第四十二話/非理感情
争いの前というのは、どうしてこんなにも静かなのだろうか。陽も沈み、シンと静まり返った中で俺はふと思う。
東方聖堂は庭園。池を中心として白砂の敷かれた庭には自然石や草木が生えており、ふと庭に目を向けた際に自然を近くに感じられる作りをしている。一見見晴らしの良い風に見える庭ではあるが、その実で自然的な起伏や草木の藪が多く身を隠す場所には困らない。一般公開はされておらず、東方聖堂で働く人々の心安らぐ一時を演出するためただそれだけのために存在しているこの庭園は此度の襲撃事件での迎撃ポイントとして最適の場所と言える。
襲撃のペースはおよそ二、三日後。今回は既にその期間を過ぎており、またサキハラさんが渋々と言った風に語った情報によれば東都の土地勘で後手に回っておるサキハラさんはオレガノらに大きな被害を出せていないとのことなので、いつ襲撃を受けてもおかしくは無いということになる。
池に迫り出した釣殿に構えるディアノさんは、お猪口を手に横の女性に注がせて庭の風景を眺め浸る。その女性というのは衣服を着替えて化粧を施したヴァンであり、元々中性的な顔をしているために整えれば俺もドギマギしてしまう美女へと変貌を遂げていた。潜入の技術として男にも女にもなれると豪語するだけのことはあるな、と最初は素直な関心を覚えていたが、こうしてディアノさんの隣に座り光源の炎の赤に照らされて、白い肌はまるで紅葉樹のように色付いているヴァンの姿を遠目に見ていると、その変装技術への関心などを押し殺して「美女だな……」と言葉に表せない感情が沸々と湧き上がってくる。
遠目に——そう。俺は今、ヴァンの側ではなくあいつを遠目に見ているのだ。庭園の藪の中に身を隠し、襲撃の来襲を今か今かと待ち侘びている。
そんな中で緊張の糸を張り続けるともいかずに、俺の視線は自然、釣殿に惹きつけられる。楽しげに陽光を反射して輝く緑と星海のように照る水面を見ながら酒を飲むディアノさんに、くすくすと軽やかに笑みを浮かべてディアノさんを立てながら酒を注ぎ話を聞きつつも拡げていくヴァン。これも殺し屋の技能の一つなのだろうな、と想像は付けども並みの芸者を超えるとも劣らないその様子は本心を包み隠さずに表してしまえば羨ましいと言わざるを得ない。それが例え殺し屋であれ、ヴァンであれ、一度清貧の心を忘れ溺れてみたいと思うのは男のサガであろう。
何とも言えぬ心中の蟠りを感じながらも逸れた意識を持ち直した瞬間、サリッという砂を踏んだ際に鳴る短くも通る音が庭園内に静かに響いた。
音がしたと思われる方向に慎重に気配を隠しながらも視線を向ければ、そこには目深にフードを被った小柄な体躯の女性とやけに目立つ白縫の狩衣に身を包んだ三白眼の男が並ぶ姿が見えた。二人の視線は釣殿、その上で酒を煽るディアノさんに向いている。
「昼間から酒とは……酷い体たらくだな、ノーマン」
憎悪を多分に含んだ噛み締める声を上げながらもフードを持ち上げた女性オレガノ・ストロンガーは、ただ一点、ディアノさんにのみ視線を向けている。短く刈り上げられた亜麻色の髪は豊作の麦畑を思わせて、睨み付ける翡翠の瞳ときつく結ばれた口元はその畑の終焉を伺わせている。
復讐者の気持ちを、俺とてその一端に指を掛けるものとして知った気になっていたけれども、あれは違う。僕のものはあれ程までに肥大してはおらず、この心にあった復讐を乗り越え成長するための大いなる壁と心得た精神は彼女の飛び降り身を焦がし死ぬる崖とは根本から異なっている。なぜもっと周到に準備をして挑まないのか、疑問の答えは出た――その後がどうなろうと彼女には栓なきことなのだ。彼女にとってはピリオドで終わりなのだろう。
そんなものなのか、復讐なるは。ヴァンのものも、これだったのだとしたら……合点がいく。間違っていたのか、俺の復讐感というものは。スポーツの試合で負けて「悔しい。次は勝つぞ」という感情こそが復讐心だと思っていたが、そんな青々とした泗水ではなく燃えたぎる鬱屈とした感情をこそ復讐心と呼ぶのか。
「オレガノ・ストロンガー……お目見えは何度目になるかな? 幾度のご足労痛み入るね。これ程までに君のような美女にビジネスライクを抜きにして想われるなど、この二十幾年の内で初めてだとも。喜ばしくもないヘドロだが、酸いも甘いも嚙み分けるのが大人、司教の立場というもの……もうそろそろ、終わりにしようじゃないか」
お猪口を脇に置き、尊大な笑みを浮かべながら庭に立つ二人を釣殿から見下ろしていうディアノさんの煽りに乗せられたオレガノは、より一層に顔を歪ませる。飛び出す程には神経を逆撫でられなかったが、平常心を失うは戦場に在ってはならないもの。復讐か人生か、戦いなどありはしなかった幸せなものであったと見える。
ディアノさんが腕を持ち上げて手を二度打ち鳴らせば、隠れていた衛士隊がずらりと十二人円弧を描き彼女らを囲んだ。その手に握られた筒棒は反撃の機会にとディアノさんがコツコツと集めていたらしい銃器であり、大森林を発祥とする銃器を短い期間で集められるのは東都という立地あってのものと言える。西都では不可能であろう。
「銃などと……これでは武の腕で西都に、大森林に負けたと明言するもの。東都の貴族として恥ずかしいわ」
「おや、君もジョークを言うのだね。いやはや、禍根を残して潰えたストロンガーが今尚貴族を名乗ろうとはね。センスの良い、かなり大爆笑なネタだ。帰って芸人にでもなってはどうかな?」
「口で人を殺すものが将来を語るとはなぁ!」
「口で人を殺す力を権力という。君らの威光は私には届かない」
ディアノさんが号令のため腕を持ち上げんと構えた刹那、沈黙を貫いていたアメミヤが高速に腰のホルスターより拳銃を取り出して射撃する。向かう弾丸は炎を纏い、辺りを瞬かせると釣殿との間直線上に存在するあらゆるを焦土に沈めた。
「行け、オレガノ! 願いのために!」
「道の舗装ありがとうね」
囲んだ衛士の一人は焼け、その左右二人も熱に怯えて動けはしない。また残る九人も駆け出したオレガノを狙うべきか眼前のアメミヤを撃つべきかで混乱し、しかして釣殿に立つディアノさんは炎に視界を妨害されて見えず支持も無事も仰げない。
動けずにいる衛士達を侍らせながらもアメミヤは動かず、ただオレガノの進む道を見届けていた。
そして、俺達は駆け出す。
「あんれ、まあ。お熱い想いもありんすね」
炎が途切れ、釣殿上が映るとそこにはディアノさんを背にして扇を広げる芸者の姿が。赤い着物は鮮血を思わせ、普段との口調の違いに一体誰だと笑いを誘う絶世の美女に転じたヴァン・アストライアがそこにはいた。
同時、俺と真向いに身を隠していたサキハラさんは藪から飛び出してアメミヤに打ち込む。左腰からの抜刀で前後を挟む回避困難な形ではあったものの、鍛錬不足、俺の方が甘いと見抜かれ一気に跳ぶと刃を回避して俺の左頬を蹴り払った。勢いをつけた剣を急に戻せるはずもなく、衝撃に流されて身を崩し土を食む。受け身を巧く取れずに転がされたものだから只の一撃で相当のダメージを貰ってしまったが、まだ立てる範囲と己を奮い立たせると両手を地に突いて身を起こす。
俺の無様な姿を皮切りに囲んでいた衛士らは身を翻して退散し、釣殿に構えるディアノさんの元へと後退した。
『作戦は単純。まず餌のディアノを見えやすい釣殿に配置。警護は僕が務める。釣殿から池を見据える直線ルートの突き当り、塀のこの辺りを超えての侵入が簡単なように警備を配置して誘い出し、侵入させる。侵入してきたオレガノは、ノーマン……とにかく煽りまくれ。んでもってその隙に周囲に隠れさせていた衛士で取り囲む。煽りまくってオレガノが突撃するようならばオレガノは通していい。でもアメミヤが来るんでも通してしまって構わない。二人同時に来るようなら、後先はいいから左右に控えていたソウルとサキハラが でアメミヤを挟撃しろ。一人がノーマンを狙って釣殿に来たら——』
駆けたオレガノは釣殿の端に手を掛け、勢いよく舞台上に登ると同時にその姿を消し、残ったのは扇を開き恐らく歪んだ口元を隠すヴァンのみである。
『——僕がグドゥグドァの【エゴロック】で封じる。結界に入ったのがアメミヤなら二人に任せる。オレガノなら僕が行く。囲んでた衛士達は戦闘が始まったらノーマンを守る奴がいなくなるから釣殿に集まって全力で守れ』
『応ッ‼︎』
思い出される作戦概要。
戦線から降ろされた者の責務として視線を釣殿に向ければ丁度オレガノさんが釣殿に乗り込み結界内部へと消えていき、安心感に一呼吸する。作戦は被害を出したという点を除けば現状想定通りに進んでいる。問題らしい問題は俺がサキハラさんとアメミヤの争いに着いて行けるか否か、その程度であり、そんなものはあれこれ口にしたところで埋まりはしないのだからただいつも通りに今自分が出来る最善を尽くして必死に喰らい付くしか他にない。
体勢を立て直して切り結ぶ二人の方へと視線を戻すと、既に互いの領地を奪い合う剣の応酬は進んでおり、一目の内にサキハラさん優勢であると見て取れる。サキハラさんの太刀筋は無形。対するアメミヤもサキハラさんの弟子というのだから無形ではあるものの、才能の差異か経験の差異かあるいはその両方か。アメミヤの取る手はその全てをサキハラさんに読まれ、対応されている。
柄を握り直し、右腰に構えて加速を練る。次第次第に心拍数が上がっていくのを感じながらも息を深く吐き出して、割り込む隙を見極める。
右肩口で構えられた刀は横一文字に振るわれ、流水のしなやかな動きで右腰で構え直され切り上げが繋げられた。辛くも一撃目を肩まで上げた握りで斜に構えたアメミヤであったが続く切り上げで下から刀身を掬い上げられ、両腕を上げた無防備な姿勢を強要される。そこへ勢いを殺さず一回転して先程のように右肩口で再び構え直したサキハラさんの、しかして先程に比べ上体を深く沈み込ませた構えから放たれた高速の切り上げが放たれるも、アメミヤはこれを左脚を退げることで避けた。だが、空を切った切り上げは返す刀で逆袈裟に振り下ろされ、これを右脚を退げて薄皮一枚に避けたもののまたしても勢いを活かすべく身を翻したサキハラさんは軸足とは逆の左脚を深く前に出すと共に横一文字に切り、初撃時と同じく切り上げに繋げるに留まらず返す刀で逆袈裟、更に返す刀で袈裟、再度勢いを活かすための回転を行いながらも身を屈め超低位からの切り上げと繋げた。
しかし右脚を退げての回避を行ったアメミヤの腕はその時点で舞い戻りつつあり、逆袈裟を握る手の数ミリ横でどうにか受けると横一文字を左拳を押し込んで中段を左にずらした構えで受け流し、切り上げを右手を押し込み、更に逆袈裟を逆切り上げで迎え打たんとするもサキハラさんは刃同士が打ち合うと同時に撫でるようにアメミヤの刃の上を自身の刃に走らせると右に袈裟の構えを取るものだからアメミヤは切り上げた刀の握りを緩めて刀身を倒し左腕に沿わせて袈裟を受け、その時点で一気に後ろへ跳んだために最後の切り上げを間合いの小指の爪一枚分外でやり過ごした。
「ッゥ——あいも変わらずですね、先生。滅茶苦茶だ。でも、もう……いいだろ! いい加減しつこいんですよ、アンタって人はァ」
「しつこくもなる。何を当たり前なことを言っているんだ」
怒りを露わにするアメミヤの叫びを聞き届けるサキハラさんを傍目に、一気に踏み込んだ俺は加速した身体に引っ張られながらもアメミヤ一点に集中し、通り去り際、一閃を放つ。が、しかし接撃の既ででアメミヤは俺の接近に気が付き、自ら後ろへ倒れてこれを回避した。
「そして君は何だ。ここの人間じゃないだろ。無関係なのだから踏み込んで来るな」
「生憎と因縁はありましてね」
加速を終えながらも両脚を踏ん張り速度を殺して停止してから振り返れば、既にそこには睨み合い間合いを縮める二人の姿があった。
今回、俺は攻撃の命中を意識し過ぎて加速を解くのが遅れた。そのせいで速度を殺し切るのに時間が掛かり、今の一手遅れる展開になってしまっている。俺はサキハラさん程アメミヤと因縁がない故に蚊帳の外になっているが、真剣に相手をされたら負けは確実。堅実にならなければいけないと思い過ぎて普段と違う行為を行なってしまったが、逆に普段通りを意識しなければならないのだろう。
サキハラさんの邪魔はしないように。しかして確かにアメミヤに自身の存在を意識させる。
行うのはサキハラさんの支援。一点、ただ一点を意識して行動するとしよう。
再び加速を練り始めながらも二人の接近を見届ける。ゆっくりとした足取りで距離を詰める二人の間合いが重なるや否や、踏み込みは鋭く、サキハラさんの流水の剣は打ち潮のように跳ね上げられた。アメミヤは反応速度で後れを取ったものの恐らく勘で動き、サキハラさんの刀を上から抑え込む。
サキハラさんの明確な弱点として、その体躯の小ささが挙げられる。百五十あるかないかの身長はリーチと共に取れる選択を狭めさせ、またアメミヤのように知れた相手には予測を可能にする。サキハラさんの身長では上段での攻撃を行ったとして着撃するのが速度が乗り切る以前になり、上段の持つ破壊力を十全に活かし切れない。それ故に初撃を中段と下段に頼らざるを得なくなる。口惜しいものだ、出来ることならばこの身体をくれてやりたい。
上から合わせたアメミヤの刀は刃を擦り合わせながらも滑り、鍔迫りに移行する。薄々気付いてはいたが、こうして鍔迫りになって初めて確信する事実は至極純粋なものであり、性別による筋肉量の差と生まれによる身長差という自身では抗えない二点が浮き彫りとなった。しかしサキハラさんは刹那の鍔迫りの末右手を引いてアメミヤの刀を流すと柄を握る拳を柄頭で打ち逆袈裟に切り下ろす。刀を流され前傾になったアメミヤではこれを躱せず、左肩に大きな傷を許した。
続けて逆切り上げを続けんと構えたサキハラさんであるが、更に自ら重心をずらして今しがた切開された傷をものともせずに肩から地に着いて転がることで間合いの外へと逃げ遂せる。俺は地を蹴り、アメミヤの起き上がりに合わせて剣を振るう。振るわれた剣は吸い込まれるようにしてアメミヤの右肩目掛けて空を割き、着撃、刃の出ていない剣に速度を乗せたために生まれた破壊力は切断ではなく打撃による孫芸を与え、触覚としてアメミヤの上腕骨を砕いた。
着撃と同時に加速を解いたために今度は速度を早く殺せ、先程よりも早々に振り向けば左手で肩を抑えるアメミヤにサキハラさんが接近している。右肩に担ぐように構えたるは兜割り。右手で刀を握るアメミヤは右肩を砕かれ満足に防御も取れないだろう。だが、これで終わるのならば事態はこう長続きしていないはずだ。再び加速を練りながらも右肩に垂直で剣を構えてサキハラさんに続く。
アメミヤの左手が肩から離される。続く行動は容易に想像がつく。だらりと垂らされていく手は肘に当たるや否や右腰のホルスターへ機敏な動きで伸ばされる。ではどちらが狙われるかなど愚問だ。引き抜かれた拳銃は正面に迫るサキハラさんに構えられ、トリガーが引かれる。鼓膜を揺るがす嬌声と目を眩ませる光量を持って放たれたのは雪崩を思わせる火炎の津波で、サキハラさんは蛙ラーメンでも見せた瞬間移動じみた高速軌道でこれを避けるものの、無理な軌道にバランスを保てず、炎の直撃は受けなかったが横受け身で地面に伏した。立ち上がり、駆け、構え、打つには数秒を要する。その間、アメミヤが大人しくしているハズもない。
射撃の二秒後、アメミヤを間合いに捕らえた俺は引いていた肘を開放し垂直に剣を下ろす。十分に練っていないとは言えど加速の乗った剣であり、速度は放たれた矢に匹敵する。けれど、だというにアメミヤは俺の剣を避けもせずにこちらへ向き直ると座位のままで袖口を掴み、投げた。
空が見えたと思えば背中に鈍痛が走り、肺に蓄えた空気は自分の意思とは別に吐き出される。目が回る。状況が理解出来ない。
受け身など全く取らずに投げられたがためにダメージが大きいけれど、動かない訳ではない身体を痛みを噛み殺しながら動かして身を起こす。視線を上げればそこには銃口があり、黒々としたその奥には見下ろすアメミヤ・アマツユの姿が映る。
「よく頑張った。才も無いのに。だが無意味だ」
指は既にトリガーに掛けられている。死は眼前、確実なものとして脳裏にチラつく。
もう終わりか、と心の奥で呟く俺がいる。諦観の感情からか、特別恐ろしくは感じない。けれど、焼死はすぐに死ねなくて痛そうだから嫌だな。どうせならば、ヴァンのあの刃で……苦しみもなくサパッと死にたい。
トリガーが引かれて、煌々と輝く炎が上部を掠める。俺に近付き、そして一秒とせずに頭をぶつけたものは柔らかく、暖かさを有していた。
「グゥッ……アッ……」
呻き声を上げるアメミヤは血に伏して、俺はゴロゴロと活発に働く内臓の音を鳴らしている腹部から顔を離して腹上に腰掛け、マウントポジションを確立する。
「名付けるならばそう——直線ミサイル快速頭突き!」
「天才的なセンスの無さですね」
アメミヤに投げられて尚も加速を解かずに残して、機を伺って気を衒って行った四つん這い状態から地面を四肢で蹴り直線軌道で相手に頭突きを放つ俺の新技に対して、サキハラさんは辛辣な一言を投げ掛けてくる。俺としては追いつかない意識の中で剣を振るうよりも大分使い勝手の良い技に思えるのだが、やはり邪道だろうか。だが邪道さではヴァンには劣るし、こうした奇妙奇天烈摩訶不思議な戦法は虎穴にて閃いてこそに思うのだけれど、センス無しか。そうかぁ。
悶々と考えている間にサキハラさんは未だ握り続けていたらしい拳銃を手を蹴飛ばすことで放させて、刀も銃も落とし完全な無力化を成功する。これでアメミヤは恐るるに足らないし、残すところは結界内のヴァンのみとなった。
「見るに君のその変速は、指輪による権能だろう?」
組み伏せられ、刀の切先を首元に向けられ今にも処刑されんとしていたアメミヤがポツリと呟く。俺に視線を向けて喋らせるかと問い掛けてくるサキハラさんにただ首肯を返し、一時処刑を中断して貰う。
能力について考察され、加速の効果は既に看破されているとして、では変速という表現から減速や別の扱い方が出来ると読まれていると見るべきだろうか。下手に口を滑らせて情報を与える訳にはいかない。
「そちらの、火炎もでしょう」
「……その通りだ」
「貴方は、墓守りの一座……その一員ですか?」
「だった、と言うべきだ。今は彼女の下についている」
「抜けたんですか?」
「より優先すべき事柄を見つけたまでだ」
「と、言うと?」
「彼女の復讐、その手助けだ」
諦めたのか、ペラペラと喋るアメミヤに警戒しながらも聞き出せるだけの事柄を聞き出そうと必死に頭を回して質問を考えていく。今質問している彼らの行動理由については別に訊かなくとも良いことか、墓守りの一座について深めるべきか。
「なぜ、テンケツさんを襲ったんですか? 墓守りの一座の命令ですか?」
「ああ。ソウル・ステップの荷物を奪え、という仕事だったが……顔が回っていなかったからな。ヴァン・アストライアを除いた二人の内どちらか、と考えた時にこちらの存在に勘付いて村を出たものだからあれがソウル・ステップかとばかり……」
「……じゃあ、テンケツさんはシンプルに人間違えで焼かれたと?」
「ソウナルネ」
だが、重要な情報を得られた。
墓守りの一座の中で、俺の顔は出回っていないのか。けれどヴァンの顔はよく知られていて、同行しているとも伝わっていると見て相違ないだろう。ヴァン以外の人と下手に同行すると、また同じようなことが起こるかもしれない……迂闊に同行人を増やす訳にも、行かなくなってしまったな。
「墓守りの一座の目的は? ヤハウェオブジェクトを集めて何をしようとしているのですか?」
「……君は、北都に行ったことは?」
「まあ、ありますが」
「では、ミディアンの朝廟には行ったか?」
「ええ、はい」
「ならば、ミディアンの朝廟に残された話と輪書では、語られている内容に大きな差異があると知っているだろう?」
「はい。知っています」
ミディアンの朝廟に残された話ではヴォーディはいかなる病をも治す薬の原材料である身投げ花を独占し、世に厄災を撒き散らす人物として描かれている。対して輪書では人の世を憂い、滅ぼすことで救済しようとした不器用な魔王として描かれている。
朝廟の壁面に残されたイコン画などは度重なる修繕の跡が見られるため、後世の人間がヴォーディを悪辣な存在と改変したようにも思えるが、かと言って現在の蒼教に残る輪書とて俺が知る限りでも表現の変更などが行われているためにどれだけ真に近いのかは不明だ。ただ、異なる大きな点が今も尚残っている事実だけは確かにそこに存在している。
「あれはしかし、大筋に変わらないものがある。それは朝廟の向こうに封じられた島があり、ヴォーディが封じられているという点だ」
「……まさか、ヴォーディを復活させようとでもしているのですか?」
「いや、それは違う。どうやらヤツらは、ケリィ・キセキを取り戻そうとしているようだぞ」
刹那、釣殿の方で爆発音が聞こえたかと思えば視界の端で炎が映る。驚きに顔ごと視界を動かした瞬間、アメミヤは俺の服の両肩部分を握ると強く引き、前傾姿勢に上がった腹に左足を沿わせて後転しながらも投げ飛ばした。突然の反撃にサキハラさんはトドメを刺さんとしたが、俺が飛ばされたことで敵わず、再びアメミヤを自由の身と解放してしまう。
中空を舞いながらも見た景色では、アメミヤはサキハラさんに背を向けて釣殿へと駆け出していた。それはそうだ、彼の目的はオレガノの復讐の完遂でありその目的を達成するにはディアノ・ノーマンを殺害しなければならない——つまり、俺やサキハラさんは関係ないのだから。
池が一気に高温に達したためか周囲には水蒸気の霧が立ち込めており、俺がサキハラさんを巻き込みながらも地面を転がって立ち直した時には既にその姿を水蒸気の霧に溶け込ませ歪んだ影だけを俺らに見せた。サキハラさんは即座に釣殿があろう方向に向けて駆け出して行ったものだから、俺も同じ方向に向けて足を進める。
霧は、己の無力を引き立てるばかりであった。




