少なくない。ならば、才能はあっても天才程には足りないアメミヤを瀕死瀕生の状態に追い込み、その際の身体の状態を覚えさせて自由自在に引き出せるように育てれば足りない分を補えるのではないかと考えた私は、弟子をその様に育てていた。


「秀才ならほら、防御防御防御! 今反撃入れられましたよ、集中してください。死んじゃいますよ。私に弟子を殺させる気なんですか? 受け流して、受け流して、はい今入れられましたよね」


「はい。すみません」


 結果として剣技はそこそこ、やたらと防御と反撃の上手い剣士に成長したけれど、追い込まれた時の爆発力を自由に引き出すには至らなかった。良い案だと思ったのだけれど、やはり心のどこかで本当には殺されないだろうという甘えた気持ちが存在していたのかもしれない。

 そんな甘えた気持ちが、あんな事件を巻き起こしたのかもしれない。


 研鑽の日々を何の問題もなく積み重ねていたある日の話である。アメミヤ・アマツユは大森林に火を放ち、逃走したのだ。大森林に住む者は森林外との無用な関係を控えており、無意な外出など許される筈もない。私はそういった者を処罰する立場にあり、その時も私はアメミヤ・アマツユを追った。


 しかし、その時から彼はあの意味不明の火炎を使うようになり、初見であった私は持ち前の天才性を持ってして回避するもその隙を突いて逃げ仰られたのだ。それから私は師としての責任を取るべくアメミヤ追討を申し出、足取りを追って東都へと辿り着いたのであった。


「先生。先生は、外に行ったことがあるんですよね?」


「えぇ、はい。逃げ出した者を捕まえるために何度か」


 そういえば、いつぞやの休憩時にこんな話をしたのだったか。アメミヤの両脚を崩して足腰が立たなくなって、昼休憩を挟んだのだ。


「外って綺麗ですか?」


「……いえ、のっぺりとしていて私は好きではないですね。やたらめったらに寒いですし、ここの方が好きです」


「そんな感じなんですね」


「でも、それを求めて走り出す人もいるのだから人それぞれなんじゃないですかね。貴方も、私の元で学べばいずれは法務官の職に就くことになります。そうすれば、外を見る願いは叶いますよ」


 アメミヤは外に夢を見ていた。

 そりゃ、天才な私と毎日顔を合わせては成長する自らに困惑して新天地に思いを馳せる気持ちがわからないと言えば嘘になります。私とて、努力の一欠片も無しに事を成した本当の天才である兄の妖刀を振り回して過ごして気付いたらこのような天才に育ったので似たようなものです。


「さて、では休憩もこのくらいにしましょうか。午後は体術を交えますよ〜」


「ギャー! 嫌だ、人殺しー!」


     *


 視界は水蒸気の霧で覆われており、対象の姿を映さない。

 思い出されたアメミヤとの修行時代の記憶は今では遠い昔のように感じられて、これ程までに近くにいるアメミヤを私は理解出来ずにいる。この感覚はさらに古く、過去に兄に感じた間隔と同様のものであり、私を置いてどこかに行ってしまう人のそれだ。男というのはいつもこうだ。期待をさせるだけさせて、ぽっといなくなる。天才だからと除け者にして、天才同士でも歩む方向が違ってくる。


 私は期待していたのですよ、アメミヤくん。あなたなら、きっと……だなんて。


「――――――コホッ」


 蒸し焼きにせんと襲い掛かる高温の蒸気の中では呼吸もままならず、そう距離があるとも思えない釣殿までの距離が嫌に遠く感じられる。私にしてみればこの都市の長がどうなろうが知ったことではないのだが、この機会を彼らが用意してくれたのは長を守るためであり、協力関係にある以上は全霊を賭して守護らねばならない。


 能力というものについては二人から聞いた。超常の力をもたらす英雄の遺品、なんて話をこうも簡単に呑み込めてしまうのはあの兄が数多作り上げた妖刀の数々あってこそなのだろう。その中でも真打として鍛造された礫刀は銃器という全く別の武器種を確立し、また大森林内部に大きな戦火を呼び込んだ。天才な私とて、あれを初めて見た時には開いた口が塞がらなかった。大した訓練も無しに容易に敵を屠れるそれを兄は恐れ永久的に欠番にしようとしたが、銃器の最も優れた点は兄のように天才的な腕を持っていなくとも構造を理解し生産出来る点にこそあったのだ。


 兄が極少数の妖刀を私や信頼出来る者に預け、戦場にある全ての銃器を破壊して大森林を後にした後で、各地区は独力で銃器を再現して戦争を続けた。そこで生まれた様々な型は各々で進化を続け、また外交材料として大森林外部へも広がっていった。幸い、大森林内の砂と鉄が無ければ生産するには至らないようで、外で模造品が作られたという話は聞かないが、例えそうであっても今はまだというだけの話でいずれは世に溢れかえることだろう。


 だから兄は死ななければならなかった。世界を混迷に導く、個人収まらぬ天才っであったから。


 だから逃亡者は殺さなければならない。内外どちらにとっても、利にはならないのだから。


 こうして大森林の者が外の主要都市の長へと刃を向けているのが何よりの証拠である。大森林の者は大森林に根を下ろし、朽ち果てれば良い。外の者は外に根差して生きていけば良い。棲み分けが重要なのだ。棲み分けなければならないのだ。姿形が似ていようとも、外の者と私達は異なる生き物なのだから。


「自己の正当化でのみ自らを認められる人間などと、天才の口は存外重いと見える」


 霧の向こうに黒い人影が見える。

 口元を何かで覆っているのか声はくぐもっており人物の判断はつかないが、腰に見えるシルエットに緩く弧を描く鞘を見て、私は咄嗟に切り掛かった。この場で帯刀している者は私とアメミヤ、そしてソウル・ステップの三者であり、ソウルくんの物は直剣であり鞘は湾曲していなかった。となれば残すはアメミヤであり、アメミヤであればここで仕留めるのみである。


 しかし、私の薙ぎは声の主が持つ棒状の何かに阻まれ、受け流される結果に終わった。


「この霧は心の証左。迷い抜け出せぬ悩みが生み出した蜃。抜け出すには、振り切る他に道はない」


「今、忙しくてそんなことをしている暇は無いのですが?」


「安心すると良い。彼奴とてこの霧は予想外だろう。追い越すも追い越さないもお前の心根次第だ。天才ならば、秀才よりも早く霧を晴らせるはずだ」


「何をぅ⁉︎」


 この影の言を信じるのであれば、私のみならずアメミヤもこの霧に飲み込まれているということ。ならば、この霧もアメミヤの火炎同様の能力と見るべきであり、ともすれば知識に乏しい私の不利は明白。さりとてこれは好都合とも言える。こうして私とアメミヤの足止めがされている今、ソウルくんが長を保護すればアメミヤに殺される危険は大幅に減少する。

 とは言え、いち早く脱出しなければなるまい。ソウルくんの腕ではアメミヤを仕留め切れないのだから。


「いいですよ、ドーンと来なさい。私は類稀なる天才ですからね、困難なんてものはありませんとも」


「……そうか」


 素っ気ない返事をして霧の中に姿を消した影は三歩も水音を響かせると完全に見えなくなり、周囲を濃霧に囲まれた中で私は孤独となる。目を瞑り、視力以外の感覚野を持ってしてアメミヤの姿を探らんとするが、霧は視界だけでなくあらゆる感覚を外に放つを禁じているらしく、気配の鐚一文も感じられない。


 こんな静寂、こんな空虚、こんな安寧は酷く久し振りに思える。家族の待つ家に帰っても、これ程までの安らぎは得られない。


 大森林の外から来た父と大森林で生まれ育った母が婚姻したのは、他に類を見ない出来事であった。その際、父の連れ児として同時に家族の一員となったのが兄さんらしく、父を借りで失っていた私と兄さんの出会いはその辺りだった筈だ。


 兄さんは初めて会った時から常に無愛想であり、当初はそんな兄さんを恐れていた私であったが、火に呑まれ鉄に触れるようになった兄さんとは刃を通してわかり合えた。兄さんは手先は器用なクセに人間との関係が不器用なだけであり、いつも無愛想なのはどう接するべきなのか思案しているためと言うだけで、ただその判断が異様に遅いだけなのである。


 ふと、あの頃を——四人で過ごしていたあの頃を思い出して笑みが溢れた。もう二度と戻れない、私が砕いたあの平穏を。


「どうしたの木小。楽しそうね」


 そんな聴き慣れた声にハッと目を開けば、そこには霧は既に無く、見知った光景が広がっていた。


 眼前の料理は肉を中心としてバランスの取れた品々が並んでおり、そんな食事が盆に乗せられている。直径一メートルはあろう円卓は輪切りにされた樹木であり、中心からやや逸れた位置にある年輪の最小部を私はよく知っている。


 声の主の方へと目を向ければ、そこには外の基準で表せば二十代後半程の外見年齢の女性がおり、それは紛れもなく母であった。その隣にいるそんな母とは正反対に少々痩けた方に皺の刻まれ始めた額を露わにする男性は父であり、静かに微笑む様子は正真正銘の証と言える。家に帰れば当たり前にある光景だが、しかしそんな当たり前の中にごく当然に差し込まれた異常。


「飯が美味ければ笑顔など直ぐに生まれるものだよ」


 母の向かい、私の左隣で当然の如くご飯を口に運ぶ兄がそこにはいた。それもあの頃の姿ではなく、つい先日川沿いで出会い私が切った姿でもなく、真っ当に成長した大人としての姿で。


「何? ああ、食べる?」


 受け入れ難い現実にじっと兄を見つめていると、兄さんは可笑しそうに微笑んで自分の皿から肉を何切れかこちらに移してきたのだ。意味不明が過ぎて漠然とそれを受け取ってしまったが、反射なのだろうか、私は席を立ち椅子の背もたれに手を掛けると一歩踏み込んで兄さんの右腕に向けて勢いよく振るった。


 兄さんは咄嗟に防御姿勢を取ったようだが、勢いまでは殺せずに吹き飛ばされて、卓上の料理をぶち撒けながらも転がっていく。このままここに居たら頭がおかしくなるのは明白であり、既に私の天才性を持ってしても処理の追いついていない現状に心配から兄に駆け寄る両親を尻目に家を飛び出した。


 訳もわからずに走って走って、冷静になり始めた頭でどこに向かうべきかを考える。家にはもう戻れない。どの面下げて戻るのだって話だし、何よりも私自身が戻りたくない。かと言って他に逃げ込むような場所は兄さんに知られているし、知られていない場所なんて政務関係の場所だからこんな顔を晒せない。爆発しそうな頭で思い付いた場所に一瞬足がブレーキを掛けようとするけれど、今立ち止まるともうその場所には逃げ込めないと察して無理矢理に一歩先に出すとその後はすらすらと足が進んだ。


 大森林の最深部。入り組んだ根や蔦が生い茂るこの場所は凡才の人々では到底足を踏み入れられない場所であり、踏み入れたのであれば残す選択肢は死ぬ以外に他無い。そんな大森林の中でも禁域の森とされている場所には、古びた神殿が存在している。


 ひび割れた岩には苔や雑草が生え、蔦に塗れて全体像は見えない。崩れそうになる壁面からは樹木が伸びて支えており、人工物であるはずの神殿は長い年月を経て自然と一体化し、共生の関係を結んでいるようにすら見えた。


 細心の注意を払いつつ神殿に足を踏み入れて、壁に背を預け蹲る。神殿近くは特に暖かく自然豊かな地であるものの、それは同時に自然の過酷さをも呼び寄せるものであり、気を抜けば死という狩人はいつでも私を喰い散らかすだろう。


 影は言っていた。

 霧は迷いであり、これを振り払わなければ抜け出せないと。では迷いとは何か、私がここを抜け出すには何をすれば良いのか。


 わからない。私は一体何に迷いを感じているのか。


 アメミヤを討つことだろうか? いや、アメミヤはしてはならない大森林への放火なんて行いをしたのだ。迷いはない。あれでどれだけの被害が出たのか思い起こせば当たり前の末路であり、これで済むだけ温情と言うものだ。


 他に迷うような事柄などと……東都の事件に手を出してしまったのは失態であるが、アメミヤを追い詰める過程で多くの被害を出すに至ってしまったのもまた事実であり、ここにも迷いなどない。せめてもの償いは現在進行形でしているし、許せとは言わぬまでも呑み込んで頂きたい。


「……私は、何を」


 二進も三進も行かない膠着状態に呆れ果てて、弱音が出る。


「何を悩んでいるんだ」


 誰に言うでもなかった泣き言に反応が返ったものだから驚き、声の主に睨みを飛ばしてしまうが、声からしてわかっていた人物は兄さんであり、薦めてもいないのに勝手に傍らに腰を下ろす姿勢もまた紛れもなく兄さんの動作であった。あり得ないはずの、私が切ったはずの兄。恨みがないと言えば取り繕えない程の嘘になるが、私の行為は正しい行いであったと胸を張って言えるものであるのだから迷いはない。


「兄さん……」


「気にしなくていい」


 ふっと微笑んで私を許す兄さんに、私は異物感を覚える。そして、これこそが家でこの非実在青少年であるこの兄さんを攻撃した理由だと察する。

 あり得可ざる兄さんの姿から、私は無意識に自衛を行ったのだ。その光景は、驚く程に幸せな未来予想図であったから。


「何か、あったのかい?」


「い、いや……何も」


「何もな訳ないでしょ。わかるとも、俺は君の兄ちゃんなんだから」


 そんな言葉は投げかけられた覚えがない、知らない兄の姿。あの霧が作り出した幻覚であるのは疑いようが無いのにも関わらず、幻覚を自覚していても醒めない幻は最早現実と大きな違いはなく、能力というものの厄介さを身に染みて感じる。


 迷いに検討は付かない。逃れる術がないのであれば、ここでの問答が何かヒントにでもなるのだろうか。

 そう考えた私は、この兄ではない兄に対して質問を試みる。


「兄さんは、妖刀を造って後悔したことはありますか?」


 質問に意味はない。

 ただ、頭に浮かんだ疑問を口にする。


「後悔……? まあ、したことはあるよ。礫刀があんな使われ方をするとは、まるで考えていなかった。ただ、狩りがもう少し安全に行えるのならば……と考えて生まれた物なのに。いやさ、獣を殺す膂力があるのだから、人なんてより簡単に殺せもするだろうとは考えるべきだった。あれは紛れもなく、オレの失敗だ」


「失敗?」


「うん? 失敗でしょ? そうだね、整備性を考えて機構を単純化し過ぎたところが敗因かな。やはり刀程に手が掛かる方が使用に抵抗が生まれて抑止力として成立するんだろうね」


「はぁ……」


 明確に、理解する。

 この幻影が兄さんではないことを。

 本物の兄であるのならば、礫刀が銃器として改悪化されて運用されている事態にそんな感慨は覚えない。覚えたとして、そうなるかと鼻を鳴らす程度ならのはずだ。ましてやそれを私に吐露するなんて、あり得ない。


「貴方は、一体誰なんです」


「サキハラ・テンケツだよ。わかるだろ?」


「いいえ、貴方は兄さんではない。なぜなら、天才たる私の天才たる兄さんならば失敗なんてしません。ただ、天才の思考に劣った凡人共が失格だったに過ぎないのですから」


 そんな凡人達が兄さんの道行を閉ざし、栄光の道を瓦解させた。

 世を平定させるのは私のように一代限りの天才的な武力ではなく、兄さんのように後世に脈々と残り続けて発展を支える技術であるのに。担い手が兄さんの技術を武力に変質させて、名声を落として自ら大森林を後にする事態を作り上げた。


「かも、しれないね。オレはオレでしかないけれど、実のところではオレは誰でもありながら誰でもない……君がオレをサキハラ・テンケツであれたしと定め、しかして否と言うのであれば——」私が兄さんではない兄さんを否定すれば、私の隣に腰掛けた兄さんはまたあの不気味な微笑みを浮かべたと思えば全身を霧で包み。「——天才たる私と相対するのだから天才たる私が相手をしましょうか」


 私に成り変わった。

 プリティーな大きな瞳も、艶やかな黒髪も何を取っても私自身の姿であり、私でしかない私が眼前には存在している。悪辣な、と吐き捨てたくなる気持ちに苛まれたものの、刹那、認識した世界の変化に私はそれどころの精神状態ではなくなった。


 石造りの大門が佇む広場に横になった私に、私が馬乗りになっている。私は私を見上げていて、私は私を見下ろしている。遠くに聴こえる騒ぎの声が否応もなく今がいつなのかを思い起こさせて、最早見るに叶わない弟子の背中を幻視した。

 大森林の火災……アメミヤが逃げ出したあの時で間違えない。


「無力なものですね、私は。兄さんの時と言いアメミヤくんの時と言い、己の知らないところで進んだ事態に追いつけない」


 馬乗りになった私の瞳が急接近する。

 私は逃れられずに瞳孔を覗かれて、見透かしたように嘯く私の瞳から逃れられずに知ったような口を叩かれるがままに叩かれた私は、その言葉が心の隙間に刺さり、揺らされて切開を始めた。ひび割れた心は天才であれ平等に脆く、目頭が熱を持ち始めるのを必死に抑える。


「確かに私には迷いはない。ただ、既に出た結論を自らに適用したくないからと隠匿した。けれど私は心の奥底では口にしたいから、その齟齬が迷いとして蜃に呑まれたんです」


「そんなものは……」


「わかっているはずですよ、貴女は私なんですから」


「私が貴女な訳が……」


 ない、と言い切れなかったのは私の眼前にいる私が覗いてくるからか。

 姿が同じであればそれは紛れもなく私であり、しかして私こそが私であるのだから眼前の私は私ではない。では私とは何を持ってして私であるのか、という疑問も浮かぶが私が私なのだから疑問は疑問ではないか。


「兄さんが『また後日』なんて当たり前に言って大森林を出て行って、アメミヤが『自由になりたかった』と言って脱走した。貴女はいつも置いていかれる側で、見送るだけ」


 煩い。私の癖に、私を知ったように。


「貴女はいつでも独りぼっちで、兄さんのために刀を扱い、皆んなのために戦っていたら天才と持て囃されて分けられた。ホントは皆んなと変わらないのに、天才な兄さんの隣にいるために天才になっただけなのに」


 やめて。私なら、私に知ったような。


「そんな兄さんは先に行って、私には天才だけが残された。二人ぼっちなら耐えられたのに、私は自分の首に縄を括って足場を無くして一人っきり。誰も私をわかろうとしないし、隣に立とうともしなかった」


 黙ってよ。私を、私ならわかってよ。


「だって天才だから。天才と凡才は違うから」


 だけど、


「だけど、アメミヤ・アマツユは秀才だった。だから特別目を掛けて、特別厳しく、特別強くなれるように教え込んだ。でも、そんなアマツユはその力で自分の欲しいものに手を伸ばして」


 また私の前から消えて行った。


「もう、わかる筈だよ私なら。心の鎧はもう砕けて、後はもう布地だけ。脱ぎ捨てて、裸になってしまえばいい。そうしたらもう、お終いだ」


 口に出したら折れる。決定的に、大切な芯のところが折れてしまう。

 私は私が駄目になるってわかってたからこれを隠して、私は私が駄目になるってわかっているからこれを引き出そうとしている。やはり、この霧は敵からの攻撃で間違えない。だってこんなにも、私を追い詰めてくるのだから。


 それでも、喉まで競り上がった吐瀉物のような感情は最早嚥下出来るものではなく、飲み込もうにも飲み込めない思いの丈はか細く、しかして微に入り細を穿つ雨垂れとして私の心をへし折った。


「…………私が皆んな護りますから……誰か、私を守って下さい………………」


 そこには、ただの少女だけがいる。


「サキハラさん! 大丈夫ですか⁉︎」


 眼前の私どころか霧も晴れて、後に残ったのは蹲って鎧を失った私だけ。そんな私を、ソウルくんは必死に揺さぶってくる。


「ディアノさんは逃しました。それで、霧が晴れたらサキハラさんとアメミヤが……その、動かなくなっていて。何が、あったんですか? 立てますか?」


 心配そうな声色で問うてくるソウルくんに、私は何も返せない。立ち上がれない。

 私は、無意識の内にソウルくんに縋り付いてその胸に顔を押し当てる。ソウルくんはギョッとしたように一瞬声を上げたが、その後、優しく私を抱擁してくれた。暖かいものに包まれて、ソウルくんの心音に耳を澄ませて、それに私の心音を同期させてゆく。


 トクン、トクンと脈打つ鼓動は動いたばかりであるからだろう。早鐘を打っていた。


「サキハラさん、大丈夫ですか?」


 ソウルくんの言葉に、私は胸の中で首を振る。

 もう強さが見せられなくて、恥も外聞も気にせずにこんなことをしている私が嫌になる。


「そうですか……でも、大丈夫ですよ。ここには、俺がいます。サキハラさんは休んでてください。俺が、終わらせてきますから」


 優しく私の肩を掴んで起き上がらせたソウルくんは、ふっと穏やかに微笑み、立ち上がろうと姿勢を前傾に動かす。


「いえ——」咄嗟に突いて出た言葉は、しかし、否定の言葉であった。「ソウルくん。これは、私の仕事です。でも、その……隣に、居てはくれませんか?」


 立ち上がったソウルくんの袖を掴んで引き留めて上げた声に、ソウルくんは目を丸くして、そして細めて柔和な笑みへと変化したと思えば「はい。勿論です」だなんて簡単に言う。ヴァン・アストライアなんて狂犬じみた殺意を滲ませる人がどうして彼の隣にいるのだろうか、なんて考えていたが……成る程、納得だ。


 差し伸べられた手を取り、立ち上がる。

 立ち上がっても手を離さずにいると、ソウルくんも一度緩めた手に再度力を込めてくれたものだから、私はもう大丈夫。空いた逆の手を前に突き出して、唱える。


「十二の盟約、十二の封、輝ける星夜はここに沈む。


「このキショウの手に飛翔し帰還せよ。


「それは今、ここに、私達を護る糸となる。


「天焦がす日輪を連れて走れ。


「栄光なれ潭月、流転する宝玉・七色宝物よ」


 空を斬る炸裂音と共に飛来した始まりの妖刀である七色宝物は私の手元に収まり、その動きを停止した。兄さんの手に握られたまま川に落ちられたものだから戻ってくるか少々不安に感じていたが、どうやらこの妖刀は見る目がある奴らしく、生産主よりもこちらの天才を選んだようだ。


「あぁあ……」


 呻き声を上げてアメミヤが起き上がるが、もう迷いはない。

 足を下げ、七色宝物を握った腕をうんと引く。頭と同じ高さに構え、引いた腕と逆の手では今尚ソウルくんの手を握っている。


「十二の盟約、十二の封、新たな朝日はここに昇る。


「このキショウの手を離れ飛翔せよ。


「それは今、ここに、お前達を喰い散らす。


「黄泉の洞を潜る時が来た。


「栄華なる光輝、流転する宝玉・七色宝物よ」


 下げた足を踏み出し、一気に腕を放つ。

 投擲された七色宝物に流石の反応速度で辛くも避けるアメミヤであるが、一度放たれた七色宝物は相手を穿つまで飛翔する。弧を描き軌道を修正し、再び速度を乗せて突撃を始めた。


 七色宝物はその悪辣な性能から十二ヶ条の封印が施されている。その条約の過半数を満たしていなければ発動出来ず、現在満たしている条約は六つとギリギリではあるが、完全開放は必要ない。


 そして終に——七色宝物はアメミヤの後頭部に激突し、頭蓋を砕き、脳味噌を飛び散らせた。


 張った糸のようにシンと静まり返った空間内に、血の滴る音だけが響いている。

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